第六話
「ルールは簡単。 相手の腰に下げられた水風船を割った方が勝ち。 もちろんどっちかが死んでも、死んだ方が負けってことで。 良いかな?」
「ああ」
「当然。 このガキは一回痛い目を見ないと分からねえタイプらしいからな」
とまぁ、こうなった。 屋敷の屋上には開けた場所があり、そこで俺と郷原は対峙している。 俺が勝てば、ファンタズマは俺の動向には関与しない。 逆に郷原が勝てば、俺はファンタズマの統制に従い、同時に失礼な発言の謝罪という内容。 別に前者は正直どうでも良いが、後者はあまりしたくないな。 この男に頭を下げるというのは癪だ。 何より早く終わらせて帰りたい……最初こそこの決闘という話を聞いて断った俺だったが、沙耶までもが「やってみればいい」というものだから、こんなことになってしまっている。
「心矢ー! 頑張れー!」
横で声を上げるのは、そんな沙耶だ。 こいつ、仮にもファンタズマの連中は知り合いらしいのに良いのか……。 まぁ、俺にとっては嬉しいことであるけど。 しかし、観戦している奴が多い所為でやりづらいのはどうにかして欲しい。 金髪の男、東さん。 小さい女の子、レミ。 それに。
「……おいレミ! お前も俺に声援寄越せ!」
「えぇ……わたし、郷原のこと好きじゃないし……」
そして、その声援を見て郷原は変な対抗意識を燃やす。 良くも悪くも単純な男である。
「なら……玲奈! お前で良いぞこの際!」
「黙れ」
郷原が今呼んだ女は、いつの間にか居たのか、黒髪を後ろで一本に縛っている女のことだろう。 鋭い目付き、冷たい視線が刺すように郷原に突き刺さる。 こええなぁ……ああいうタイプも苦手だ、俺。 強化版、沙耶だ。 沙耶の柔らかい部分がなくなれば、きっとああなる。 沙耶に柔らかい部分があって良かったよ、心底思う。
「隊長は不在だけど、始めようか。 それじゃ、お互い神具の用意を」
「チッ……仲間想いの奴はいねぇのかよ! 神具展開――――――――我狼ッ!!」
郷原の声と共に、辺りを風が押し上げる。 暴風と共に、郷原の手には巨大な剣が握られていた。 ただでさえ巨体の郷原が持つのは、その二倍を超える巨剣。 圧倒的な質量と、圧倒的な存在感。 これが、郷原の神具か。
「俺の方は良いぜ。 問題ない」
俺は言い、今朝渡されたばかりの刀を構える。 左手で握り、頭上の少し上へ斜めに構え、質感を確かめる。
……問題はないな。 懐かしいが、違和感は全くない。 それどころか、気持ち悪いほどに馴染んでいる。
「ん……そうかい?」
東さんは一瞬不可解な顔をするが、すぐに正面へと視線を戻す。 俺と郷原の丁度中央に立っていた東さんは数歩下がり、片手を上げた。
「……沙耶。 確か、あいつは剣道をやっていたと言っていたな」
「うん、そうだが。 どうかしたのか? 玲奈さん」
「いいや、それにしては不自然な構えだと思っただけだ」
そんな声が聞こえる中、俺は正面に立つ郷原へと意識を集中させる。 相手の実力は未知数、だが……それは相手も同じだ。 例え郷原が何年霊界師をやっていようと、これは一対一の勝負。 そんなものは、関係ない。 真剣勝負に年数など関係なしだ。
「始めッ!!」
東さんの手が振り下ろされる。 同時、俺は眼を見開いた。 初手、一歩。 俺は姿勢を若干前のめりにし、そのまま踏み出す。
「え?」
「ん……?」
俺は次の瞬間、郷原の後ろへと立っていた。 姿勢を崩さぬ動きは、相手に錯覚を与える。 正面から見据えた相手が、近づいてきているということを悟らせないのだ。 それは相手にとって、最大の奇襲。 遥か遠くに居た敵が気づけば目の前に。 そして、自身の後ろに。
普通ならば、ここまでの速度は出せない。 が、今は体のリミッターが外れている。 このくらいの動きならば、朝飯前ということだ。 ……正直自分でも驚いたが。
「勝負ありッ! 柊君の勝ちだ」
既に郷原の水風船は割れ、俺の水風船は無事。 さすがというべきか、レミ以外の奴は俺の動きを目で追えたようだ。 奇襲でなければ、郷原にも反応されている可能性があったということだよな、これ。 だがまぁ、奇襲とは言え俺の勝ちか。
俺がしたことは、簡単な足技。 姿勢を前のめりに動かし、そして通常ならば不可能な一歩での移動。 しっかし驚いた……いくらリミッターが外れているとしても、ここまでの速度で動けるとは。 体が慣れてくれば、もっとマシにはなりそうだな。 それでも油断していた郷原に一泡吹かせることはできたけど。
「……何者だ、テメェ。 俺が反応できねえだと?」
郷原は拳を握りしめ、振り返ることなく言う。 悔しさが滲み出ているのは、俺でなくとも理解できる。 それを追い打ちしようなんて真似はしたくない。
