第10話
「ここが、今日からカリンの部屋になります。朝一番で模様替えをしたのですがなにぶん急作りなもので、住まわれる内に少しずつ整えたいと思っております」
ナルシスト男、もといヴィンセントが開けたドアの向こうに広がっていたのは、ベビーピンクに染まった部屋だった。
「うわ」
花梨は思わず声を上げる。
可愛い。確かにメチャクチャ可愛い部屋だ。
天蓋付きのベッドなんてお姫様のような優雅さだし、カウチや窓を飾るレースのカーテン、もちろん壁紙も上品で柔らかなピンクだった。テーブルを飾るクロスに至っては、細やかな刺繍もの。
しかし、この部屋に住まうのは自分なのだ。上品でも、柔らかでもない、どちらかと言えば男勝りの――自分で言っておいて少し悲しいけど。
「うわ……?」
花梨の言葉を聞きとがめたヴィンセントが眉を寄せる。
「あ、いえ。可愛いなぁって」
「本当に?」
覗き込んでくるヴィンセントの動きに、銀髪が一筋さらりと首筋に落ちていく。
ナルシストだけど、やっぱりそれだけ美しさがあるな。いや、こんなに美しいからナルシストになるのかな。
花梨はヴィンセントの問いに何度も頷きながらそんなことを思った。
花梨は実は今、王宮から出て、ヴィンセントの屋敷にいた。
どうしてそんなところにいるのかというと、お昼近くまで続いた話し合いの結果だった。
「この世界には多種多様な人間がいる。けど、カリンのような黒々した美しい髪の人間は見たことがない。この黒い目もね」
ブルーノから聞かされた話は、驚くようなものばかりだった。
この世界に存在する魔法、それに人々を襲う魔物の存在もそうだ。そして最後に聞かされたのは、自らの存在がこの世界には希有なものだということだった。
「ちょっと待ってよ。だって日本人はみんな黒い髪に黒い目なの。全然珍しくないのよ」
「そうだね。でも、残酷なことをいうようだけど、ニホンジンである人間はここでは君ひとりだ。だから、君の存在は特別――――もしくは異質だと考える人が出てくると思うんだ。実際、僕らにしてみても君の存在はとても興味深いよ」
ブルーノの話に、花梨はぎゅっと唇を噛む。
好きでこの世界に来たわけがない。なのに、やってきたこの世界で爪弾きのような目に会うなんて、あまりに理不尽じゃないか。
そう思ってしまう。
今、花梨をこの世界に連れてきたなんて宣言する輩がいたらぶん殴ってやる。
そのくらい腹立たしいような気持ちでいっぱいだった。
「カリンの存在は、だから非常に危ういんだよ。この世界にはけったいな人間がいてね。珍しいものなら魔物だろうが必死になって集めたいという好事家が結構いる。かと思えば、異質な存在は悪だ決めつけて攻撃するような集団もね。だから、カリン。これは僕からのお願いだけど、むやみに人の多い場所へ出るようなことは控えて欲しいんだ」
隣に座るブルーノが花梨の手を取り、ぎゅっと握ってくる。間近で覗き込んでくる水色の瞳が気遣わしげに揺れていた。
花梨はそれに頷こうとした。けれど、すぐにぐっと思い止まる。
「それって、いつまでなの?」
しばらくは大人しくしていてもいい。
けれど、ずっと部屋の中にいるつもりなんて花梨には出来ない。
元の世界に帰るために、花梨は自分に出来ることは全部するつもりなのだ。ほんの少しの可能性があれば、地の果てだって行くつもりなのだから。
花梨の問い掛けに、ブルーノは眉を曇らす。
「そうだね。いつまでというか――――とりあえず、今は君の護衛の人選を早急にしている。なんたって、女性の君の傍にずっといるわけだからって兄上が神経質になっていてね」
「リベルトが?」
あの、上から目線の傲慢そうな男が?
