棺桶の縛め
ヘイレング卿が目を覚ますと、棺桶の中に縛められていた。
薔薇の鎖で動きを封じられている。見回すと、ここは石の牢獄の中で、檻の外には背中を向けて、先程のリッチーという男が座っていた。
「おい」
その背中にヘイレング卿は声をかけた。
「どういうつもりだ? おまえの女主人は何を考えている?」
するとリッチーが振り向いた。前髪は何か偽物のように固く、動かなかった。
「俺はおまえが憎い」
唐突にリッチーはそう言い出した。
「俺をおまえは知らないだろう。おまえが新しい恋の技法を編み出す前、俺はこの世の恋の英雄だったんだ」
そんなことはどうでもよかった。ヘイレング卿はなぜ自分とミアがこのような目に遭わなければならないのか、ただそれだけが知りたかった。
「もうすぐインギーがここへやって来る」
リッチーは笑いで顔を歪ませた。
「そうなれば、おまえは終わりだ」
「私のことはどうでもいい! せめてミアを助けてくれ!」
「麗しいことだな」
吐き捨てるように、リッチーは言った。
「そんなに恋人が大事か? 自分よりもか」
「ミアは私を人間として認めてくれた。彼女のためならば私は滅しても構わないのだ」
「もう、ゾンビだぜ?」
ジョークを口にするように、リッチーは言った。
「『もうごゾンビ』かも知れないが、な」
確かにミアの体は腐肉となり、岩の上に砕け散った。ヘイレング卿は一番側でそれを見ていた。彼にはどうすることも叶わなかった。
「おまえの女主人……! アイツならば、その魔力でなんとか出来るだろう! 私のことは好きにして構わない! だから、ミアを助けてくれ!」
甲高い女の笑い声が石壁に反響した。
階段の陰にいた魔女、タル・アイオミがゆっくりと靴音を鳴らし、姿を見せた。
「そんなにあの女が大事なの?」
赤い唇を歪ませ、憎むような目つきでヘイレン卿を横に見る。
「あんなくだらない、偽善のかたまりのような女など、貴方に相応しくはありませんわ」
「愛しているんだ!」
ヘイレング卿は魔女に助けを乞うた。
「私はどうなってもいい! 契約したい! 私を貴女にあげる! その代わりに、ミアを助けてくれ!」
魔女が歯軋りのような音を立てて、下唇を噛んだ。赤い血が、石の床に滴り落ちた。
「あまりわたくしの前で、あの女のことを美しく語らないほうがよろしくってよ」
そして、笑った。
「わたくしの顔に、本当に見覚えがありませんの?」
ヘイレング卿は見た。改めて、魔女の顔を、記憶を辿りながら、隅から隅までを眺めた。そして、あっ! と、声をあげた。
「おまえは……! 30年前、私の邸で働いていた……召使いの女か!?」
「そうでもありますが……」
魔女の顔が静かに怒りに燃えた。
「もっと前……。160年前にわたくしたちは出会っておりますのよ」
「160年前……」
「アイオミという名に、覚えはなくって?」
「まさか……」
ヘイレング卿はその名についての記憶を辿り、遂に思い出した。
「ロニー・アイオミ男爵の妹君の……タニヤ? タニヤ・アイオミか!?」
「今はタル・アイオミと名を変えております」
懐かしむ目をして、魔女は甘い声を漏らした。
「そう……! そうですのよ! あの頃、二人は愛し合った……!」
「タル様!」
突然、一人の従者が駆け込んできた。白いアザラシの顔をした背の高い男だった。
「どうしたのです、ガイス・ペランザ?」
「ネオンの騎士団が……」
ガイスは告げた。
「ネオンの騎士団が、この城へ向かって来ております! ふぁいあぉー!」
語尾の『ふぁいあぉー!』という可愛い鳴き声のようなものが、アナログディレイのように何度も響いた。