迷い森と霧の洋館
※間違えて全部消してしまったので、再投稿です。
前書き後書きは復元してないです‥汗
はじめまして。作者のあかいつきです。
A級ギルドマン三人組と、迷い森&バグった洋館から始まるギルドファンタジーです。
ゆっくり更新予定/軽めの残酷描写あり。
まずは迷い森の依頼からお付き合いください。
その依頼は、どう見ても「ロクなことにならない」匂いがした。
山あいの街のギルドは、朝から騒がしい。
木製の掲示板に貼られた依頼書の前には、
今日も冒険者たちが群がっていた。
「……お、出たな」
人だかりの後ろから、ひょいっと腕が伸びる。
黒髪短髪の少年が、器用に人の肩と肩の隙間を縫って、紙を一枚つまみ上げた。
天音孝宏、十七歳。
筋肉質で肩幅広めの、前衛格闘家だ。
腰のカードホルダーから、金属製のカードがちらりと顔を出している。
――ランク:A級。
――ジョブ:戦士(格闘家)。
――所属:トウカ支部ギルド。
それが今の彼の立場だった。
「どれどれ……っと」
天音は、依頼書にざっと目を走らせる。
【依頼ランク:B級(未査定領域タグ付き)】
・内容:指名手配犯《赤手のロジ》の追跡および捕縛
・場所:北東の森地帯(通称:迷い森)
・補足:過去に複数の“行方不明”事案あり。詳細不明。
「……はい出たー。絶対ロクなことにならないやつ」
肩越しに覗き込んだ声がした。
黒髪の少年がひとり、天音の隣に立つ。
アルカナ、十六歳。
身長は天音と同じくらいだが、少し細身。
腰の剣と、鋭い目つきがよく目立つ。
彼のギルドカードにも、同じく刻まれている。
――ランク:A級。
――ジョブ:剣士。
――所属:トウカ支部ギルド。
「“行方不明”“詳細不明”“未査定領域”」
アルカナは指でその三つを順番に叩いた。
「この三点セットが揃った依頼に、
ノリノリで乗るやつの気が知れないね、俺は」
「でも充実した一日にはなりそうだろ?」
「そういうとこだぞ、お前が昇格試験ギリギリだった理由」
「結果オーライなんだからノーカンだろ」
「そういうとこだぞ」
アルカナが呆れたようにため息をついた、そのときだった。
「お二人とも、声が大きいです」
柔らかな声が、背後からかけられた。
そちらを振り向くと、
白い狐耳がぴょこんと揺れる。
細身で小柄な巫女装束の少女――大狼が、湯気の立つ湯飲みを二つ持って立っていた。
胸下まである幻想的な白髪。
前髪はぱっつんで、耳は布と髪の下に隠されがちだが、今はぴょこんと覗いている。
年の頃は二十歳前後に見える。
ギルドカードにはこう刻まれている。
――ランク:A級。
――ジョブ:結界士(巫女)。
――所属:トウカ支部ギルド。
「ほら、これでも飲んで落ち着いてください」
「お、ありがと」
「サンキュ」
湯飲みを受け取りながら、天音が依頼書をひらひらと見せる。
「それより大狼、これ。見てくれ」
「……“迷い森”の依頼ですか」
大狼は紙を受け取り、静かに読み始めた。
目が、一行ごとにわずかに細くなる。
「“未査定領域タグ付き”……。
ちゃんと付けてくれているだけ、まだ良心的ですね」
「良心的なんだ、これで?」
「“タグなしで出されるよりは”です」
さらりと言う。
「行方不明になった人の情報も、最低限は記載されてますし。
……赤手のロジ、ですか」
「知ってる?」
「名前だけなら、ギルドの報告書で」
大狼は記憶を辿るように目を細める。
「元はC級の盗賊。
単独での戦闘力は高くないけれど、“逃げ”と“隠れ”に関してはそこそこ優秀。
街道筋での襲撃と、仲間への裏切りで指名手配……でしたね」
「そうそう、そのロジがこの“迷い森”に逃げ込んだ、と」
天音は依頼書を指でとんとんと叩く。
「で、問題はここ」
【過去に複数の“行方不明”事案あり。詳細不明】
「“詳細不明”って便利な言葉だよな」
アルカナが肩をすくめる。
「“調べたけど分かりませんでした”なのか、
“調べたやつが帰ってきませんでした”なのか。
どっちにも見える」
「どっちにしろ、楽しくはなさそうだな」
天音は口元だけ笑った。
そこへ、カウンターの奥から声が飛ぶ。
「おーい、A級トリオ!」
トウカ支部の受付嬢――雪見が、手を振っていた。
柔らかい茶髪をまとめ、眼鏡を掛けた女性だ。
「その迷い森の依頼、少し説明があるから、こっち来てくれる?」
