第一話
一番初めに言っておこう。 この話には、血生臭い戦いや殺し合い、そんなものは存在しないと。 ただ言えるのは、一人の心優しき霊界師が辿った道筋の物語ということだ。 そして、そんな奴が迎えた結末の話だ。
人と人が出会うということには、どういう意味があるのだろう? 一人と一人が出会い、一体それは何を意味しているのだろう? 不思議なもので、人間が一生の中で親しくなるのは三百人に登るという。 これを多いと取るか少ないと取るかは当人次第ではあるが、俺から言わせればそれは「多い」というものになる。 しかし違う人からすれば、それは「少ない」というものになるかもしれない。
霊界師となってから、俺は既に結構な人数と関わり合った。 一番お世話になっているであろう神城さんに、俺の師匠ということになっているレイラ。 更にはファンタズマのメンバーや、霊界機関の人間だ。 大小はあるものの、関わり合ったという点は否定できず、その出会いたちが大切かどうかも分からない。 意味がある出会いだった、とも今はまだ言えない。
だから分からない。 人は人と出会い、どうして幸せそうにするのか。 会うということに対して、どうして嬉しくなれるのか。 こんなことを言って、まるで俺が人外みたいな語り方ではあるものの、そう思ってしまうものは仕方がない。
さて、どうしてこんな益体もないことを考えているのかというと、それは俺が大いに暇を持て余しているからである。 冬の寒さも増々激しくなってきた今日この頃、雪がしんしんと降り注ぐ中、俺は商店街にあるシャッターが閉まった店の前で雨宿りならず雪宿りをしている。 慌ただしくなる年末を終え、正月三が日はすっかり静まり返る商店街だ。 さすがに人通りはなく、ここに居るのも俺だけ。 とは言っても、霊界師にしか姿を見られないが。 とにかくここは、人も霊界師も見当たらない寂しい場所となっている。
「あいつ待ち合わせ時間何時だと思ってるんだよ……」
そして、どうして俺がここに居るのかというと、他でもない沙耶との待ち合わせをしているからである。 同じ部屋で一緒に暮らしているのに何故待ち合わせをしているかって? そんなの簡単だ、今現在は暮らしている場所が異なっているからに決まっている。
そうなったのにもまた話があるのだが……一向にあいつが来る気配はないし、少し思い返してみよう。 万が一ということも有り得るしな。 万が一の可能性、俺が待ち合わせ時間を間違えていることも考えて。
遡ること二週間前。 アレイスとの一件が片付き、俺は平穏な日々を過ごしていた……はずだった。
「ん……んぅ」
可愛らしい声と共に、俺の頭が蹴り飛ばされる。 目が一気に覚め、俺は今しがた頭を蹴り飛ばしてきた張本人を睨みつけた。
深夜三時過ぎ、今日はこの時間かぁ! 早起きするには早過ぎるなぁ! それよりそろそろその過激な起こし方やめて欲しいなぁ! なんてことを思いつつ、沙耶の姿を確認する。 気持ち良さそうに寝ている沙耶は、寝間着が少々乱れており、あまり直視できる姿ではない。 それよりも問題は、この俺の頭に対する攻撃である。 今に始まったことではない、これはもう随分長く続いていることだ。
ずばり言ってしまうと、異常なまでの沙耶の寝相の悪さである。 俺と沙耶は一応男女ということもあり、寝る場所はお互い相当な距離を取っている。 具体的に言えば俺が窓側で、沙耶が入口側だ。 この部屋は八畳ほどの広さなので、その隅と隅に寝床を作っていると考えてもらえればいい。 だというのに、こいつは毎晩不定期に俺の頭を蹴り飛ばす。 そして俺が目を覚ますと、こいつは俺の布団で気持ち良さそうに眠っている。 寝ている間にゴロゴロと俺の方まで転がってきて、華麗に頭を蹴り飛ばし俺を布団から追い出し、俺の寝床を奪い取る。 さながら山賊のような女だなおい。
「……ちゃんと布団かけとかないと風邪ひくぞ」
俺が言っても、沙耶から聞こえてくるのは小さな寝息だけだ。 俺はため息を吐きながら沙耶に布団をかぶせ、沙耶の寝相の悪さでも辿り着けないであろう狭いキッチンで寝る。 それが日課となっていた。
が、これはまだ許せる話なんだ。 寝相なんて人それぞれで、仮にも沙耶の家に居候している身として、文句は言えまい。
それよりも問題なのは、どっちかというとこっちだろうな。
「心矢、お風呂上がったぞ」
