第十一話
「今夜は冷えますね」
「だな。 冬もこれからが本番だし、お前も暖かい服とか、体を暖められる物を用意したほうが良いぞ」
言っても、秋月は冬越しのスペシャリストだろう。 どういった方法でこれまでの冬を凌いできたのかは分からないが、少なくとも五十回以上凌いでいるのは言うまでもない。 というか、俺は助言をするよりされた方が良いんじゃないか、もしかして。 体を暖める方法、隠された何かがあるのかも。
「わたくしは心配無用です。 冬の寒さや冷たさも、季節の光景、景色なのです。 一日一日、それを噛み締め、感謝しておりますので」
「無理だな……お前の方法は何も参考にならないことが分かった」
「……ええと、お役に立てず申し訳ありません」
秋月はその場で立ち止まり、俺に向けて丁寧に頭を下げる。 いちいち謝るなと言おうとして、やめた。 それを言っても、秋月は謝るという行為を止めはしないだろう。 言っても無駄なことを言っても仕方ないし、秋月だって困ることだ。 だから、俺はせめてもの抵抗として秋月の額にデコピンをすることにした。
「あいっ!」
妙な声を漏らし、秋月は後ろへ逸れる。 そこまで強くしたつもりはなかったが、不意の攻撃に驚いたという面が大きいのかもしれない。 いやいや、とにかくその反応は分かりやすくて良いな、隙あらばデコピンをかましたくなってくる。
「い、いきなり何をするのですか! わたくしでも、暴力を振るわれれば怒りますよ!」
「暴力じゃないよ、あれは現代流の愛情表現なんだ」
「目を泳がせながら言われても説得力はありません。 柊様は、いじわるです」
涙目になるなよ。 俺はとりあえず「悪い悪い」と適当に謝り、その件をなかったことにした。 とは言っても、馬鹿なレイラとは違い、ひと言謝ったくらいでは、適当に謝ったくらいでは済まず、結局その後の流れに流され、俺は秋月に好きな食べ物を一つ買うという約束を取り付けられるのだった。
「お前、本当にそんなので良かったのかよ。 もっとマシなのもあっただろ」
「いえ、これが良いのです」
結局俺が買ったのは、おにぎりでもサンドイッチでもお菓子でもなく、おもちゃのネックレスだった。 値段的には百円ちょっとで、秋月の食べっぷりを考えると、食べ物以外ではあるが大分安価に済んだと言って良い。 まぁカップラーメンの買い貯め分も買ったので、帰ったら秋月にはこれを食べさせるとして。
秋月は余程興味を惹かれる物が多かったのか、コンビニに入ったばかりのときはまるで別世界にでも来たかのような顔色をしていたんだ。 で、やがてこのネックレスの前で足を止め、俺に「これが良いです」と言ってきた。 最初も今と同じことを言ったんだけど、返ってきた答えはやはり「これが良い」というものだった。
「おもちゃだぞ、それ」
「はい。 ですが、綺麗です」
秋月はそのおもちゃのネックレスを首にかけ、手の平の上で月の明かりに当てる。 キラキラと光っているようにも見え、確かにプラスチックのわりには綺麗な部類かもしれない。 もしかしたら、お洒落という言葉と無縁に見える秋月からしたら、初めてのお洒落だったのかもしれない。
「そういうのも好きなんだな、秋月は。 てっきり髪飾りとか、そういう和風な物の方が好きかと思ってた」
それは最早偏見とも言えるレベルだが、そう思ったのだから仕方あるまい。 こいつに一番似合っているのはきっと着物だし、だから和風なアクセサリーのほうが余程似合うだろう、好きだろうという偏見だ。
「自分を飾れる物は好きです。 稀に、お店に裕福な家の娘様などが来ることもありました。 皆、綺麗に飾っておられて、わたくしは憧れを抱いておりました。 そういうことを一切、できなかったので。 忙しいのもありましたが……」
言いながらも、秋月は嬉しそうにネックレスを眺めている。 そんな百円程度でそれほど喜ばれると、俺としたら罪悪感が湧いてくるのだが……。 なんかあれ、騙しているような気分である。 それ、本当に安物だからね? この際、もっと高い物の方が良かったとか言われた方が楽かもしれないな。
「要するにあんまお洒落とかしたことがねーってことか」
「はい、その通りです」
秋月は恥ずかしそうに笑う。 うーむ、そうなれば、いっそのこと秋月にはもう少し今を楽しんで欲しいものだな。 伊助さんと会う前に、着飾りをしても良いかもしれない。 俺からしたらなんか未知の生物と接している感じだが、秋月だって一人の女の子で、たぶんそういうお洒落とかもしたいんだと思う。
よし、そうとなれば。
「おっし、じゃあ秋月、俺の友達に……」
あれ、待て待て俺。 落ち着けよ、考えろ。 俺の友達で女子は二人だ。 知り合いという枠まで広げれば、二人ほど増えるな。 この中でおしゃれに詳しそうな奴は誰だ……?
