第七話
「……ん」
「おお、やっと起きたか。 ひとまずお疲れ様、心矢」
目を開けると、また見知らぬ天井。 神城さんの喫茶店のものでもない、当然、俺の部屋のものでも。
「俺は、負けたのか」
「……ああ。 でも、良いんじゃないか?」
ここはどうやら、ファンタズマの屋敷か。 あれから随分時間が経ったのか、既に日は沈みかけている。 真っ赤な明かりが窓から差し込み、沙耶の顔を照らしていた。
「よくねえ。 クソ……あれは、柏の神具の力か?」
「だと思う。 私も詳しいことは知らないけど……玲奈さんが神具の力を使うって、珍しい……というか、初めて見たしな。 それだけでも健闘だろうさ」
「それじゃダメなんだよ。 いくら神具の力を使うのが珍しいって言っても、負けたんじゃ意味がねぇ。 戦って勝たなきゃ、意味がねえだろ。 俺はそうやって生きてきた」
勝たなければ意味はない。 負けたのならば、いくら内容が良かったとしても、接戦だったとしても、あと一撃で勝てたとしても、意味がないんだ。 勝負ってのは、勝ちと負けでしか測れない。 その結果こそが全てで、そこに至る過程だなんて、意味を成さない。 それが、勝負というものなんだ。
「心矢……」
だが、俺のその言葉を聞き、沙耶はどうしてか悲しそうな顔をする。 普段、笑ってばかりのこいつがそんな顔をしたことは、印象的だった。
「悪くない心意気だね、それは。 しかし柊君、今のままでは限界も当然ある。 強者というのは必ず心に余裕を持たなければならない、この言葉は隊長が教えてくれたんだ」
「……東さんか」
「うん、東さんだ。 柊君、今のままじゃ柏君には勝てないよ。 能力も神具も扱えていない状態じゃあね」
能力と、神具。 神具は確かにそうだ、俺が出せるのは未だにあのナマクラ刀でしかない。 とてもじゃないが、神具とは呼べない代物の刀。 それに、能力についても使い方がイマイチ分かっていない。 それを東さんは見ただけで理解したのか。
「神城君は如何せん、大事なことは結構省くし……いや、それが逆に狙いなのかもしれないけれど。 まぁ俺が少し教えてあげよう。 もう体は動くかい? うちの柏君が迷惑をかけたお詫びということで、俺の予想だと今日は面白いものが見れるよ。 それを見て、君も何かに気付けるかもしれない」
「大丈夫……ですけど。 一体どこに?」
「決まっている、境界者退治さ」
少しずつ、進んで行く。 この世界のこと、力のこと、神具のこと。 そして、霊界師という存在のこと。 この世界には俺が知らないことだらけで、そしてそれは俺が想像しているよりもよっぽど深く、よっぽど醜いものなのだ。
「そういえば、東さんは神城さんと知り合いなんですか?」
日はすっかり沈み、俺と東さん、そして沙耶は並んで夜の街中を歩く。 時折人とすれ違うが、俺たちのことを一切認識していないように通り過ぎていく。 当然か、表側の奴らに俺たちのことは認識できないのだから。 しかしこの感覚はなんだか不思議だな……。
「旧友だよ。 それに、彼もファンタズマの一員だしね。 彼の喫茶店、ファンタズマっていう名前だろう? 厳密に言えば、あれは店名ではないんだ。 ただ神城君が喫茶店を開いたときに、隊長がいたずら書きをしたのが残ってるだけで」
そりゃまた随分とハッスルした隊長さんだな。 俺との相性は良くないと思われる。 元気の良い人は苦手だ。 俺が好きなのは落ち着いている奴と、静かな奴と、頑固じゃない奴。 おお、見事に全て当てはまらない奴が目の前に。
「ああ、そうなんですか? ふうん……他には誰がファンタズマに?」
と、俺は情報を引き出してみる。 ファンタズマが喫茶店の店名ではないことは沙耶からも聞いていたが、一々それを話すより今知ったってことにしたほうが面倒が省けそうだ。
「うん、レミ君と柏君、それに郷原君は今日会っているから良いとして、あとは俺たちの隊長かな。 この辺では恐れられてる人だから、柊君ももし出会うことがあったら頭は下げておいた方が良い。 怖いからね、カゲキなんだ。 ちなみに俺はめっちゃ苦手だよ」
……東さんは結構優しそうに見えて図太い人に思うのだが、それでも怖いというのは一体どんな野蛮人だ。 それに、ファンタズマはどう見ても奇人変人の集まりなのに、それでも若干引き気味ってことは……会いたくないな。 切実に会いたくない。 これ以上、変人に会いたくない。 沙耶だけでお腹がいっぱいだよ。
「そうか? 隊長さん、面白い人だと思うぞ、私は」
「なんだ、沙耶は会ったことあるのか?」