「……な?」
天音が依頼書を掲げてみせる。
「“ロクなことにならない”って顔だな?」
「うるさい」
アルカナがぼそっと返し、三人はカウンターへ向かった。
◆
「まず、前提の確認ね」
カウンター越しに、雪見は三人のカードを見る。
差し出された金属製のギルドカードに、手慣れた動きで視線を落とす。
「天音孝宏、A級・戦士(格闘家)。
アルカナ、A級・剣士。
大狼、A級・結界士(巫女)。
所属、全員トウカ支部」
「一応A級なんで」
天音が胸を張る。
「“一応”を付けるのはどうかと思いますけど」
大狼が小声で突っ込む。
雪見は微笑を浮かべ、依頼書を指でとんとんと叩いた。
「この迷い森の依頼、ね。
もともとはB級の“指名手配犯の追跡”依頼だったんだけど……」
「“だったんだけど”?」
「本部から、ひとつ条件が付いたの」
雪見は、小さくため息をついた。
「“迷い森の一次調査を兼ねること。
可能な範囲で、森の“迷い方”の異常がないかを報告に含めること”」
「……つまり」
アルカナが眉をひそめる。
「ロジを捕まえつつ、“森がおかしくなってないかどうか見てこい”ってこと?」
「そう。
その上で――」
彼女は三人を見渡した。
「“未査定領域タグ付きの依頼としては、A級三人組に任せる”って判断が下ってる。
ここらで、あなたたちの“地図の読み方”も見ておきたいんだって」
「地図?」
天音が首を傾げる。
「紙の地図の話だけじゃないですよ」
大狼が、横からそっと補足する。
「“状況をどう読むか”“どこが危ないか”“どこなら進めるか”――
そういう意味での“地図”です」
「そうそう」
雪見は頷いた。
「だから、勘違いしちゃいけないのは――
“ロジを捕まえて帰ってくればそれで合格”、じゃないってこと」
「……“どう迷って”“どう引き返したか”も、セットで見られるってやつか」
アルカナが肩を落とす。
「そういうこと」
「うわ、めんどくさ」
「正直者ですね」
大狼がくすりと笑う。
「で、森の情報は?」
天音が姿勢を正した。
「“行方不明報告あり”っていうのは、どのくらいの頻度なんだ?」
「ここ五年で、確認できてるだけで七件」
雪見は淡々と言う。
「そのうち三件は、“森から出てきたけれど記憶が曖昧”パターン。
残り四件は、そのまま行方不明」
「記憶が曖昧?」
大狼の目がわずかに細くなる。
「“どこを歩いたか覚えていない”“急に森の中に建物が見えた気がする”“気づいたら日が暮れていた”――
そんな感じの証言が多いわね」
「建物?」
天音とアルカナが、ほぼ同時に反応した。
「森の中に?」
「“気がする”レベルの話よ」
雪見は肩をすくめる。
「はっきりした形で報告した人はいない。
“見間違いかもしれない”“言っても信じてもらえないと思った”って、みんな口を濁す」
「……“言っても信じてもらえない”って思うようなもんが、
“あるかもしれない森”ってことだな」
アルカナが、小さく息を吐く。
「行ってみる?」
雪見が、あらためて三人を見る。
「断るなら、今のうちよ。
これは“行きたくないから悪い”案件じゃなくて、“無理だと思ったら戻ってこい”案件だから」
その言葉に、大狼は静かに頷いた。
「戻ってくる前提で行きます。
無理だと思ったら、“わからなかった”と報告します」
「よし」
天音はにやりと笑う。
「“わからなかった”報告、俺たち、まだギルドに一回も上げてないしな」
「誇るところじゃないと思いますが」
大狼が小さく肩をすくめた。
アルカナは、依頼書を折りたたむと、カードホルダーに仕舞う。
「じゃあ――受ける」
その一言で、迷い森行きが決まった。
◆
迷い森は、トウカの街から半日ほど北東。
山をいくつか越えた先に広がる、低い丘と森の地帯だ。
昼前に街を出た三人が、森の手前に着いた頃には、太陽はすでに真上を過ぎていた。
「……どこから見ても普通の森なんだけどなぁ」
天音は、肩を回しながら呟く。
目の前には、深い緑が広がっている。
鳥の声。
風に揺れる枝葉。
獣道の名残のような細い道。
ぱっと見では、“行方不明が出ている危険な森”には見えない。
「迷うのは、見た目じゃなくて中身です」
大狼が、腰の巾着袋から数枚の紙札を取り出した。
細かい文字と印が書かれた、結界札だ。
「これから張るのは、
“森の迷い方を完全に無効化する”結界ではありません」
