三年付き合ったカノジョ
上京してから付き合いだした彼女とは、もう三年ほど経つ。そろそろ結婚を視野に入れてもいいのかもしれない、と俺は浮かれ気分でショーウィンドウに映る指輪を眺めた。
彼女と出会ったのは今からさかのぼる事、五年前。俺が大学三年、彼女はひとつ下の大学二年の時。俺は自分で言うのもなんだが、結構モテるタイプだった。流行りの髪型、程よく筋肉の付いた体、女ウケの良い顔。
俺が声をかけなくても女の方から勝手に寄ってくるので、食いたい放題だった。楽しく遊んで後はポイ。しかし、一応後腐れの無いタイプの女を選んではいたから、刺されるような関係に発展した事も無い。
すべてが順調だった。幸い頭も悪くなかったので、このまま大企業に就職コース。人生イージーモードだ。
俺の順調だった人生に変化が訪れたのは、彼女と出会った大学三年の春。たまたまサークルの飲み会で知り合った彼女は、「一目惚れです!」と俺に告白してきた。
何もしなくても女の方から寄って来るのは慣れっこだったが、彼女のその勢いに俺は正直引いてしまった。下手に手を出してしまうと、後々厄介な事になりそうだ、と俺の中の遊び人の勘が告げた。
告白は断った。しかし、彼女はめげずに俺にアプローチをしてくる。めちゃくちゃ面倒な女だった。
明るく人好きのする性格の彼女を想ってか、友人たちが「アイツは屑だからやめとけ」と何度も忠告をしていた。ヒドイ言われようだが、まぁ事実なので何も言うまい。何より、その忠告でしつこい彼女が引き下がるなら大歓迎だった。
しかし、彼女は「諦められるまで頑張る」と非常に前向きな姿勢を見せた。その姿勢はこんな屑男に向けてではなく、これからの人生に向けた方がいいだろう。
ご飯一緒に行きませんか、飲みに行きませんか、今度〇〇ってお店が出来て、などなど、彼女は来る日も来る日も俺にアプローチしてきた。彼女の猛烈なアタックに俺は参っていたし、何より彼女の勢いに他の女が近寄らなくなってしまったのだ。由々しき問題である。
結局そのしつこい程のアプローチは俺が大学を卒業するまで続いた。就職を機に上京が決まり、俺は最後にちょっとしたいたずら心が出た。
「卒業だし、最後に思い出作りで抱いてやろうか」
そんな提案をした。出会ってから俺が卒業するまでの二年間、しつこく追い回してくるような女だし、そのガッツに免じて思い出ぐらい作ってやろうと思ったのだ。
しつこさには辟易していたが、体自体は好みだった。だが、俺の予想は外れた。
「いいえ。今までありがとうございました。さよなら、先輩」
そんなふうに、彼女は大学生活の片思いの思い出として俺との関係を綺麗に収めてしまった。
上京して働き始め、俺は才能のある側の人間ではないのだと思い知った。
今まで上手く行っていたのは学生だったからで、社会人の俺はちっぽけな存在だった。
打ちのめされていた中で、同じく上京していた彼女と街中で再会した。
どうせだし飲みに行こう、と俺の方から誘った。初めての俺からの誘いに、彼女は警戒の表情を浮かべつつも嬉しそうだった。
俺は社会人になってから自分がどれだけ傲慢な人間だったのかを反省し、在学中はヒドイ事をしてしまった、と彼女に謝罪した。
彼女は「いいんですよ」と笑って受け止めてくれた。
そのまま連絡先を交換し、あれよあれよとあっという間に交際を始め、一年が経った頃に同棲する事となった。
彼女は仕事で疲れて帰った俺を「お疲れ様でした」と笑顔で癒してくれる。誕生日を一緒に祝ったり、お風呂で洗いっこをしたり、学生時代の時には信じられないような清い交際を続けていた。
彼女との出会いで、俺は全く別の人間に生まれ変わったようだった。おかげで仕事も軌道に乗り、順調な日々を送っている。
ショーウィンドウに映る指輪をしげしげと眺め、一度彼女に相談してみようか、と一旦店を出た。