仮にも、横暴ではあるが立ち会いというのをこの男は受けたのだ。 ルールに従い、一対一の決闘を望んだ。 ならば、俺が見下す道理もない。 それに、今は水風船を割るだけで勝てたが、実戦ではどうなるかなんてこと、分からないし。
「剣の勝負で俺は絶対に負けないし、負けるつもりもない」
「チッ……おい東! もう一回だ! 今のは俺が油断していたのは目に見て分かるだろ!?」
俺の言葉を聞き、郷原は東さんに向けて怒鳴るように言う。 別に俺は望むところだったのだが、それを良しとしなかったのは玲奈と呼ばれた女だった。
「図に乗るなよ郷原。 貴様は一対一の決闘で負けた、実戦だったら死んでいる。 そんな貴様に次などあって堪るか。 退け、次は私の番だ」
透き通るような声、しかし冷たい声だ。 そして、郷原のそれとは明らかに違う雰囲気。 これは威圧感ではない、全くの別物。
何度か、こういう雰囲気の奴とは手合わせをしたことがある。 稀に居るのだ、一見して闘気に溢れた奴とも思えるこの空気……だが内容は全く違う。 これは、殺気だ。
「はぁ……柏君、あまり好き勝手にやると、俺が隊長に怒られるんだけど」
「知るか。 私は私がこいつと殺し合いをしたいと思ったのだ、それ以上の理由がいるか? そもそも、昨日今日霊界師になった奴に調子に乗らせること自体、大失態だと思わないのか。 ここらを統制している身として恥はないのか」
不敵に笑い、柏は一歩前へと出る。 沙耶は不安そうに、レミは好奇心に満ち溢れたように、郷原は下を向き、何も言わない。
「あーあーもう、俺は知らないからね」
「構わん。 おい、柊と言ったな? 貴様、私と戦え。 今の足技、縮地だな。 さすがは神童と呼ばれた最強の剣士様だよ。 しかし、そんな剣士に逃げという言葉はないだろう? ふっ」
……この人、俺の何を知っているんだ。 確かに、俺は昔そう呼ばれていた。 いや、正確に言えば高校に入ってからは、表立ってそう呼ばれなくなっただけだ。 裏では呼ばれているかもしれないし、その真実を俺は知らない。 が、この人は……俺が生きていたときのことを知っている。 今、俺のことを神童と呼んだならば、必然的にそうなってしまう。
「もう一回やっちゃったし、一回も二回もそんな変わらないから別に良いけど」
「決まりだな、ならばルールを変更させてもらう。 なぁに、より実践形式にするだけだ」
「ルールを?」
柏は数歩進み出て、俺の前数メートルの位置で向かい合う。 それとすれ違うように郷原は脇へと退き、地面へと力なく腰を降ろす。 そんな郷原を気に留めることなく、柏は人差し指を立て、続けた。
「相手の手を地面に付かせたら勝ちだ。 この方が楽しいだろう?」
「……ま、それであんたが良いなら。 俺はなんでもいいよ」
「随分な自信過剰だな。 ならばお互いに言い訳はなしとしよう。 神具展開――――――――神殺」
柏の言葉と共に、刀が出現する。 真っ黒な刀だ。 禍々しいほどに黒く染まったそれは、刀身の背も腹も、柄も鞘までもが真っ黒に染まっている。 そして同時に、これでもかというほどの悪寒が俺を襲う。
ああ、これはやべぇ。 あの刀はヤバイ。 直感がそう告げているんだ。 沙耶の神具とはまるで真逆、とてつもなく嫌な雰囲気を感じる。
しかし、自信過剰か。 俺のそれは、決してそんなものではない。 むしろ、逆だろう。
「東」
「はいはい……俺は知らないって言ったのに、こき使わないで欲しいよ。 それじゃあ、お互いに準備は良いかな。 さっきよりも真剣勝負っぽいし、公平を期すためにこのコインが落ちた瞬間、試合開始としよう。 ルールはさっき柏君が言った通りで、相手の手を地面へと着かせたら勝ちということで。 それじゃ……」
東さんは手っ取り早くそう言うと、コインを放る。 そのコインを挟み、俺と柏は睨み合う。 お互い、神経を研ぎ澄ませながら。
数秒、コインが落ちるまでにかかった時間。 俺は先ほど同様に、右足を前に、左足を後ろへと構え、刀は頭上に構える。 柏は構えというものを知らないのか、刀の背を肩に乗せ、俺のことを睨みつけている。
……馬鹿にしてるのか、こいつ。 ちょっとムカついた。
「三十秒で片付けてやる。 柊心矢」
「上等だ」
そして、コインが地面へと落ちた。 同時、俺は前へ踏み出す。 先ほどと変わらぬ……いや、それ以上の速度で。 ゴっという風を切る音と共に、俺の体は柏目掛け動き出す。
「確かに早いな。 郷原じゃ反応できないのも無理はない」
「なっ……」
目を逸らしたつもりはない。 瞬きをしたつもりも、集中を切らしたつもりもなかった。 だが、目の前にあった柏の体は気付いたら消えていて、そして気付いたら横に存在していた。 まるで瞬間移動でもしたかのように。 縮地とも違う、一体何をした?
