第十三話:深淵を覗くとき、その深淵もまた自身を見ているのだ
私は今、牢屋にいる。あの当て馬野郎のせいだ。じめじめとした牢屋は長い間使われていなかったようで、カビが生えていたりクモの巣が張られていたりしている。ちなみに足には枷が嵌められている、と言っておく。
私が今座っているベッドだって、私の家の決して高いとは言えないあれと比べてみろ。あれが高級品と思えるほど粗末なものだぞ。板じゃないかこんなの。痛いじゃないか。環境の改善を要求するぞ。
「寝たい……」
眠いし寝たい。だけど眠れない。この部屋──鉄格子で仕切られたスペースひとつ分──には、トイレとベットが一つずつ。それしかない。敢えて言うなら衝立がひとつあるくらいだろうか。衝立がある分、豪華なんだと自分を慰めることにした。
両脇を二人の屈強な男で囲み、急き立てるように連れてこられた牢屋の入り口は意外と簡単な所にあった。屋敷の裏手、焼却炉のそばの小屋の中だ。汚いものは汚いもののそばへ、ということなんだろうか。それともいつでも殺せるぞ、ということなのか。小屋の中央、地面についている両開きの扉が牢屋の入り口らしい。
とにかくその錆び付いた鋼鉄の扉を強く引っ張って開くと、長く続く階段が現れる。わざわざ私を牢屋まで連れてきたアレンはその階段の前で私を蹴り飛ばした。もちろん私は落ちる。とっさにガード出来ていなかったら歯でも折れていたんじゃないかな。
その後、ボディーガードは上で待たせているのかアレン以外は降りてこなかった。予想はしていたけど、二人になった途端に殴られた。それはそうだよね。あのユーリェの前であんなことになったんだから。
自分が守るはずだったユーリェ。格下だと思っていた私に格好つけることも許されないほどにこてんぱんにされたなら、この頭の悪い行動も少しは理解できる。
奥に向かって長く延びていく牢屋の通路を後ろから蹴られながら進むと、やがて行き止まりに着く。それがこの部屋だ。
「まったく……、人を何だと思ってるのかなぁ。私サンドバッグじゃあないんだけど」
正直、どうして抵抗しないのなんて言われたら面倒だからと答える私。あの場では、あれが最も正しい判断だったと思うんだ。この世界で、最も優先されるべきなのはユーリェだって、そんな風に彼らは理解してるから。だからユーリェを守った。私は私のために。
そうじゃなかったら、ユーリェなんて──。
もう、考えるのは止めておこう。これからどうしよう。流石に行き当たりばったりすぎるかもしれないなぁ。でも目標たてても放り投げちゃうしな。
「マルシェ様」
「うわぁっ!?」
渋い声が、急に空を震わせた。誰だ!?
「驚かせてしまい、申し訳ありません」
整えられた白髪。#好好爺__こうこうや__#の顔に鋭く光る二つの目。染み一つ無いスーツ姿は、流石執事の鏡だ。そう、鉄格子の先にいるのは前リザーブ公爵に長年仕えていたこの屋敷の執事長だった。
「どうしてここに……」
「その前に、一つ質問をさせていただきたい」
決意の固まった人の顔をしてる。私としても質問の想像はついてるしね。どうしてユーリェを助けたのかなんてことが聞きたいんだろうな。私にとってこれはチャンス。私が、マルシェ・リザーブがどんな人間かを正しく伝えられるチャンス。
執事長は、前リザーブ公爵の側にたった一人仕えていただけあって、その信頼に答えることが出来るだけの力を持っている。その代わり自分自身の目で見て、耳で聞き、そうして手繰り寄せた情報以外を決して本当の意味で信用しない。それが私の執事長への評価。
私から近寄れば間違いなく嘘だと思われるに違いないから、このタイミングで声をかけてきたのは幸先が良いと考えるべきかも。私は愛想笑いを浮かべて質問を促した。
「どうぞ、なんなりと」
「どうしてマルシェ様はユーリェお嬢様をお助けしたのですか?」
「愚問ですね。姉を助けるのに理由が要りますか?」
間違えるな。間違えるな私。こうなってしまえば、もう中立なんて甘い立場を取ってはもらえない。
敵か、味方。
「ユーリェお姉様は私、マルシェの姉です。あんな野獣のような目をした男に預けられるわけがありません。それにアレンが滞在している間私がこの地下牢にいれば、あんな顔を見なくて済むでしょう?」
「それでは、すべて計算済みだと?」
「すべて? 全てとはどこからどこまでを指すのですか? もしや私がここに来てからのこと全てですか? 今、そしてこの先に至るまでのことを私が全て予測し把握しているとそう言いたいのですか?」
流石にそれは無理です。無理があるって貴方も分かるでしょうが執事長!!
「出来るかもしれないと思っています。……貴女は、本当によく似ていらっしゃる」
その顔を見て、私は思わず唾を呑んだ。哀愁の漂う顔だ。さっきまでその顔は重責を背負ってなお、立ち続ける強い人の顔をしてたのに。どうして、そんなに泣きそうな顔をしているの?
「……寝台の下」
「え?」
「いえ、私はもう行きます。聞きたいことは聞けましたから。この後エリーが食事を持ってくるでしょう。忘れずにお召し上がりください。マルシェお嬢様」
身を翻して、執事長は地上へと戻っていった。その背中はやけに小さく見えた。
「マルシェ、お嬢様か……。少しは認めて、もらえたのかな」
まだ感傷に浸っていたいけど、ひとまずの目標は出来た。
「……深淵を覗くとき、その深淵もまた自身を見ているのだ、って誰の言葉だっけな」
そう、この古ぼけた寝台の下に何かが。きっと何かがあるはずなのだ。寝台から鎖の鈍い音を鳴らして降りた私は、改めて金属のような大きな樫のような寝台を見つめた。
寝台の下の闇は、暗く私を覗きこんでいた。
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