「もちろん! というか、私が霊界師になってから最初に会った人だよ。 色々教えてくれたのも、その人なんだ。 面白い人なんだよ、次の日は腹筋が痛いくらいだ」
沙耶を持って、面白い人と言わせるか。 やばいなこれ、相当変人に違いない。 絶対関わり合いたくない。 沙耶と気が合うのは大体変人なのだ。
「へぇ。 興味はあるけど、東さんがそこまで言うからには俺はちょっと遠慮かな……ん?」
そのとき、俺の視界に何かが映る。 通り道に小さい影が街灯に照らされていたのだ。 ぶかぶかのパーカーを着ており、フードをそのままかぶっている。 しかしその人影は動くことなく、俺たちに背中を向けている。
「ア、アア」
次に視界に映ったのは、二メートルを超える影。 その小さな人影よりも奥に立ちはだかる影だ。 その影もやがて、街灯に照らされる。
「なんだ……ありゃ」
俺は思わず息を呑む。 目に写ったのは、まるでこの世の物とは思えない怪物だ。 頭は骨、人間の頭蓋骨をそのまま剥き出しにしたようなモノ。 しかし、それを支える体は人間のものではなく、犬のような体をしている。 二足歩行で動き、奇妙な声のようなものを出し、その怪物は骨で出来た頭をガクガクと動かしながら小さな人影の方へと向かっているように見えた。
「あれが境界者だよ。 表にも裏にも存在せず、唯一世界の狭間に生きる者。 彼らは俺たちの世界にも、人間の世界にも干渉できる唯一の存在だ」
「……表側にも干渉できるって、それじゃあ」
俺がそのときにした予想は正しかったと言える。 表側にも干渉できる、それはつまり、人間に危害を加えることができるということ。 となれば、あの怪物……境界者の狙いは必然的にあの人間ということになるのだ。 それも表側からしたら、境界者の姿は認知できない。 身に迫る危険を悟ることができない。
「あのままじゃ、あの子供は」
「心配要らないさ。 助ける必要はない」
東さんは冷たく言い放つ。 まるで、人事だと言わんばかりに。 その態度がムカつき、腹が立った。 俺は東さんのことを睨み付け、叫ぶように言う。
「だけどッ!!」
目の前で襲われるのをただ眺めていろというのか、この人は。 俺は残念ながら、そんな出来た人間ではない。 そう思い、動こうとする。 が、その動きは、東さんの手によって阻害された。
「良いから。 言っただろう? ああいう境界者を倒すのは霊界師の仕事で、他人の仕事を横取りするっていうのは褒められたやり方じゃないんだよ」
他人の仕事。 それは、他の霊界師の仕事をという意味である。 この場合、東さんが指しているのは俺、または沙耶のことだろうか? 答えは否、東さんが指している他の霊界師とは他でもない。
「雑魚が。 なにわたしのことを見下してやがりますか? そんなに死に急ぎたいなら止めはしませんが――――――――生きて帰れるとは思わないことですね」
その、小さな人影のことだ。
声からして、少女。 少々高い声が周囲に響き渡り、その少女はフードをまくり上げる。 すると、風に靡いて金糸のような髪が流れた。 その髪をまとめるために少女は首を左右に振り、横顔が一瞬だけ俺の視界に入る。
青い瞳、人形のような白い肌、大きな目にくっきりとした目鼻立ち。 見間違えようがないほどに、一目で美しいと思える外見だ。 俺はその光景にただただ目を奪われた。 少女が霊界師だということは一瞬で理解し、その次にどう戦うのかに興味が湧いてきたんだ。 俺は少女を興味深く見つめる。 しかし、それは意味を成さない。 一瞬足りとも目を離さずとも、少女の姿は霧のように消えたのだから。
俺が一度敗れた柏とも違う。 柏の動きは瞬間移動の如く高速で動くものだ。 それと違い、少女の消え方はまるでそこに居たのが幻想のように、幻のように消え去っている。 それこそ、まさに幽霊のように。
「どこを見てやがりますか?」
声と同時、少女の姿が現れた。 境界者の真横、その足元に現れた少女は、すぐさま境界者の右足に蹴りを入れる。 質感のないような音が周囲に響き、境界者の足は霧散する。 片足がなくなりバランスを崩した境界者は倒れこむように動き、それを少女は見逃さない。
またしても消え、そして現れる。 今度は左足、そしてまた消える。 右腕、左腕、肩、下半身。 あまりにも一瞬のことで、理解が及ぶ前に結末は決まっていた。
少女はもう消えることはしないのか、境界者の正面に立っている。 四肢を奪われた境界者は少女に跪くように頭を垂れ、それを見た少女は満足そうに笑った。
「最初からそうしておけですよ。 大人しく、されるがままに、私に殺されていてください。 ゴミが」