「まだ三秒だぞ」
「ちっ……!」
柏は迷うことなく漆黒の刀を振るう。 あれに斬られたらタダでは済まないことくらい、素人目にも理解できる。 なら、避けるか受けるかだ。
それに、反応できないものではない。 少々驚いたが、体の姿勢を少しだけ崩せば受けることはできる。 振りの速度は随分早く、その細い腕からは考えられない力強い振り。 避けるのは逆に危険だ、ここは受けて流す。 そして、その勢いで攻撃を。
「うお……重ッ!」
真上から振り下ろされたソレを刀を横にし受ける。 だが、その重さは俺の想像を遥かに超えていた。 その重さは刀から腕へ、腕から体へ、そして足から地面へと流れていく。 その瞬間、俺が踏みしめていた地面がひび割れる。
……おいおい冗談じゃないぞ、いくら重いと言っても、コンクリートだぞこれ。 それを衝撃だけで割るとか……俺の体を通ってある程度衝撃は暖和されているってのに。
「けど、受け切れない重さじゃねえぞ!」
言葉と同時に、横へと薙ぎ払う。 何よりマズイのはこの村正をへし折られることだ。 言ってしまえばただの刀のこれが、いつまでも神具の放つ攻撃に耐えられるわけがない。 が、その判断は正しかったと言える。 そのおかげで柏は体制を崩し、俺の横へ放り出されるように体が浮いたのだ。 それを見逃す俺ではない、ここで一撃を加えれば、間違いなく完全に体制を崩すことができる。
正直、ここまで本気で柏がかかってくるとは思っていなかった。 俺が受けきるのに失敗していたら死んでいてもおかしくはない。 つまり、あの殺気は本物だ。 脅しのための殺気でもなく、こいつは本気で俺を殺しに来ている。
ならば、俺も殺しにかかる。 こんなところで死ぬわけにはいかないんだよ。
「うおらッ!!」
「神童は本物か。 だが、甘いな」
二つ目の想定外が起きた。 柏はなんと、空中で姿勢を変えたのだ。 不可能なことではない、けれど……それをするには、常人では到底不可能なほどの反射神経を持っていなければ無理な芸当だ。 この女、本当に強い。
「びっくり芸人かよお前はッ!」
「そうでもないさ。 私で驚いていては先が大変だぞ、新人」
刀の振りは止まらない。 いとも容易く避けられ、柏は見事に地面へと着地する。 早いところ体制の立て直しを俺もしなければ。
そう思った次の瞬間、俺の足が地面から離れた。 なんだ? 何が……。
横となった視点で柏の姿を捉える。 同時に、俺は理解した。
この女……ありえねぇ。 剣での勝負だってのに、足払いを仕掛けてきやがった。 いやそりゃ確かに真剣勝負というならそういうのもありなんだろうけど! ちょっとズルくねえか!?
「ぐ……お」
そんな思考から切り替えを行う。 先ほど、柏が俺に見せた芸当だ。 自分の体の角度、崩れている速度、そして数秒後に足が着くべき場所の構築。 下手に体制を戻すよりは、このまま。
「……っと」
「ふん、なんだ。 貴様もびっくり芸人か何かか? 負けず嫌いもそこまで行くと見事だな。 猿真似男が」
「そりゃどーも……」
あっぶねぇ……超ギリギリだったぞ。 うまいこと更に体を後ろへと傾けたおかげで、後ろへ一回転する形で地面に再び足を着けることができたが、少しでもズレてたら絶対に手を着いているところだったよ。 にしても負けず嫌いはこいつも一緒じゃねえのか。
「だが、終わりだ」
「はっ、そりゃ続ければ俺は負けるかもしれねえな。 けど、三十秒って約束だけ見れば俺の勝ちだ」
「……ふふ、ふはは! そうだな、ふふ……なんだ、久し振りに面白い奴に会えたものだよ。 だがな、柊。 それも残念ながら私の勝ちだ。 貴様に勝ちの芽はない。 全て私が摘み取ってやる」
「なに? 残り十秒もねえのに、何を」
「お前、ついさっき私の刀を受けたな?」
なん、だ。 天と地が逆さまに、右と左が歪み、正面は渦巻いたようにねじ曲がる。 体が崩れ、全ての感覚がぐちゃぐちゃと入り混じる。
「悪いが、これは剣の強さを図るものではない。 霊界師の強さを図るものだ」
視界が、揺らぐ。 平衡感覚が失われ、得体の知れない気持ち悪さと目眩が俺を襲う。
「覚えておけ、柊心矢。 この世界、油断をすれば一瞬で食われるぞ」
そして、俺は意識を失った。 最後に見たのは、俺のことを見下ろす柏の姿だった。




