第十五話
「動き?」
レイラが俺の体に触れている間、俺は体感できるほどに体力が戻っているのを感じていた。 レイラの言葉が正しいならば、回復できるのは体力だけで、傷をもしも負っていれば治すことはできないとも捉えられる。 となれば、やはり致命傷を負ったら消えてなくなってしまうというわけだ。
が、結果オーライといえば良いのか、幸いなことに今の俺は無傷だ。 それどころか、レイラのおかげで能力の使い方さえも理解した。 俺の能力は霊気を視るためだけのものではないと。 荒療治すぎる気はするけども。
「乱れを感じるんです。 その霊界師と、境界者の」
……つまり、何かがあそこで起きているということか。 今現在、それが起こる可能性といえば、やはり真っ先に頭に浮かぶのは因原さんたち、ファンタズマのことである。 因原さんは昨日、三日の内のどこかで仕掛けると言っていたから、それがたまたま今現在というところだろうか。 その所為で、レイラ曰く霊気の乱れが起きているという可能性だ。
「それで、なんでお前がそんな不安そうな顔をするんだよ」
「……不安、不安? 私、今そんな顔をしているんですか?」
「ああ、そりゃもう」
俺でなくとも、誰がどう見てもそんな顔をしている。 何がそうさせているのか、やはりこいつも同じ霊界師である因原さんたちが心配なのだろうか? 内面ではそう思わないようにしていても、こうして表情に出るということは。 東さんとは顔見知りだったようだし、レイラにもそんな人間らしい一面があるのだろう。
「そうですか。 でしたら、それは恐らく柊のことを不安に思っているのでしょう」
「俺を?」
レイラは尚も俺の体に触れながら、話を続ける。 レイラが感じた不安というのを。 そしてそれは、俺の考えとは全く違ったものだった。
「私が感じた乱れは、三つです。 ひとつは、えーっと……」
「アレイスな」
「ええ、そうです。 そのアレイスという男の霊気ですね」
いい加減覚えてやれ、さすがに可哀想に思えてくるぞ……。 あの男も、こんなレイラの態度を見たらブチ切れそうだ。 ただでさえ短気っぽい性格だったというのに、こいつのこの喧嘩を売るというか、プライドを心底傷付けそうな態度では。 最強たる由縁か、それとも自信か、ただのレイラの性格か。 俺の予想ではレイラの性格一択だな。
「そして、境界者の霊気。 最後に、もう一人の霊界師の霊気です」
「ああ、だからそれは」
俺はそこまで言い、気付く。 感じているのは三つで、その内の二つはアレイスと境界者のものだ。 なら、残された一つはなんだ? 因原さんか?
……いいや、それはあり得ない。 神城さんですら、今回の件は誰かが死ぬかもしれないと言っていたんだ。 その誰かの中には当然、因原さんも含まれているだろう。 ならば、それは当然因原さんも理解しているはず。 だからこそ、ファンタズマの全員に声をかけている。 そんな因原さんが、一人でそこに攻め込むなんてことはあり得るのか? 因原さんか、ファンタズマの別の誰かが一人で戦うということはあり得るのか?