一人目はもちろん、沙耶。 だがアウトだろう。 今年はなんだか小紋を着ようとしたりそっち方面の気合いも見えているが、今年まで沙耶の口からそんな単語が出てこなかったし。 だから絶対に初心者、よって却下である。
二人目は最強少女レイラさん。 これも駄目だろ……あいつの持っている服は全て大きめサイズのパーカーだけだ。 レイラ曰くそれが正装らしく、動きやすいのとカッコいいの両方を備えているらしい。 ちなみにこれは本当に、心底どうでも良い情報なのだが、レイラはあのパーカーの下には何も着けていない。 この前、ちょっとしたハプニングでそれが判明したのだが、語るほどのことではないから黙秘させてもらう!
そしてここまでが友達で、ここから先は知り合いだ。 まず、三人目。 言わずもがな、変態露出狂の因原さんである。 そもそも俺はあの人が苦手で、できれば会いたくないし、それに変態露出狂という言葉が当てはまる時点で駄目だろう。 秋月の清楚なイメージが崩れかねないし、絶対に会わせてはいけない人物である。
最後。 ファンタズマの一員であるレミだ。 あいつのことは詳しく知らないが、一回会った時点でロリータ服を着ていたから、明らかに秋月の目指すおしゃれとは別方向のベクトルである。
こう考えてみると、俺の周りには実にまともな人間がいない。 だからこそ、突如として現れた秋月葵、この善行、善人、この世の善という言葉が当てはまるほどに綺麗な奴が美しく見えるんだろうなぁ。 まだ一日も経っていないが随分と仲良くなれたし、段々後光が差しているようにも見えるよ、俺。 唯一の欠点は大食いということだけだ。 食べる姿は幸せそのものだが、目の前で大量の食物が消えていくのは恐怖としか言いようがない。
そして柏は却下。 俺はあいつのことが嫌いだ。
……とにかく。 俺にはとてもじゃないが、紹介できる友達がいなかった。
「悪い、俺そんな人望ある人間じゃなかった」
「だ、大丈夫ですよ柊様っ! 赤の他人であるわたくしなんかのために、ここまでして頂けただけでも充分、感謝染み入ることでございます! わたくしは、何一つ不満などありません。 むしろ、このご恩をどうお返ししようかということしか頭にありません。 柊様、わたくしにお手伝いできることがもしございましたら、なんなりと申し付けてください」
「……お前って本当に出来た人間だよな。 けど秋月、俺の何かを手伝ってもらうのは、お前の一件が終わってからだよ。 ひとつひとつ、目の前にあることからやってくべきだからな」
「それも、そうですね。 ですが、次の土曜日には」
秋月は言いながら、ネックレスの赤い宝石を握り締める。 長い長い待ち合わせも、残るところあと一週間というわけだ。
それから一週間が経った。 俺と秋月は、またしても物探しの段階へと戻っていたのだ。 結論から言うと、秋月の着物ではそれを成し遂げることができなかった。 どうやら、その着物では想いは足らず、他のもっと強い想いが込められた物を探さなければならないらしい。
着物で大丈夫だろうと高をくくっていた結果がこれであり、俺と秋月は焦りながらも慎重に、その物を探すことにした。 とは言っても、秋月の方がメインで俺は保険。 当然の話だが、秋月の宝物など俺に分かるわけもなく、言わば俺がしているのは万が一の場合、別の方法を試すためにそれを探るというものだ。
で、今日は秋月と出会ってから久し振りの単独行動である。 なんだか少し物寂しいが、意思疎通で繋がりはあるから大丈夫か。
「さて、と」
俺がするのは、何かしらのヒントがないかと言うもの。 幸いにも、昔の資料なんかは神城さんの趣味である新聞集めで殆どある。 何しろ五十年前の出来事で、小さな村で起きた殺人事件だ。 あまり大きく乗ってる見込みもなし、これは慎重に探さなければなるまい。
神城さんは丁寧にも原本とコピーを用意しており、今回俺が貸してもらったのはコピーの方だ。 今年は二千十六年、五十年前は千九百六十六年、多少の前後はあれ、膨大な量の新聞を捲る作業も既に四日目の朝である。 今日は伊助さんが神社を訪れる日であるが……間に合わなかったとしても、また来週の土曜日に賭けるしかないな。 チャンスがまだある分、焦らず慎重に見ていかないと。
