表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

山南藩物語

二月の徒花

作者: 史燕

いつものことながら、歴史要素は添えただけ。

さっと流して読んでくだされば幸いです。

 時は如月、北国の山南藩にも紅白の蕾が花開き始めていた。

高木清左衛門の一件からすでに数ヶ月程過ぎ、藩内は落ち着きを取り戻していた。

 この日、大井玄蕃は出仕した直後に藩主左衛門佐の命により側に控えさせられていた。


「失礼致す」


 しばらくして、中老の牧和泉守が一人の男を伴って左衛門佐のもとへとやってきた。

玄蕃も和泉守との面識はあるが、同伴する男には見覚えがなかった。

 二人は揃って平伏をしたが、その際和泉守が伴ってきた男の方から、背筋が凍るような視線で射竦められた。そして玄蕃は自身の行動を急いで制止した。思わず大刀に手が伸びそうになっていたからだ。もっとも、男の一挙一動に不審な点は見受けられない。だが、どことなく――殺気が籠っていた。


(まあ、牧和泉守の一派だし、な)


 そもそも和泉守は未だに玄蕃を蔑む一党の一人であり、明確に敵対こそしないが、あまり折り合いが良いとはいえない間柄であった。

 それはなにもただ単純に玄蕃を嫌っているという問題ではなく、牧和泉守と大井飛騨守・森長門守は長年に亘る政敵と呼べる関係ということがある。藩内の立場から考えれば、玄蕃は敵対する大井の分家でありながら藩主に重用されているのだから、例え太陽が西から登るようなことがあっても和泉守と仲良く茶をすすることなどありえないだろう。そういった事情を鑑みれば、男がこちらを警戒するのもおかしくはない。

 そうはいっても今は藩主公の御前である。

個人同士はどうであれ、この場ではそれを表面化してはならない。そのくらいの分別は玄蕃にしても和泉守にしても、最低限には持ち合わせている。


……もっとも、あくまで最低限でしかないが。


「和泉守よ。それが申していた者か」

「はっ、左様でございまする」


 どうやら左衛門佐と和泉守の間で、事前に話は済んでいたようだ。

両者ともに入室してから平伏していたが、和泉守が答えると同時に隣の男に目線で合図を送った。

和泉守に目線で促されると、男は頭を上げて名乗った。


「某は石井数馬と申します。何卒よろしくお願いいたします」

「殿、石井殿は江戸にて北辰一刀流の免許を授けられたほどの腕前です」


石井に続けて和泉守はそう言った後ちらりと玄蕃の方を見て、話を続けた。


「殿の側に仕える者で、印可を受けるほどの(つわもの)は『片腕(かたわ)の玄蕃』殿くらいしかおりませぬゆえ」


(要するに、『片腕(かたわ)の玄蕃』程度しかいない状況では満足に警護もできぬと言いたいわけだな)


「そうか、では石井よ。これよりよろしく頼む。存分に剣を振るえ」

「ははっ、承りました」


 つまりは、和泉守が推挙する石井数馬を登用することが決まったのである。

左衛門佐としてみれば、和泉守が紹介してきたという時点でそれを採用しないということはほぼありえない。玄蕃は警護役ではないが、これから石井が左衛門佐に近侍するならば必然的に顔を合わせることもある。今日玄蕃が呼ばれたのは顔合わせの意味も込めてのことだったのである。


用件が終わった和泉守と石井は退室していった。


「玄蕃よ。お主は石井をどう見る」

「はあ」


 どう見ると言われても、である。もはや登用することは確定したわけで、あとは典籍の指南と警護役である。特に職掌が被るでもなく、藩内の政局にも大きく絡みはしない。しいて言えば、なかなかの遣い手が敵対派閥についたということを本家に伝えるべきというくらいだが、左衛門佐に言うべきことではない。


「なかなかの遣い手かと」

「そうか、玄蕃なら勝てるか?」

「某は片腕でございますよ」


左衛門佐の無邪気な興味にやや頬をひきつらせながら、曖昧に流した。


「では、両手が使えたとして」

「殿もお人が悪い。勝てると申し上げたいところですが、おそらく某では敵いますまい」

「そうか」

「まあそういう意味では、中老様もよい人物を見つけてきたものだと思いますよ」


(主君の御前にしては、少しばかり殺気立っていた気がするが、おそらくは和泉守になにか吹き込まれていたのだろう)