答えは、ない。 あり得ない。 だとしたら、考えられるのは……。
「アレイスの仲間か?」
「……いいえ。 そうであれば、こんな乱れはないでしょう。 この乱れは、まるで戦っているかのような乱れですから」
戦っている。 アレイスと境界者、そいつらと戦っている奴がいる? それは、霊界機関から依頼を受けた内の一人か? だが、それならどうしてレイラがこんな顔をしているんだ。 そして、どうして俺のことが不安だと言ったんだ。
「柊、これで体力は元に戻りました。 今はまだ、向こうでの戦いは拮抗しています。 ですが、いつ戦っている霊界師が殺されてもおかしくはないと、私は私の経験から、そう思います」
「……それで?」
俺は、浮かんでしまった一つの考えを消すように、恐る恐るレイラに尋ねる。 浮かんできた答えを消すように、否定するように。 しかし、物事はそう上手くは運ばない。 悪い方向にこそ、運びやすい。
「私はこの霊気を一度肌で感じています。 間近で、あなたの霊気と一緒に」
「……」
ああ、やっぱり、そうなのか。 嫌な予感、嫌な予想というのは当たるからこそ、嫌なもので成り立っている。 今回のこれも、そんな嫌なものになってしまったというのか。
「戦っているのは、あなたと一緒に居た女です。 柊、確かあなたの親友でしたね」
「あの、馬鹿が」
「時間はまだあります。 霊界師がそう簡単に殺されはしません。 ファンタズマの奴らに声をかけて、向かうべきです」
レイラは教えを説くように言う。 それは俺を認めてくれてのことか、それとも数日間の会話がレイラの気持ちを動かしてくれたのか。 こいつが俺に協力をしてくれるだなんてこと、あり得ないと思っていたよ。 俺みたいな雑魚に構っている暇はないと、最初に出会ったときはそう言われているしな。
「ありがとう、レイラ」
起き上がり、俺はレイラに言う。 それを聞いたレイラは優しく笑うと、口を開いた。
「死なないように。 柊には、私の特訓相手になってもらうので」
「それじゃあ死んだ方が良いのか生きた方が良いのか分からねぇな……」
恐ろしいプランを立てていないか、こいつ。 その究極の選択とも言える二つの道はどっちを選べば幸せになれるんだ。 どちらにせよ不幸になる結末しか見えないんだが。 バッドエンドしかないゲームはクソゲーだぞ。
「お気をつけて」
「おう」
俺は言い、レイラに手を上げ、走り出す。 まずは、ファンタズマに向けて。 急がなければマズイというのは確かだ。
「畜生、やっぱ通じないか」
走りながら、俺は沙耶へと電話をかけていた。 この電話というのも、沙耶から連絡に便利だからと無理矢理に買わされたものである。 内部構造がどうなっているのか知らないけど、とりあえず霊界師でも使える電話らしい。 結構高かったから、既に今月の生活がピンチになっているのは言うまでもあるまい。
あいつは、そんなところも含めて自分勝手な奴だ。 勝手に決め、勝手に行動に移すタイプと言っても良い。 俺の誕生日の一件だって、あいつが勝手に毎年祝うと決めていることだしな。 俺はそんなことをされても、沙耶の誕生日をしっかりと祝ったことは結局一度もなかったんだ。 勝手にされてることだから別に良いと。 今思えば随分適当なことをしていたと感じるが……今更の話だ、それも。
あの頃の自分が目の前にいたなら、俺はきっと迷わず殴るだろう。 が、そんなことを今更グダグダ言っても仕方あるまい。 とにかくあいつは頑固で、意固地で、自分勝手な人間だった。 でも、そんな沙耶と過ごすのは退屈ではなかった。
常に一緒に居て、常に傍に居てくれた。 春は夜桜を見たいと真夜中に連れだされ、夏は朝から虫を摂りに行かされて、秋は月見をしたいと言われて真夜中に叩き起こされて、冬は一日中雪だるまを一緒に作らされたりな。 俺は剣道で忙しいというのに、そんなことお構いなしに言ってくるから困ったものだよ。 それでも、俺は心のどこかでそれを必要としてて、だからこそ剣道に打ち込めていた。
言わば、生活サイクルの一種と言っても良い。 正確に言うと不規則なランダムイベントのようなものだから、生活サイクルとは言えないかもしれないが。 一日の内のどこかで起きるそんなイベントを楽しみにしていたのは事実なんだ。
あいつがどうかは知らないけれど、俺にはあいつがきっと、必要だ。 だから、こんなところで居なくなられたら困るんだ。 もう、あの一年間は体験したくない。 俺の所為で、俺が何もしなかった所為であいつが居なくなるなんてことは……あってはならない。 沙耶が消えてなくなった一年間、俺は生きながらにして死んでいたんだ。
「一体何考えてやがんだ、あいつは」
息を切らしながら、俺は走る。 レイラの家からは結構な距離があるものの、霊界師にとってはそれほどの距離ではない。 一歩踏み出すだけで景色は高速で後ろに流れ、消え去っていく。 だが、それですら今の俺は遅いと感じていた。 もっと早く走れないのか、もっと速度は出ないのか、そればかりを考えるも、考えただけで早くなるなんてことはなく。
俺がようやくファンタズマのアジトへと辿り着いたのは、走りだしてから十分後のことだった。