第二十二話
「なるほどな……それで、お前がアレイスを倒したというのか」
俺と沙耶は今、トンネルを抜けた少し先にある道路へとやって来ている。 背後には山があり、正面には俺が落ち、死んだ崖だ。 その崖を上から見下ろしながら、二人並んで話をしていた。 俺がここに来るまでの間にあったこと、アレイスとのやり取り、そして戦い。
それを聞いた沙耶は小さく笑うと、景色を眺める。 その横顔はどこか晴れ晴れとしていて、なんだか一件落着という文字がピッタリ収まりそうな、そんな表情だった。
「……無茶をするよな、心矢は」
「お互い様だろ、それは。 一人で挑むなんて無謀なこと」
「ふふ、お互い様だな。 お前も、レイラがいなかったら危なかっただろう」
「……まーな。 あいつには沢山借りができちまった。 あいつは気にしてないだろうけど、返していかないと」
「私も手伝うよ。 借りという話なら、私も出来ているだろうからな。 二人で返していこう」
沙耶はまた笑い、俺にその顔を向ける。 俺はその顔に一瞬視線を奪われ、数秒後には我に返り、慌てて視線を外した。 なんだか、こっ恥ずかしかった。
「お前、なんか前よりも笑うようになったか? 生きていたときよりも」
「そうか? そんなことはないと思うが……」
意識はしていないのか。 俺から見たら、明らかに生前よりも表情が豊かになった気がする。 特に、良く笑っている気がする。 これは気のせいではないと思うんだけど、沙耶には自覚がないのだろうか。
「ん、ああ、いや……そうだな、お前がそう言うのなら、そうなのかもしれない。 そうだとすれば、お前が居るからだろう」
「俺が……? どういう意味だ、それ」
沙耶は少しの思考のあと、そう口を開く。 その言葉の意味がうまく咀嚼できず、俺は不思議に思いながら尋ね返した。 すると、こんな答えが返ってきた。
「心矢と一緒に居るときの私は、心底楽しいからな。 だから笑うようになったんだと思う」
「おま……良くもそんな恥ずかしいことを正面から言えるな。 俺はそれになんて返せば良いんだよ」
悪い癖、と言ってしまうと少し違うかもしれないが、沙耶は言いたいことはハッキリと言ってくる。 思ったことも同様で、こうもストレートに伝えられると俺は反応に困ってしまう。 誰か、こういう場面での正しい返し方的なマニュアルを作ってくれないだろうか。 出してくれたら多少高くても俺は買う。
「別に今の返しで良いだろう? 私は嫌な感情なんて覚えなかったし、むしろ面白い返しだと思うが」
「面白い返しって……お前な。 あーもう良い、お前がそういう奴だってことは知ってるから」
「ふふ、そうか」
沙耶は、いつだってそうだったか。 俺の前で、こいつの考え方、意志がブレたことなどただの一度もない。 固い決意を持ち、それを断固として曲げない。 今回のことだって、そんな沙耶の意志が表れただけの話だ。 俺のことを大切に思ってくれて、それが行動に表れただけだ。 それで俺が受け取るのは、沙耶の優しさである。
だったら、俺が返す言葉なんて、決まりきっているのではないだろうか。
「沙耶」
「ん、なんだ?」
沙耶は再度、俺の方へと顔を向ける。 今度はそんな沙耶の顔から目を逸らさずに、俺は沙耶の顔を正面から見て、その言葉を口にした。 生前、一度だって伝えることがなかったその言葉を。 もう言いそびれることがないように。
「沙耶は――――――――俺の誇りだよ」
その言葉を受け、沙耶がどんな返しをしたのか、どんな表情をしたのかなんてことは、分かりきっていることだ。 だから、これは伏せておくとしよう。 ただひとつ、俺が言えるとしたら。
沙耶は、俺の最高の親友だということだ。
「すいませんでした」
それから喫茶店へと戻った俺と沙耶は、真っ先に神城さんへと頭を下げる。 俺が突っかかったのは因原さんではあるものの、アレイス討伐へと神城さんが駆り出ていたのは事実だったから。 それに、レイラが振り払ったときに、神城さんもその場に居たからな。
