悪魔の双子〜殺し屋が筋肉で全てを解決する話
「きゃ~♡なんて可愛いんだ~!この小さなお姫様はぁ~!!」
「ドリー♡こっち向いて~♡ぷくぷくほっぺがもう!!たまらん!!」
公園の一角、ゴツい男二人がベビーカーを覗き込み、黄色い声を上げていた。
その見るに悍ましい光景に周囲が引いている。
「もう!兄さん達!騒ぎすぎ!!」
それを呆れたように小柄な可愛らしい女性が窘めている。
しかし目尻がこれでもかと下がったマッチョ二人は、それでもきゅるるんとした様子でもじもじしている。
「だって、エマ!!こんなに可愛いんだよ?!」
「もう♡食べちゃいたい♡」
「食べないで?!バーナード兄さんが言うと、冗談に聞こえないじゃない!!」
「酷い!!僕を何だと思ってるの?!エマ?!」
「……ゴツくてムサイ、ムキムキおじさん。」
「あはは!言われたな?!バーニー?!」
「アーリック兄さんもよ??」
「え?!酷っ!!」
「何でそんな事を言うんだよ~!!僕らの愛しきレディー?!」
「あはは、ごめんなさい。」
半泣きになる大男を前に、エマと呼ばれる女性は笑った。
その笑顔に大男達も顔を見合わせ笑う。
「……エマが結婚したのもついこの間だと思ってたのになぁ~。」
「もうエマに続くリトルプリンセスが生まれるなんて……。」
「兄さん達も早くいい人見つけてよ?」
「うん……それはわかってるんだけどね……。」
「俺ら……怖がられちまうからなぁ……。」
ゴツい体を縮こめて、マッチョふたりがしゅんと項垂れる。
そんな二人の頭をエマがぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫。兄さん達がどんなに優しい人か私は知ってる。二人の良さをわかってくれる人は必ず現れるわ。」
「ありがと、エマ。」
「愛してるよ、エマ。」
二人はそう言って、小さな彼女の頬にキスをする。
髭がチクチクくすぐったく、エマは笑い声を上げた。
「でも……、こだわりは捨てなきゃ駄目よ?!二人が小さくて愛らしいモノが物凄く大好きなのはこの私がよ~く知ってるけど。」
そして困った様に微笑んだ。
そう言われたマッチョな大男達は、顔を見合わせ肩をすくめたのだった。
彼らがエマとその小さな娘、ドリーと会ったのは数週間前。
そんな彼らの可愛い天使の様な妹から再度連絡が来た。
その声は震えていて、アーリックとバーナードはその筋肉を強張らせた。
「大丈夫、僕らがついている。落ち着いて?」
「何があったんだ?!エマ?!」
「……兄さん……助けて……。」
その小さなSOSの声に、彼らの血管はパツンパツンに膨れ上がっていた。
「……悪魔の双子、だ。」
エマの家に訪れた二人。
パソコンに向かっていたバーナードがそう言った。
「やはりそうか……。」
何か装置を片手にアーリックが立ち上がって部屋を出て行った。
娘のドリーを抱きしめながら、ソファーで不安そうな顔をしているエマ。
バーナードはその横に座ると、愛らしい小さなレディーを抱きしめた。
「大丈夫。もう応急処置はしたからね。」
「……悪魔の双子って、何なの?」
その腕の中、泣きはらした真っ赤な目でバーナードを見上げ、エマは尋ねた。
慰めるように優しく頭を撫で、彼は答える。
「ん~。この家、無線LANを使ってるよね?」
「ええ……。」
「そこからね、情報を盗む仕掛けの事だよ。」
「え……っ?!」
その言葉にエマは青ざめ頭を抱える。
その震える体をバーナードは包み込んだ。
「それじゃ……、この覚えのないクレジット請求も、事細かにこちらの生活について書かれた手紙も……気味の悪い電話も……全部、そのせい?!」
「うん。そこからパスワードとか色々なデータを盗んで、それでこの家のパソコンにも入り込んで……。エマがドリーの安全の為につけたカメラやセキュリティーが逆に相手に利用されてしまったんだよ。」
「そんな……!!」
突然エマに降り掛かった出来事。
