第十七話
「お友達はゼロですか」
「レイラ?」
しばらく走った途中、壁に背中を預けていたのか、真横からレイラの声がした。 俺はそれを聞き、慌ててその場で立ち止まる。 こいつ、依然として討伐をする気はないと言っていたのに……何をしに来たんだ。
「質問ですよ、質問。 お友達はゼロですか?」
「その言い方はなんかムカつくな……。 付いて来てる奴は一人もいない、俺が一人でやるって決めたんだ」
「なるほど。 それはまた随分と思い切りましたね」
レイラはパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、俺へと顔を向ける。 フードはかぶったままで、その表情は影でよく見えない。
「そうしたいって思っただけだ。 んで、お前はこんなとこで何してるんだよ。 手伝ってくれるのか?」
冗談混じりに俺は言う。 手伝う気がこいつにはないと理解していながら、急ぐ気持ちがそういう言い方をさせたのかもしれない。
「柊がそれを望むなら、ですかね。 何をしに来たのかと言われれば、私は柊の意志を尊重しに来たんです」
「……俺の意志? どういう意味だ、それ」
「まったく、まだまだ未熟ですね。 とは言っても、霊界師になって一週間程度の人には難しいかもですか。 つけられてますよ、柊」
……つけられてる? 俺が、誰に?
「ファンタズマの連中でしょう。 あなたはどうせ「俺が一人でやるからお前らくんな! しっしっ!」とか言ったんでしょうけど」
「おい待て、そんな小学生みたいな言い方なんてしてないぞ。 変な脳内イメージはやめろ」
どうでも良い部分だったが、こいつの中で俺のイメージがそんなものになるのは少々癪である。 イメージというのは大事だからな、特にこういう口が軽そうな奴に言わせると、あっという間にそれが広まったりするし。 だから俺はレイラに限って言えば、間違ったものは必ず正す所存である。
「まそんなのどうでも良いんです。 それで、柊。 どうやらファンタズマの連中はあなたを一人で戦わせるつもりはないみたいですが?」
「……そうは言われてもな。 いざ戦いになったら、さすがに止めてる余裕なんてない」
ファンタズマの連中には一人でやると伝えたものの、それを止めながら沙耶を助け、アレイスや境界者とも戦う……というのは、いくらなんでも難題か。 やるべきことが一つならば、それに集中できるんだけど。
「でも、柊は一人で戦いたい。 親友である結城を自分の手で、責任を取って助けたい。 ですね?」
まさにその通りだった。 短い付き合いながら、レイラはひょっとしたら俺のことを理解しているのかもしれない……ただこいつに理解されてもなんら嬉しくはないんだけど。 嬉しいというよりかは嫌悪感である。 俺は俺より強い奴は嫌いだ、こいつは俺よりも恐らくは格段に強いから大っ嫌いだ。
「まぁ本音を言えばな」
「決まりです」
レイラは言って、笑った。 その表情は月の灯りによって照らされ、俺にはハッキリと見えた。 満足気に、そしてある種、とても楽しそうにレイラは笑っていた。
そのまま、レイラは歩き出す。 向いたのは、俺が走ってきた方向……まるで、そこに居ない誰かと対峙しているようにも見える。
「レイラ・ルイスフォールはこの瞬間を持ち、A級指定アレイス討伐指令を受諾する」
レイラは唐突にそう言うと、懐からしわくちゃになった紙を取り出した。 間違いなく、それは霊界機関からレイラの元へ届けられた指令書である。
そして、レイラは自らの歯で指を噛み、血が垂れ始めた指をその指令書に押しつける。 瞬間、指令書は光を放ち、まるで手品か何かのように燃え上がり、消え去った。
「お前、何を……」
「この依頼、私が受け持ちました。 そして、同業者として柊心矢を連れて行きます。 よって、あなたたちの出る幕はなくなりましたよ」
レイラは笑い、誰も居ない方向へと向かって喋り出す。 さすがに、幽霊と話しているわけではないだろう。 事実、それから数秒経ったあと、レイラの前に数人の人影が現れた。
「チッ……おいおい、先に受けたのはアタシらファンタズマだ。 邪魔するんじゃねえ、一位さん」
「生憎ですが、私は順番なんて気にしない質ですので。 お引き取り願います。 邪魔をするというのなら、たとえ神が許したとしてもこの私が許しません」
ファンタズマは、全員が揃っている。 因原さん、東さん、神城さん、柏、郷原、レミ。 いずれも、恐らくは一筋縄ではいかない人たちだ。 霊界師として、たった六人でこの辺りの地区を統制しているのだから、そのくらいの力は持っているはずだ。 だというのに、レイラは怖気づくことはない。 それどころか、楽しそうに笑っている。
「東、神城、二手に別れるぞ。 そうすりゃ一人じゃ対処はできない」
左右に居た二人に向け、因原さんは言う。 だが、それをレイラは見逃さない。
「それは少々ナメられたものですね。 私が下がれと言ったのが聞こえませんでした? 命令には従ってください、犬どもが」
一瞬、レイラは俺に顔を向けた。 そして、何事かを呟く。
……目を瞑れ?