「できないのか?」
「できませんし、やるべきでもないです」
大狼は首を振る。
「迷い森の中身は、この土地の“性質”そのものです。
全部をねじ曲げてしまう結界を張るのは、巫女の仕事ではありません」
「じゃあ、何をするんだ?」
「“足場を約束しておく”だけです」
大狼は、地面に指で印を切るようにしながら説明した。
「森に入って、もし《迷い》に巻き込まれたとしても――
足だけは、“最初に決めた道の上”から外れないようにする」
「……どういうこと?」
天音が首を傾げる。
「わかりやすく言うと――」
大狼は、近くの小石を一つ拾い、土の上に線を引いた。
「例えば、こうやってまっすぐ森の奥に向かう道があるとします」
土の上に引かれた一本の線。
「迷い森の中では、この線がぐにゃぐにゃになったり、
勝手に輪になったり、人をぐるぐる回したりする、かもしれません」
「うわぁ……」
「ただ、その“線そのもの”を全部書き換えるのは難しい。
だから、私の結界は――」
大狼は、線の上に小石をぽん、と置いた。
「“この小石だけは、線から落ちないようにする”結界です」
「……俺たちが、その小石?」
「そうです」
大狼は笑った。
「森の中で方向感覚を失っても、
足元だけは“最初の線の上”に乗っている。
だから、立ち止まって戻りさえすれば、必ず外に出られます」
「なるほど」
アルカナは腕を組んだ。
「森そのものをねじ曲げるんじゃなくて、
“自分たちが地面から落ちないようにする”ってことか」
「はい。
完全な安全は約束できませんが、“戻ってこられる可能性”はぐっと上がります」
「十分だろ」
天音は、にっと笑う。
「じゃあ、その“足場の約束”とやら、頼んだ」
「任せてください」
大狼は、三人の足元に結界札を一枚ずつ埋め込んでいく。
札は土に溶けるように沈み、
代わりに、見えない何かが地面に刺さっていく感覚があった。
天音はぞわりと肩を竦める。
「なんか、足の裏がひんやりするな」
「それが“約束”です」
大狼は立ち上がり、森の入り口を見据えた。
「では――行きましょうか」
三人はうなずき合い、迷い森へと足を踏み入れた。
◆
森の中は、思ったより静かだった。
鳥の声も、虫の音も、完全に消えてはいない。
だが、何かが足りない。
「……風、止まってないか?」
しばらく歩いたところで、天音がぽつりと言った。
背の高い木々が並び、その間を縫うように獣道が続いている。
葉はわずかに揺れているが、
肌に当たる風の感覚が、極端に薄い。
「“周り”の音が、ちょっと遠いですね」
大狼も、周囲を見渡す。
「足音だけが近くて、他の音が全部、
一枚、布を通して聞こえてるみたいな」
「気持ち悪い表現するなよ」
アルカナは剣の柄に手をやりながら、眉をしかめる。
「でも分かる。
“森の中にいる”って感じが、なんか薄い」
「そういう場所なんでしょうね」
大狼は、前方へ目を向けた。
(……足元の“線”は、まだまっすぐ)
結界士としての感覚で、
自分たちの足が“どこに立っているか”を確かめる。
森の迷いは、まだ本気では絡んできていない。
それでも、
歩けば歩くほど、胸の奥のざわつきは強くなっていった。
木の本数はそこまで変わらない。
道の太さも、さほど変わらない。
なのに、
「今、自分がどれくらい森の奥に来ているのか」が、
感覚だけでは全く掴めなくなってきている。
「……なぁ」
天音が、ぽつりと言った。
「さっきから、同じ木、通ってないか?」
「それを言い出したら負けだぞ」
アルカナが苦笑する。
「実際、“似たような木”はいくらでもあるんだから」
「そうなんだけどさぁ……」
天音は、後ろを振り返った。
来た道を見ても、
特別な目印は何もない。
ただ、緑と木々と獣道だけが続いている。
そのとき――ふっと、足元の感覚が変わった。
「あ」
大狼が小さく声を上げる。
「今、ちょっと強めに、引っ張られましたね」
「引っ張られた?」
二人が同時に聞き返す。
「“こっちへ来い”っていう、《迷い》の流れです」
大狼は、森の奥を見据えた。
「でも、大丈夫です。
足はちゃんと“最初の線”の上に立ってますから」
「信じるしかないな、それは」
アルカナは息を吐いた。
「ロジの痕跡は?」
「足跡は、ところどころに」
大狼は、土の上についた跡を指さす。
