第十四話
「良いですか? 柊はただ、私の攻撃を避け続けてください。 もちろんかなり手加減はしますので、安心してください」
「いやいやいやいや、待て、待ってレイラさん。 お前さ、自分の実力とか分かってる? お前が言うかなり手加減って、俺からしたら死地を彷徨う可能性充分にあるよね? 分かってる? その辺ちゃんと理解してるの?」
「なんですか、情けないですね。 一発くらいなら当たっても死にはしませんよ。 腕とか吹き飛ぶかもしれませんが」
「それやべえだろうが!? お前なぁ! 俺の腕はオモチャじゃねーんだよッ!!」
腕とか吹っ飛んで笑っていられるのはオモチャだけだ! 俺の体をぬいぐるみと同列に語るんじゃねえ! このままだとマジでヤバイ、俺今日で死ぬかも。 五体満足で帰れる自信がまったくねぇ。 というか最初からすげえ断ってるのに引っ張って連れて来るとか最早犯罪だろ、誰か助けて。
そうだ、レイラがあれからしたことと言えば、俺をレイラ宅の裏庭へと連れ出したこと。 そこはかなり巨大な土地で、表側から見ればただの空き地でしかないが……こんな裏庭、俺はテレビでしか見たことがない。 野球の球場、サッカーのグラウンド、その規模の広さである。
で、そんな場所に俺を連れてきたレイラが言ったのは「私のサンドバッグになって欲しい」というあり得ない要求だったわけだ。 こいつが戦っている場面は一度しか見たことがないが、それでもこいつの強さは霊界序列が顕著に表している。 とてもじゃないが、霊界師になって一ヶ月にも満たない俺が受け切れるわけがない。
「物は試しというわけで。 言っておきますが柊、私の攻撃を一度も避けられないのでは、これから延々とぶっ飛ばされ続けるだけですよ」
「つっても、そういうのって段々力付けていくもんだろうが……大体、俺はまだまともに神具だって使えないし、能力だってない。 戦闘経験だってほぼないに等しくて……」
「よし」
俺の言葉を聞き、何故かレイラは満足そうに笑った。 ちょっと待て、俺今「確かにそうだな」とか賛同の言葉を口にしたっけ? してないよね、絶対してない。 むしろ言い合い、口上戦をするべく文句を言ったのだが、なんでそこで出てくる言葉が「よし」というものになるわけ? おかしくない?
「切り裂きし者」
直後、レイラの手には巨大な鎌が握られる。 黒の霧に覆われ、ところどころに赤い線が走り、まるで死という言葉を具現化したような鎌だ。 俺はその鎌を目にし、息を呑む。 この世にこれほど恐ろしい物があるのかと思わせるほど、その鎌は不気味に染め上げられている。 レイラの身の丈の二倍……三倍、五倍ほどか? とにかく巨大、かつ恐怖を表す鎌だ。
「前回とは違いますから、今回は私の神具を見せます。 それと、忘れ去りし者の方は攻略不可能なので、こちらで」
「……前の? お前、それって」
確かに、前に出した見えないモノとは違う。 俺が受けた雰囲気も、印象も、名前もだ。 そしてこいつは、たった今、その手に持っている鎌を神具だと言った。
だとすれば……こいつはまさか、神具を二つ持っているのか?
「その辺りはご想像にお任せします。 では行きますよ? しっかり見て、しっかり避けてください」
「……ああクソ! お前ほんっと最悪な奴だな!!」
俺は言い、眼を切り替える。 せめて、その霊気の流れが読めれば攻撃をある程度避けやすくはなるだろうとの判断からだ。 だが、一度目を瞑り再度開けた俺の視界に映ったのは、天にも上るほどの巨大な霊気をまとった神具だった。
今までに、こんなものは見たことがない。 切り替えの練習を行う内に、その霊気が強さに直結していると理解できた俺だったが……これが、これだけのものが、一つの神具から発せられているということが信じられない。 あの神城さんよりも、東さんよりも、因原さんよりも。 強大、かつ膨大、そして絶対の強さを持つ神具。 そしてまた、レイラ自身から感じられる霊気も、それを凌駕するほどのものだった。
「一撃目」
レイラは軽く鎌を構え、それを切る。 俺とレイラの距離はかなり開いており、レイラの身の丈の五倍ほどもある巨大な鎌でも、俺までは届かない。 が、振られた直後に見えたのは三つの刃だ。
「一度に複数の斬撃、それがこの切り裂きし者の効果です。 気をつけてください」
「そういうのは最初に言えッ!!」
悪寒が走る。 先ほど、レイラは「当たれば腕一本くらいは吹き飛ぶ」と言っていたが、どうやらそれは嘘ではない。 それくらい容易に想像できるほど、その斬撃は圧力と破壊に溢れている。 たった一振りの斬撃に込められている霊気は半端なものではない。