俺は言われたまま、目を瞑る。 その数秒後、レイラの声が響き渡る。
「かくれんぼでもしましょうか。 見えざりし者」
レイラの声が聞こえたあと、数秒の沈黙が訪れる。 そして、不意に俺の手が掴まれた。
「……柊、今の内に行きますよ」
「え、お……っと」
俺はそれを受け、ようやく目を開けた。 そして、走りながら何が起きたのかと思い、後方を向く。 すると、そこに映っていたのは奇妙な光景だった。
明らかに、違う方向へと走り出すファンタズマの人たち。 全員が違う方向へ向け、そしてあたかもそれで合っているかのように。
「……あれも神具か?」
「はい。 見えざる者は、目を刈り取ります。 視界に映る光景をチグハグにするんです。 敵意を向けられていたり、その鎌を見なければいけなかったり、条件がいろいろあるんですけどね。 裏技もあるにはあるんですが……」
「なら、俺って目を瞑る必要あったのか? 敵意はないぞ、お前に」
「え? そうだったんですか? それは少々、びっくりです」
好意も持ってないけどな。 それよりも……こいつ、マジで一体何個の神具を持っているんだ。 俺が知っているだけでも既に三つ、そして最初に出会ったときの現象は、レイラの体が霧のように見えたのはこの神具の力か?
だが、それとも少し違う気がする。 あのときは、確かに姿は見えていたんだ。 それに、レイラはあのとき神具を発動したようには見えなかった。 だとしたら、一体どういうことなんだろう。
「柊、考え事はあとです。 今はとにかく、アレイスを倒すことを頭に入れておいてください」
「……お前、なんで俺のためにそこまでしてくれるんだ? 嫌だったんだろ、依頼を引き受けるの」
「そりゃもう。 言ったじゃないですか、私は私がやりたいようにしかやらないと。 今はただ、霊界師になってたった一週間の雑魚が、霊界序列五十八位をどうやって倒すのか、ということに興味があるだけです」
改めて言われると、無謀な戦いにしか思えなくなってきた。 どうやらこの調子だと、レイラはいざというときでも助けてはくれないだろう。 そもそも、レイラがここまでしてくれたことが意外過ぎたけどな。 だが、これで充分だ。 こいつは俺のために、この場を作ってくれた。 嫌なことを我慢し、俺の意志を尊重すると言ってくれた。
「まぁそれが十分の三くらいで、十分の二は私の切り裂きし者を全て見切ったことです。 ああいうのが、私は楽しみで楽しみで。 あのときの力をもう一度見てみたいです」
……要するに戦闘狂と言うわけか。 やはり、霊界序列一位の名は伊達ではなさそうだ。
「そうかよ。 それで、残りの五は?」
「決まってるじゃないですか。 私の弟子が困っていたら、当然助けますよ」
「俺がいつお前の弟子になったんだよ!?」
知らない間に弟子入りをしてたとは、今年一番の驚きかもしれない。 そんなことになる会話も、雰囲気も全くなかったのに、何がどうなったら俺が弟子入りしたことになっているんだ。 まさかあれか、あの切り裂きし者の攻撃を避けてしまったのが原因か。 レイラに弟子入りするくらいなら死んだ方が良いかもしれないな……あんな狂気じみた特訓はもう嫌だ。
「そんなに拒否しないでくださいよ……。 それなら残りの五はあれですよ、アレ。 柊の眼を使えば、運が良ければ勝てると踏んだんです。 他人にやらせるより、自分でやったほうが気持ち良いでしょう?」
「お前がそう言ってくれると、なんだかいける気もしてくるな」
ただ、取ってつけたような言い方がとても気になるけどね。
「ま、問題は武器の方ですね。 やってみないことには分かりませんが……私はとにかく、アレイスとの一対一を見学したいだけなので、その辺りは理解しておいてください」
「分かってるよ。 ありがとな」
俺が言うと、レイラは走りながら俺の方に顔を向ける。 なんだか、とても驚いているような表情だった。 呆気に取られたような、鳩が豆鉄砲を食ったような、そんな顔。
「……なんか変なこと言ったか?」
「え? いや、お礼を言われるとは……思っていなかったので……なんでもないです」
珍しく、レイラは小さい声で言う。 その言葉は俺には聞こえず、風の音によってかき消される。 だが、なんだか馬鹿げたことを言ったような気がして、俺は笑った。
「そろそろだな」
「……ですね。 霊気はまだ三つありますので、どうやら間に合ったようです」
そして、俺は対面する。 霊界序列五十八位、アレイスと。