第三話
「それにしても、お美しいお名前ですね。 ひいらぎ、柊心矢……ええ、とても響きが良いです。 柊、心矢」
「あの、秋月さん? 名前連呼されると恥ずかしいから、やめてくれるととても助かるんだけど……」
俺と秋月は、神社へとやって来ていた。 こんなところに神社があるというのは知らなかったが……特段俺が地理知らずというわけではなく、かなり酷く荒れ、寂れたそこは、元旦だというのに初詣に訪れる人はいない。 それもあり、恐らくここに神社があるというのは認知されていないのだと思われる。 そして、更に神社と認識されているのかどうかすら危ういほどの場所で、かろうじで本殿とその縁側が生きているほどのものだった。 そして今現在、そこにある縁側へ秋月は座り、俺も横へと腰をかけているところだ。
「失礼しました。 ふふ、こうして人と話したのは随分と久し振りなもので、申し訳ありません。 それで柊様、先ほどの続きを伺っても宜しいでしょうか?」
秋月がどうしてそこまで人のことが気になるのかは分からないが、別に話したところで何がどうなるというわけでもないか。 なら、俺だって喋るのが億劫というわけでもないし、語らせてもらおう。
細部は省く。 俺がそのときどう思ったとか、さすがに恥ずかしいしプライベートすぎるしな。 大まかな流れだけを話、あの老人に付いていった理由も話す。 とは言っても、秋月が気にするほどの理由でもないが。
「なるほど、そういうことだったのですね。 ですが、柊様。 あまりそういうことは……その、言い辛いのですが、良いことだとは……」
「分かってる分かってるって……秋月、頼むからこれ以上俺の性格の汚さを出さないでくれ……」
この秋月という霊界師、俺を責める気はまったくない様子だ。 それどころか、窘めるような感じで言われるものだから、余計に心苦しくなってくる。 俺と同じか少し上くらいの年齢だと思うのに、随分人間の差が出ているな……ああ悲しい。 しかしこの僅かな年齢差でここまで差が出るということは、俺の性格がこれから良くなるということはないのだろう。
「そんなことは! 柊様、よいですか? 人は誰しも、心に汚れを持っているものでございます。 かく言うわたくしも……そうですね……一度、母親が作っていたおはぎを……そのですね、お恥ずかしいお話なのですが、お客様用のそれをつまんだことがございまして。 手酷く叱られたのですよ」
気恥ずかしそうに、昔を懐かしむように秋月は言う。 どうやら俺が落ち込んでいるのを察してフォローをしている様子だが、余計に抉られている気しかしない。 こいつはどれだけ性格が良いんだ……秋月の持つ汚れが小さすぎて、ほぼ見えない。
「柊様が気にすることではございません。 それに柊様、その答えはちゃんと得られますよ。 柊様が気になり、付いていったことの答えが」
「……どういう意味だ? それ」
俺が尋ねると、秋月は小さく、ほんの少しだけ優しい顔付きへとなった。 そしてそのまま、視線を階段へと向ける。 神社へ行くための長い長い階段、俺と秋月も先ほどあそこを登ってきて、この霊界師という状態ではなく生身だったらさぞ疲れそうな、そんな階段だった。
「あ」
俺は思わず声をあげる。 先ほど、俺が付けていた老人だ。 七十……くらいの老体で、あの長い階段を登り切ったのか? すごい体力だな。
なんて呑気なことを思っている俺に、秋月が口を開く。
「五十年です」
「え? 五十年?」
それはなんの年だ? そう思い、俺は横を向いて尋ねた。 更に続きを促そうかと思いもしたが、秋月の横顔を見て、俺は何も言うことができなかった。
ただただその老人を見つめ、悲しんでいる。 泣きそうな顔をし、その横顔には悲壮感しかない。 さっきまでよく笑う奴だと思っていたのに、そんな気配を微塵も感じさせないほどに、違う人物に思えたんだ。
「あの方は、もう五十年もここに通っているのです。 なんら変わりなく、土曜のお昼、必ずここへと来るのです。 その理由も消えて、意味も消えて、何もそこにはなく、誰もそこで待っていることはないというのに、ずっとあの方は通っているのです。 待ち人は絶対に、二度と現れないというのに」
「おい、秋月? それって……」
あまり、良い話とは思えなかった。 そして段々と、小さな違和感が繋がった。
秋月の妙に古風な着物と、丁寧な喋り方。 しっかりとした躾を受けてきたような、仕草。 それは恐らく、お嬢様だからなんかではない。 一人の人間として、一人の女性として、しっかりと生きてきた証だ。 昔々の日本、それを感じさせる女性だ。
だから、秋月が言った五十年というのは。