言い、少女は境界者の頭目掛けて右腕を振るう。 か細い腕からは想像できない速度で振られたそれは、境界者の頭部をいとも容易く消し飛ばした。
頭部をなくし、境界者の残された体を光が包む。 そして、光の欠片のように霧散していった。 その場に落ちた石ころのようなものを拾い上げ、少女はパーカーのポケットにそれを入れる。
「……なんだ、このガキ」
「ああん!? ガキって言いましたか!? 今ガキって言いましたよねそこの根暗女ッ!!」
思わず呟いたのが聞こえてしまったのだろう。 俺から発せられたその言葉にしっかりと反応し、金髪の少女は勢い良く振り返り、ずんずんと詰め寄ってくる。 小さいながらも迫力に満ち、その表情は怒りに塗り潰されていた。
「落ち着いて落ち着いて、レイラ君。 彼は男の子だよ……それも新人で、今ではもう俺の友達なんだから……ね? 大目に見てくれないかな」
東さんはこの少女と知り合いなのか? レイラという名を呼び、親しげに話すその姿からそれが感じられた。 が、東さんにとっては苦手意識を持つ対象なのか、恐る恐る口にしているようにも見える。 傍目から見て大の大人が子供に怯えているようにも見え、それが面白かったのか、沙耶は笑いを堪えているような表情へとなっていた。 こいつ、どれだけ緊迫した状況か分かっているのか。
「新人? 男? へぇ、ひ弱そうな顔の所為でついつい女だと思いましたよ。 まー良いです、私の邪魔さえしなければどうでも」
腕を組み、つんと顔を逸らして言う。 レイラと呼ばれた少女の仕草は歳相応にも見える。
「東さん、知り合いなんですか? このガ……レイラって人と」
「おいクソ根暗! 今またガキって言いかけましたよね!? 半分言いましたよね!?」
そう呼ばれるのが余程嫌なのか、レイラは人差し指で俺のことを突き、怒鳴りつけるように言う。 あまりの迫力に俺は数歩下がりつつ、東さんに助けを乞うように視線を向ける。 ピンチのときは思いっきり人頼みな俺である。
「彼女はレイラ。 レイラ・ルイスフォールだよ。 見た通りの異国人で、今というか……死んだときは十六歳だっけ?」
「はい! 花の十六歳で殺されたおかげで、この歳で固定されました。 うーん、やっぱり女子にとって年齢というのは固定されて然るべきですよね!」
腰に手を当て、嬉しそうにレイラは言う。 とても見た目で言えば小学生とするのが相応しいが、内部的には十六歳ということらしい。 つまり、俺や沙耶と同年代か一つ下ということになる。 まぁそれよりも、俺にはそこでどうしても気になることがあったんだ。 だけど、口を噤む。 こいつの口から出てきた物騒な死因が気になったものの、それは、気軽に聞けそうなことではない。
「こんな場所で会えるなんてな、驚いた。 どうしてこんなところに……」
ふと、先ほどまで黙っていた沙耶が口を開く。 どうやら名前を聞いたときから、沙耶の中では名前とこのレイラという子供が繋がっていたようだ。 そして顎に手を当て、その「どうしてこんなところに」という疑問を真剣に考えているようにも見える。 もっとも、沙耶が頭の中でまったく別のことを考えていたとしても、傍目からは真面目に考えているように見えるというだけだが。 そして、それが実を結ぶことはほぼないとも言える。
しかし……不思議なことに、その名前も俺は聞いたような気がする。 誰かが、言っていたような。 そんな疑問を抱いた俺だったが、すぐにそれは解決することとなった。
「霊界序列一位。 最強の霊界師……通称、絶殺。 ここまで言えば、柊君も分かるかな?」
「霊界序列……ってなんですか?」
その言葉を俺は聞いたことがない。 だが、そのあとの最強の霊界師という言葉は俺の耳に残った。 数多くいると呼ばれる霊界師の中でも、最強と呼ばれる存在だ。 それほどの奴ということは、誰かがいつ噂をしていてもおかしくはない。 そのせいでどこかで聞いた名前だったのだろう。
「霊界序列っていうのは、霊界師の強さを決めるランキングみたいなものだよ。 もっとも、単純に神具の強さ、能力の強さでの格付けだから、決闘形式じゃない実戦ではそう上手くはいかないものだけどね。 けれど、彼女は現存する霊界師の中では別格だ」
決闘形式ではない……ということは、その霊界序列とやらを決めるのは決闘方式での戦いということか? そんな疑問が浮かんだものの、それから俺が東さんに聞いた話は、こうだ。
