3 幼馴染みが結婚するそうで
書きため無くなってしまったφ(.. )
アンディと言う教師は大変秘密が多い、噂話の方が良く耳にする位だ。趣味は少年少女を愛でる事だとか、彼は予知能力者なのだとか、実は化物だとか噂されている、案外その通りかもしれない。また教師の評価は全て一律だった、誰もが理想の人だと言うのだ、多くの軽い口は上っ面を語り、そうでない者はその一言だけ口に出した。
要するに、教師が助けを求めている事を、誰も知らない。
サディアスがいつも通り過ごしていた所、体育教師から1通の手紙が届いた。手紙は校長へ翌日面会出来る旨を知らせる物だ、少年はこれを大変喜んで、手間のかかる手紙のお礼を述べた。その後は下宿へ戻って、存外無骨な手でペンを取り、明日を楽しみにしながら眠りについた。
カツカツと硬質な音が廊下に響く。規則正しいリズムを奏でているのは16程の年齢の少年で、少し長く伸びた髪は同じ間隔で揺れる。発色の良い青髪青目は冴え渡り、澄ました優等生の顔に良く似合う、腹の下からぞわぞわと底冷えしそうな位だ。
彼の手には筆記具の入った筆箱や手紙、本や逃げ出そうとする紙束が詰め込まれた鞄。歩いているのは今から食堂に向かうためだ、赤目の色男と会う約束をしている。
4人用のテーブルにセドリックは居座っていた、大変目立つ。サディアスは彼をパッと見つけて、小走りで駆け寄った。
「すまん、待たせたか」
「おーう、超待った。待ち過ぎて腹減った、だから先に飯食おうな」
「了解、何食おうか」
セドリックの我儘を聞きながら、2人分の昼食をテーブルまで運ぶ。
食事の合間にセドリックが故郷の話をポツポツと話す、幅広い話題と軽妙な語り口調は面白く、サディアスはいつも感心していた、自由気儘なさまも不思議と咎める気にならない。
食べ終わった後は、校長に会う予定を伝えると共に、昨日書いた紙束を見せる。セドリックは中身も確認せずに、テーブルに乗せた紙をバシバシと叩いた。
「どんだけ書いたんだよ、無理だろ読みたくねー」
「それは使わない、本当は聞こうと思ったが無駄だと思った」
「じゃあ何しに行くんだよ、呑気に世間話か、それとも不安になったか?」
「脅しに行ってくる」
真顔で返答をするサディアスに、思わずセドリックは吹き出した。その後大笑いを始める。
「バッカじゃねーの、おじーちゃんが可哀想だろ! お前目上の人間でも容赦無しかよ、マジ悪魔だな」
「理由聞いてくれ理由、頼む」
セドリックの笑いがいつまでたっても治まらないので、そのまま話始めるサディアス。
「目標はアディの保護だ、権力が動けば回りも大人しくなるはず。脅すのも最悪の場合だし、内容も職務怠慢をあげつらう程度だ、随分と可愛い方だろう」
目の涙を拭いながら、セドリックが返事を返す。
「自分で可愛いとか、笑う。止めねーのかよ」
「仮にも学園の主なら、即座に問題を対処するべきだ、だから俺が提案しにいく事は正しい……筈だよな」
「好きにしろよ、俺的には面白けりゃ全然オッケー、寧ろやれ」
セドリックが口の片側を上げて見せると、ほっと息を吐くサディアス、苦笑いをしながらテーブルに突っ伏した。
そうして2人は雑談の続きを始めた、特に何かがある訳ではない会話は、次の時間を知らせる鐘の音がなるまで続けられた。
赤目の青年を見送ってから、サディアスは椅子で本を読み始めた、面会時間は授業を受けるには難しく、ただ待つには長いのだ。表題に悪女の手引きと書かれた本をぺらぺらとめくり、文字や筆跡を辿っていく。
独特な美しい字で書かれる自伝は、友人の言う通り恐ろしい物ではなかった。自分は幸せだと唱えながら破滅に向かい、牢屋で死ぬまでを書いた話。悪女と自称した慎ましい彼女は、現れては消えていく学園の住人に、お気に入りのぬいぐるみの様に翻弄され、本当の気持ちを見失っていく。サディアスはこの本に首を傾げた、教師は勧善懲悪物が好みである、消化の悪いこの本が彼の物だとはとても思えなかった。
