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第23話

ヴィンセントの屋敷まではすぐだった。

白栗毛の大きな馬からヴィンセントの手を借りて下りたとき、花梨の足はまだ小さく震えていた。

情けないな。初めてあんな不気味な魔物を見たからとはいえ……。

その震えを花梨は根性で止める。


「カリン。部屋まで抱いていきましょう」

「平気。もう歩けるから」


ヴィンセントが両手を広げて近付いてきたけれど、そう易々とセクハラの機会を与えてなるものかと丁重に辞退した。

熱くも重くもなかったフードだが、やはり煩わしくて、花梨はいそいそとフードを取ってローブを脱いだ。

その瞬間、さらに鋭さを増した眼差しが飛んできて、花梨はため息をついてちらりと視線をやる。

彼だ――。

猫耳の男は先ほどから花梨の一挙一動に注目しているのだ。何をしても興味津々とばかりに視線を逸らさない。

いったい彼は何なんだろう。

花梨を食い入るような目で見るけれど、何かわけでもあるんだろうか。

しかもただ見るだけで話しかけたりは一切ないのだから花梨も困ってしまう。


「ねぇ、どうしてそんなに私を見るの?」


本当であれば、花梨の方が凝視したいくらいだ。

猫耳に尻尾なんて、日本じゃコスプレ以外ありえない。

そういえば、私もやったな。双子の兄・草司から剣舞を教えてもらう交換条件に、うさ耳のカチューシャをつけてポラとられたっけ……。

振り返りたくない思い出が蘇ってきた花梨だけど、そんなことをのんびり考えてしまったのは、猫耳の男の返事がいっこうにないからだ。


「私の黒髪や黒い目って、そんなに珍しいのかな」


ため息をつきたい花梨が首を傾げて猫耳の男を見上げたとき――びくり、と男の体が大きく揺らいだ。

次の瞬間、音も立てずに花梨の前に片膝をついて男は頭を下げていた。以前ヴィンセントがリベルトに対して行っていた、恭順の意を示すように腕を胸の前で交差して。


「へ?」

「……待っていた」


何を……?

男がようやく言葉を発してくれたかと思ったら、わけがわからないもの。

けれど、その続きはいつまでたっても聞こえてこない。

どうしたらいいのか。

花梨は困惑して周囲を見回すと、皆も驚いたような顔で花梨と花梨の前でひざまずく男を見つめている。


「えーと。とりあえず立ってくれませんか」


思わず敬語。

でも、お願いを聞いてはくれないけど。

だったら。


「名前を教えてください。私は黒宮花梨って言うの」

「シピ」


しぴ?

それって名前だよね?

もう少し主語とか述語とかつけて欲しいなぁ。

何となく遠い目になってしまう自分を、花梨は首を振ってむりやり軌道修正する。


「シピ、立って下さい。カリンが困っているではありませんか」

「そうだ。どうした、シピ。きさまらしくない」


リベルトとヴィンセントも言ってくれたけれど、シピはそれでも動かない。


「あなたの靴に口づけをさせてほしい」

「はい!?」


ようやくまともにしゃべったと思ったら何言ってんの。

いきなり下僕宣言? いやいや、オタクの草司に毒されてるよ、私。

動揺してつい変な方向へ思考が旅立ってしまった花梨だけれど、それがそう間違ったことでないのを知るのはすぐだ。


「シピっ。きさま、どうしたというのだ。今日はおかしいぞっ」


リベルトが額に青筋立ててシピを怒鳴りつけるが、シピは微動だにしなかった。


「カリン。シピの好きにさせたらいいのではないですか? 何かわけがありそうです。誇り高きウル族の次期族長であるシピが自ら膝を折る姿など今まで見たことがありません。それだけ確固たる信念があるのでしょう。きっと、これではカリンが許すまでこのままですよ」

「待て、だからこそだ。ウル族は我がキャロウエヴァーツ国に属している一族。シピはそのウル族を代表してここにいるはずだ。その身でカリンの前にひれ伏すなど、二心あると疑われても仕方ないぞ」


