第21話
今回少し気持ち悪い表記があります。うねうね~系がお嫌いな方は注意してください!
土埃の中に垣間見えたのは、うねうねと動くたくさんの触手に覆われた大きな黒い物体だ。ずんぐりとした体にわずかに上に伸びた首らしき部分。その上に乗っているのが頭だろう。しかし、どこに目があるのか鼻があるのか。全身が闇に沈んでいるように黒くて、絶えず触手が蠢いていてわからなかった。
「っひ」
全身を覆う触手の存在に花梨は鳥肌が立った。
けれど、何故だろう。
それ以上に花梨を震え上がらせたのが魔物を取り巻く黒い霧のような存在だった。
魔物が動くごとにまるで鱗粉のように黒い霧が周囲へと散っていくそれは、すべての命を奪っていくような毒々しい光景だった。
魔物が闇に沈んでいるようだと思ったのはこの黒い霧のせいだろう。
花梨が恐怖したのは、感覚的に悟ったからかもしれない。
これは死の霧だ、と。
「――カリン、剣を貸していただけますか」
そんな中でもヴィンセントの声は普段と変わらなかった。
いや、緊張している響きはあったけれど、断じて恐怖しているようではない。
腰に下げている闇姫へと機械的に手を伸ばしたけれど、震えている手のせいで、闇姫を取り落としそうになった。
「カリン? 大丈夫ですか」
優しくヴィンセントが声をかけてくる。
が、それに花梨は言葉を返すことさえ出来なかった。
自分がずいぶん甘く考えていたことを花梨は今痛烈に感じていた。
魔物なんて見たことがなかったせいで、どこか夢物語みたいな感覚があったのかもしれない。
だから、魔物を見たいとさえ考えていたのだ。
けれど、魔物はそんな生易しい存在ではなかった。
こんな禍々しい生き物だったなんて!
怖い。怖い。怖い――――っ。
「しっかり。剣をリベルト殿下に渡したら即刻撤退しますから、もう少し頑張ってください」
心さえ強ばりついたような花梨を勇気づけるようにヴィンセントが声に力を込める。
花梨の震えを自らの体で止めようとするように強く抱きしめられた。
すっぽりと大きな体で覆われたせいで、聞こえていた騎士達の喚声が遠くなる。
けれど、遠くで魔物相手に戦っているその人達は決して花梨の目から消えなかった。
大きな魔物相手に怯みもせずに向かっていくたくさんの騎士達。黒い触手が次々とそんな騎士達に伸び、ひとりの騎士が逃げ遅れたのか触手に体を巻かれた。獲物を捕まえたと歓喜したみたいに、その瞬間、黒い霧が一層濃くなった。
しかし、そこに切り込んでいく人間がひとり――。
花梨には、黒い霧の中でも燦然と輝く金色の光そのものに見えた。
魔物が黒い鱗粉を散らしているなら、その人間は金色の鱗粉の塊だ。
彼が剣を振るう毎にきらきらと散る金色の光を見ていると、恐怖の感情が少しだけ薄れる気がする。彼がいるから大丈夫だ、と。
「リベルト」
金色の男はリベルトだった。
光が、あったかい……。
「カリン? さあ、剣を――」
「へ、平気。もう大丈夫。ちょっと初めて見る光景に驚いただけだから。リベルトに剣を渡して。でも撤退はしない。私はここで見ている」
「しかし――」
「まだ、ここは大丈夫なんでしょう? もう少し近付いても平気。それよりリベルトに剣を渡せる?」
強く抱くヴィンセントの腕を叩いて緩めてもらうと、花梨は振り返って彼を見る。
ヴィンセントは濃い紫色の瞳を揺らして花梨を見下ろしていた。
「こんなに唇を震わせて。怖いでしょうに」
ヴィンセントの長い人差し指の、曲げられた第二関節が花梨の唇の上を左から右へとなぞっていく。
「怖いよ。怖いけど、ちゃんと見届けるって約束したし。闇姫ちゃんがあの魔物に対抗できるか不安だけど、うちの刀士が打ったものだからなかなか切れると思うんだ。だから、リベルトに渡して? 私が行きたいけどそれはさすがにムリ」
今、地に足をつけたらへなへなとくずおれてしまいそうな気がした。
多分、足も尋常じゃなく震えている。
けれど手の震えは止まっていたから、その手で闇姫を腰から外すとヴィンセントに差し出した。
差し出された闇姫を見て、そしてもう一度花梨の顔を見て、ヴィンセントはふっと瞳を細めた。
こんな時なのに、胸がどきりとしたほど女タラシの微笑みだった。
「あなたのことは、この私が全力で守りますから安心してください。あなたに傷ひとつ、いえ髪の毛ひと筋すら触らせたりしません」
「うん、信用してる」
素直に返事をした花梨に、ヴィンセントは嬉しそうに唇を緩めると、しかしすぐに顔を引き締めた。
「それでは、剣を預かります」
あの魔物を、誰を傷つけることなく消し去れますように――。
祈りながら闇姫を渡した。
花梨の手を離れる時、闇姫がまるで花梨の思いに応えるようにふるるっとその身を震わせた気がした。
いやいや、気のせいだ。
最近のファンタジー展開の連続で頭が冒されていて、何でもそれらしく見える気がするから困る。
それより闇姫の渡し方だ。ここからリベルトのいるところまで百メートルくらいはあるからどうやって届けるのかと思っていたけれど。
『リベルト殿下』
ヴィンセントがリベルトの名前を呟くように呼んだ。
響きがいつもと違ったのは、きっと何らかの魔法が込められていたのだろう。
そうでないと、あんな遠くにいるリベルトまで届かないはずだ。
案の定、ヴィンセントの声に引かれるように魔物に対峙していたリベルトが背後を振り返った。
花梨と目が合ったとき、わずかにリベルトが眉をしかめた気がする。
「行け」
それに気を取られていた花梨だったが、ヴィンセントの声と同時に空気を切り裂くような音を鳴らして闇姫が一直線にリベルトへと向かっていく。
ぶつかると思ったとき、リベルトの手が闇姫を掴んだのを見た。
鞘ごと腰に闇姫を差し、そして刀身を抜いた。
土煙の中、黒い鱗粉が降り注ぐ中、闇姫はリベルトと同じ色に染まっていた――輝くような金色だ。
ううん、今までとは比べものにならないくらい眩しい光。
花梨は息を呑んだ。
戦いはほんのちょっとの予定です。でも大事なシーンなのでしっかり書きます。そして楽しい(笑)