「だが、和泉守も玄蕃を褒めることがあるのだな」

「いえ、それは――」


玄蕃は左衛門佐の話を訂正しようと遮るが、その程度ではこの主君は止まらなかった。


「なにを謙遜することがある。『片腕の玄蕃』については今では赤子でも知っておるぞ」


“片腕の玄蕃”

 誰が言うでもなく言い出した呼び名だが、今となっては城下でそれを知らぬ者はいない。玄蕃が高木清左衛門を打ち果たし、片腕になった逸話がそのまま独り歩きしたものだろう。一般には、この呼び名は称賛と憧憬を伴って口にされる。

 しかし、これが和泉守をはじめとする特定の者たちが口にする場合、それとは真逆の、侮蔑の籠った言い回しであることを玄蕃は知っていた。


――片腕になった石潰し。

――もはや剣士としては使いようが無い。

――もとはすごかろうと、もはやただの片腕になった役立たずではないか。


 そういった意味を込めて、人々にそれとわからぬように相手を見下すのが彼らであるということを、玄蕃はよく理解していた。

 とはいえ、それをわざわざここで左衛門佐に言うのもどうかというものでもある。そのため、この場は話を濁すことにした。




「お前さま、仕度が出来ましたよ」


 帰宅した玄蕃は廉と夕餉を取っていた。

献立は麦と粟に野菜・山菜を刻んでいれた雑炊である。

玄蕃は今では左手で剣を遣い、筆を持てるほどに回復はしたが、如何せん箸だけは使うことができない。そのため当然献立は匙で食べられるものになり、大井家の台所事情を鑑みると必然的に粥や雑炊となる。


「それではいつものように致しますね」

「うむ、よろしく頼む」


 現在の玄蕃は、独力で食事をとることができない。匙で中身をすくうことはできるが、器を持つことができないからだ。はじめのころはなんとか一人で食べようと工夫したが、どうやっても茶碗は手許から逃げていく。そのために何度も中身をこぼし、それを文句ひとつ言わずに毎度毎度片づけていた廉だったが、とうとう玄蕃が根をあげたのを見て取ると、一つ提案をした。


「私がお前さまの器を押さえておきましょう」


 実に単純なことだが、その介添がいるといないでは大違いなのだ。今は頑なに玄蕃が自分の手で食べようとしているが、まだ匙さえ左ではまともに扱えなかった頃には、廉が玄蕃の口へと物を運んでやっていたのだ。

 玄蕃にとっては今となってはその羞恥から身もだえしたくなることだが、廉に言わせれば


「よろしければいつでもお手伝いして差し上げますよ」


ということらしい。

 玄蕃は断固として拒否しているが、自分の旦那が大人しく自分を必要とする場面はそうないのだから、廉としてはいつでも歓迎するのだ。


 食卓での話題は、今日何があったのかをもっぱら廉を中心に話していくのが常だ。例えば隣の奥方がどんな格好だったか、手習いのお師匠さんが元気にしていたとか、そういったものである。それに対して、玄蕃はいつもぶすっとした表情で話を聞いているが、話に対して「ああ」とか「うむ」とか時折相槌を入れていることを見ると、決して話を聞いていないということはないだろう。非番の日には、その時話に載せた茶屋に連れて行ってくれることもあり、廉は玄蕃が不器用なだけで決して自分を蔑ろにしているわけではないことを知っていた。なにせ、玄蕃自身はあまり甘味というものを好むわけではないのだから。

 ところが今日はいつもと違って玄蕃から話を始めた。話題は今日から同僚となった石井という男のことである。廉は政治向きの話に詳しいというわけではないが、それでも自分の祖父や玄蕃の属する派閥と牧和泉守の派閥が対立していることは理解している。自身の夫の安否に関わりかねないことでもあり、真剣に話を聞いていた。


「これは本家の方から聞いた話なのだが……」


 そう前置きをして玄蕃が話し始めた内容は、廉にとっても事態の深刻さを伝えるものだった。




 山南藩の藩主の家系は、本宗家たる左衛門佐の他にもいくつか存在する。何といっても三河以来の譜代であるため、もとは藩祖の次男三男であった家が、現在は大身の旗本として命脈を保っているのだ。

 その旗本の家の一つを現在は左衛門佐の叔父が継いでいる。その叔父、肥後守は先代の年の離れた弟で、実は左衛門佐よりも若い。そもそもは子が無く断絶しかけていた分家を継いだだけでも肥後守にとっては幸運なのだが、さらに野心をもってよからぬ企てをしているというのが、本家の当主である飛騨守から聞かされた話であった。

