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超自由戯画(チョウジユウギガ)

作者: 武倉悠樹

2012.11.13 改題

超自由偽画→超自由戯画

 そこはアトリエだ。乱雑に積み上げられた大小のキャンバスや、乾いた絵の具が載せられたパレットがそこかしこに見受けられる。

 古くなった油絵の具の独特の匂いが満たすその部屋は、芸術家の息遣いが聞こえてくるような様相だった。

 しかし息遣いは聞こえてこない。代わりに聞こえてくるのは機械の駆動音だ。

 人型を模した機械は腕として二本のマニュピレーターを備えている。モノアイを搭載した頭部にはベレー帽が被せられ、それはキャンバスに向き合っていた。それがこの部屋の主だった。

 デッサン用の塑像が傾いたまま天井を見上げるその脇で、散乱する絵の具の中からマニュピレータがひとつの青を選び出す。パレットに塗りつけるように絞り出した絵の具を、筆がさらった。筆は絵の具を手にしたマニュピレーターとは反対のマニュピレーターの先に取り付けられたものだ。

 キャンバスに青い軌跡が引かれる。

 キャンバスに張られた亜麻が極彩色に彩られていくのを、センサーカメラが捉えた。キャンバスに当たり反射した波長の表情をどう捕まえるか、プロセッサが瞬く。

 掠れながら波を打つ青。

 微かな駆動音に載って筆が踊る。

 水滴の形をした青が下から上へ点々と打たれキャンバスの上半分に広がる橙の縞模様へと飲み込まれていく。

 プロセッサはランダムと言う無限から夢を見る。

 その夢をマニュピレーターの先に取り付けられた筆がキャンバスへとつなぎとめていく。

 機械マシンが生み出す絵画。

 水滴。滴る。重力の反転。再生。胎内回帰。反権力。普遍の心理への抵抗。そしてそれに対する冷静。能動的反抗とそれを客観的に捉える主体。構成された客体。偏在する監視権力。

 計算されつくされた乱雑さの中から、乱数に導かれ絵の具を選び出し、筆に色を乗せると、マニュピレーターはキャンバスを縦横無尽に彩る。線を描き、丸を浮かべ、角を組み立て、色を塗りつぶす。

 そうして、一枚の絵画が誕生した。1303ミリメートル四方に表現された、ひとつの表現。

 それは創造と呼べるのか。

 完成した絵画はイーゼルから自動で外れると、その下に取り付けられたレールに載って、アトリエを出ていく。

 自ら生み出した絵画を一瞥することも無く、機械のマニュピレーターはアトリエに積み上げられたキャンバスを一枚拾い上げると、イーゼルにセットする。

 キャンバスの大きさを自動で感知するとイーゼルが、そして、マニュピレーターの駆動部が、自らをリサイジングする。

 新たな絵の具がパレットに乗った。それはランダムに選ばれた深い緑。

 プロセッサが瞬く。

 熱のないアトリエで絵画は生まれ続ける。



 

 生み出された絵画は鑑賞される。そこは、アトリエからレールで結ばれた場所。

 小ホールの様なその場所は中央に位置する壇に絵画を飾る額が用意され、その脇に新たな機械が佇む。

 檀を降りれば無数の頭だけを持つ機械が台座に設えられていた。それは観客だ。

 レールに運ばれ、絵画が中央の額に設えられる。キャンバスの放つ世界を幾つものカメラが捉えた。

 額の脇に位置するマニュピレーターを持たない機械は、その絵画の解体をもって新たな創造へと臨もうとしていた。

 色彩。配置。筆致。色と色の重なりに。線と弧と角の間に。奥行きと広がりを捉えて、それが二次元に落とし込まれてる様に時空間を見る。メモリが自らに刻み込まれた記憶を引き出し、目の前の光の波長とを結びつけていく。

