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夏が沈む

作者: 朔雪 令月

 ――夏なんて、早く終わればいい。


 外から流れ込む熱気に、一人愚痴る。

 室外機に蔓を延ばした朝顔は、融けるような赤紫色をしていた。

 ぼんやりと目線を向けると、微風が瞳を吹き付ける。

 何となく熱気のこもる、じめついた風だった。


 夏は嫌いだ。

 暑くて蚊がいて、なにもやる気が起こらなくなる。

 蝉がじりじりと沸騰した気温を告げる。

 最初の何日かは夏の彩りと言い聞かせたそれも、聞き飽きた歌のように価値を見いだせなくなる。

 このまま夏の暑さに溶けて、何者でも無くなってしまうような気がした。


 蝉の雑音の中に、違う声が聞こえてきた。

 隣町で祭をやるらしい。点けっぱなしのテレビからローカル局のCMが流れている。


 海沿いの花火大会と言えば良く聞こえるが、田舎町の花火大会、全国的に人が集まるような規模の大きな物ではない。

 悪く言えばつまらない、良く言えば混雑しないのだ。


 電車で行ける上、距離もさほど遠くない。

 ひとつくらい、夏の思い出があっても良いだろう。

 そうしてカレンダーに丸をつけた。


 電車を降りる。冷房とも涙のお別れだ。

 改札を抜け、建物の影から体が外に出る。

 突き刺すような直射日光が肌を灼く。

 手持ちの扇風機もこの暑さでは何の役にも立たない。

 ただぬるま湯のように気の抜けた風を顔に押し付けるだけで、涼しさなどありはしない。

 じきに肌がベタつくようになるのだろう。


 すでに西に傾いた筈の太陽は、日除けに被った帽子すら貫いて頭を熱し、額ににじむ汗がこめかみを伝う。


 花壇に咲く向日葵が、わたあめのように大きな入道雲を見ていた。

 空の低層から高層まで一続きで出来た雲は立体的で、影がグラデーションをつける。

 白い雲との対比が美しい夕焼け空だった。


 花達のざわめきと共にやってきた線香の煙を追うと、早くからやっている屋台があった。

 子供らは大盛のカキ氷を食べこぼしては、親に咎められていた。

 聞こえないふりをして早食いをしていたが、やがて頭を抑えて泣いていた。

 親はそっと頭を撫でた。


 祭りが始まる前の独特の熱気に当てられて、屋台通りを覗き込む。

 くじ引きやクレープの暖簾を見ながら通ると、美味しそうなソースの香りにお腹が鳴る。

 焼きそばとイカ焼きが仲良く並び、両店の店主が威勢の良い声で呼び込んでいた。

 嗅覚と聴覚に訴えるその呼び込みは効果抜群で、競い合うように列が出来ていた。

 少し悩みながらも、焼きそば待ちの最後尾に並んだ。


 屋台の少し割高な価格は、祭という特殊な空気への経験料だ、というのをどこかで聞いた。

 家で作る焼きそばと比べて大きく勝るわけでもないありふれた焼きそばが、何だか美味しく感じられた。

 舌鼓を打っていると、花火の開始を告げる空砲があがる。

 いけない。早く行かないと。


 会場はそれなりに人がいるものの、やはり大きな大会で無いこともあり、まばらで空白が目立つ。 


 沈みたての太陽は水平線の隅に朱色の明かりを残すばかりで、間もなくその姿を消そうとしている所だった。

 太陽の残滓がある内にと、海に足を浸す子供たちがいた。

 海辺の会場は、潮の香りがした。

 寄せては引く水際を、裸足で掛ける。

 汚れる足も、跳ねる海水も構わずに。


 彼らは残された夏を、笑って過ごしていた。

 家族やグループ……ここまですれ違って来た人たちも、そうだった。


 様々な人たちが会話を行き交わせながらも、意識は上にある。

 誰かが「あっ」と声をあげた。


 空へ向かう、一筋の鏑矢。

 自然と喧騒は止んでいた。

 海辺から響くさざ波が、観客の耳を一瞬埋めた。


 花火が開く。

 間もなく、心臓まで振るわせるような音が降ってきた。


 続けて二つ目、三つ目と空へと放たれる花たち。

 空から轟音が鳴る。地上からも負けじと声があげる。


 所詮は地方の小さな花火大会。視界を埋める大きさも広さもない。

 だが、心を奪う美しさがそこにはあった。

 瞳を灼く花々の彩りが、いつまでたっても消えてくれない。

 一日たっても、一週間たっても。


 あくる昼下がり。ヒグラシの鳴き声に混じって控え目なギターの音が聞こえてきた。

 音をかき分けると、ストリートライブをしている男がいた。


 立ち止まる人も無い中、長い影の下で逆さまにした帽子を地面に置き、弾き語りをしていた。

 音楽は詳しくないけれど、軽い調子の和音は涼しげで、爽やかさと少しの哀愁がある曲だった。


 知らない曲を遠巻きに聞いていると、何人か耳を傾ける人が現れだした。

 夏を吹き流すアコースティックギターの音色は胸の内に染み入るようで、向日葵も頭を垂れて聞き入っていた。


 演奏が終わっても耳に残ったそのメロディーを、鼻歌にして持ち帰った。

 鈴虫と一緒に歌う、夕日の帰り道。

 茜色の空を飾る筋雲に、過ぎた季節を重ねてみる。

 あの日の雲とは違って平たく、何だか空が狭くなったような気がする。

 肌寒くなってきた。そろそろ長袖を着ても良いかもしれない。

 私は初めて思った。


 ――夏が、終わらなければいいのに。


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