ほぼ同時の斬撃、俺はそれを目を凝らし、動きを確認した。 ひとつ目は真っ直ぐ俺に、ふたつ目は右から、みっつ目は左から。 前三方向からの攻撃……だが、そのひとつひとつには僅かな間隔が存在している。 ほぼ同時というだけあって、僅かなズレは生じている。
「ッ!」
最初の一発、正面から迫ったそれを右へと体をずらし、回避する。 無駄は許されない、少しでも無駄があれば、次の攻撃を避けることはできない。 斬撃と斬撃の間を縫うしか、避ける道はない。
二発目、右から迫るそれも、俺はかろうじで回避する。 服が少し破けたが、肉体にまでは至らない。
最後の一発、今度は体をかがめ、斬撃の下を通過する。 三つの斬撃は俺の後方へと飛んでいき、爆発音と共に消滅した。
「……あぶねぇ、お前今のマジで殺しにきただろ」
「おお、かなり手を抜いたとはいえ、なんだかんだやるじゃないですか」
やべぇ、全然嬉しくない。 むしろナメられてる気さえしてきた。 本当にあれだ、今日は最悪の日かもしれないな。 まず、レイラの家を尋ねたのが失敗だ。 そして、相談したのが失敗だ。 挙句の果てに、レイラが妙な思い付きをしたのが失敗だ。
そして、それを受けてしまったのが失敗だ。 俺はどうにも、負けず嫌いの性分は一生治らないらしい。 始まるまでの道のりが長いだけで、一度始めてしまったら、俺はきっと自分で勝ったと認識するまで、止まれない。 ナメられたままで終われるわけがねえじゃん。
「おいレイラ、次、早くしろ。 ぬるすぎて話にならねえぞ」
「……なるほど。 良いですね、上等です。 なら、お望み通り」
そして、レイラは次の斬撃を放つ。 本当に最初のはかなり手を抜いていたのか、次に飛んできた斬撃は五発。
……まったく、この分だとこいつが本気を出したらどうなってしまうんだよ。
「はぁ……はぁ……」
「驚きました」
それから一時間ほど、俺はひたすらレイラの攻撃を避けることだけに集中し、生きている。 霊界師同士の戦いが、果たしてこれが戦いと呼べるかは定かではないけど……ここまで体力を使うものだとは。 無限にも思えるスタミナがあっという間に削られる感覚だ。 能力の使いすぎか、それとも単にレイラが破格すぎるのか、霊気に当てられすぎたか。 俺は今まで、これほどまでに生を実感したことが今まであっただろうか? 絶対ないな。
最終的に、レイラの斬撃は三十を超えた。 ほぼ安地がない状態、一瞬の判断ミスが死を招く状況に加え、俺の体力はジリジリと削られていっている。 それでもこうして、最後まで生き残ることができたのは、奇跡と言えるかもしれない。
「だから、言ってんだろ……はぁ……はぁ……ぬるいんだって……」
息も絶え絶えに、俺は言う。 これほど締まらない言い方はないと自分でも思うが、負けず嫌いはどこまでいっても負けず嫌いということだろうな。 しかし、問題はそこではない。 俺がどれだけ格好悪かろうと、レイラの性格というのを俺は誤認していた。 こいつは、純粋かつ負けず嫌いという人間なのだ。
「オーケー、分かりました。 では、本気で」
「は?」
レイラは鎌を横にする。 そして、冷たく言い放つ。
「裂き散らせ、斬り殺せ、汝の刃は我が刃、開裂させよ――――――――切り裂きし者」
直後、鎌に異変が起きる。 霊気の量が、倍ほどにも増大した。 そして、鎌を這っていた真っ赤な線が光り、鎌からは常軌を逸した絶望を感じる。 まるで血管のように鎌全体を赤い線は覆い、何かの模様のようにも見え、俺はそれを死神の鎌のようだと認識した。 これが、レイラの本気……あの神具の真の力か。
「おいレイラッ!!」
「いきますよ、柊」
駄目だ、俺の声が聞こえていない。 誤算だ、挑発しすぎた。 こいつがここまで単純だなんて、想定していなかった。
そして、鎌は振るわれる。 飛ばされる斬撃の数は、百。 安地なんてものは存在せず、斬撃の壁のようにそれは俺へ向けられる。
「……ん、あれ? ちょ、柊避けてくださいッ!!」
「避けられたら苦労しねえんだよ!!」
そこでようやく我に返ったのか、レイラは今更ながらに言う。 無責任を通り越してアホだ、こいつは真性のアホだ。 だが、噂に聞く最強というのに、間違いはないな。
たった一振りするだけで、百の斬撃を飛ばす鎌。 それをこいつが持つということが、どういう意味になるのか、それが分からない俺ではない。 それにレイラ自身、更に上の神具を所持しているということも言っていた。 こりゃあアレだ、戦った奴が全員死んでしまうっていうのも本当だな。 絶殺と呼ばれるだけはあるよ。