実は未だに山南藩主左衛門佐に子がいない。もしここで左衛門佐に何かあれば当然藩の相続は肥後守となる。よって肥後守は左衛門佐の謀殺を企図しているというのだ。これはなにも単なる推測ではなく、江戸詰の藩士に一人不審な動きをしているものがおり、その身辺を調査したところ肥後守とのつながりが見えたそうだ。他にも藩内に内応するものがいる可能性は高いが、それ以降全く尻尾を顕さない。これはいよいよ警戒が必要という話になり、左衛門佐の側に控える機会が多い玄蕃にも注意を促したそうだ。

飛騨守の見立てによれば、今回石井数馬を警護役に採用したのも、このようなキナ臭い匂いを左衛門佐も嗅ぎ取っているからではないか、とのことであった。


「それではこれから?」

「うむ、少しばかり出仕してから帰るのが遅くなるだろう」

「わかりましたわ」


 事が事である。玄蕃に危険な目に遭ってほしくはないが、それを言うのは不可能だ。このまま飛騨守たちの杞憂で済めばいいが、それは希望的観測が過ぎる。自身の夫の片方しかない手を見つめながら、廉はこのまま何事も無く時が過ぎてくれることを祈った。




 石井数馬は美男子である。それこそ、街を歩けば女性は十人の内十人ともが振り返るほどの美男子である。石井自身もそれを自覚していたし、おかげでこれまで女に困ることはなかった。おまけに、剣の腕も立つ。北辰一刀流の皆伝というだけで多くの相手は委縮し、実際に剣を振るわずとも大抵の荒事は解決してきた。

 石井数馬は江戸ではそれと知られた剣客である。その容貌と相まって「玄武の花」と呼ばれていた。玄武は北辰一刀流の道場である玄武館のことを指す。世の人というのは単純で、強くて美形となれば、例え何もせずとも向こうから人は寄ってきた。

 その「玄武の花」を初めてすげなくあしらった女がいた。

 その女こそが、大井玄蕃の妻である廉であった。


(クソッ、大井玄蕃め)


石井数馬が廉を見かけたのは、玄蕃と顔を合わせる数日前、城下に来てすぐのことであった。

 その日、石井は特にアテも無く市中を歩いていた。城下のどこに何があり、どのような構造になっているのかを把握するためである。

そのときふと目に入った女がいた。


(なかなかの美人だな)


 最初はその程度の認識だった。身持ちが堅そうな印象があるが、そういう手合いも自分にかかればすぐ転ぶ。少しばかり暇つぶしに遊ぼう。ほんの軽くちょっかいをかけるだけのつもりだったのだ。


「お嬢さん、少しよろしいですか」

「はい、なんでしょうか」


 石井はいつもの調子では話かけた。ここで無視される場合は本当に向こうが急いでいるときだ。逆を言えば、こうして反応したということは自分に付き合う余裕があるということを示している。「これはいける」石井は確信を持った。


「少し道に迷ってしまいまして」


 もちろんこれは真っ赤なウソだ。だが大抵の女は下心込みで親切そうに道を案内する。そしてすぐに「お礼を」と言って出逢い茶屋かどこかに連れ込む。これが今まで石井が経験してきた定番の流れであり、その気が無かった相手もあれよあれよという間にモノにしてきた。

 ところが今回は勝手が違った。


「そうですか、ではこの先を左に曲がると番所がありますのでそこでお尋ねになってはいかがですか」


そう言って女はさっさと歩き始めたのだから。


「ま、待ってください。それではお礼を……」


石井は慌てて追いかけるが。


「私、夫のある身ですので」


そうバッサリ切り捨てられた。


――あれは、廉さんじゃないか。

――ああ、「片腕の玄蕃」の。

――あの人、旦那以外には見向きもしないからねえ。

――バカ、それでこそじゃないか。

――まったく、あまり見ない顔だが、あの男もバカなもんだ。


 周りの聴衆が囁く声が聞こえてきた。


(『片腕の玄蕃』? どこのどいつだ、それは)

(所詮は、こんな山奥の田舎侍じゃないか)


 石井は初めて女をモノにできなかった悔しさと、聴衆の嘲る声への怒りでいっぱいだった。そしてそれは、牧和泉守の屋敷で詳細を聞いたことで玄蕃に対する怨嗟へと繋がっていく。


(助けられただぁ? 偶々じゃないか)