だが、既に丁度五十年前の記事は通り越してしまった。 十年前後は誤差があるかもしれないと思っていたんだけど……もしかしたら、新聞には出ていない可能性もあるよな。 秋月が殺されたこと自体、その事件についての経緯は聞いていないし、未だに未解決って可能性もそういえばあるんだよな。 更に言えば、それ以前の話の可能性もある。 事件自体が発覚していないという可能性だ。
「やっぱ駄目か。 そのこと自体じゃなくても、なーんかヒントあれば良いんだけどな……」
繋がれるヒントだ。 ひとつの出来事は、必ず多数の糸を出す。 その内の一本でも見つけることができれば、一気に判明するかもしれない。
事件自体は全く情報なし。 なら、それに関わっていた人はどうだ? 秋月という名か、鬼道という名だ。 それがどこかにあれば。
「お? 代々続く大地主、現当主、鬼道伊助……あった、あった!!」
その本人の名前を見つけた。 ここが糸の端っこだ、ここから辿り、答えを必ず見つけ出してやる。 細かい作業は嫌いじゃないし、もしかしたらなんの役にも立たない情報かもしれないが。 それでも今の状況ならば、何かひとつでも分かれば大きな進歩だ。
そう思い、その記事を読み進めていく。 だが、妙なことが起きた。
「待てよ……鬼道伊助、その歴史。 大地主、鬼道雅朗氏の長男にて現当主……? そんなはずが」
いいや、合っているんだ。 大地主、鬼道家の男、鬼道伊助。 これは、合っているはずだ。 でも、現当主だと? そんなのは絶対にあり得ない。 だって、もしもこれが本当だとしたら。
鬼道伊助は、今も神社に来ているではないか。 五十年、五十年もだ。 ずっと、来ていると秋月は言っていたではないか。 何年も、何年も何年も何年も! なのに、こんなのは。
俺が眺めていた新聞は、千九百四十三年のものだった。 昭和十八年、本来ならばない名前、伊助さんが生まれる前の時代の記事に、名前がある。 あってはならない名前が、そこにはある。 同姓同名、というのは考えづらい。 伊助さんの父親の名前も一致していることから、そうなんだと思う。
こんなのは、駄目じゃないか。 秋月は、ようやく会おうと決心したというのに。 あんなに嬉しそうに、悲しそうに、幸せそうに、申し訳なさそうに、伊助さんとの思い出を語っていたというのにだ。 これは、あんまりではないか。
鬼道伊助、享年四十七歳。 そう書かれていたその新聞は、千九百四十三年のもの。 今から七十三年前、それほど前に、鬼道伊助はこの世を去っていたのだ。
「……秋月ッ!!」
俺はすぐさま身支度を済ませ、秋月が居るであろう神社へ向かう。 あいつは、確か自分が一度登った山をもう一度登ってみると言っていた。 今ならまだ間に合う、秋月を見つけ、俺は言わなければ。
……言う? 何を伝えるんだ? 伊助さんはもう死んでいるから意味がないって、伝えるのか?
そんなこと、言えるのか? 俺に言えるか? 無理だ、とてもそんな残酷なことは言えない。 ならどうする? 考えろ、秋月の悲しみ、不幸が最小限に収まる方法を。 神社に訪れている人物が誰かは知らないが、あそこまで歳を取っているんだ、秋月が勘違いしても無理はない。 だったら問題は、秋月をどう騙すかだ。
あいつの性格を考えろ。 どう言えばあいつは引いてくれるか、諦めてくれるか。 傷つかずに済むか。
……一つだけある。 秋月が傷付かず、平和に終わるかは定かではないが、一番マシな形で今回の件が終わる方法が。
俺も、考えが浅はかだった。 これはそんな簡単に首を突っ込んで良い問題ではなかったんだ。 俺の予想していたよりも根深く、そして深刻だ。
気付こうと思えば、気付けたことだ。 秋月の妙に古い雰囲気、言葉遣い、世間知らずな部分、それらだけでとっても、充分に不自然だったではないか。 秋月は恐らく、伊助さんを基準で考えていたのだろう。 秋月にはそれしかなく、それだけが頼りだった。 だから、伊助さんが来なくなってから今現在来ている人が土曜日の午後十二時に来るまでの間、秋月の時間は停止したんだ。 それは数日だったかもしれないし、数年だったかもしれない。 とにかくその空白が、秋月の時間感覚を五十年まで塗り替えた。 だからあいつは……。
五十年なんて時間ではない。 時の流れはもっと残酷で、現実的だ。
――――――――秋月はもう、百年近くもあの神社で過ごしているのだ。