「気にすることじゃないよ。 隊長は良くも悪くもああなんだ、本人には悪気はないってことは、分かって欲しいんだけどね」
……その言葉に嘘はきっとない。 因原さんが言っていた「勝手に死ぬ奴は死ねば良い」という言葉も、言ってしまえばその通りなのだから。 言い方を変えれば、その程度のことを解決できなければ、これから先やっていけないという意味にもなる。 そのハードルが高い気がしなくもないが……そこは恐らく、因原さんの性格だろう。
「それに、レイラくんが居たからね。 彼女がいれば問題はないというのもあったんだ。 隊長は悔しがっていたけど」
苦笑いをしながら、神城さんは言う。 レイラの力は俺自身も良く分かっている。 だから無茶をしてまで追っては来なかった、ということだろう。
「しかしマスター、心矢はともかくとして、私は何もなくこのままで……というのは、少し、アレだ。 最初に問題を起こしたのは私だし、私が勝手に動いていなければ、こうなることだってなかっただろう?」
少々歯切れ悪く、沙耶は言う。 こいつはこいつなりに責任を感じていて、性格からして「はい、これで終わり」というわけにもいかない。 沙耶が望んでいるのは、神城さんにとって何かしら役に立つこと、要するになんらかの手助けをしたいということだ。 そしてそれを理解したのか、神城さんはこう告げた。
「それなら、ここで二人共働いてみるかい? 簡単な接客なら任せられるし、境界者が出てくるのは夜だしね。 人手が足りていないというわけでもないけど、もしも二人が手伝ってくれるなら、僕も楽ができるしさ。 主に買い出しとかになると思うけど、良いかな?」
「……よし、やるぞ、心矢」
マジかよ。 いやもうこうなることは分かっていたけどね、沙耶が言い出した時点で俺も巻き込まれるってことはさ。
「給料も出すよ、柊くん」
「やるか、沙耶」
結局、お金に弱い俺である。 現状、まともに境界者を倒せていない所為で、貧乏なのだから仕方あるまい。
次の日。 俺と沙耶は朝方、喫茶店でのバイトを学ぶため、店内で神城さんから指導を受けていた。
指導、とは言っても簡単なもの。 接客の仕方や、コーヒーの淹れ方、豆や食器がどこに置いてあるかくらいのもので、基本的にはコーヒーや料理などは神城さんがこなし、接客が主な仕事になるとのこと。 確かに働き始めて一日二日の俺や沙耶が、コーヒーや料理をするというのは、客側からしても嫌なことかもしれないしな。
「……と、こんな感じかな? 何か質問はあるかい?」
全てを説明し終え、神城さんは俺と沙耶に問う。 懇切丁寧な説明のおかげで、特に疑問に感じることもないな。 俺はそうだったのだが、沙耶の方は違ったようだ。
「給料はいくらだ?」
「最初にする質問それかよ!?」
思わずツッコミを入れてしまった。 こいつ、しっかりしているところは本当にしっかりしてるよな……事の成り行きの関係上、一番聞きにくいことを聞きやがった。
「八百円かな、時給ね」
「安いな。 なぁ、心矢」
俺に聞くんじゃねぇ。 頼むから俺に同意を求めるな、すげえ気まずい。 堂々と「安いな」とか、こいつに友達ができない理由もなんとなく垣間見えている。 神経が図太いどころの話ではないぞ、最早失礼に値している。
「ほら、家賃とか食費は僕が今出しているでしょ? それも含めての金額ってことなら、格安じゃない?」
おお……マジか。 いつか返さなければいけないとは思っていたが、そう言ってくれるなら大変ありがたい。 神城さんに後光が差しているぞ……生活費を一様に見てくれた上で、時給八百円となればかなりの待遇だ。 これなら沙耶も文句はあるまい。
「いや、待て。 それは前からだろう? ここぞとばかりにそれを含めないで欲しい」