「わたくしが死んでから五十年。 あの方は、未だにわたくしに捕らわれたままなのです。 柊様、騙すようで、同情を買うようで、本当に、本当に申し訳ありません。 少しでも気分が向かなければお断りして頂いて構いません」
秋月は言う。 俺の服の袖を掴み、その頼みごとを。 霊界師となり、延々と……五十年思い悩んだその願いを。 偶然出会った俺に全てを話し、全てを託し。 出会って一時間ほどの俺が言うのも変ではあるが、秋月の性格からしたら、このやり方はとても嫌なものだったのだろう。 騙しているようで、気分が悪かったのだろう。 だから言ったんだ、断っても構わないと。 何よりも先に、真っ先に謝罪の言葉が出たのだろう。
「柊様、どうかお願い致します。 あの方を……伊助様をここに来ないよう、協力して欲しいのです」
秋月は俺に訴える。 切実に、果たしたいと思う願いを。 もしも仮に、俺が秋月の立場だったとして、見ず知らずの奴にこんな頼みができるだろうか? ……確実にできないな。 だとしたら、裏が何かしらある可能性もある。 無闇に受けるのは、やめておいた方が良いか。 俺は一度、そう思う。
「どうして俺なんだ。 他に頼める奴がいないわけはないだろ? この辺りだったら、ファンタズマの連中とか」
「お言葉ですが、柊様。 わたくしは身の上話を無闇矢鱈に語る趣味はございません。 柊様のことを見て、ご相談しているのです。 どうしてか、と問われれば、他でもない柊様が伊助様をご心配してくださったから、ということに他なりません」
「……悪い、無神経だったな。 けど、さっきも話したように、俺はただ興味があって付いていっただけだぞ。 あんなところに老人が一人でってのは、奇妙に見えたから」
「それこそが、わたくしは柊様の心だと思っております。 もしも仮に、人ならざる者の仕業だった場合、柊様はきっと伊助様を救ってくれたことでしょう。 これはわたくしの思い込みで、もしかしたらとんだ見当違いのお話かもしれません。 ですが、わたくしは柊様だからお話をしたのです。 それだけは、どうか信じて頂きたいです」
秋月は言い、深く頭を下げる。 俺はその言葉を受け、目を瞑った。 秋月の言葉のひとつひとつは重く、到底俺の言葉の軽さとは比べ物にならないほどだ。 比べるのもおこがましいほどで、秋月はしっかりとした意思を持っている。 その意思を持ち、俺を頼ってくれたのだ。
……自分のことならどうでも良かったんだけどな。 ここまで言われて無碍にすることができない人間だった自分を恨もう。 悪い奴は、誰もいない。
「分かった、秋月。 その頼み、どこまで手伝えるかは分からないが協力するよ。 けど、ひとつ約束してくれ」
「本当ですか!? 柊様、柊様……ありがとうございます、ありがとうございますっ!! わたくしにできることでしたら、何でも致します!!」
「そういうのはあまり言わない方が良いと思うぞ……で、俺の約束だけど、絶対に後悔しないって約束してくれ。 方法を探すところからだけど、秋月と伊助さん、二人が後悔しない方法じゃないと俺は手伝えない。 良いか?」
「もちろんでございます! ああ、なんとお礼を言ったら良いか……何か、何かお礼を……柊様、おはぎはお好きですか? わたくし、おはぎでしたら作れますので……」
あたふたと手を忙しなく動かし、秋月は言う。 よっぽど嬉しかったのか、お礼がおはぎというのはなんとも言えない気持ちになりそうだな……というか、お礼と考えて真っ先におはぎに直結した様子だったが、こんなんでよく「なんでもする」とか言えたな……。
「いいよ別に。 お礼が欲しいわけじゃないし、このまま無視して帰るとか後味が悪すぎるだけだ。 後悔しないやり方ってのも、一件落着かと思った矢先、逆に俺が恨まれたら嫌なだけだし」
言いながら、明後日の方向に視線を向ける。 しかしそれは秋月からしたら面白かったのか、笑い声と共に、少々楽しげな声が聞こえてきた。
「ふふ、柊様は素直な御方なのですね。 わたくし、素直な御方はお好きです」
「……だから。 だから、そういうのはあまり言わない方が良い」
どうにもこうにも、素直に感情表現をされると対処に困ってしまう。 その点、沙耶は何を考えているのか分からない部分もあるから楽なんだけど……秋月は、どうにも距離が近いのか、どう接したら良いのか分からないな。
「では、早速……さくせんかいぎ、とやらをしましょう。 使い方、合っていますよね?」
「たぶん。 てか、その前に秋月のこととか、伊助さんのこととか聞きたいな。 嫌なら話さなくても良いけど、なんかヒントがあるかもしれないし」
俺の言葉に、秋月は迷うことなく首を縦に振る。 そして、その昔話が始まった。