「それほど古くはありません。
ここまでは、彼も普通に森を歩いてきたようです」
「ここから先で、“普通じゃなくなる”ってことか」
アルカナが低く呟く。
「森の“おかしさ”に、ロジが勝手に引っ張られてるのか。
それとも、ロジが入ったことで森の“おかしさ”が表に出てきたのか」
「どっちにしろ、行ってみないと分かりません」
大狼はそう言って、さらに奥へ進もうとした。
その瞬間だった。
霧が、足元から立ち上がる。
「……おい」
天音が止まる。
「霧なんて、今まで出てなかったよな」
「出てませんね」
大狼の声が、わずかに低くなる。
霧は、足首のあたりからじわじわと立ち上がり、
膝の高さ、腰の高さへと迫ってきた。
森の色が、白く薄まっていく。
「ちょっと、嫌な感じだな」
アルカナが剣を抜く。
霧そのものには質量はない。
だが、視界を奪われることの不安が、胸をじわじわと侵食してくる。
(……足元の“線”は、まだ保たれてる)
大狼は、足の裏の感覚を確かめてから、一歩を踏み出した。
霧の向こうに――
何か、輪郭の違う“影”がある。
「建物?」
最初に気づいたのは、アルカナだった。
霧の奥。
木々の間に、明らかに“森の色ではない”灰色が見える。
近づくにつれて、それははっきりした形を取り始めた。
整然と積まれた石壁。
上下二階建て以上はある、重い輪郭。
黒い鉄の柵と、錆びた門。
「……洋館?」
天音が、素直な感想を口にする。
迷い森の奥に、不釣り合いなほど立派な洋館が建っていた。
苔むした石壁と、まだ新しい部分が混じり、
長い年月を経たような、そうでもないような、不思議な佇まいをしている。
「地図には?」
「載ってません」
大狼は即答した。
「少なくとも、ギルドの地図には、
この位置に建物の記載はありません」
「……“森の中に建物が見えた”って証言」
アルカナが、雪見の言葉を思い出す。
「こういうこと、か」
足元の“線”は――まだ、切れていない。
大狼は、そっと息を吐いた。
館の方角から、微かな気配が漂ってくる。
(……社に似ている、けれど)
鳥居や拝殿の前に立ったときに感じる、
あの“背筋が伸びるような気配”に、どこか似ている。
けれど、それとは違う、
もっと乾いていて、ひんやりした何かが混ざっている。
(少なくとも、この国の普通の神社ではない)
大狼は、その感覚に、さらに慎重になる。
「どうする?」
天音が問う。
「ロジの足跡は?」
「……続いてます」
大狼は、門の前の地面を指す。
森から続いていた足跡が、
そのまま館の門の中へと伸びている。
「じゃあ、行くしかないでしょ」
天音は、ためらいなく言い切った。
「指名手配犯追ってたら、
“存在するはずのない建物”が出てきました、ってだけだ。
今さら引き返せるかよ」
「“今さら”で引き返すための結界なんですけどね、本来は」
大狼は苦笑する。
それでも――
彼女は、門の前に立った。
「気をつけてください」
そう言って、門に手をかける。
錆びついた鉄の軋む音が、静かな森に響いた。
◆
中庭は、不自然なほど静かだった。
草は生い茂っているが、
獣や虫の気配がほとんどない。
石畳の通路は、ところどころ割れているものの、
人が通える程度には整えられている。
「誰かが、手を入れてるな」
アルカナが低く呟く。
「完全に廃墟ってわけじゃない」
「ロジの足跡は、玄関まで続いてます」
大狼は、石畳の上を指した。
泥の乾いた跡。
微かに残る靴の形。
それは、重厚な木製の玄関扉の前で、途切れていた。
「……ノックする?」
天音が冗談半分に言う。
「勝手に開けて、罠だったら嫌だろ」
「まぁ、そうだな」
アルカナが頷く。
天音は、扉の前に立ち、拳で軽く叩いた。
三回ほど、コンコン、と。
返事は――なかった。
「留守か?」
「森の奥の館に、“留守”って概念ある?」
アルカナが肩をすくめる。
天音がもう一度ノックしようとした、そのときだった。
ガチャリ、と。
内側から、鍵の外れる音がする。
「……おい」
「今、誰も触ってないよな」
三人とも、その場で固まり、
じっと扉を見つめる。
重い木の扉が、きぃ、と音を立てて少しだけ開いた。
中から、冷たい空気が一筋、流れ出てくる。
そして――
「いらっしゃい」
軽い声とともに、扉がさらに開いた。
銀髪の男が、そこに立っていた。