背後からの声に、俺は振り返る。 すると、下着姿の沙耶がいた。 繰り返そう、下着姿の沙耶がいた。 タオルを肩にかけ、濡れた髪をぽんぽんと叩きながら、少々赤く火照った顔で俺を見下ろす沙耶がいた。
「おま、そんな姿で出てくるんじゃねえよ!!」
俺は慌てて視線を逸らす。 こいつには羞恥心がないのか、それとも俺のことを男として認識していないのか。 どっちでも良いが、これは精神的にとても来る。 新手の嫌がらせか、嫌ではないけど。
「なんだ? ふふ、もしかして恥ずかしがっているのか? 別に良いだろう、昔は一緒にお風呂にも入ったじゃないか」
「ガキの頃と今を一緒にするな。 良いから早くなんか着ろって……」
「まったく……これだから童貞は」
酷い罵倒が飛んできたなおい。 なら俺も言わせてもらうが、お前だって同じじゃねえか。 声に出さないけどな、怒られる未来が予想できる。 これはビビっているわけではない、危機回避という立派な行為だ。
しかしまぁ、言えば着てくれるだけまだマシか。 これもギリギリ許せる。 むしろギリギリ嬉しい。 おっと脳内だからつい本音が。 気を付けよう。
となると、何が本当の問題かという問題だな。 簡単に言ってしまえばアレだ。 俺と沙耶が夜な夜な行うことが、階下で暮らしている神城さんに「うるさい」と言われてしまったのである。 あたかも妙な誤解をされそうな言い方をしたが、実際に行われているのは口喧嘩だ。 俺も沙耶も負けず嫌いなだけはあってか、終わりなき戦いとなってしまうんだ。
で、ついにはこうなった。
「悪いんだけど、二人とも別々で暮らすことはできないかな? ここから十分くらいの距離に、僕が借りている空き家があるから」
こうなってしまえば、分が悪いのは当然俺である。 沙耶の私物は多く、俺の私物はほぼ皆無な状況に加え、沙耶はもう一年ほどこの場所で暮らしているのだから、無理もない。
そんなこんなで、神城さんに迷惑をかけるわけにもいかず……既に多大な迷惑をかけているのは置いといて。 俺は神城さんが言っていた空き家で暮らすことになったのだった。
「しっかし、霊界師の建物ってのも全然変わらないな……」
俺の視界に入ったのはアパートで、指示された部屋へ入ると、以前に住んでいた沙耶の部屋よりも一回りほど小さい部屋が目に写った。 なるほど、ひとつ納得だな。 俺と沙耶でこっちに暮らすという選択肢もなくはなかったが、この大きさだと少々キツイだろうし。
そんなことを考えつつ、俺は部屋の中に荷物を置く。 着替えや備品が少々くらいなもので、それを部屋に置いても以前よりも広く使えそうな気がした。
……失敗したな。 沙耶から本を何冊か借りておくべきだった。
そう思ったそのとき、携帯が鳴り響く。 俺のこの番号を知っているのは自慢ではないが沙耶だけだ。 よって、間違いじゃない限りは沙耶からの連絡だろう。
「うぃ、どした」
『なんだそのやる気のない返事は。 言い忘れていたことがあって、その電話だ。 暇か?』
「言い忘れていたこと? まぁ暇だけど、なんだ?」
というか、基本的に暇だろう。 じゃなければ今日この日に引っ越しをしようだなんて思わないしな。 しかしそこはさすがの沙耶、予想外の内容で話を進めていく。
『よし、ならば二週間後に商店街の北口で、朝の八時に落ち合おう』
「は? え、待って? お前なんの話を……」
切られた。 おいおいマジかよ……日付を聞かずに「今暇?」みたいなノリで電話をかけてきて、いざ暇だと言ったら二週間後の約束を取り付けられたぞ。 地球外生命体とコンタクトを取っている気分だ……。 前向きに考えれば、人類未踏の生物との接触ができたということ。 後ろ向きに考えれば、俺の唯一の親友が地球外生命体だったということになる。 どう考えても後者だろうな。 ちなみに沙耶が地球外生命体ではないという説は俺の脳内会議で却下された。
「二週間後って言ってたっけか……えーっと」
こうなってしまったものは仕方ない。 それに、今日ならば暇と言えるほど多忙な生活をしているわけでもない。 一週間後でも二週間後でも、一ヶ月後でも一年後でも、俺の暇は変わらないだろう。 なんて寂しいことを考えつつ、携帯でカレンダーを開く。 今日は十二月十八日、一週間後はクリスマスだけど……二週間後は元旦だな。 あいつ、元旦から一体なんの用事があるというんだ。 非常に面倒くさい。
しかし、暇と言ってしまった以上は仕方ない。 そう思い、俺はその日の朝八時、商店街の北口で沙耶を待つことにしたのだった。




