第二話
その結果がこれ。 凍えるような寒さの中、俺は沙耶のことを待ち続けている。 言い方を変えればこんな感じか?
一月の一日、俺は彼女を待っていた。 必ず現れるであろう、彼女のことを。 だが彼女が本当に現れる保証なんてものはどこにもなく、かと言って諦めて帰ることはできず、俺はただ待ち続けることしかできなかった。 一時間、二時間、日付が変わるまで。 俺は彼女を待ち続ける。
実にアホらしい。 既に予定時刻よりも十分回っているから帰ろうかな。 なんで俺が寒さに打ちひしがれながらあいつを待たねばならんのだ。 一刻も早く家に帰ってコタツで丸くなりたい。 てか、思えば中学三年生の元旦も同じことを思っていたな。 あのときも一緒で、俺が沙耶のことを待ち続けていたんだっけか。
……語らないぞ? そんな昔話なんてどうでも良いしな。 問題は俺が失敗を繰り返しているという話であって、俺と沙耶の昔話ではないのだ。 思い出話は心の中に秘めておくことで、良き思い出となる。 微塵も思っていないけど、そう考えた方が綺麗だしそれで良い。
「寒い寒い寒い……帰るか」
十五分が経過した。 残念ながらタイムリミットである。 よく恋愛物の映画やドラマなんかでは三十分、一時間、二時間、果てはそれ以上待ち続ける場面なんてものがあるが、実際にあれをやるとどうなるか教えてやろう。 前提条件としては冬だ。 夏よりも冬、マフラーを巻き、手袋をはめ、雨や雪なんかが降っていれば条件は整う。 そういう場面設定が圧倒的に多いしな、それでいこう。
その状態で待つとどうなるか。 答えは風邪をひく。 ソースは俺である。 あの忌々しい中学三年の元旦を俺は一生忘れない。
そんなとき、携帯電話が鳴った。 イコール沙耶だ、俺は画面を確認せず、通話を押す。 そのまま耳に当てると、やはり沙耶の声が聞こえてきた。
『……大変申し訳ない。 諸事情により、今日はなしだ』
「おいお前怒るぞ……なんだったんだよこれ」
新年一発目の不幸を被ったな。 今年も沙耶に振り回される予感がひしひしと伝わってくる。 恒例行事とまではいかないが、慣れてきている俺が嫌だ……。
『本当に申し訳ない、実は……』
「そんなに大事かねぇ、服って」
どうやら沙耶が言うには頼んでおいた小紋が届かなかった、とのこと。 俺は小紋とは何かを聞くところから始めたのだが、まぁ振袖の落ち着いたバージョン的な解釈でそれは終わった。 だが、沙耶としてはどうしてもそれが良いらしく、この為に買ったとも言っていて、更にしきりに謝りはしていたので俺も快く許したわけだが。
うーむ、どうしても服がそんな大事だとは思えない。 というか、そこまで気合いを入れていたのなら、逆に今日は流れて良かったのか……? 思い、俺は商店街の店舗の前で足を止め、ガラスに映った俺の姿を確認する。 うん、思いっきり高校のジャージだ。 ヤバイやつだったかもしれない、あぶねぇ。 服とか全然分からないからな、誰かに教えて欲しいものだよ。
さて、一気に暇になってしまった俺である。 いざこうして予定をキャンセルされてしまうと、何をすれば良いのか分からなくなってしまう。 予定が入っていない状態ならば家でぐだぐだしていただろうが、一旦外に出た以上どうにも家に帰るのも気が引ける。 さっきまでは家に帰ろうばかり考えていたものの、調子が狂ってしまうな。
そんなわけで商店街を取り敢えず歩いていた俺だが、見事に人がいない。 まぁそれもそのはずで、初詣に向かうとしたらここを通っても神社なんてものはない。 元旦というだけあり、商店街は全ての店が休業だ。 人気が皆無な街中というレアな状況を堪能している俺である。
「ん」
だが、視界に人が映った。 少々残念に思いつつも、俺は妙だなと思う。 年齢としてはかなり年老いた感じの男性で、ふらふらとこんな場所を歩いている。 この辺りには何もないはずだが……一体何をしているんだ? 気配的には普通の人間、表側の人か。
……別に俺にはストーカー気質があるとかじゃないからな? ただ、暇ができてしまったのだから仕方なく、だ。 そう自分に言い聞かせ、俺はその年寄りの男性の後を付けることにした。 仮に、これが境界者の仕業というのもなきにしもあらずだしな。
しばらくその男は歩き、やがて商店街を抜ける。 住宅街に入ったかと思えば、段々と景色は自然が多い場所へとなってきた。