花梨が驚いて口にすると、ブルーノはくすりと笑った。
「カリンはすごいね。兄上のことを、何の躊躇もなく呼び捨てにするなんて。君ぐらいだよ、あの冷血王子と呼ばれる兄上をそんなふうに呼べるのは」
「冷血王子って、あの人が? 少しも冷血っぽく見えないけど」
どちらかというと熱血って感じだった。
「ふふ。女性に対しては本当は冷たいんだよ、兄上は。あの美貌の上に王子という身分、さらにはこのキャロウエヴァーツの栄えある騎士団の総帥って立場だから、妻の座を狙う女性が絶えなくてね」
「は……? 王子?」
今、信じられないことを聞いた気がする。
「あれ、もしかして知らなかった? 兄上はこのキャロウエヴァーツ国の第二王子なんだよ。ちなみに、僕は第三王子だけど」
まじまじと、花梨はブルーノを見つめる。
「王子?」
「そう」
「リベルトとブルーノが?」
「そう、リベルト兄上と僕が」
「ええぇ~っ」
思わず花梨は大声を上げてしまった。
どうしよう。今まで平気でリベルトなんて呼び捨てにしてた。ブルーノにだって、失礼だったよね。
ざぁっと青ざめた顔で、ブルーノをのぞき見る。
ん、と首を傾げているブルーノは特に気を悪くしているふうではない。
そうだ、呼び捨てられて気に入らなかったら最初にそう言われるはずだ。
じゃ、大丈夫?
「私、捕まったりしない?」
「どうして?」
「だって、王子さまを呼び捨てなんてしてた」
「たった今その話をしてたじゃないか、すごいねって。兄上がそれを許しているんだから大丈夫だよ。僕も気にしないしね」
その言葉を聞いて、ようやくホッとする。
「もう、最初の自己紹介の時に王子ですって言ってよね」
ホッとすると、とたん気持ちも大きくなる。文句だって言っちゃうもんね。
けれど、それまで黙って二人の話を聞いているだけだったヴィンセントが向かいのソファからやんわり口を挟んできた。
「最初からお二人は『殿下』と呼ばれていたではないですか。リベルト殿下、ブルーノ殿下と」
そんなことを言われても、と花梨は唇を尖らせる。
『殿下』がどういう立場の人間を差すのかなんて、一般の日本人はわかりませんよ―――多分。
もごもごと口の中で言い訳すると、ブルーノは苦笑していたけれど。
そういえば、最初にここは王宮だって言われたのだ。その時点で少しおかしく思うべきだったのかもしれない。
うわー、でもそうか。目の前のブルーノは本物の王子さまなんだ。
そう思うと、確かに上品で優雅なさまはさすが王子といった風格だった。
今度から、リベルトに対しても少しだけ気を付けることにしよう。そっと心に誓う花梨だ。
「話を元に戻すよ? 花梨の護衛の件だ。兄上の言葉じゃないけれど、僕もカリンの傍に男の護衛はあまりつけたくない。だとしたら、女性と言うことになるんだけど、この世界では女性が剣を持ったりしないんだ。けれど、実はたったひとり剣を持って戦う女性が存在する。彼女が君の護衛にとてもぴったりなんだけど、今ちょっとまずいところに捕らえられていてね」
「――その人、助けられないんですか?」
事情がわからないまま花梨が尋ねると、ブルーノは困ったように微笑んで言葉を濁した。
「とりあえず、彼女が戻るまでは君の行動は制限させて欲しい。それでなくても、最近魔物が頻繁に出現しているから外出は危険だしね」
「はぁ、魔物……」
そう聞かされても、魔物なんて見たこともない花梨にはあまり現実味がわかないのだけど。
「でも、出来るだけ花梨の居心地のいいよう取りはからうつもりだよ。だから、君の身柄はヴィンセントの屋敷で預からせて欲しいんだ。この王宮は、もしかしたら君にとって外以上に危険な場所かも知れないからね。ここは、華やかだけどそれ以上に恐ろしい場所でもあるから」
ブルーノの言葉に、ヴィンセントが薄く微笑んで口を開いた。
「もちろん、私の屋敷での待遇は保証します。本宅ではなく、禁足地近くの別荘に来ていただくことになりますが、そこでなら少しぐらい外に出られても構いませんし」
「別荘って……。もしかして、ヴィンセントも偉い人だったりする? 確か、魔道士団長って……それ、偉いんだよね?」
花梨の問いに、ブルーノが答えてくれる。
「魔道士団長が偉いというより、ヴィンセントがすごい存在なんだよ。魔法を誰よりもうまく使えるってことで、今この国でヴィンセントを越える魔道士はいないんだから。魔道士団長というのは、魔物退治の最前線に立つため、あまり人がなりたがらない立場なんだ。それに、ヴィンセントは王族とも繋がりの深いレスコット公爵だからね。そういう意味で言うと偉いかも知れないかな」
「公爵……」
ほぉ~と花梨がため息をつくと、ヴィンセントがバチンとウィンクをしてきた。
「さて、私の屋敷に来ていただけますか?」
花梨が了承すると、すぐに移動の準備が始まった。
そんなにここは危険だったのかと思わせる性急さだった。
そういうわけで、冒頭のシーンに戻るのだ。
長かった~。次回から、ヴィンセントの章の始まりです。嘘です(笑)