若干白寄りの銀髪を短く切り揃え、
つり目がちな瞳には、どこか退屈そうな光と好奇心が同居している。
身長は天音と同じくらいだが、
服の上からでも分かるほど、無駄のない筋肉がついている。
腰には、左右に一本ずつ刀が下がっていた。
「迷子の三人さん」
男――クルスは、口の端だけで笑った。
「よくこんなところまで来たね。
まぁ、上がっていきなよ。ちょうどお茶の用意ができたところだから」
「…………」
三人とも、言葉を失った。
最初に口を開いたのは、アルカナだった。
「“ちょうどお茶の用意ができたところ”って、
どういう生活してると、迷い森の奥でそのセリフが出てくるんだよ」
「変な生活だろ?」
クルスはあっさり認める。
「でも、今日はたまたま客が来る気配がしてたからね。
久々にちゃんと三人分、いや、四人分か……もう一人いるけど、用意してある」
「……“もう一人”?」
大狼が目を細める。
「指名手配犯《赤手のロジ》。
君たち、あれを追ってここまで来たんだろ?」
三人の空気が、一瞬で変わった。
天音とアルカナは、即座に前へ出て、
クルスとの間に距離を取る。
大狼は、さりげなく結界札に手をかけた。
「どうして、その名前を」
「ドアの前に、足跡があった」
クルスは肩をすくめる。
「それに、森の外から追ってくる気配も、何となく感じてたし。
赤い手の、うるさい盗賊のことなら――」
彼は、館の奥を顎でさした。
「ちゃんと客間で寝かせてあるよ。
殴り疲れたから、今は静かだけど」
「殴り疲れた?」
天音が思わずオウム返しする。
「なんか、やたら抵抗してきてね。
“金だ”“自由だ”“俺の人生だ”とかいろいろ叫んでたから、
適度に叩いて、黙らせておいた」
クルスの声音は、淡々としたものだった。
それがかえって、三人の背筋を冷たくする。
(……この人)
大狼は、クルスから漂う気配を見つめた。
社に似た、けれど違う、
古い何かの気配。
そして同時に、
人間の枠から少しだけはみ出たような、乾いた静けさ。
「ロジを渡してくれる、と?」
アルカナが問う。
「もちろん」
クルスはあっさり頷く。
「君たちは君たちの依頼を果たす。
俺は森の中で暴れるお客さんを片付けただけ。
ただそれだけの話だ」
「……タダで?」
「タダで“ロジ”を譲る代わりに、こっちの話も少し聞いてもらう感じかな」
クルスは、さも当たり前のように言った。
「立ち話もなんだし、とりあえず中に入る?」
三人は視線を交わした。
天音の瞳には警戒と好奇心が、
アルカナの瞳には警戒と諦めが、
大狼の瞳には、社由来の気配を探る慎重さが宿っている。
「……断る選択肢は?」
「ないわけじゃないけど、
ロジを引き取れるのは“中まで来た場合だけ”だね」
クルスは笑った。
「門の前まで来て、“やっぱやーめた”って帰るのも、
君たちの自由だ。
ただ、その場合はロジはここに残る」
「…………」
アルカナは、短く息を吐いた。
「行くしかないか」
「大狼」
天音が小声で問う。
「足元の“約束”、まだ生きてるか?」
「生きてます」
大狼は頷く。
「この館の中に入っても、
“最初の線”から完全には外れていません。
……今のところは」
「“今のところ”って言い方が怖いけど」
アルカナが苦笑する。
それでも、
三人は玄関の敷居をまたいだ。
◆
館の中は、外見よりもずっと整っていた。
壁には古い絵画が掛けられ、
床には手入れされた絨毯が敷かれている。
燭台には灯りがともり、
窓から差し込む光と混ざって、薄暗い廊下を照らしていた。
「……ちゃんと住んでるんだな」
天音が小声で言う。
「“たまたま森の奥に建ってる廃墟”じゃない」
「さっきから妙に“生活音”もするしな」
アルカナは、遠くからかすかに聞こえてくる音に耳を澄ます。
食器が触れ合う音。
湯が沸く音。
誰かが歩く足音。
クルスは、廊下をゆっくりと先導していく。
「ほら」
彼は、一つの扉の前で立ち止まり、ノックもせずに扉を開けた。
「こっちがサロン。
とりあえず座ってて」
部屋の中には、丸いテーブルとソファが置かれていた。
窓からの光と、暖炉の火が、柔らかく室内を照らしている。
テーブルの上には、既に湯気の立つポットとカップが並んでいた。
「お疲れさま。
長い道のりだったでしょう」
テーブルの向こう側に座っていた白髪の女が、静かに微笑んだ。
