第九話
静かな夜、冷えきった空気の中、俺は昼間に上った階段を再度上る。 山からの空気が辺り一帯の温度を更に下げており、吐く息は白く宙へと消えていく。 そんな寒さの中、必死に足を動かし階段を登り切ると、巨大な鳥居が目に入ってきた。
夜に訪れる神社はどこか不気味で、どこか神秘的だ。 月の灯りが丁度差し込んでおり、鳥居と本殿が照らし出されている。 幽霊でも出そうな雰囲気と、本当に神様が住んでいそうな雰囲気、それを併せ持っており、独特な場所に感じられた。
俺はそのまま視線を上へと向ける。 すると、鳥居の中央に座り込む秋月の姿が見えた。 秋月は鳥居の上で座禅を組んでおり、その体には何匹かの小鳥が止まっている。 スズメほどの大きさだが……スズメって冬に居るものだっけか、それもこんな山の中に。 鳥には詳しくないが、きっとスズメ以外の何かだろう。
「……」
目を瞑り、秋月は微動だにしない。 それはどれくらい前から続いていたのか、鳥が止まっていられるほどに、体は一切動いていなかった。
「……柊様? 失礼しました、気付きませんでした」
「いや、今来たところだよ。 寝てたのか?」
やがて秋月は俺に気付き、目を開ける。 すると体に止まっていた小鳥はどこかへ飛び立ち、秋月はそれを目で見送った。 次に鳥居から飛び降り、俺の前へと着地する。 意外にも運動神経は悪くないのか、霊界師のおかげだろうか。
「いえ、今日のことを思い返しておりました。 今日は、生きていた中で一番、様々なことを経験できた日だったので」
「大袈裟な奴だな。 あれだけでそんな驚いていたらこの先大変だぞ」
「この先? ええと、一体それはどういう意味でしょう?」
秋月は両手を着物の袖へと入れながら、俺へ尋ねる。 不思議そうな表情で、その質問で俺もなんだか不思議な感覚になった。 というか、どういう意味だと言われてもそのままの意味なんだけど。
「どういうって、今回の件が片付いても俺とお前は友達だろ? それともこれが終わったらもう一切関わり合わない方が良いのか?」
秋月はしばし呆然としていた。 数十秒ほどそうした後、下を向いて微笑む。 やがて、ぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「……ああ、本当に。 本当に、わたくしは人間が大好きです。 柊様を見ていると、そう強く思います。 人として未熟で、霊界師としても未熟なわたくしにそう言ってくださるのは、とてもとても嬉しいです。 柊様、わたくしは柊様のような人がいるから、人が大好きです」
「いきなりなんだよ……てか、お前もそんな人間の一人だろうが。 なんというか……一片氷心だよな、お前は」
「ふふ、そんな大層なものではありませんよ。 柊様、わたくしは最後、そんな人の手によって殺されました。 ですがそれでも、わたくしは恨もうとも憎もうとも思いません。 確かに辛いものでしたけど……わたくしは今、幸せです」
そう言い、秋月は顔を上げる。 とても晴れ晴れとしたもので、一点の曇りもない笑顔だった。 俺は今まで、生きてきた中で、これほど綺麗な表情をする人間を見たことがない。 それほどまでに美しく、清々しい姿は、一切の汚れを感じない。
「そりゃ、良かった」
俺は思わず顔を逸らし、秋月の横を通り抜ける。 そして、昼間座っていた縁側に腰を落とし、空を見た。 冬の月は強く明かりを放っており、今日の夜は影ができるほどに明るい。 夜の神社というのも、案外趣があるものだな。
「それで、方法なんだけど」
「実は、心待ちにしておりました」
笑顔で秋月は俺の横へ腰掛ける。 その腰掛けた位置が随分と近く、俺は気付かれない程度に体をずらし、その方法を話し始めた。
「秋月が生前、強い想いを向けていた物だ。 それを探して、この神社へと持ってくる。 そうすれば、秋月の体を一時的に生前の状態へ戻せる可能性があるらしい。 どうやってってのはまだ分からないけど……」
「おお……おお! そんな方法が、そういうこともできるのですね! 何か、代償などは?」
秋月は俺の顔を真っ直ぐに見て言う。 代償、デメリット、それをすることで起こり得る悪いこと。
