第十八話:……南無三
「待ちなさいッ!」
右腕を伸ばしてそう叫んだ私は、寝台の上で腰から起き上がっていた。目の前には誰もいない。あの白のような黒のような空間から私は既に脱出していた。
汗がひどかった。伸ばした右手から力を抜けば、脱力感とともに虚無感がむくむくと沸き上がる。
「マルシェ様……!」
のろのろと頭をあげると、エリーが私を見ていた。目尻の小さな粒を皮切りにエリーが泣き出した。大号泣だ。どうしてこんなに泣いてるのかな。また私……何かしたっけ?
ぼぅ……と見て、それから事態を把握した。
「……なんで泣いてるの!?」
スプリングの効いた寝台で思わず跳ね上がる。ちょっと泣きやもう!? 泣きやもうね!! このままだと私が泣かせたみたいでしょう! 私をそんな悪者にしないでくれよ!
「マルシェ様~」
にじりよって寝台の中に入ってくるエリー。ぼたほた垂れる涙と鼻水が迫ってくる。
「いや、ちょ、待って……」
「まーるーじぇーざぁーまぁー!!」
「離れてよー!!?」
獲物を見つけた虫かとばかりに、細い両手で背中を抱くエリー。どうしてこんなに力が強いの!? なんやかんやでエリーが泣き止むまで五分近くかかった。疲れた。暑かった。
寝台の上で向かい合って正座する私達は初夜の夫婦みたいだな、なんて頭の片隅で考えながら目の前のペパーミントのメイドを見る。黄昏色の瞳からはもう涙は流れていなかった。そのかわり、少し赤くなっていたけど。
「……で、何がどうなってるの?」
「え、知りません」
ぽけん、とした雰囲気のエリーはもう既に足を崩していた。
「知らないの!?」
「知りませんよ?」
「なんでよっ!?」
そもそも知っているのがおかしいのか。エリーはただのメイドで、今のところ話が分かっているのはカインだけだし。うん、私が急ぎすぎちゃった。
「それにしても結構話しやすい方だったんですねぇ~」
「人の話を聞こうか君」
「君じゃなくてエリーゼです!!」
「そうじゃなくてね!?」
この子はボケか! 天然ボケキャラだったのか!! ほわほわした雰囲気出してるんじゃないよもう……。どう扱えばいいんだよこんなタイプ。そもそもエリーってどこかの家の令嬢じゃないの? この家で働いてるなら少なくとも貴族ではあると思うんだけど……?
疑問を持ったとき、ドアを四度叩く音がした。扉の先にいたのはここ数時間で1番会話しただろう執事の鏡だった。
「起きられましたか」
「カイン」
カインがお盆を持って歩いてくる。こんな様子も私からすると少し前に見たばかり。お水と、あとは薬……だろうか? 魔法が発展してる世界でそんなことは無いのかな。カインはサイドテーブルへお盆を置くとガラスの容器から切子細工のようなグラスに水を注いだ。
「お身体のご様子は大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとう」
差し出された水を一口含み、一息を付く。ツッコミで喉が痛かったんだ。
「それでは、どうしてエリーがそこに?」
「どうしてだっけエリー?」
メイドのエリーはきっと執事長のカインに怒られるだろう、と少しの意趣返しのつもりで知らないフリをした。
「え、どうしてでしょう……ね?」
「エリー?」
あ、ごめんエリー。カインに青筋たってる。
「ごめんなさぃいいいい!!!」
……もうエリーに意地悪はしません。だからもう止めてあげて。
「マルシェ様ぁああああ!!!!」
「……南無三」
さて、私がお水を飲んでいる間にこってり絞られていたエリーが戻ってきたところで話を進めよう。ちなみに私はふわふわの布団の中へ仕舞われた。今は反発力の高い枕によりかかっている。
「報告をお願いします」
「はい。まずユーリェお嬢様は現在ルエラに保護されております。ユーリェお嬢様が発見されたのはあれから二十分ほど後のことでした。場所はマルシェお嬢様の居たあの地下牢です。どうやら出入口の扉が開いていたようでそのまま降りてしまったご様子でした。
そしてその場でアレン・スフェノヴアから暴行を加えられていたところをルエラにより保護されました。ユーリェお嬢様は現在自室にて療養中で、発見から処置までの時間が短かった為外傷は残りませんでした。これはメイド長が確認しています。
ユーリェお嬢様とアレン・スフェノヴアの婚約を破棄することは決定事項となりました。それ以外については当主様より今後の対応の指示を待っている途中です。
当屋敷におきましてはユーリェお嬢様の専属のメイド、執事をメイド長のカーラとルエラの両名に任せることにし、マルシェお嬢様付きの専属メイドとして今回エリーが、そして執事として私が付くこととなりました。
既にアレン・スフェノヴアは別の場所へ輸送済みなことを影が確認しています。当主様からの指示以外は全て私が行いました。私とカーラが付くことをどうかお許しください。報告は以上になります」
長い報告が終わった。正直やっぱりこうなったのかという気持ちが強くて、安心よりも悲しみの方が強い。予想が当たってしまった。
「報告ありがとうございました。そう、ユーリェお姉様にルエラが付いているなら安心ですね。エリーもよろしくお願いします。何かあれば都度質問をし、己の技量を高めておくように」
「は、はいっ……!」
こんな状況になるとは正直思ってなかった。ここまで私を、「マルシェ」を悪者にすることに何の意味があるのか……今は分からない。それに、今安心をしてはいけないと思う。
「屋敷の警備強化はどうなっていますか?」
「それについては当主様より兵が回されるとのことです」
当主様……お父様から兵が回されるのだとしても時間が空いてしまう。だからといってすぐに実力も身分もある誰かに声をかけられる訳でも無い……。
「それでも、ここに来るのは良くて六日後……もしくは7日後になる」
「はい。冒険者に頼むことも考えたのですが、身元が不安でして」
「そうね、私ならともかくユーリェとなると」
どうしてか、カインは一度大きなため息を吐くと条件を口にした。
「冒険者だとすると白金、貴族だとしても国立魔術大学か国立魔術高等学校を卒業したレベルでないとお嬢様方をお守りするには実力が足りません」
「そう、ね……」
そんな条件に当てはまる人なんてそうそういる? いない、よねぇ。冒険者となると知り合いはたくさんいるけど、身分は……。
「……居たわ。三人」