短髪で、後ろ髪だけ少し長く伸びている。
薄い赤の瞳は、どこか冷たく、それでいて柔らかさも含んでいる。
黒い燕尾風のマントに、薄紫色の服。
長めのスカート。
「私はエヴァン。
この館で、クルスと一緒に暮らしてる」
「……どうも」
天音は、思わず姿勢を正した。
(なんか、“危ない匂い”しかしないんだけど、この館)
「座って」
エヴァンは、手をひらりと動かした。
「お茶、ちゃんと淹れたから。
飲まないと冷める」
「ありがとうございます」
大狼は、ぎこちなく頭を下げ、ソファに腰を下ろした。
天音とアルカナも、警戒を解かないまま、それに続く。
クルスは、適当な椅子に腰をかけた。
「で」
アルカナが切り出した。
「ロジは?」
「奥の客間で寝てる」
クルスは、部屋の奥を顎でさす。
「後で連れてくるよ。
その前に、少しだけ話をしよう」
「話?」
「君たちが迷い森に入ってから、ここに来るまでのこと。
それと――森の“迷い方”について」
エヴァンが、各自の前にカップを置いていく。
ふわりと、香りが立ち上る。
「毒は入ってないわ」
彼女はさらりと言う。
「入れるなら、こんな面倒なことしないで、
玄関で終わらせてる」
「その理屈、説得力ありすぎて逆に怖ぇな」
天音が顔を引きつらせた。
大狼は、一口だけ、慎重にお茶を口に含む。
温かさと、ほんの少しの渋み。
特におかしなところはない。
(……気配も、さっきから変わってない)
クルスとエヴァンから漂うのは、
人のものとも、神のものともつかない、古い何か。
少なくとも、今すぐ敵意を向けてくる感じではない。
「まず確認だけど」
クルスが口を開く。
「君たち、この森のことをギルドからどう聞いてる?」
「“指名手配犯ロジの追跡”と――」
アルカナが答える。
「“迷い方に異常が出ている可能性があるから、
行けるところまで行って、わかったことを報告してこい”」
「なるほど」
クルスは頷いた。
「じゃあ、その“わかったこと”を、ここまでの時点で教えてくれる?」
「……試されてる感じでムカつくな」
天音がぼそっと漏らす。
「でも、まぁいいか」
アルカナはわざと肩の力を抜いた。
「森の入り口から、最初のうちは普通だった。
でも、ある地点を越えたあたりから、
“周りの音が全部遠くなる”感じがした」
「風も薄くなりました」
大狼が付け加える。
「足音と、自分たちの息だけが近くて、
森の音が一枚向こう側に行ったような」
「うん」
クルスは、楽しそうに聞いている。
「続けて」
「足跡はロジのものと思われるものが続いていました。
途中までは、逃げている人間の足取り」
大狼は、指を組んで思い返す。
「でも、やがて――
足元の感覚が、少しだけ乱れました」
「乱れた?」
「“こっちへ来い”と引っ張られるような感覚です」
大狼は、胸のあたりを押さえる。
「幸い、事前に結界を張っていたので、足元の“約束”は崩れませんでしたが……
あれがなければ、あの時点で別の方向に迷い込んでいたと思います」
「結界士がいて、ギリギリ一歩分ずれた、ってところか」
クルスは、顎に手を当てる。
「で、その先にこの館が出てきた」
「そうです」
アルカナが言う。
「地図に載ってない館が、
霧と一緒に、急に目の前に現れた」
「“急に”ではないですけどね」
大狼が少しだけ補足する。
「霧が立ち上がって、視界を奪われて――
その先に、気づいたら輪郭がありました」
「……“気づいたら”って言葉、あんまり使いたくないんだけどな」
天音は頭を掻く。
「それしか言いようがない感じだった」
「充分だよ」
クルスは、満足げに頷いた。
「ここまでちゃんと説明できるなら、少なくとも“迷い森に飲まれっぱなし”ではない」
「……褒められてる気はあんまりしないな」
「褒めてるよ?」
クルスは笑った。
「で、こっちの番」
彼は、カップを一口飲んでから、淡々と続ける。
「君たちが感じた“迷い方の異常”は、概ねその通り。
森の中には、いくつか“迷いの濃い場所”がある」
「濃い場所?」
「普通の人間がふらっと入ると、すぐに方向感覚を失って、
二度と抜けられないかもしれない場所、って言えば分かりやすいかな」
クルスは指でテーブルになにかの形をなぞる。
「この館は、その“濃い場所”の一つを、
自分の庭先にしてるようなものだ」
「庭先」
アルカナが眉をひそめる。