パタンと本を閉じて鞄に詰め込む、遠くで睨み付けてきた黒髪の妹も、回りの生徒もすっかり姿を消していた。
サディアスはガタリと席をたち、校長に自分の望みを押し付けるために動き出す。だがあまり気が乗らなかった、本のせいか不思議と気分が沈み、上手く行かない気がしたのだ。
○ △ □
サディアスの能力は大変簡素だ、神経の強化、出来る事は幅広い。五感に優れ、人の機微を読み取り、手足の隅々まで意のままに操れる。些細な問題と言えば、人の悪意も痛い程読み取り、自己に支障が出ると強い頭痛に苛まれる位か。それも上手く立ち回ればいいだけの話だ、少年は十数年間教師の事で悩んでいるが、酷い頭痛に襲われていない。
唯一の悩みの種を解消するため、サディアスはこの学園の上にたつ者の部屋に招かれた。
格式高く作られた部屋に、質の良い調度品が重みを添える。肉厚なソファーから見る景色には、黒く塗られた机と血で染めた様な絨毯、壁には自分より面積の広い絵が睨んでくる。
サディアスの目の前に飲み物が差し出される、小さく会釈をするとその人物は控えめに微笑み、その場を後にした。残されるのは少年と、部屋の主。
80を越えたと聞き及ぶその人物は、背筋がぴっしりと伸び年齢による衰えを感じさせない。褪せた瞳は感情が読み取りにくく、今何を考えているのかは検討が付かなかった。
サディアスは失礼の無いように、丁寧に本題を持ち掛ける。
「この度は忙しい中お時間有り難うございます、早速で申し訳無いのですがいくつかお願いを聞いて頂けないでしょうか。本日はそのつもりで参りました」
「アンディの異変を調べていると聞いたが、そちらは良いのかね」
「はい、女性になった事実よりも、大事だと思いますので」
「いいだろう、話してみなさい」
サディアスは少し声を張り上げて、前に体重をかけた。
「自分の考えを述べさせて頂きます、提案は2つ、休暇を与えるか優秀な護衛を付けるかです。アンディ先生は幾人かにセクハ……振り回された様です、対処をしなければいけません」
「あまり意味があるとは思わんな。困ると思えば、あれは自ら言いに来る」
「……何を言っているのか、理解しかねます」
サディアスは相手に対して、喉笛に噛み付くように声を出す。
「あなたは危険を承知しており、その上で何もしないと仰っているのでしょうか」
「そうではない、儂も彼女が働く事に反対しておる。だがあれは我儘な質でな、誰の指示も受け付けん、儂で無ければとっくに解雇されていたであろう」
あなたの対応が悪いだけかと。サディアスは表面上は微笑み、内心で毒づいた。
「わかりました、アンディ先生が指示に従わないのですか」
「教職に楽しさを見出だしているのだろう、仕事ぶりは真面目なようだが、困ったものだ」
その後も校長は少年に対して、許してやっているのだと自慢げに話し、訳知り顔のやり取りを繰り返された。小石を拾って歩く進みの遅さに、このままでは時間の無駄だと悟り、別の方法で説得を試みるサディアス。
「では俺がアンディ先生を拘束します、閉じ込めてしまえば本人の意思も必要ないですし。彼、生徒には大分甘いので、簡単ですよ」
他にも幾つかの、美しい蝶々を蜘蛛の巣に捕らえる方法を述べる、同時に蜘蛛が沢山蠢いていることも。本当に出来そうな悪い未来に、校長の瞳がやっと危機感を帯びる。
「アンディ先生は今、危険に晒されています。大切に思うなら、俺見たいな奴を事前に止めるべきだと思いませんか?」
「……そうだな。彼女が誘惑に乗ると思えぬが、目付の者をたてるべきかも知れん、それで良いかね」