レイラは今日に至るまで、数多くの戦いを繰り広げてきた。 境界者との戦いから時には同業同士、つまりは霊界師とも戦ってきた。 そのどれも彼女が本気で戦ったことはなく、そのどれも戦った相手は生きていない。 次第に彼女は『絶殺』と呼ばれるようになり、周囲から恐れられる存在となる。 そのような経緯があった所為なのか、レイラは常に一人で居た。 群れることを好まず、孤高であることを選んだ。 これは社会でも同じことが言えるだろう。 力がある者は周囲を束ね、集団を引っ張るべく存在が必要とされる。 が、その力があまりにも秀でてしまった者、異質なまでの力を持った者は慕われない。 ただただ、恐れられるのだ。 周囲を跼天蹐地にさえしてしまう、絶対的な強者であると。
「ま、私は負けねーですけど。 それよりもそこの根暗とそこの頭脳明晰女、名前は?」
はて、頭脳明晰少女というのは誰のことだろう? そう思い、俺は首を傾げつつもレイラの問いに答える。
「俺は柊。 柊心矢だ。 つい昨日死んで、霊界師になった」
「私は結城沙耶という。 よろしくな」
……妙だ。 何故、頭脳明晰少女という如何にも頭が良さそうな呼ばれ方をして、沙耶が答えているのだろうか。 そんな疑問が、俺の頭から取れる日は二度と来ないことは言うまでもない。
「柊に結城ですね。 分かりました、くれぐれも私の邪魔はしないでくださいね」
「……あ?」
ぴしりと、空気が張り詰める。 その気配をレイラは悟り、空気を変えた張本人である俺のことを見つめた。
「なんですか? その反抗的な目は」
「悪いな、俺はナチュラルにこういう目なんだよ」
「……別に殺り合うというなら構いませんが。 ですが、私は好んで雑魚を狩る趣味はないもので」
「んだと、このガキ」
礼儀知らずというのはお互い様であろうが、俺にとっては年下に喧嘩を売られているようにも感じられた。 その所為もあってか、敵意を剥き出しにしながら言う。 が、レイラはそんなことには慣れている様子で返す。
「忘れ去られる者」
レイラが呟いた瞬間、その手に何かが握られる。 だが、俺も沙耶もそれを視認することができない。 それはどうやら東さんも同様のようで、しかし俺たちと反応が違うのはこれが何かを知っているからだろうか。
「殺り合うならば殺す。 次に私のことをガキと呼べば、それを殺し合い開始の合図としてやる。 覚悟があるなら言ってみろ」
レイラは先ほどまでの砕けた雰囲気と打って変わり、まるで殺気の塊のような敵意を俺へと向ける。 その瞬間、場の空気は完全に張り詰めた。 何も言えず、何も口にできない。 俺は……いいや、俺だけではない。 結城も、東さんまでもが、このとき自身の死を見たのだ。
「懸命な判断ですね。 まぁ良いです、今日のところは帰りますです」
レイラはくるりと反転し、歩き出そうとする。 だが、その瞬間に動いたのは俺だ。
「おい」
「……なんですか?」
それは攻撃を加えるというわけではなく、単純に引き止めるために。 俺はレイラの背中に触れ、レイラはその感触によって振り返る。 てっきり腕を捕まれて、投げられるとでも思ったが、意外にもレイラは素直な反応を見せる。 俺は一瞬驚いたものの、そのまま口を開く。
「お前が強いのは良く分かった。 俺が知っている誰よりも確実にな。 その上で、聞きたい」
「良いですよ。 私に答えられることでしたら、出し惜しみもするつもりはありませんしね。 それよりもどうしてペンなんて持っているんですか?」
少し笑って言うレイラは、やはり歳相応の少女に見える。 ただひとつ、底知れぬ強さを持っているということ以外は。
「気にするな。 んで、俺のことを雑魚って言ったけど、その理由はなんだ?」
俺はレイラにそう訪ねた。 だが、それを聞いたレイラは呆然とした表情となり、やがて……笑い出す。
「ふふ、ふふふ! あっはっは! なんですか、それ。 もしかしてアレですか、アレ。 自分のことを強いと思っちゃってる口ですか? それはそれで結構ですけど、私から見れば雑魚ですよ。 ただ、もしも柊がそう言われることに納得がいかなければ……そうですね。 戦う意味を見つけるべきです」
「戦う、意味?」
「はい。 柊からはそれが感じられない。 それを持たない者には神具だって答えてはくれないでしょう。 というわけで、私はそろそろ本当に帰りますよ。 お風呂に入りたいです」
レイラは手を振り、歩き出す。 その背中を見つめ、俺は最後の問いを投げかける。
「だったら、お前が戦う意味はなんだよ?」
「決まってるじゃないですか。 世界征服です」
レイラはそう言い残し、去って行った。




