第十三話
「それで、どうして私のところに?」
次の日、沙耶は霊界機関からの報酬の受け取りがあるとのことで、機関本部へと向かっていった。 沙耶は俺に付いて来いとは言ったものの、俺にはその日、どうしてもしておきたいことがあったのだ。 そのため、沙耶の方は断り、こうしてレイラの家を訪ねている。
というのも、レイラに聞いておきたいことがいくつかあり、そしてレイラだったらどうするか、というのを知りたかった。 最強と呼ばれるこいつなら、俺の考え及ばぬ答えを示してくれるかもしれないなんて期待を抱いたってわけだ。
「聞きたいことがあってな。 この前、俺の顔によくも書いてくれたなってことと、今現在の状況について」
「怨み深いですね、嫌われますよ。 私なんてすぐに忘れるのに」
俺の言葉を聞いたレイラは、しかめっ面で言う。 元はと言えば俺から始まった応酬ではあるが、こいつもこいつで十分恨み深いだろ……棚に置くなよ、自分のことを。 すぐに忘れるどころかしっかり覚えていたじゃねえか、それともあれか? そのことすら忘れているという高度なギャグか? しかし言われたからには俺も言い返そう。 こいつとの言い合いは地味に楽しみだったりするし。
「お前さ、良く「嫌われる」とかいうけど、誰にだよ。 大衆にか?」
「いやいや、無論私にですよ」
自信満々だなおい。 そこまで自信満々に言われると、レイラに嫌われるということがとても大変なことだと錯覚してしまいそうだ。 もちろんそれはただの錯覚で、別にこいつに嫌われようとどうにもならない。 むしろその方が良い……かもしれない。
そんな俺は、今現在レイラの家の中。 つい昨日、アレイスにやられ、気絶していた俺をレイラが介抱してくれたとき、休ませてもらっていたソファーに腰を掛けている。 そしてレイラは昨日と同じく向かい側である。 こうして訪ねてきた身で言うのもあれだが、こいつって結構暇人なのかな、常に家にいる気がするし。 そして、部屋が汚い……ゴミをそこらへんに捨てるな。 部屋が広いおかげでまだなんとかなっているが、下手をしたらゴミ屋敷になっているぞ。 昨日は全く気付かなかったが、改めてみると酷いレベルだ。 昨日も割ったテーブルを隅に投げていたし、そして今もそのテーブルは部屋の隅で寂しそうに胴体を真っ二つにしている。
「お前に嫌われてもどうでもいいんだけど、俺」
「ええ!? そうなんですか!?」
どうしてそんな驚く……俺はその驚きっぷりがビックリだ。 むしろ、既にお前に嫌われる以前に俺がお前を嫌いだ、生意気な奴め。 ちょっと……ではなくて、かなり強いからって調子に乗りやがって。 ばーかばーか。
「いやはや、それは意外です。 まさか二日連続で私の顔を見に来る人が、私に嫌われても良いと、構わないと言うなんて。 私は柊にてっきり惚れられてるのかと思っていましたし……今日は告白でもされるのかと思ってましたです。 驚きました」
「あのな……お前な、それはない、断じてない。 てか、一日目は別に俺から会ったわけじゃなくないか?」
そうそう、今日はともかく、昨日は違う。 助けてもらった分際で俺はそう思う。 言わせてもらえば俺が会ったのではなく、お前が会ったのだとな。 ……もちろん、あくまでも心の中だけで。 言葉に出したら殴られそうだ、痛いのは嫌いな俺である。
「いえ、あれも実は私に会うための口実で、わざとああしていたのかと」
「なんでそうなるんだよ!? たった二日会っただけでそうなることにビックリだ! 自意識過剰だなお前!」
俺は若干身を乗り出して言う。 レイラから俺に対する評価なんてどうでも良いが、こいつが勝手に「柊はレイラに惚れている」だなんて根も葉もない噂を流しでもしたらたまったものではない。 俺の名誉のために、だ。 どうでもいいが、勘違いされるのは好きではない。 どうにかなるならどうにかしたい案件だな、これ。
「二日も? ではなくてですか?」
しかし、レイラは心底疑問に満ちた顔をしていた。 先ほどまで、俺はてっきり冗談でレイラは言っているのだと思っていたのだが、この反応ってことは……こいつ、本気で言っているのか? まさかな。 本気でそんなことを思っている馬鹿なんて、いないだろう。
「おい、冗談は良せ。 二日連続で会っただけで惚れているなんて常識はこの世に存在しない」
「……なるほど。 それが常識なんですね、覚えておきます」
……なんだ? こいつ、マジで言っているのか? 不自然なほどに、何かが噛み合っていない気がしてきた。 俺とレイラで、話し合っている内容の焦点が合っていないような。 俺、変な言い回しでもしたかな?