ヴィンセントのからかうようなセリフに、リベルトが待ったを掛けた。

リベルトの言葉に急にその場が緊張する。

そうか。こうやって膝をつくのは忠誠の印か何かかな。

シピの一族はキャロウエヴァーツに忠誠を誓っているから、花梨に跪くとご主人様が二人になるんだ。

いや、別に私がご主人様になりたいわけじゃないけど。


「シピっ。どうなのだ!」

「そんな大げさすぎますよ、リベルト殿下。シピはカリンに一目惚れしたんじゃないんですか? 好きな女性に跪くくらい男として許してあげたらどうですか」

「エーメ。そんな話ではないだろう」

「よしんば、違ったとしてこのシピに二心があるとお思いですか? 何かわけがあるのかもしれませんが、今それをただすときでしょうか。帝王の度量が試されますよ、リベルト殿下。ほら、カリンもキスの許可でも出したらどうですか? 彼はとても忠実な男ですからね。カリンの許しを得るまでずっとシピはそのまま跪いていると思いますよ」


エーメは頭が回って口がうまいんだろうか。それともただのいじめっ子なんだろうか。

さっきまで顔を真っ赤に怒っていたリベルトが急に黙り込んでしまった。顔は我慢しているせいか、もっと赤くなったけど。

花梨は無言で跪いたままのシピを見下ろす。


「えぇ~と、仲良しの印だったら私は握手とかの方がいいな~なんて」


自分の希望を述べてみたけれど、目の前の猫耳はぴくりともしない。


「シピの好きにして下さい」


ため息と共にそれを口にした。

とたん、シピはさらに体を屈めると花梨の靴をおしいだくように両手で包み、唇を寄せる。

う~ん。女王さまにでもなった気分だ。

短めのクロップトパンツから出た足首にさらりと触れた金髪がくすぐったい。

ようやく満足したのか、シピが顔を上げた。

金色の瞳がキラキラと花梨を見上げてくる。

猫なのに、性質はまるで犬みたいだ。

今、全開で振る尻尾がシピの背後に見えた気がした。


「シピ。いつまでカリンの前に跪いている。いい加減に立て。そしてさっさとカリンを休ませてやれ」

「おや、リベルト殿下もたまには気が利いたことをおっしゃる。それともただの嫉妬でしょうか」

「エーメ。何か言ったか」

「いえいえ」


ヴィンセントの屋敷に入るため背中をむけたリベルトだが、花梨はその腰に下げられた闇姫を見てきゅっと顔を引き締めた。

そんな花梨の耳元に。


「望むならあなたの元に――」


滑らかな声が聞こえてきてぎょっとした。

気付くとシピがすぐ隣に立って花梨と同じものを見ていた。

闇姫だ。


「なっ」

「望むならあなたの元に」


シピはもう一度同じ言葉を繰り返す。

ようやくシピの言っている意味がわかった花梨は瞠目する。

シピは闇姫を望むなら奪ってくると言っているのだ。

どうしてだろう。リベルトはキャロウエヴァーツ国の王子。言わば、忠誠を誓うべき相手だ。その相手から剣を奪うなんてそれこそ謀反そのものではないか。

けれど、シピの顔には主君を今から裏切ろうという緊張はみじんもなかった。それどころか、まるで花梨の命令を今かと待ちわびているような期待感さえ窺える。


「シピ。ダメ」


おすわり、と続けそうになった口を慌てて閉じる。

そして改めて口を開いた。


「いいの、あれはリベルトに渡したものだから。今の私の剣技は、リベルトの足下にも及ばないもの。だから、あの剣はリベルトに使ってもらうのが正しい。私に出来ない代わりに魔物を倒してもらうのだから」


自分が未熟なせいで闇姫を持てない――そう告白することは屈辱に近い気持ちがするのに、どうしてこうも自分は素直に口にしているのか。しかも、ついさっき会ったばかりの人間に。

不思議で仕方なかったけれど、言った後も後悔の気持ちはなかった。

もしかしたら、シピが本当に動物めいた雰囲気をしているせいかもしれない。

ほら、ペットの猫や犬には不思議と他の人には言えないことだって言えるって言うじゃない。

などと自分の不可思議な言動をむりやり理由付けした花梨だったが、シピは納得出来ないような眼差しを向けてくる。


「もう、決めたの。だからこの話は終わり」


そう言うと、シピはピルルと片耳を小さく震わせてようやく闇姫から視線を逸らした。


「行こうか。喉渇いたな」


歩き出した花梨に少しも遅れることなくシピが付き従う。

そんな二人をヴィンセントが見ていたことに花梨は気付かなかった。








シピは大型ネコ科ワンコ属(笑)

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