 幾重にも重ねられた青が、意味と結びついていく。

 寂寥とした感情。蒼。空。海。広大な広がり。果てのないその色が掠れ消えていく。赤の反対。興奮。情熱との対比。冷めていく感情。精神の茫漠さ。

 メモリは幾つもの概念をキャンバスの空間に当てはめていく。

 意味の連なりと連なり。その間のニュアンスを数珠つなぎに追っていき、その輪郭を象っていくのだ。

 構築した概念をネットワークの中に浮かべ、相対化していく。似たような内容のキャプションを探し、これまでの絵画の歴史の中で位置づけていく。

 プロセッサはデーターベースと言う無限から夢を見る。

 その夢をスピーカーから放たれる波が言葉となって形をつくろっていく。

 やがて、スピーカーが創造で空気を揺らす。それは光が、解釈によって芸術に変わる瞬間。

 機械マシンが生み出す芸術アート

「この作品は、まさに自由を描いていると言えるでしょう。

 まず、この作品を前にして、最も印象に残るのは、橙と青の配置ですね。上半分を覆うこの橙の配色、これは17世紀のフランスの画家、デ・ケルシャンのオマージュといえるでしょう」

 そう言うとキャンバスが飾られた脇の壁に光学写真が投影される。

 橙の映える一枚の絵画がそこに生まれた。

「代表作はこの「在りし夕暮れ」などですね。ケルシャンは特異な色盲だったという説がありますが、真偽の程は定かではありません。ですが、ケルシャンは自身の画家人生障害にわたって、橙、黄色、赤、ピンクと言った色を愛用し、反対に青や緑と言った色をほとんど使わなかった事で有名です。

 同時にケルシャンは没落貴族の跡取りとして生まれ、自らの芸術的感情を社会との折り合いの中で上手く表現しきれなかったと芸術史家の中では評されています。

 そのケルシャンの描いた橙を彷彿とさせるこのダイナミックな彩り。配置も、朝日や夕暮れを好んで描いたケルシャンのそれがオーバラップします」

 観客たちの頭部が定期的に上下に揺れる。どこのスピーカーからか、唸り声や小さな感嘆が漏れる。

「次に青です。これは22世紀の南部アフリカ民族連合の活動家、クルゲニート・ギ・デボンの作品を引く事が適当でしょう。配色の中で常に一番上に青を持ってくる手法から見ても間違いないかと思います」

 壁に投影されている画が更新された。

「青は寒色で一般的には冷静さや知性、悲しみなどの概念を抱かせます。自然をモチーフにした作品ならば空か海を思い起こさせます。しかし、反権力の急進派として長きにわたって活動してきたデボンを持ってくることで転換を意味していると思われます。

 つまり、一般的な青のイメージからの脱却ですね。ここで、ケルシャンの橙の意味が重要になります。彼の橙はひとえに憧憬です。貴族社会の中で不自由さを感じていたケルシャンは、まだそう言った社会性に縛られる幼少期に見た風景を自身の作品に込めていたと後年発見された手記から明らかになっています。ケルシャンとデボンを数世紀の時をまたいで繋ぐモチーフがここで見えてくるわけですね。そうつまりな「自由」なのです。

 また、このひとつの色相の中で断続的に変化を見せている青。そして点在する空白部分は、存在が示唆されている超クオリア的な感覚を、近代的自我と超越論的概念の橋渡しで弁証法的に表現してるとも言えるでしょう。その思想的可能性も魅力の一つとなり得、それが通底するテーマの「自由」に拠って語られることで、作者の意図である「可能性のもとでの飛躍」と言うメッセージを読み取ることができる、素晴らしい作品なのです」

 キャンバスに乗った色。描かれた軌跡が、歴史と概念によって新たな彩色を施されていく。

 1と0が生み出した光は、また1と0に還元され、そして新たな1と0に拠って分解され、光の瞬きとして消えていく。

 それが芸術アート。そして、消費。

 作品の解説が終わると、無数の観客たちの感嘆のどよめきに送られるように、絵画は額から取り外されレールを部屋の外へと滑っていく。

 そして、次の絵画が現れた。

 機械達は終わらない夢を見る。

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