俺は、死を覚悟する。 これを避けるというのは、不可能でしかない。 俺にできることと言えば、その死を受け入れることか、もしくは偶然、神がかり的な奇跡によって、この棒立ちの俺を斬撃が当たりもせずに後ろへ流れてくれることを期待するしかない。 やはり、今日は最悪の日だったよ。 紛れもない死は、刻一刻と俺を目掛け飛んできている。
どくんと、心臓が脈を打つ。 恐怖か、絶望か、死を受け入れるための準備か。
また一度、心臓が脈を打つ。 俺が死ねば、沙耶は悲しんでくれるだろうか。 俺が感じたものと同じくらい、あいつは感じてくれるだろうか。
また一度、心臓が脈を打つ。 間違いない。 あいつは、悲しむ。 俺が沙耶に感じているものと、沙耶が俺に感じているものは同じなのだから。 あいつは俺が苦しんだように、きっと苦しむことになる。
先立たれる気持ちというのをあいつは知るんだ。 そして、後悔するんだ。 俺と、同じように。 俺と、一緒の想いを。
また一度、心臓が脈を打つ。 果たして、それで良いのだろうか。 俺が知った苦しみを沙耶に与えて良いのだろうか。 俺はその苦しみを知っているし、理解している。 それがどれほどつらいものなのかを。 それがどれだけ悲しいものなのかを。 それを知っているというのに、沙耶にそれを与えるのか。
本当にそれで良いのか。 俺は自分自身に問う。 それで俺は後悔をしないのか、それで俺は悔いがないのか、それで俺は納得するのか。
納得なんて、できはしない。 あの日々が教えてくれるんだ。 俺はあの日々、あの三百六十五日、毎日毎日後悔でいっぱいだったんだ。 後悔と、情けなさと、無責任さと、そして。
また一度、心臓が脈を打つ。 そして、俺にあったのは申し訳なさだ。 ありがとうと、ごめんと、それを伝えられなかった自分に対する恨みだ、憎しみだ。 沙耶の分まで生きること、いつか会えると信じること、それだけが俺に残された生き甲斐で、それだけが俺の生きる意味。 それがようやく叶い、俺はこうして沙耶と再会できた。 それを簡単に手放して良いのか、こんなところで、こんな形で。
それは、少し納得がいかない。
心臓が大きく、鼓動を打った。 俺はその音を聞き、目を開ける。 見えたのは、新たな世界、新たな光景。
百の斬撃の全てが、まるでスローモーションのように動いている。 その後方で呆然としているレイラの姿さえも、時の流れが遅くなったように見えた。
そんな中、俺の思考はとても冷静だった。 こうなることが当たり前のように、こう見えることが自然のように、俺の体はその光景を受け入れる。
斬撃の数は百。 まるで壁が押し迫ってきているようだが、その隙間は確実に存在する。 これはひとつの巨大な斬撃ではなく、無数の斬撃でしかない。 だったら、避けられないという道理は――――――――存在しない。
百の斬撃が来ているのなら、俺はそれ以上の道を構築する。 確実に避けられる道筋を。 軌道、速度、質量、全てを把握し、全てを見極めろ。 この場合、辿れる道筋は。
「柊ッ!!!!」
世界は動き出す。 速度は戻り、突如として見えたその光景は終わりを告げる。 煙は辺りに立ち込め、地形が変わるほどの斬撃は全て、俺の後ろへ命中した。
「……お前な、マジで殺す気でくるなって」
「嘘……そんな、あれを避けたんですか?」
俺が立っていたことが信じられないのか、レイラは目を丸くして言う。 自分でやっといて、避けたら避けたでそれを信じられないなんて、つくづく自分勝手すぎて笑えてくるぞ。
「だから、ギリギリだっての……もう二度と、お前の訓練に、付き合いたくねぇ」
足の力が抜け、腕の力が抜け、全身の力が一気に抜ける。 立っていることすら困難となり、俺の体はゆっくりとその場に倒れ込む。 だが、それが途中で止まった。 いつの間にか駆け寄ったのか、レイラの腕に支えられることによって。
「少々、あなたのことを軽く見ていました。 もしかしたら、柊ならば」
そこまでレイラは言い、今まで見たことのない穏やかな表情を見せる。 が、突然その表情が曇った。 そしてそのまま、レイラは遠くの景色を眺め始める。
「どう、した?」
「……柊、私の霊気を分け与えます。 傷を負っているわけではないので、体力はそれで回復します」
「そりゃ……とても助かるが。 いきなり、なんだよ」
レイラは俺の言葉に、顔をこちらへと向けた。 その表情はやはり曇ったままで、何か良くないことが起きているのを予感させる。 こいつにとってか、もしかしたら俺にとってか。
「霊気を送りながら話します。 ア……アイ……アなんとかが居る方面で、動きがあったようです」
だから、人の名前はそろそろ覚えてやれ。 そんなことを思いながら、俺はレイラの話に耳を傾けるのであった。