「その件については分かりました。 それで、今日は何用ですか? 私の顔を見に来たのでないならば、事と次第によっては追い返します」
「ん、ああ」
だが、レイラがそこで話を仕切り直した所為で、喉まで出かかった言葉を飲み込む。 そこまで追求する内容でもないだろう。 内容でもないよう、なんちゃって。 ……やめよう、どこかの病気が移っている。 不治の病でないことを祈ろう。
「今回のこと、霊界機関からもう話は来てるのか? トンネルにいる霊界師と、境界者のこと」
「ああ、それでしたか。 来ていましたね、確かに。 A級事件として、討伐依頼が昨日の夜に届いていましたよ」
レイラは右拳を左の手の平にポンと打ち付け、言う。 リアルでその仕草をする奴は初めて見た。 こいつ、先ほどのことといい中々レアな人種なのかもしれない。 少なくとも、沙耶とは違うタイプの珍しい人種だ。
「やっぱりか。 それで、アレイスのことについては何か思い出したか? 昨日、ファンタズマの人に聞いたんだけど、やっぱり向こうはお前の顔を知っているみたいだぞ。 ライザーファミリーってところをお前が壊滅させたって。 そんで、そこの一員だったんだとよ、アレイスは」
俺が聞くと、レイラは唇に指を当て、しばし思考する。 だが、それでも返ってきた答えは「いいえ」という、簡素なものだった。
やっぱりだ。 こいつは、覚えていないんだ。 こいつの中で、ライザーファミリーを滅ぼしたこと自体、覚えるほどのものではないのだ。 だから覚えていない、だから分からない、だから知らない。 レイラにとって、その出来事は覚えるほどの価値はなかった。 覚えられるほどの出来事ではなかった。 そういうことになる。
それが、レイラという最強の霊界師なのだ。
「分かった。 んで、レイラは行くのか? その討伐」
「行きません。 そんなの雑魚にやらせておけば良いんですよ、第一、私は山とか大嫌いなんですよ、虫が多いので。 私の天敵は虫です、米粒より大きくなったら無理です。 想像するだけで駄目なんです……なんで思い出させたんですか!?」
いきなりキレるなよ。 てかすげえ理由だな……俺もこれだけあっさりと、ナメた理由を言ってみたいものだ。 しかし、虫がレイラの弱点か。 ここは有効活用したいところだが、残念ながら俺も虫は苦手である。 沙耶は夏になると、カブトムシだかクワガタだかを採りに行こうと俺を誘ってきたが、あれは本当に迷惑だった。 あれが原因で虫嫌いになったといっても過言ではないだろう。 得体の知れない形状をしていたら無理だ、ムカデとかそういうのな。
「まぁ、私は行きません。 行って軽く倒して帰る、恐らく一時間もかからないと思いますが、それでも私でなくともどうにでもなりますし」
たった今レイラが言ったように、どうやら行かないというのは本当らしい。 そう話すレイラの足元には、くしゃっと丸められた紙が落ちているからだ。 かろうじで見える文字に、霊界機関というのが見える。 それ良いの? そんな雑な扱いをして良いの?
「いります? これ」
その視線に気付いたのか、レイラは紙を拾い上げ、広げてテーブルの上に置いた。 つい昨日あったテーブルよりも高級そうなテーブルの上に。 金持っているんだろうなぁ、こいつ。 だからいくら報酬があったとしても、そんな七面倒なことはやらないというわけだ。 やはり、こいつはどこか俺と似ている。
「いらねぇよ……俺がもらってどうするんだ。 本人がサインする場所もあるじゃないか」
テーブルの上に、しわくちゃになった紙が広げられる。 そこには「A級指定犯アレイス討伐依頼書」と表題に書かれ、その下には今回の事件の概要、そして討伐すべき対象の名前、写真が貼り付けられ、最後に血印を押す場所がある。 その血印部分にはレイラ・ルイスフォールと書かれており、これがレイラ本人に向けた依頼書ということは明白だ。
「そりゃ、この契約書で依頼をこなせば、その契約者にお金が入るシステムですし。 ここに私の血印を押せば、自動的に承認される優れシステムなんですよ」
「ふうん……やっぱりこれも、霊界序列ってのがないと来ないのか?」
「基本的にはそうですね。 霊界機関に登録されている序列を持つ者に向け、送られます。 サインをすればこの紙は燃えてなくなりますが、それが承認された合図ともなるわけです」
なるほど、だったら俺や沙耶のような序列も持たない霊界師はお呼びでないというわけだ。 確実に実力を持ち、確実に対処できる人物を霊界機関が判断し、そいつらに向けて送られるというわけだな。 そして、この場合の契約者ってのはレイラのことで間違いない。 レイラ宛てに送られた契約書なのだから、当たり前の話で。 んで、レイラは俺がやっても良いとは言ったものの、その場合、お金が支払われるのは当然レイラということになる。 こいつ、タダ働きをさせようとしやがったな。
「俺だと失敗する可能性のがよっぽど高いだろ。 それこそ、お前が行けば確実に勝てるんじゃないのか?」
「もちろん。 ですけど、嫌ですよ。 今回はファンタズマの連中にも話が行っているみたいですし、遠慮ですね。 共同戦線はやりづらくて仕方ないんです」
そうだな、昨日の話……昨日、俺が因原さんから聞いた話では、ファンタズマの方にも依頼がきているという内容だった。 となれば、ファンタズマの人たちも序列持ちがいるということか。 何人が持っているかは分からないけど、因原さんが持っているのは確実だろう。
「私は一人が大好きなので」
「一匹狼って感じだもんな、レイラは」
「ま、それもありますけど……あそうだ、柊はその討伐には参加しないんですよね? それで、今日は暇を持て余していると」
どこか含みのある言い方をしたと思ったら、レイラは何かを思いついたように尋ねてきた。 俺はそれに素直に答える。
「ん? まーそうなるな。 そうじゃなきゃこんなところにこねえよ」
「私の家をこんなところと言うのはやめてくださいね。 それで、柊は私に借りがあると」
にっこりと笑い、レイラは俺の顔を見る。 可愛らしい笑顔であるが、同時に寒気を感じる笑顔だ。 待て……なんだ。 すごく、嫌な予感がしてきた。
「まぁ、そうだな」
「決まりですね。 私の訓練に付き合ってください」
こうして、その恐怖の訓練が始まった。