(結局片腕になったなんてのは、剣が未熟だっただけさ)

(枯葉流? 聞いたことも無い。どうせ田舎剣術だろう)


 そもそも和泉守に近しい人物で玄蕃をよく言う人物など居ないのである。

それに石井自身の思いも加われば、大井玄蕃という邪魔者をどうにかしようという話になってくる。そしてそれは、和泉守の意向にも反しないのだ。いつしか石井の中では、自分が大井玄蕃を叩き伏せ、廉を自分のものにするという酷く自分勝手な物語が出来上がっていた。




 石井が出仕を始めたのは、顔合わせの翌日からだった。石井は玄蕃と目線を合わせようとすらしない。玄蕃にしてみれば身に覚えがないことだが、進んで仲良くする気も起きないので、結局両者に会話はほとんどなかった。

 変化があったのは三日目である。その日、玄蕃は左衛門佐に請われて『孫子』の軍争篇について講釈を行った時のことである。いわゆる「風林火山」の段である。


「武田信玄公の四字の旗で有名な「風林火山」でございます」

「うむ、してこの風林火山のうちもっとも重要な字句はいずれだろうな?」

「ふむ、そうですな」

「いや、待て。そうじゃな、石井数馬はどう見る」


 玄蕃が問いに答えるのを遮り、左衛門佐は石井へと話を振った。


「某ですか。某は風かと思いまする」

「ほう、それは何故か」

「いかに敵より速く攻めるかは剣に限らず兵法の基本でございますれば」

「なるほどのう」


自身の答えに納得した風の左衛門佐を見て、石井はしたり顔である。


「それで、講師はどう思う?」

「はっ、この四字の真髄はこの字句にはないことにございまする」

「ほう、この四字に本貫は無いと申すか」

「ええ、しいて言えばこの四字全てとも言えますが、その言わんとすることは全て『機に臨みて変ずるに応じよ』すなわち臨機応変な対応をせよということにございまする」

「うむむ、速きだけによらず、攻めるだけによらず、そして待つにも動かざるにもよらず、か」

「ええ、今日の初めにも申し上げましたが、兵はその利を求め時に分かち、集めるべきものです。故に、攻めるべき時に攻め、引くべき時に引き、待つべき時に待つ。もっとも戦を行う前にそれを考えておかねば敗れるというのも孫武の言葉ですが」

「うむむ、それでは最初の問いそのものが誤りというわけか。まだそなたには敵わんようだ」


 左衛門佐は玄蕃の解釈に納得したようでしきりに頷いているが、石井にしてみれば自分の答えを真っ向から全否定されたに等しい。もっとも石井は剣の腕は立つが学問は学んでいない。むしろ、あのような埃を被った書物などを読むよりも、自分の腕で力づくで解決するほうが早いと考えている。

 だが、ここではそういった問題よりも玄蕃に負けたというのが悔しかった。


 そのとき、突然襖が蹴り倒された。どうやら侵入者のようだ。


「何奴か」


 そう玄蕃が叫んだ時には、三人の曲者が部屋に殺到していた。


「ちいっ」


 玄蕃が左衛門佐の前に出た瞬間――室内に鮮血が舞った。


「どうやらこういう時には、『疾きこと風のごとく』のほうが良いようですな」


見れば、石井が三人の曲者をそれぞれ一刀のもとに斬り伏せていた。


「石井よ、感謝する」


 左衛門佐はそう言って、石井の労に報いた。

しかし、何より印象的だったのは、石井が玄蕃を蔑み見下すような目をしていた事だった。


 曲者の身元は判別できず、襲撃の黒幕はわからなかったが、状況から考えて肥後守が後背にいるとみて間違いない。このため、左衛門佐の警護役は更に二人増員された。


 事件が起こったのはその十日後、如月の晦日のことであった。

山南藩において二月三十日というのは花見の日である。そもそもは元亀の昔、藩祖が主君家康から二月の頭に賞された際に太刀・鎧を拝領した。その下賜された逸品を家臣一同の前で披露し、梅の花の下で酒宴を開いたのが始まりとされる。

 今となってはただの宴会でしかないが、その名残として城下の梅の名所に宴席を設け、その謂われのもととなった太刀と鎧を用意することが決まりとなっている。

 この日、留守居役以外は左衛門佐以下末端に至るまで藩士が揃う。そこには寸鉄も帯びることは許されず、警護役の三人のみが慣習に依らず、帯刀して左衛門佐に近侍している。玄蕃も石井を好ましいとは思わないが、先日曲者を撃退した腕前を見るに剣には信頼ができたし、警護役としては十分に勤め上げうると考えていた。