それはクレジットカードの不正利用もさる事ながら、生活の全てを暴かれる様な手紙、そして家についた瞬間に鳴る電話、全てを見られているという目に見えない絶対的な恐怖だった。
「悪魔の双子」。
それは無線通信を盗聴するために設定された正規のアクセスポイントを偽装した不正なWi-Fiアクセスポイントを指す言葉だ。
アーリックとバーナードのお陰で何が起きているのかわかり、対策もしてもらえた。
しかしエマの恐怖心はぬぐい去れない。
「……でも……それまでに盗まれた情報は……。」
「大丈夫……大丈夫だよ、エマ……。」
バーナードはただそう言って彼女を抱きしめ続けた。
「……なぁ、バーニー。」
「ああ、ウル。僕もそう思うよ。」
エマの家を後にしたアーリックとバーナード。
その帰りの車の中でそう言葉を交わす。
それ以上でもそれ以下でもない。
二人は前だけを見ていた。
ただ、前だけを睨んでいた。
スラム街の薄汚れたビル。
そこに悲鳴と銃声が響き渡る。
しかし誰も気にする事はない。
ここでの日常茶飯事。
常にそれらは響いているのだ。
「……ガッ……ッ!!」
成人男性の標準の2倍はありそうな太い腕が、安っぽいチンピラの首を締め上げ落した。
バンッとばかりにその背後の壁に男が叩きつけられ、失神した。
「……手応えねぇなぁ~。」
「今はハイテクの時代だからね、強さはいらないんだよ。」
「だからって……。こんなのじゃ、門番にもならねぇだろう??」
「門番もハイテクで用が済むからね。……本来なら。」
そんな話をする二人の大男。
ゴツい体は鍛え上げられた筋肉の鎧で覆われ、汗ばんだ肌からは湯気が上がっている。
彼らの背後、扉のある壁には大きな穴が空いている。
「……なるほどな。お行儀よく扉を使うんならハイテクも意味があるんだろうけどよ。」
ニヤリと一人が笑った。
それをもう一人がため息まじりに肩をすくめる。
「というか、こんな脆い壁じゃ、いくら動線上にセキュリティーを組んだって意味がないよ。僕らじゃなくったってそこから侵入する方法を取るだろうよ。」
そう言って腕を伸ばし、セキュリティーカメラをむしり取った。
そのまま片手でそれを握り潰す。
「まあな。にしたって……壁を強化してあったとしても、いる人間は俺らが現役の時に比べてもやしみてぇだよ。」
「時代の流れだよ。もうこの世界では物理的に腕が立つ事が主流じゃないんだよ。そういう人材は少なくても組織として成り立つ。今や僕らみたいのは上クラスの奴しかこの世界ではまともな稼ぎができない。それ以外は使い捨ての鉄砲玉さ。」
「へ、嫌な時代になったな。」
「まぁ、いい時に引退したんだよ、僕らは。」
「…………引退ねぇ……。」
「今回は特別だろ?」
「ああ。」
「それに殺しはしてない。」
「ああ……。でも、俺らの家族に手を出したらどうなるかは……教えておかないとな……。」
「そうだね……。」
そう話していた時だ。
パパパパパッと銃声が鳴り響く。
しかし弾丸が空気の層に圧力をかけた僅かな振動を筋肉で感じ取った彼らは、音よりも早く、頭で考える事もなく、瞬時に壁の中に身を隠した。
その姿がない事から銃声は一旦止んだ。
薬莢と壊れた壁が転がる乾いた音。
その後は不気味な静けさだけが残される。
その中を侵入者に警戒した者たちは、硬く押し黙り、彼らを見つけようと警戒しながら進む。
しかし……。
「……ぎゃっ!!」
物陰から伸びた太い腕に一人が闇の中に引き込まれる。
仲間はすぐ様そこに向けて発砲するが、飛んできた重い木製のタンスに押し潰される。
他の者は急いで体制を立て直すために物陰に隠れるも、隠れた壁が大きな音とともにブッ壊され、その下敷きになる者、伸びてきた腕に捕らわれる者とに別れた。
銃を手にした多数対二人と思っていた状況は瞬時にひっくり返され、残された数人は慌てて奥へと逃げて行った。
「……大した事ねぇなぁ~。」
「う~ん……。そろそろ少しは手応えのあって然るべきなんだけど……。老婆心ながら……こっちの世界のこの先が不安になってきたよ……。」
それを見送り、二人は困った様にため息をついた。