サディアスは頷いた、当初の目的は達成された。
彼が教師を好感を抱いているのは良かったと思った、で無ければ実力行使が必要だっただろうからだ。下準備や時間、相手の陥れ方までの概算を、頭の中で捨て去った。
少年は退室しようかと思っていたが、校長に興味があると言われ雑談をすることになった。主な質問は少年と教師の関係についてだ、興味を持つ所が随分奇妙だが、特に隠す事はないので端的に全て答えていく。
「彼女が好きかね」
「はい、それが何か」
校長は少し目を伏せた後、右へ左へさ迷いつつサディアスに戻った。その瞳には、ないまぜにされた感情が窺え、顔は歪んでいる。少年はこの表情に嫌な予感を覚える、見たことあるような気がしたからだ、自分の手を握ると指先が冷えている。
きっとその口から、自分の予想も付かない最低の事実が飛び出すのだ。
「彼女は結婚する予定だ、本人の強い希望でな」
サディアスの体が強張り、錆びた滑車のようにぎしりとなる。
「何も知らぬのも可哀想だ、君にだけ特別に教えてやろう。聞き終えたら、今後関わるのを止す様に」
情報だ。
期待していなかった教師の秘密に、思考だけが餌に反応して動き出し、同時に頭が脈と共に痛み出す。相手の瞳が哀れとも怒りとも取れる色で光り、サディアスに致命傷を与える為の口が、断続的に開かれていく。
教師は元々女性だが、能力の影響で性別を自由に変化出来る為、今まで男性として過ごして来た。そうして楽しく暮らしていたが、ある日校長の元へやってきて、結婚すると言い出した。校長は彼女の為に3人の候補者を用意することにした、いずれも学園の教師から、相応しい者を選びだした。
「彼女にアンジェリーンと名付けたのは儂だ、教職に就く為に男へ変わり、今はアンディと名乗っている」
サディアスは頭の中が真っ白で何も聞けない。
「ようやく幸せになる決心をしたのだろう、叶うのなら挙式は静かに上げたいと言うので、他は儂と君以外知らぬよ」
校長の言葉に目がくるくると回る、悪い冗談としか思えなかった。
老人の褪せた瞳は冗談を挟む隙間がなく、その言葉は真実なのだと知った。サディアスはその言葉を飲み込もうとするが、内心で吐き出してしまい、生理現象で目尻に涙が溜まる。暴れ狂う感情が身の内を食い破り、目の奥が木槌で叩くように鳴り響く。
あたまがいたい。
殴られるような痛みに、眉間に皺を寄せながら片目を瞑る。何か話しているようだが、途切れとぎれで意味が理解できない、その声を聞きたくないとさえ思う。唇や手足の末端も冷えこみ震えるが、調子が悪いと悟られないよう振る舞いだけ気を付けた。
「ではこの話しは終了だ、今後は行動を自粛するように」
そう言われた気がして、サディアスは尋ねる。
「ま、て下さい、3人は……?」
「紙に書こう、少し待ちなさい」
色々と省いたその言葉を、校長は正しく受け取った。サディアスに近寄り渡したそれは、3人の名前が書かれていた。教師が選ぶまで彼等も知らされておらず、本当に選んだだけの候補だった。誰にも言えない秘密を受け取り、体を支えていたソファーから立ち上がる。
「気を付けて帰りなさい」
頷いたのち退室する、礼は述べていなかった。
○ △ □
窓の太陽は随分と沈みかけており、少年はそれを見て長い時間が経過したのだと感じた。
とぼとぼと下宿に帰る足取りは重く、誰もいないなら良いかと廊下に座り込んでしまう。人気のない廊下の更に隅の方へ移動し、膝を抱えて小さくなった。廊下は少し寒く、寝てしまえば風邪を引くだろう。
少年は良くないとは思ったが、自暴自棄になっていたのと、何より頭が大変痛くて敵わなかった。子供が泣き叫ぶ程の痛みから逃れるには、静かにするのが一番だから。
子供のように丸まった少年からは、やがてすやすやと寝息が聞こえてきた。