 宴は恙なく進んでいた。

最初の挨拶のあとは左衛門佐自ら家臣のもとに足を運び、盃に酌をし、藩士たちはそれを仰ぐようにして干した。それもおおよそ終わり、返盃によって左衛門佐自身がしたたかに酔ったところで、事件が起こった。


「殿っ!!」


玄蕃は突然背筋に嫌な予感を感じると、酔って牧和泉守の相手をしている左衛門佐を突き飛ばしていた。


「ちっ、『片腕の玄蕃』めが」


見れば、和泉守はどこに隠し持っていたかわからないが、短刀を手に斬りかかってきた。

後ろにいる左衛門佐をかばいながら様子を伺うと、駆け寄ろうとした警護役二人を石井数馬が後ろから斬り捨てているところだった。


(このままでは詰み(・・)だ)


大井飛騨守も森長門守も急いでこちらに駆け寄ろうとしているが、如何せん酔って足元が覚束ない上に遠い。他の藩士たちは何が起こったのかわからずおろおろしているだけだ。恐らくは、ここで左衛門佐を片付けた後に敵対勢力を石井数馬という武力で以って制圧し、自身が新しい藩主の下で藩政を牛耳るつもりなのだ、ということをこの間で見て取った。

不幸中の幸いとしては、玄蕃がさほど過ごしてはいなかったことと、左衛門佐が自力で動けることくらいか。


(せめて、せめて何か得物はないか)


玄蕃も含め、みな大小は持ち込んでいない。例外である警護役は、既に二人が斃れ一人は敵方である。もう一人とは今目の前で相対している。

 右に左にと逃げながら、玄蕃はもう一本この場に刀があることに気が付いた。


(藩祖公よ、許したまえ)


 玄蕃は左衛門佐の前にいる自分に斬りかかってくる和泉守を蹴倒(けたお)すと、左衛門佐を連れて一番の上座へと向かった。そこには床几の上に山南藩伝来の鎧と、一本の太刀が鎮座していた。

 左衛門佐を鎧の後ろへと連れこむと、玄蕃は鞘ぐるみ太刀を手にし、追ってくる和泉守の右手に思いっきり叩きつけた。思わず短刀を取り落とした和泉守の脳天に二撃目を入れると、そのまま和泉守は昏倒した。


(まずは一人)


そう思って石井の所在を確認すると、石井は獲物を前にして舌なめずりするような表情で、悠然とこちらへと向かっていた。

 整った顔立ちは醜く歪み、狂気に使嗾されているようである。


「石井よ、和泉守はこの通りだぞ」


これで情勢が変わったことを理解すれば、石井は退くだろう。すでに何人かの藩士が城へと向かっている。追っ付け武装して戻ってくるのは明白だ。


「それがどうかしたのかぁ」


石井はその状況を分かったうえで、にやりと頬筋を歪ませた。

本当にどうでもいいとでも言わんばかりに。


「まったく、バカだよなぁ」

「何がだ」


突然、石井は語りはじめた。


「最初から掌の上だったのさ。オレをそいつの側に置くよう仕向けた時から」


それは玄蕃も察していた。

おそらくは全て和泉守らによって仕組まれていた事なのだと。

先日の刺客はあくまで捨て駒。石井を味方として信用できるとこちらに思い込ませるために放たれたものだろう。


さらに石井の独白は続く。


「一千石」

「はあ?」

「一千石呉れるそうだ、そこのやつを殺せば」


恐らく自身の処遇について和泉守と取り交わした約束のことで、すでに本人の中では一千石で召し抱えられると決まったも同然なのだろう。


「それに女だ」

「女?」


今度は左衛門佐が戸惑っている。

自身の命の対価が女だと言われたのだ、無理も無かろう。


「そうだ、おんなだ。おおいぃ、お前んとこのおんなぁ、随分と別嬪だったじゃないか」

(むっ)


