第八話:乙女ゲームの世界じゃんかーー!?!?
黒衣の男は腰を低くして私に特攻してきた。
「……っ!? 速くない!?」
下がれない。私の後ろには子供たちがいる。汗が背中を伝っていく。
「鎖よ!」
黒い鎖が男の四方から現れた。術式を空間に固定し、捕まれば抜け出せぬように。
一瞬でも良い。動きを止められれば助けを呼べる! そう願って術式を出したのに、
「砕けよ」
たった一言で、それは意味をなさなかった。術式はその言ノ葉で、粉々に砕け散る。迫り来る男の拳に穿たれる。
「っ、ぁあああぁああああ!?!!!」
直撃。回避行動を取る暇も無い。抉られ捻られ擂り潰される痛みが、脳天を貫き私の意識は落ちた。
──はずだった。
そこは黒かった。いや、白かった。それも違う。色という概念は存在しなかった。そこには全てがあって、全てが無かった。全て他人で全て自分。世界という枠からも、形や概念という枠からも外れている、酷く安心する場所。ここはきっと、どこでも無いのかもしれない。
ここには「個」という概念も、「集」という概念もない。すべてが溶け合い混ざりあっているのに、自分が残っている矛盾した場所。
「わ、たし……また」
声を出したつもりなのに出せなかった。出たのかもしれない。だけどそんなこと、ここでは関係ない。一度、来たことがあるはずだ。そう、私が死んだとき私はここに来た。
「また来たの? 力の使い方を間違えたのね」
神様。人を作りし存在。圧倒する神聖。比べることすらおこがましい人類の母にして創世主。彼女には人のかたちも性別も無かった。造り出したのは人間だ。私はそれを彼女から聞いた。
「痛かったでしょう。苦しかったでしょう。もう止めたい? 終わりにしたい?」
私を抱いて、私の顔を覗きこんで、彼女は笑う。
彼女は、聖母と呼ばれるに相応しいだろう。けれども人々が産み出した彼女は、優しくなんて無いのだ。
頬に亀裂が走るように、彼女の爪は、私を穿った。瞳孔を開き、歌うように私に呪いをかける。
「だめよ。だめ、許さない。出来るまで何度でもやるの。痛くても苦しくても許さない。休みを与えたばかりじゃない? 新しい知識も経験も得たじゃない」
彼女は狂わされた。誰に、なんて考えるまでもない。そうして私も狂わされた。
「貴女を拾ったのは私なのよ? さぁ、相手を」
聖母は笑った。美しく、されども醜く。確かに私の首を絞めて、私を殺した。
こ ろ し な さ い
黒衣の男は腰を低くして私に特効してきた。
「……殺さないと」
私は今、どんな顔をしているのだろう。認められるためには、殺さなくてはならない。でも、殺したくない。殺さなければ、殺されてしまう。
「来ないで……」
私の目は、常に隠されている。決して見つからないように。殺さぬように。その封が、解けてしまう。
殺すために、目を開いた。
「……お前は、何をしている」
その男は私の目の前に居た。敵意を向けるでもなく、傷つけるわけでもなく、ただ諦観していた。
私の目を抑えて。
「わ、たしは……っ!?」
何をしている!? 私は今、何をしようとした!? 殺そうとした! この男を! 守ろうとしたあの子達まで! 全てを壊そうとした!
手足から、がくがくと震えていく。温度も、感覚も消えていく。怖い。失うことが。
私はしばらく、その男にしがみついていた。命を奪いに来た敵のはずが、どうしようもなく安心する相手だと知ってしまった。
「気を取り直したか」
「私、いま……」
「気にするな。俺も気にしない」
ゆっくりと私の体を離した男は、近くで見ると背がとても高かった。肩から離れた手のひらは、暖かかった。
「俺たちの任務は、子供を奪うことではない。それをしているのは俺たちと関係の無い奴等だ」
「じゃあ、何をしにここへ来たの……!?」
「お前を視るため」
間髪いれずに、男は答えた。
「目覚めているのか。やつの器になり得るか。まだ繋がっているのか。力をコントロール出来ているのか」
なんの話をしているんだろう。やつの、器? 私はなにも知らないのに。
「分からないか。俺はいま、1つの未来を消したのに」
知らない。分からない。いったい何の話だ。だけど、不思議と恐れはなかった。
「あなた、何者?」
「俺はガイア。お前の兄妹だ」
私の兄妹? 公爵家にこんな人はいないはずだけど。隠し子?
「思い出すそのときまで、俺は何度でも見守っていよう。俺の名を忘れるな」
呆然としていたのか、私は彼が居なくなるところを全く見ていなかった。
何事もなかったかのように、静かな時間が流れていた。振り返れば、すぴーすぴーと寝息をたてる子供たちが居る。全くもって平和なものだ。
「私の兄、ガイア……?」
なぜか舌に馴染むそれは、いったい何なのか。というかそもそもおかしい。おかしいだろうこれは! 待て待て待て待て!? いや、だってここって──!
「乙女ゲームの世界じゃんかーー!?!?」
なんで!? どうして!? 私、ノット主人公! 悪役! 悪役令嬢!!
頭を抱えて沈みこむ私のそばに、カイとカーリーが走って駆けつけて来るのは、まだもう少し先のこと。
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