だが、神城さんの善意を蹴飛ばす沙耶である。 俺、お前が何者なのか気になってきたよ。 どこぞのお姫様の生まれ変わりか? そうでなければ悪魔の生まれ変わりか? いずれにせよ、こいつはどこに行っても苦労はしない性格だな……自分が納得できなければ断るくらいの勢いだ。
「……容赦ないなぁ、結城さんは。 分かったよ、それなら時給は九百円、これまで通り家賃とかの生活費は僕が見る。 どうかな?」
「オーケー、それで良い……心矢、百円上がったぞ」
納得したのか、沙耶は神城さんに言ったあと、俺に小声で嬉しそうに言ってくる。 ちなみに俺は全く嬉しくない。 百円上がったところで、神城さんからの好感度が下がったことの方が確実に大きい。 絶対にいつか百円以上の損をすることになる気がしてならない。
「じゃあ、契約成立ということで良いかな?」
神城さんは微笑むように俺と沙耶へ尋ねる。 俺たちはそれを聞き、二人一緒に頷いた。
雇ってもらえた上で、生活面も見てもらえる。 これ以上良い待遇はないだろう。 神城さんはそれから「仕込みがあるから」とのことで、店の奥へと入っていった。 それを見たあと、俺と沙耶はカウンター席へと腰をかける。
ちなみに、バイトをする上での制服もあるようで、俺は男性用のごく普通の制服。 沙耶の方は女性用で、ふわふわはしているものの、落ち着いた感じの制服だ。 白と黒のメイド服のような色合いで、スカートは長すぎも短すぎもせず、膝より少し短い程度のもの。 上は首元にリボン、袖は丁度肘よりも短いくらいの服装。 過激なものではないが、こいつ胸でけぇな。
「よし、頑張るぞ心矢」
「お前、良い性格してるよな、マジで」
「それは、ありがとう」
別に褒めてねぇ。 そうは思ったが、わざわざ否定してもしょうがないか。 それに、沙耶が喜んで勝手に俺に対する好感度が上がるのなら悪いことではない。 人間、妥協が大切である……と、それっぽいことを言って誤魔化してみる。
「それより、ようやく神具が使えるようになったんだな」
「使える……って言って良いのかな。 あれが一番やりやすかったんだ、あのときは」
突然言われ、俺はあのときのことを思い返す。 俺の神具、自らの血を刀へと塗り、仮想ではあるものの神具に昇華させるというもの。 ただの村正では、あの光弾には確実に耐えれなかった故の、苦肉の策とも言える。
が、俺の血を塗ったその瞬間から、まるで刀が体の一部のようになった感覚を受けた。 刀の重さ、冷たさ、硬さ、切れ味。 それらが全て、分かっていて当然のような感覚だ。 だからこそ、正確無比な攻撃も行える。 寸分違わず、刀を振るえる。 恐らくそれが、この神具の強さなのだろう。
「どこまでやれるかは分からない。 けど、やれるだけはやってみるさ」
まぁ、俺が自ら何かをすることはきっとない。 今回のことだって、沙耶のことがなければ俺は動かなかっただろう。 だが、俺も俺で少しは学んだ出来事でもあった。
俺の不幸で、俺の不運で、俺の所為で、同じ気持ちになる奴もいるということだ。
「ひ、い、ら、ぎぃいいいいいいいいいいッ!!!!」
突然そんな大声と共に、喫茶店の入り口から爆音が響く。 俺と沙耶はいきなりのことに呆気に取られ、視線を移した段階で体が硬直した。 広がっている光景は、無残にも大破した扉と、一人の霊界師の姿だ。
……一目見て『霊界師』ということが分かるということは、つまりはそういうことだ。 レイラ・ルイスフォール、一番面倒くさい奴だ。
「なんかすごい音したけど、一体何が……」
神城さんの声がし、姿を見せる。 そして無残な光景を見ると、数秒固まったあと、再び店の奥へと姿を消した。 あれか、見なかったことにしたかったのか、現実は何も変わらないぞ。
「柊っ! 一体何様ですかあなたは! 私との約束を無視するなんて、言語道断レベルではありませんよ?」