口には出さないが、玄蕃は自分の眉間に大きく皺を作った。


「あのあまぁ、お高く止まりやがって。折角オレが相手してやろうってのになぁ」

「まあ、これが終われば城下の女は好きにしていいそうだ。ということは、あの女もな」

「くくくっ、いい声で啼くんだろうなぁ」


 玄蕃は自身の脳裏で何かがブチィっと切れる音がしたのがわかった。

片腕がどうした。北辰一刀流が何ほどのものか。剣士として、家臣として、男として、目の前のこの男だけは決して生かしてはおけない。


「おい、石井」


玄蕃は地の底までも響かんばかりの低い声で、石井に言葉を放った。


「死ぬ前の口上はそれだけか」


玄蕃は、まるで自分ではない誰かが喋っているように感じた。それほどに、今の自分の声は低く、重く、殺気に満ち満ちていた。抑えておかなければ今すぐ飛びかかりそうになるくらい、自身の激情が奔流となって溢れそうになっていた。

一方石井は、それを面白そうにして嘲笑っていた。


「そうかいそうかい、『片腕の玄蕃』さんよォ。それで、オレをどうするのかなぁ」

「叩き斬る」

「『斬る』か『斬る』ねぇ。その片腕でどうやって? そもそも抜けるのか、その刀」

「抜けるさ」


そう言うと、玄蕃は太刀を右脇で締めて左手で鯉口を斬り、そのまま脇の力を緩めて鞘を自重で滑らせて抜いた。所謂「落とし差し」と同じ要領である。


「ほぉ、うまく抜いたもんだ。だが、左手で振るだけでオレに勝てるかな。この『玄武の花』石井数馬サマに」


そう言い放つと、いきなり大上段に振りかぶった刀を乾竹割に振り下ろしてきた。


(剣尖が鋭い)


なるほど、言うだけはある。その後もいくつもの攻撃をいなすが、その一つ一つが鋭い。なにより流石は江戸の名流、その動きが非常に軽やかだ。


「ほらほら、防戦一本じゃねぇか、『片腕の玄蕃』さんよぉ」


煽る石井の言う通り、玄蕃はひたすら躱し、いなし、受けているだけだ。しかし、少しずつ、少しずつではあるが、左衛門佐の居場所から離すことに成功している。常に左衛門佐と石井の間に自身が割って入る位置を取り、相手の剣先を逸らし続ける様は、まさしく霜葉の大刀の面目躍如といったところだろう。


「クソッ、てめぇ、しつこいんだよ」


石井もなかなか斃せないことに苛立っているのがわかるが、玄蕃は終始黙ったままである。


「ケッ、だんまりか。余裕がないんだねぇ、『片腕の玄蕃』さんよぉ」


石井はそう言うが、その間に大井飛騨守が左衛門佐を助け起こしているのが見えた。

それもまた、石井の苛立ちを助長しているのだろう。


「このクソがッ、田舎侍がッ、いちいち目障りなんだよォ」


石井の太刀筋に、さらに力が籠っているのがわかる。


(重い、な)


足の運びは軽やかで捉えにくく、それでいて一太刀一太刀が重い。

相手をする玄蕃にしてみれば、堪ったものではない。

その上片手の玄蕃では膂力に劣る。よってその太刀筋を正面から受け止めるなど、土台無理な話なのである。深傷(ふかで)こそないが、受けきれなかった剣尖によって体のあちこちに傷ができている。


 体中から血を流す玄蕃と、体に全く傷が無い石井。一見してどちらが優勢かは、火を見るより明らかだった。


 永遠に続くかと思われた両者の死闘に、変化が訪れたのは次の瞬間だった。

 そのとき、玄蕃によって跳ね上げられた石井の刀が梅の枝を叩き、紅の花が散った。


「そうか、霜葉は二月の花より紅なのだったな」


 ふと、左衛門佐が呟いたそのとき、銀色に輝く閃光が、石井の首筋へと吸い込まれていった。




 満身創痍で帰ってきた玄蕃を、廉は涙を流しながら抱きしめた。


「おかえりなさい」

「ああ、ただいま」


「とりあえず、今は寝かせてくれ」


そういって泥のように眠った玄蕃を、廉は何人たりとも触らせようとしなかった。




その後、牧和泉守の屋敷を調査したところ、肥後守との繋がりを示す証拠が発見された。

当然牧家は取り潰し、他に関わった藩士も軒並み取り潰しとなった。


「梅が枝の席の死闘」

巷間でそう呼ばれるようになる子の時の玄蕃の活躍を吹聴して回ったのは、他でもない藩主左衛門佐自身であったという。

この小説に登場する人物・団体はフィクションです。

また、特定の人物・団体を貶める意図もありません。


今回は夫婦の間が上手くいくようにになって以降の話。


今回も拙作を読んでくださりありがとうございました。


※2015年7月3日加筆・修正。

※2016年1月22日加筆・修正。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