「ボケてるのかな」
そんな失礼なことを真横で言う。 霊界師という存在のおかげだな、こうした尾行がバレないのも、ちょっとの悪口が聞こえないのも。
「聞こえないから悪口というのは、趣味が良いとは言えません」
「うわっ!?」
真後ろから聞こえた声に、思わず俺は変な声を出しながらその場に倒れる。 尻餅をつきながら声の主を見上げると、そこには女が立っていた。 女性にしては短めな、うなじを隠す程度の黒髪で、その表情は俺を見て微笑んでいるようにも見える。 小さな笑い、と表現するのが良いか。
「駄目ですよ、そういうことをしては。 口というのは災いを招きますし、口に出せば言い逃れはできません。 今もこうして、わたくしに聞かれておりますし」
「あ、あはは……すいません、ついうっかり」
手を差し伸ばし、その女性は言う。 俺は誤魔化すように笑いながらその手を握り、その場に立った。 改めて見ると、可愛らしいというよりかは綺麗な人、という印象の、俺より少し年上に見える若い女性だ。 着物を着ており、表情は落ち着いた声色とは逆に豊かだ。 なんだか昭和かそれよりも前の時代からやって来た人、そんな印象を俺は最初に受けた。 そして俺が見える、俺に触れられるということは。
「初めまして、わたくしは秋月葵と申します。 突然お声掛けして申し訳ありません」
小さく頭を下げる様子は、とても気品のある仕草だった。 俺はその空気に飲まれてしまい、咄嗟に頭を下げる。 なんだかとても悪いことをしている気分になったんだ。
……ま、悪口を言った時点で悪いことは間違いなくしてるけどな。
「失礼ですが、あなたは男性でしょうか?」
「え? あ、まぁ、はい」
逆を聞かれることは多々あること。 しかし、最初に男か? と聞かれるのはあまりないことだ。 だから俺は少し驚きつつも、そう返す。
「やはり、そうでしたか。 あのですね、手がごつごつしていましたので、そう思ったんです。 お顔立ちが綺麗なんですね。 清らかな雰囲気も感じます」
「……そういきなり褒められると、なんて返せば良いか分からないな」
咄嗟に顔を背け、俺は言う。 女顔だと馬鹿にしたように言われることはあったが、こう素直に褒められたことは滅多にない。 だから少し、照れ臭かった。
「すみません、そう思ったものでして。 それで、ひとつお尋ねしても宜しいですか?」
笑う口元を右手で隠しながら、秋月と名乗った女性の霊界師は続ける。 所々、仕草が様になっており、印象としてはお嬢様……というのが近いかもしれない。 だけど、どうにも現代人という感じがしないな。
「えーっと、あんま答えられる自信はないけど」
道を尋ねられても、霊界師関係のことを尋ねられても、俺には全然答えられるものではない。 だがそこで否定しても話は進まないので、乗り気ではなかったものの、俺は続きを促す。
すると、秋月はまさに俺が答えられるであろう質問をしたのだ。
「何故、あの方の後を付けていたのでしょう? わたくしはそれが少々気になっております」
「あーっと……それは、話せば長くなるんだけど」
「そうでしたか。 では、付いてきてください。 あなたは悪い人には見えませんし、ゆっくりお話ができる場所でお話を聞かせて頂きたいです。 迷惑でなければ、ですが。 それと、あなたにお時間があれば」
……普段だったら断っていそうなところだけど、今日に限っては何も予定がない。 別に今日に限らずともいつも暇で暇で仕方がない俺だが、そういうことにしておこう。
「分かった。 けど、その前に自己紹介がまだだったよ。 俺は柊心矢、よろしく。 一文字の方の柊な」
「ヒイラギ、シンヤ様ですか。 ヒイラギという字は、木葉の木に冬虫夏草の冬で宜しいですか?」
珍しい例え方をするんだな。 というよりかは、回りくどい……か? いずれにせよ、柊という字は一文字ならばひとつしかあるまい。
「ああ、それで良い。 心矢はココロに弓矢のヤで心矢だよ」
「ふふ、そちらは大体予想が付いておりました。 ご両親は、とても良い名を付けてくださったのですね。 では行きましょうか、柊様」
「……様付けされると、なんかゾワゾワするな」
また思わず言ってしまった。 が、今回は悪口ではないから良しとしよう。
ともあれ、これが俺と秋月葵の出会いだった。 良くも悪くも、話はこうして幕を開ける。 少し辛く、そして少し切ない話は。