「えっと、俺は確かにお前を見下しているけど、約束ってのは良く分からないな」
素直に答えるところが俺の良いところである。 何様と問われれば柊様と返す俺だ。 てか、約束ってマジでなんのことだ。 話の裏でこいつと何かしらの約束をした覚えもないぞ。 これは絶対に俺の記憶違いではない。
「私とのデートです。 私が師匠であなたが弟子である以上、デートは必須だと思います。 この前よりも更に痛めつけますので、早く来てください」
「おい待て……今記憶を掘り起こしてる」
デート、デート……あ、あれか。 俺があまりにも常識知らずなレイラに吹き込んだあれか。 訓練に連れだされたとき、普通は訓練ではなくデートと言うものと、嘘知識を吹き込んでおいたのだ。 ていうかこのタイミング、この場で使うとか本当に空気が読めていない奴だな。 それにこいつの言い方だと、なんだか妙な誤解を間違いなく生むやつだこれ。
というかな、まず俺が言いたいのはお前の弟子になった記憶はねぇということだ。 そしてレイラが言うデート、要するに特訓相手だが……そんな約束もした覚えはない。 確実にレイラの頭の中でだけ決まったことだ、間違いない。
「……心矢? お前、確かにレイラといろいろあったとは言っていたが、そんなアダルティーな関係だとは聞いていないぞ」
腕を掴まれる。 爪が食い込んでいる。 痛い……。 アダルティーな関係ってなんだよ、もうやめてほしい。
「さっさとその手を離してください、おっぱい女」
「私のことを胸だけみたいな呼び方をするなっ!! 僻みか? ふふ、みっともない」
俺を押しのけ、沙耶はレイラに掴みかかる勢いで言う。
「僻み!? 何を言ってるんですかバーカ! 私があなたみたいな負け犬女を僻むわけなくないですか!?」
「なんだと!? このチビ! 第一お前だってやったのは境界者だけだろう!? あんなの私が本気出せば瞬殺だ! そんなのも見て分からないとは序列一位が聞いて呆れるな! はっははは! それに自分の体を見下ろしてみろ! 胸は最下位だ最下位!」
……収集がつかなくなってきた。 俺はそんな沙耶とレイラを横目に、こっそりと部屋に戻るのであった。
終わり良ければ全て良しとはよく言ったもので、結果的に丸く収まれば良いということだろう。 そんな格言を心の中に、俺は二階の自室、俺と沙耶の部屋の窓から外を眺める。
しかし、果たして。
これで終わりとして良いのだろうか? という想いも俺の中には同時にあった。 アレイスとの一件でレイラが言っていた不審な点もそうだったし、あいつの目的がそもそも不明だった。
いや、目的はハッキリしていたのか? レイラに復讐をするという目的は。 だけど、レイラが感じた不自然さは拭えない。 レイラの行動を完全に察知できており、だというのに接触したのは最後の最後、俺がレイラの助力を得て沙耶の救出に向かったときのことだった。
その差が、不自然さなのだろう。 アレイスはレイラの行動を把握していたにも関わらず、接触できずにいたという不自然さだ。 この二つの矛盾には、何か理由があるのかもしれない。
が、今ここで考えたって仕方がないことだろうな。 そして、意味がないことだろう。 俺がそれを考え、仮に分かったとしても、何がどうなるというわけでもないのだから。
ともあれ。 終わり良ければ全て良しという言葉は訂正しよう。 この言葉は、本当に全てが終わったときに使うほうがきっと良い。
だから、今回は一件落着という味気ない言葉で締めくくることにして。
「いい加減にその罵詈雑言しか出てこない口を閉じないと裂きますよ!?」
「ほお! この世にこんな良く喋るまな板がいるなんて知らなかったなぁ!!」
階下から聞こえてくる怒号の応酬を聞きながら、俺は持ち込んだお茶を飲みながら、そう思い込むのだった。
一章終わりとなります。
少々時間を置いて、二章を投稿致します。