世間はそろそろクリスマスだ。クリスマスツリーやイルミネーションが街を彩っている。
彼女はこういうイベント事が好きだから、きっと今年もケーキを食べてプレゼント交換をするのだろう。
不意にスマホが鳴った。誰かと思い出ると、大学時代の友人だった。友人といっても、俺は上京してからほとんど彼らとは連絡を取っていない。まぁ社会人になればそんなものだろう、と思っていたので、珍しさに声が弾む。
「おう、どうしたんだ」
『おー、久しぶり。元気?』
「まぁまぁ。そっちは?」
『ぼちぼちってとこ』
などと他愛のない話をする。こいつは俺の在学中に「いつか女に刺されて死ぬんだろうな」と不謹慎に笑うような奴だったが、今では立派に営業マンをやっているそうだ。
ぽつぽつと近況を互いに報告し、『そうそう』と話が本題に入る。
『三木ちゃんって居たろ? ほら、お前の事しつこく追い回してたあの変わり者の子』
「あー、うん。分かるよ」
分かるも何も、今現在同棲中の彼女だ。しかし、在学中の俺の態度を知っている友人にそのまま伝えるのも何だか気恥ずかしく、今思い出しました、のような体を取る。
『三木ちゃん、結婚するんだってさ。地元で就職してさ、その就職先で良い人と出会ったんだって』
友人の声に、ノイズが入る。
――三木ちゃん、結婚するんだってさ。
不協和音のようなノイズに、頭に激しい痛みが走る。
『大学の時お前の事追い回して迷惑かけたからって招待状送ろうとしたらしいんだけどさ、お前住所伝えずに行っちゃっただろ? だからオレが代わりに伝えて――』
ぐらぐらと視界が揺れる。ちがう、揺れているのは、俺の方か?
吐き気がこみ上げ、思わずその場にうずくまる。手からすり抜けたスマホが音を立てて地面にぶつかり、そのまま転がった。
『おー□、△〇……い? ま〇×け△××?』
聞き慣れた友人の声が、まるで全く違う言語のように聞こえる。
脳みそをシェイクされたように視界がぐらぐらと揺れ、割れるような頭の痛みに地面へ嘔吐する。
――三木ちゃん、結婚するんだってさ。
違う。ちがう。チガウ。
そんなはずはない。だって彼女は、三木結は、俺の彼女で、同棲していて、そろそろ結婚も視野に――
彼女に、彼女に会わなくては。俺にいつも「おかえり」と笑ってくれる、彼女に。
「ただいまっ、結!」
吐しゃ物で汚れたスーツも気にせず、俺は室内へと足を踏み入れた。
しかし、いつも明るいはずの室内の電気はすべて消え、がらんとした殺風景な光景が広がっていた。
「結? 居ないのか、結?」
部屋中の電気を点け、俺は室内を駆けずり回る。
お揃いのマグカップを置いてある台所、洗いっこした風呂場、抱き合って眠った寝室。どこにも結は居なかった。
「結? 何でだ、なんで……お前が好きなのは、俺じゃないのかよ……」
上京して、自分が出来る人間ではないのだと理解し打ちのめされた。
酒を浴びるように飲んで無理やり眠る毎日だった。食欲も落ち、体重はごっそり減った。
ある時、三木から一通のメールが来た。
就職先での仕事が楽しい事、仕事先で良い人と出会った事、在学中は追いかけまわして迷惑をかけてごめんなさい、と。
誰の特別にもならなかった俺は、誰の特別にもなれなかった。
「違うよな、結! 俺はお前の事が好きで、お前も俺の事がずっと――」
「――」
声が聞こえた。結の声だ。耳に馴染んだ、鈴を転がすような綺麗な声。
なんだ、ちゃんと居るじゃないか。タチの悪い冗談だったんだ、ぜんぶ。
頭の痛みも、締め付けるような胃痛も、すべて無くなっていた。
「結? どこだ、結!」
「――」
結が呼んでる。こっち、こっちと弾むような声で。
「結!」
窓の外に結の姿があった。なんだ、そんな所に居たのか。
「結」
「――」
「うん、俺も。愛してるよ、結」
窓の外に見える結を、しっかりと腕の中に抱きしめた。