「それ、さらっと言う内容じゃないだろ」
「でも、君たちはここまで来た。
それだけのことはしてる」
クルスの視線が、大狼に向く。
「足場の結界、悪くなかったよ」
「……見えていたんですか?」
「“足を落とさない”結界、だろ?」
クルスは、床を軽く蹴った。
「地面の方から“ここに杭打ちました”って声がしてた」
大狼は、わずかに表情を引き締める。
「……ありがとうございます」
素直に礼を言うと、クルスは肩を竦めた。
「褒めると伸びるタイプ?」
「どうでしょう」
大狼は苦笑する。
「で、本題ね」
エヴァンが口を挟んだ。
「ロジを渡すかどうかと、
あなたたちがギルドに何を報告するかの話」
彼女は、カップにお茶を注ぎ足しながら、さらりと言う。
「先に言っておくけど――
この館のことを、細かくギルドに報告されるのは、正直、困る」
「……ですよね」
アルカナが即答した。
「“迷い森の奥に、地図にない洋館がありました。
中には得体の知れない銀髪と白髪が住んでいました”って報告したら、
間違いなく上の連中が騒ぐ」
「騒がれると、面倒なんだ」
クルスがあっさり言う。
「君たちがどうこうされるより先に、
こっちが“危険存在”として処理対象になる」
「……森の異常の原因だ、とか?」
「そういう話にされる可能性は、高いね」
エヴァンは、淡々と茶器を片づけながら続ける。
「そうなると、“向こう”も本気を出さざるを得ない。
“ここを壊しに来る誰か”と、“それを迎え撃つここ”の戦いになる」
「“迎え撃つ”気なんですね」
大狼が、静かに問い返した。
「自分たちの身を守るくらいならね」
エヴァンは薄く笑った。
「その時、森と、周りの街と、
迷い森の“外側”で暮らしてる人たちがどうなるかは――正直、あまり考えたくない」
天音とアルカナは、無言で顔を見合わせた。
ギルドマンとしての感覚は、
「危険な存在があれば本部に報告するべきだ」と言っている。
だが――目の前の二人は、
今のところ自分たちに敵意を向けてはいない。
ロジの捕縛も済ませてくれている。
そして、何より――
この館を本気で“危険存在”と見なされたとき、
何がどれだけ壊れるか、想像がつかなかった。
(……この人たちが本気で暴れたら、
俺たちじゃ止められない)
アルカナは、はっきりとそう思った。
「だから、提案」
クルスが言う。
「ロジは、素直に君たちに渡す。
君たちは君たちの依頼を果たす」
「その代わり、報告の内容は?」
「“迷い森の中で、ロジを確保した”」
クルスは、一本指を立てた。
「“森の迷い方は、やはりおかしい。
途中から風や音の通り方が変わり、
一部の場所で、進むほど方向感覚がかき乱されるような感触があった”」
もう一本、指を立てる。
「――ここまででいい」
「……館のことは?」
大狼が問う。
「“霧が濃くなった先に、開けた場所に出た”。
“そこでロジを確保した”。
“戻る途中で、霧と迷い方は少しずつ薄くなっていった”」
クルスは、指を折りながら言葉を並べる。
「それ以上は、君たちが本当に“よく分からなかった”って顔をしておけばいい」
「……つまり」
アルカナが呟く。
「館のことも、あんたたちのことも、“よく分からないまま”ってことにしろ、と」
「少なくとも、“具体的な説明ができるほど理解してはいない”って顔をしておくこと」
クルスは頷いた。
「君たちは、“迷いが濃い場所がある”という情報と、
“ロジを確保した”という結果を持ち帰れば十分。
この館については――」
そこで、ふと声を切る。
その瞬間だった。
床の下から、かすかな声が聞こえた。
言葉にはなっていない叫び。
息の詰まった、押し殺したような声。
遠くの部屋から響いてきたそれは――
確かに、“誰か”のものだった。
「……今の、聞こえたか?」
天音が、思わず身を乗り出す。
アルカナも、手が自然と剣の柄にかかっていた。
大狼は、反射的に周囲の気配を探る。
館の下の方――
地面のさらに奥のほうから、細く歪んだ魔力がちらついている。
その中心に、
“壊れかけた何か”の気配があった。
「気にしなくていい」
クルスの声が、静かに響いた。
三人が顔を上げると、
彼はほんの少しだけ、悲しそうな目をしていた。
「君たちが気にしていい話じゃない」
「……でも」
大狼が何かを言いかける。