「ボス!!」
「丸腰の男二人ですが……歯が立ちません!!」
「ああ……わかってる……。」
ボスと呼ばれた男は苦虫を噛み潰した様な顔でそう答えた。
そして暗く窪んだ目を閉じ、項垂れた。
かつてこの世界には、「悪魔の双子」と呼ばれ恐れられた殺し屋がいた。
その名の通り彼らは双子らしく、必ず二人で行動した。
どこかの国の暗殺者育成施設で育てられたらしいとの噂だった。
狂気的な凶暴性と瞬発力、反射神経を持つ「野生児ウルフ」。
一見穏やかだが驚異的な持久力と並外れたIQの持ち主「聡明なるバニー」。
そんな二人の噂は10年ほど前から途絶えていた。
その理由を知るものはいない。
「……まさか……彼らがまだ生きているとは……。」
流石に10年も経てば、誰もが死んだのだろうと思っていた。
「死」以外に、その後の痕跡を残さず、優雅に引退できるほどこの世界は甘くないからだ。
けれど事実、彼らはそこにいる。
こんな安っぽいちんけなビルにアジトを構えるべきじゃなかった。
もっと建物の構造がしっかりした場所にすべきだった。
ボスと呼ばれる男は無意識に震えていた。
逃げてもおそらく逃げ切れる相手ではない。
こんな何の鍛錬も積まず銃に頼っているチンピラしかおらず、建物自体、脱出路がある訳ではないのだから。
今や自分は袋のネズミだ。
だとしたら助かる確率が高いのは何か。
「……抵抗を止めて、彼らをお通ししろ。話を聞く……。」
可能性があるのは、彼らの要求を聞く事だ。
そう、ボスは判断した。
部下に案内されやってきた彼らは、まさに噂通りだった。
穏やかな笑みで話を聞こうとする「バニー」に対し、「ウルフ」は勝手に部屋の中を歩き回り、何が気に入らないのか奇声を上げながらサーバーコンピュータを殴りつけ壊している。
そこには今まで積み上げてきた全てがあるが、それを活かせるのは自分が生きていた場合だけだ。
「勝手にお邪魔してすみません。」
「……どういう用権でうちに?」
「ええ。僕らの可愛いペットちゃんがどうも怖い思いをしたようで……。その根本を取り除くのは、飼い主として当然でしょう??」
にこにこ笑って話しているが、「バニー」の目は正気ではない事が感じ取れた。
まともなようで狂っている。
叫び声を上げて部屋中の物を壊している「ウルフ」より、よっぽどこいつの方が怖いとボスは思った。
「……それはどういう??」
「それより、ちんけなフィッシング詐欺のグループが、どうしてカモの私生活に首を突っ込んだんです??」
「私生活?」
「……なるほど。どうやら貴方の知らぬ所で行われた事の様ですね。ウルフ、ちょっと待って。最終ターゲット変更だ。」
「あ??だいぶボコボコにしちまったぞ?!」
「いいさ、ここにデータがある以上、どのみち壊すんだからね。」
バニーはそう言うとサーバーに近づき弄り始める。
選手交代とばかりに今度はウルフがボスの前に立った。
「……「悪魔の双子」で集めた情報はここに集まるんだよな??」
「ああ。」
「で?どこで解析すんだ??」
「上の階の部屋だ……。」
「そこの作業者は??」
「……10人ほどいる。」
「バニー、ちょっと見てくる。」
「ああ、頼んだ。」
「たぶんもう逃げてんだろうけどよ。……おい、その作業者全員、わかってる全ての情報をバニーに渡せよ?隠したってどうせバレる。」
「……わかった。」
ボスは黙ってウルフの言う通りにした。
隠してもどの道いずれ暴かれるのだから、少しでも反発しない方がいい。
「さて。少なくとも貴方は僕らを困らせた事には直接関わってはいなかったようだ。そしてやってる事も別に大悪党って程でもない。可愛いフィッシング詐欺だ。大抵はクーリングオフなんかされてカード会社の保険でまかなわれるから痛い目を見る人間は多くはない。いない訳じゃないけどね。」
「……ああ。」
「だが、それがきっかけで僕らの可愛いペットが恐怖に怯えた。その犯人が貴方でなくとも盗みとられたデータはここにあるんだから、これは壊すよ。」
