葛藤
自宅の玄関へと入った瞬間、私は崩れるようにしゃがみ込んだ。
顔が、燃えるように熱い……
『あの……私……っ』
『ごめん、急に言われても困るよね』
あの後どうしたら良いのかわからず、動揺しきってしまった私。
『答えは、まだいらないから……ごめん』
何故かセイは、何度も謝罪の言葉を繰り返して。
『私こそ……ごめんなさい……』
嬉しくてたまらないはずのその告白は、密やかに過去へと溶けていってしまった。
本当は私だって、セイのことをとても想っている。
ただそれを言葉にすることは、例え心の中でも、重罪のように思えたから。
セイに応えることは、どうしても出来なかった。
……けれどこのままじゃ、すべてダメになってしまうのも時間の問題な気がする。
記憶に色濃く残ったセイの真っ直ぐな瞳を思い出し、私は心を奮い立たせた。
――ルイに、言わなきゃ。
それで何か変化があるかどうかは、わからないけれど……何もしないよりは、きっとマシなはず。
恐らくこの時の私は、生まれて初めて知った強烈な恋心に、少なからず浮かれていたのだと思う。
現状を、とても安易に捉えていた。
これから胸突き刺すような、痛みを帯びた苦しみがやって来るなんて……この時はまだ、全然想像もしていなかったのだ。
第三章『始動』
短い着信音が聞こえて、私は携帯をバッグから取り出す。
差出人は、セイだった。
今日は楽しかったよ、ということと、週明けにはまた皆でランチしようね、ということがシンプルに書かれていた。
逃げるように帰ってきてしまった私を責めるようなことは、一言も書かれていない。
……どこまでも優しい人。
私は思わずうなだれた。
気持ちはこんなにも大きく膨れ上がっているのに、何も返すことが出来ない現状がとても歯痒い。
あんな素敵な人が私を想ってくれるなんて、本当に奇跡みたいなことなのに……。
私はすぐに、私も楽しかった、もちろん来週も皆の所へ行くよとメールを返信する。
セイと同様に、今日起きたことの詳細については、あえて何も触れなかった。
心苦しくてたまらないけれど、これが現段階で私が出来る、精一杯の答えだ。
「ユウ?」
と、不意に後ろから声がして、ぐるりと振り返る。
「嵐……」
「言っとくけど、ノックはしたから」
嵐は探るような目で、私の目を見てくる。
でも、何も聞いてこなかった。
嵐はいつも私のすべてを見透かし、その上で包み込むように接してくれる。
もう何年も身動きが取れず、ひたすら息を潜めて生きているような私を……。
「晩飯まだだろ? パスタ作ったんだけど」
「ありがとう」
「シケた面してんなよ、ブスになんぞ」
口は相変わらず悪いものの、柔らかく微笑んで、床に座り込んでいた私の腕を優しく引き上げてくれる。
この笑顔に、私は何度救われてきただろう。
「今日は何パスタ?」
「クリームチーズ。好きだろ?」
「やった! 大好き」
引っ張ってくれる手が、とても温かい。
嵐が弟で良かったと、心から思った。
「……その顔だと、デート楽しかったんだな」
私がキッチンで紅茶をいれていると、先にテーブルに着いていた嵐が呟いた。
「え……」
「すっごい、辛気臭い顔」
「……」
「……ルイを思い出さなきゃいけないくらい、大事に想える人が出来たんだろ」
「嵐……」
誰より、私を理解してくれる、たった一人の弟。
この子には、何一つ隠し事なんて出来る気がしない。
「……今晩、電話してみる」
「あぁ。ルイのことだ、きっと既に嗅ぎ付けてるだろうけどな」
心底嫌そうに、眉を寄せて呟く嵐。
常に絶対的な私の味方でいてくれる彼は、ルイを敵視する嫌いがある。
「でも、いつかは決着をつけなきゃいけないんだ。このまま一生ユウを縛るなんて、俺は絶対に許さない」
「……悪いのは、ルイだけじゃ」
「ルイのしてることは、もう犯罪レベルだよ。ユウが何と言おうと、俺は折れるつもりはない」
ぴしゃりと言い放つ嵐。
年下のはずの彼は、どこまでも頼もしかった。
巻き込むのは絶対に嫌だけれど、事情を知ってくれている存在があることは、何よりも救いに思える。
それは孤独で背負うには、大き過ぎる闇だから……。
その後嵐とゆっくり夕飯を食べると、私は自分の部屋に戻った。
ドクドクと波打つ心臓を宥めながら、重い気分で携帯のアドレス帳を開く。
目を閉じ、一度深呼吸してから、淡々と響く呼び出し音を聞くこと数秒――
『――ユウ?』
私の運命を翻弄して止まない、ルイの声が聞こえた。
「もしもし、ルイ……」
『随分と連絡が遅かったじゃないか』
「……」
『デートは楽しかった?』
「……ルイ」
『妬けるね。すぐにでも壊しちゃいたいよ』
クスリと密やかに笑う電話越しの彼に、背筋が冷える。
回転の鈍い頭を必死に巡らせて、私は何とか言葉を捻り出した。
「ルイ……、説明、したいの。近々会えない……?」
「もちろんだよ、ユウ」
柔らかな猫撫で声が、逆に恐怖心を増幅させる。
ルイの言葉は、甘ければ甘い程に危険を孕んでいることを、私は誰よりも知っていた。
『明日おいで』
「え……」
『日曜だ。休みだろう? ……俺ももう、待てそうにない』
優しく息の根を止めるような、絶対的な声
それに対して、私は抗う術は何一つない。
今までも、これからも。
「わかった……」
『楽しみにしてるよ、ユウ』