その前に、エヴァンがさらりと被せた。
「ここには、“外に出せないもの”が一つだけあるの」
彼女は、カップを持ち上げ、口元に運びながら言う。
「でも、それはあなたたちの依頼とも、
迷い森の報告とも、直接は関係ない」
「今、叫びましたよね」
天音は食い下がった。
「関係ないって顔、できるかよ」
「できるようにならないと、A級ではやっていけないわよ?」
エヴァンは、薄く笑う。
「全部を自分の手の届く範囲に収めようとしたら、
どこかで折れる」
「…………」
天音は、言葉を失った。
(“A級ではやっていけない”)
今、ギルドカードに刻まれているその文字が、
妙に重く胸にのしかかる。
「君たちに、ここで背負ってほしい荷物は一つだけ」
クルスが言う。
「“迷い森には、足場を確かめながら進まなきゃいけない場所がある”ということ。
“ロジは、森の奥で何かに巻き込まれかけていたが、いまは無力化されている”ということ」
彼の瞳が、三人を順番になぞる。
「それだけを持って帰ってくれればいい。
それ以上は、君たちの背中には、多すぎる」
大狼は、拳を膝の上で強く握った。
地下の気配は、まだ消えていない。
かすかな震えと、歪んだ魔力が、薄く、しかし確かに続いている。
(……放っておきたくは、ない)
巫女としての本能が、そう訴える。
けれど同時に――
大狼神の言葉が、頭をよぎる。
『足場を見ろ。
足場を失ったら、そこで終わりじゃ』
(今の私の足場は、どこ)
大狼は、自分に問いかける。
迷い森の中。
知らない館の中。
その地下にいる“誰か”。
今の自分が足場を置くべき場所は――
そこではない。
「……分かりました」
大狼は、静かに顔を上げた。
「ロジの引き渡しと、
迷い森の“迷い方”の報告。
それだけを持ち帰ります」
「大狼?」
天音が、驚いたように彼女を見る。
大狼は、小さく息を吐いた。
「今、ここで“全部どうにかしようとする”のは、
私たちの仕事じゃありません」
「でも――」
「でも、あの地下の気配は、
私一人でどうにかできるものではありません」
大狼ははっきりと言った。
「なら、今は線を引くべきです。
“今の自分たちが触れていいところ”と、
“触れてはいけないところ”の」
「……っ」
天音は、言葉を飲み込んだ。
アルカナは、目を伏せてから、ゆっくりと頷いた。
「ロジを連れて帰る。
森の様子を報告する。
“よく分からない館があった気がする”以上のことは、言わない」
「それでいい」
クルスは満足げに頷いた。
「君たちがその線を引いてくれるなら――
こっちも、線の向こう側で、できる範囲のことをやっておく」
その言葉の意味は分からない。
けれど、そこにはわずかな安心感があった。
「じゃあ、ロジを連れてくる」
クルスは椅子から立ち上がる。
「エヴァン、悪いけど手錠と縄、もう一本」
「はいはい」
エヴァンは立ち上がり、部屋を出る前に三人を一度だけ見た。
「迷子さんたち」
「……はい?」
「帰り道だけは、足を止めないで」
彼女は、柔らかく、しかしどこか真剣な声で言った。
「立ち止まると、“足場の約束”の意味が薄くなる。
森の外に出るまで、前か後ろかだけを見てなさい」
「……分かりました」
大狼は、しっかりと頷いた。
扉が閉まり、部屋に残ったのは、A級トリオだけになる。
かすかに聞こえていた地下の気配は、
相変わらず続いている。
「なぁ」
天音がぽつりと言う。
「怖いな、ここ」
「うん」
アルカナは、嘘のない声で答えた。
「でも、“怖い”って分かるうちは、まだ大丈夫なんだろうな、多分」
「そうですね」
大狼も、小さく笑った。
「“怖い”って、自分で言えるうちは」
三人は、それぞれのカップに残ったお茶を飲み干した。
やがて、扉の向こうから、
鎖の鳴る音と、くぐもった男の悪態が近づいてくる。
迷い森での最初の依頼は、
そうして、霧の館の中で一つの区切りを迎えようとしていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
第1話は、A級トリオと迷い森&バグった洋館のお披露目回でした。
クルスやエヴァンは、今後も「世界の天井側」としてちょくちょく絡みます。
次回はギルドへの報告と、大狼神さまサイドの反応回になります。
感想や誤字報告などいただけると、とても励みになります!




