005 未来の蓮くん、格好いいじゃない
二階建の古びた文化住宅。
それが恋の初めて見た光景だった。
「……何て言ったらいいのかな。中々趣のある建物で」
隣にあるコインランドリーの窓ガラスで、自分の姿を確認する。
制服姿だった。
「ま、まあ、これはこれで……10年後の蓮くんへのご褒美ということで」
そう言って苦笑いを浮かべる。
その時、ミウの声が聞こえた。
「無事到着したみたいだね」
「ミウ? よく分からないけど、ここが10年後の未来なんだよね。今とあんまり変わってない感じだけど、まあ10年ぐらいだったらこんな物なのかな」
「それもあるんだけど、説明してなかったね。ここでの恋ちゃんの目的は、あくまでも未来の君たちを見ること。だから恋ちゃんのいる時代になかった物とか、変わってる物。そういうのは自然と受け入れられるようにしてるんだ。例えば携帯電話とか、かなり変わってるよ。でも恋ちゃんは、それを当たり前に使うことが出来る。その方が、目的を果たす上でいいと思ったからね」
「そうなんだ。色々気を使ってくれてありがとね。それでミウ、今どこにいるの」
「僕のことは気にしないで。さっきも言った通り、僕はずっと恋ちゃんを見守っている。困ったことがあったらサポートもする。でも基本、恋ちゃんの前には現れないつもりだから」
「そうだったね。私ってば、もう忘れてたよ」
「あははっ。それと恋ちゃん、僕と話す時、声を出す必要はないからね」
「そうなの?」
「うん。僕の声、恋ちゃんの頭に直接響いてると思うんだ。恋ちゃんも僕と話す時、頭に思い浮かべるだけで大丈夫だから」
「……またすごいことを聞いたような……でも分かった。ミウがそう言うんならそうするね」
「ありがとう、恋ちゃん」
「それでミウ、ここはどこなのかな。私の街じゃなさそうだけど」
「蓮くんと会いたいって言ってたからね、一番早く会える場所に連れて来たんだ。ほら、そろそろ来るよ」
「え……」
ミウにそう言われ、恋の胸の鼓動が早まってきた。
蓮に会うのは、キスをしてから初めてだ。
そう思うと、急に緊張してきた。
「……」
細い一本道を歩いてくる男。
恋の頭一つ分ぐらい背の高いその男は、少し猫背気味で鞄を肩から下げていた。
口元から時折息が漏れている。疲れている様子だった。
彼は恋の姿を認めると立ち止まり、うつむき加減だった視線を恋に向けた。
「……久しぶり、だね」
「蓮くん……」
両手を口に当て、頬を紅潮させた恋がそうつぶやいた。
黒木蓮司。大好きな彼氏の、10年後の姿だった。
「汚い所でごめんね」
鉄製の階段を上り、二階の一番奥の部屋に。
鍵を差し扉を開けた蓮司が、申し訳なさそうにそう言った。
「気は使わなくていいからね、遠慮せず入って」
「は、はい。ありがとうございます」
いつも軽口をたたいてる幼馴染なのだが、今目の前にいる彼は、自分より10歳も年上なんだ。そう思うと、思わず敬語になってしまった。
そんな恋に穏やかな笑みを向け、蓮司が靴を脱いで中に入っていく。
古びた電灯にぶら下がっている紐を引っ張り、電気をつける。
「適当に座ってて」
そう言うと蓮司は鞄を下ろし、台所に向かった。
「おじゃま……します」
恐縮した面持ちでそう言うと、恋も中に入り、丸テーブルの前に腰を下ろした。
「麦茶でいいかな」
「は、はい、大丈夫です」
「ははっ。だから、そんなに緊張しなくていいよ。君から見ればおじさんなんだろうけど、僕らは幼馴染の間柄だろ? 普段通りにしてくれた方が嬉しいよ」
台所から麦茶を持って来た蓮司が、グラスを差し出しそう言った。
「……ありがとうございます」
蓮くん、10年経ったらこんなに大人っぽくなってるんだ。それに……こんな優しい笑顔を向けてくれるんだ。
恋が照れくさそうにうなずき、グラスを受け取った。
「今の僕が呼び捨てで呼んじゃうと、少し乱暴な感じになってしまう。だから君のこと、恋ちゃんって呼んでいいかな」
「は、はい」
「恋ちゃんは10年前の過去からやってきた。そういうことでいいんだよね」
「はい、そうです。蓮くん……ごめんなさい、私も蓮くんのこと、蓮司さんって呼びますね。蓮司さんは今の状況、どこまで理解されてるんですか」
「仕事から帰ってる途中で、急に頭の中に色んな情報が入って来たんだ。中々面白い感覚だったよ。しかもそのことを拒絶出来ず、全部受け入れてしまう。精霊の力、思い知ったよ。
君は10年前の恋ちゃんで、精霊の力でこの世界にやってきた。目的は、未来の僕たちがどうなってるかを見ること。
そして恋ちゃんは、僕と花恋にしか認識出来ない存在」
「はい、そういうことです。と言うか、花恋?」
自分のことを花恋と呼ぶ蓮司に、恋は違和感を感じた。
「ああ、うん……大学に入ったぐらい、だったかな。名前で呼び合うようになったんだ」
「そうなんですか……」
恋が少し残念そうな顔をした。
お互いに「レン」と呼び合うの、結構気に入ってたのにな。そう思いながら、麦茶を口にする。
「でも、ははっ……何て言うか、自分たちがどうなってるかを見たくて、わざわざ時間旅行してくる。やっぱり恋ちゃんは面白いね」
「そうでしょうか」
「うん、面白いと思う。そんな恋ちゃんだから、僕は好きになったんだと思う」
そう言って微笑む蓮司に、恋は赤面してうつむいた。
「あ、あのその……蓮司さん、髪、切ったんですね」
「え? ああ、髪ね……就職活動の時にね」
蓮は子供の頃から、ずっと長髪だった。肩に届くほどの長さで、耳が見えたことが一度もなかった。
前髪も長く、よく恋から「そんなに前髪があったら、視力が落ちるよ」とからかわれていた。
しかし今の蓮司は、両サイドが刈り込まれ、前髪も額が見えるほどに切り揃えられていた。
長髪の蓮のことも好きだったが、髪型のおかげでどこか陰のある雰囲気があった。
しかし今の蓮司を見ていると、覇気の無さは残ってるものの、恋をしっかり見つめる視線に力強ささえ感じられる。
「就職活動の時に」
「うん。でも全然うまくいかなくてね、大変だったよ」
「今のお仕事って、その」
「今は工場で働いているんだ」
「そうなんですか」
意外な答えに、恋が驚きの声を上げた。
「うん。昔ながらの工場でね、夏は暑いし冬は寒いし大変だよ。ヘルメットもずっとかぶったままだし、まあそういう意味でも切っておいてよかったと思ってる」
「そうだったんですね……でもその髪型、いいと思います。ちょっとだけ、その……男らしいって言うか、格好いいです」
「ははっ、高校時代の恋ちゃんに褒められるなんて、僕も嬉しいよ」
小さく笑い麦茶を口にする蓮司。
そんな蓮司を見る恋の中に、一つの疑問が生まれていた。