「……壊さずにいてもらう事は?」
「それは無理だな。だって、ここに大本のデータがあっても、それがコピーされていない保証はない。デジタルタトゥーってそういうモノだろ?だからできる限り見つけたデータは消去しておかないとね。この世からゼロにできなくても、ゼロに近づけておかないと短時間に爆発的に増える恐れがあるのだから……。」
そう言ってサーバーを弄り終えると、バキバキバキバキっと物理的に破壊し始める。
ウルフとは違い、的確な場所をピンポイントで破壊している。
グローブはしているものの素手でそれを破壊していく様は、まるで見た目はさほど変わらなくても異様な生き物を見ているような気がした。
「ノウハウはわかっているんだから、すぐに立て直せるでしょう?僕らは貴方という生体データまで壊そうとはしていないのだから。」
「………………。」
「今後はもっと部下の教育をしっかり行い、もっとしっかりした建物で、もう少し腕の立つ面子を揃えた方かいい。物理的にね。」
「……心に止めよう。」
「では、僕も上の部屋を見せてもらってから帰るよ。……今後はもう二度と出会わないよう祈ってますよ。」
そう言って立ち去ったバニーを見送り、ボスは深くため息をついた。
狂人の視線に長いこと晒され、体が小刻みに震えている。
全くをもって、もう二度と顔を合わせずに住むよう祈ったのだった。
昔、彼らが「悪魔の双子」と呼ばれていた頃。
彼らは小さな愛らしい天使を助けた。
悪魔と呼ばれていた彼らの目の前に、天使が現れたのだ。
子供の頃から感情を封じ込められ、人を殺す事だけを教えられた故、不安定な機械人形のようだった彼ら。
そんな不安定な心はいつもふわふわした小さくて可愛らしいものを求めていた。
手の中に隠れるほど小さなぬいぐるみを心の支えに、お互いが倒れないよう必ず二人で行動し、心の中でお互いの手を繋ぎ続けてきた。
そんな彼らの間に入って、物理的に手を繋いでくれた天使。
彼女を助けた事を彼らは後悔していない。
それは彼らが悪魔から人間に戻る為に必要な光だった。
彼らは与えられた力の全てを使って自分達を探す術を消し去り、そしてその世界から「卒業」した。
天使を妹として育てる為に銃も刃も捨て、その代わりに肉体を強化した。
何かあった時は戦えるよう、彼らが自分達に残した唯一の道だった。
「や~ん♡ドリーったら~♡kawaii~♡」
「この腕のちぎりパン具合……もう……むにむにすぎて!!なんて幸せなんだ!!」
それからいくらかたった公園。
ゴツくてガタイのいい大男二人が、母親に抱かれた赤ん坊を覗き込み気色悪いほど身悶えている。
通り過ぎる人々は、ヤバイものを見たとばかりに青ざめていた。
「ちょっと!!兄さん達!!離れて!!そんなに詰め寄ったらドリーが怖がるでしょ?!」
思わず発せられた母親の言葉に、マッチョメン二人は顔を青くして絶望する。
「え?!ドリー!!俺達が怖い?!怖いの?!ムキムキだから怖いの?!」
「やめて!!ドリーに怖がられたら!!僕!立ち直れない!!筋肉萎んじゃう!!」
「だから!!兄さん達が怖いんじゃなくて!!近すぎなの!!もっと考えてよ!!」
小柄な母親に叱られ、しゅんと項垂れる男二人。
「……ごめん、エマ。」
「気をつけるよ……。」
「ふふっ。変わらないわよねぇ、兄さん達。私が小さい時もべったりだったし。」
そんな様子の大男にエマはくすくすと笑った。
昔を思い返し、懐かしそうに空を見上げる。
同じ様に空を見上げ、両脇のマッチョメンは大事そうにエマの肩を抱いた。
「そりゃな、エマは俺達の大事なプリンセスだから。」
「リトルプリンセスが生まれても、エマはいつまでも僕らの大事な愛しきレディーだよ。」
「ふふっ、ありがとう、兄さん達。」
フィッシング詐欺に続く謎のストーカー被害の恐怖も、引っ越しや家族の支えにより和らぎ、エマは前と同じ様に笑えるようになった。
そんな妹の笑顔を幸せそうに見つめ、アーリックとバーナードは満足げに顔を見合わせたのだった。