「ないよ。 それを見つけて、それを使って何かするんだろうけど、代償は何もいらない」
俺は、嘘を吐いた。 秋月が使えば、俺以外の霊界師と関わりを持っていない以上、ほぼ間違いなく俺に何かが起きる。 神城さん曰く、大なり小なりの何かが。 だが、それを言ってしまえば秋月は絶対にこの方法を使おうとはしない。 自分のために他人が傷付くなど、秋月は絶対に良しとしない。 だからこれはバレなければ良い問題だ。 俺はそう、認識した。 どういう症状、事象が起きるのかは分からないが、それが成功したのを見届けたら、しばらくの間は会うのを避ければ良い。 それで俺が仮に死んだとしても、死んだことがバレなければ良い。 知らない方が幸せなことだって、この世の中には確実に存在するのだ。
「凄いですね……まさか、こんなにも早く方法が見つかるとは。 それで、その強い想いを向けている物ですが……早速、心当たりが」
「本当か!?」
話がとんとん拍子で進んでいく。 俺は思わず大きな声で言い、秋月の方へ少し体を近づける。 実に良い感じだ、やはり神城さんに相談したのは正解だったかもしれない。
「はい、本当です。 わたくしが強い想いを向けていた物……この紬です。 生前からとても大切にしていた物です」
「ああ、確かにそう言ってたな。 なら……あれ、でも、お前はそれを着てここに居るのに、何も起きないぞ」
「……もしや、捧げなければ駄目なのでしょうか?」
そんなことをする必要があるのか定かではないが……頭ごなしに否定はできないな。 物は試しとも言うし、物を見つけても方法が分かっていない現状、全部を全部試す必要があるってことだ。
「可能性はあるな。 やってみよ……待て待て待て待てッ!! ここで脱ぐな! こんな場所で脱ぎ始めるなッ!!」
勢いで着物を脱ぎ始めた秋月を俺は必死に制止する。 すると、秋月も自分が何をしようとしていたのか、ようやく気付いたようだ。 案外抜けてるんだな、こいつは。
「そ、そそそうですね。 ひ、柊様も居ますし……ついつい、善は急げの状態となっておりました」
「まったく……お前、この神社に住んでるんだよな?」
危ないところだった。 危うく、夜中の神社で着物姿の美女と二人っきりで、着物姿の美女の服を脱がせているという事実が生まれるところだった。 危ねえ危ねえ……。 というか行動に移すの早すぎる。
「はい。 この場所でずっと暮らしております」
秋月は着物の乱れを直しながら俺の横へと再度腰掛ける。 またしてもすぐ真横だ、どうしてそんな近くに座る? 人と人との適切な距離感がまったくない……というより、人懐っこいって感じか? もう少し警戒はして欲しいものだが。
「なら、違う服とかあるだろ? それにとりあえず着替えて、今着ている着物を」
「申し訳ありません、服もこの着物しかなく……この一着のみなのです」
「……え、じゃあ五十年間ずっとその格好ってこと?」
「はい、その通りで……柊様? あの、柊様? どうして距離を取るのですかっ! わたくしは不潔ではありません! 霊界師となればこの世の汚れとは無縁ではありませんかっ!!」
「いやでも、気持ち的なものもあるし……お前それなら、風呂にも入ってないのか?」
「……」
俺が若干引き気味に言うと、秋月は身を震わせながら俺のことを見る。 その仕草は恐らく、怒りだ。 初めて見たぞ、秋月が怒っているところ。 しかし……確かに秋月の言う通り、この世の汚れとは無縁なのだが……なぁ?
「……分かったよ。 なら、とりあえず俺の家に来るか。 で、適当に服を貸すからそれで試してみよう。 お前が良いならだけど」
「柊様のご自宅、ですか。 それは、わたくしとても興味があります」
そうですか。 俺は別に興味を持って欲しくて言ったわけではないのだが……ま良いか。 先ほどまで見られた僅かな怒りも消え去っているようだし、こんな真冬に肌寒い社の中で寝ているという事実を知ってしまった手前、放っておけないのもまた事実だ。 どんな理由であれ、秋月がその気になってくれたなら大いに結構である。
……唯一心配なのは、今日の晩ご飯のことだけかな。




