愛刀銀ちゃん!一
八木邸の周りはのどかに畑が広がっている。
「ここをとにかく東に行けばいいって」
いいお天気だけど風がまだ冷たい。
「沖田さん、今日って何月ですか?」
「三月だけど?」
夢の中は三月か。
現実では四月も終わりだったなあ
しかし長い夢だよね
急に黄色の菜の花畑が視界に飛び込んできた。
「………すごい…きれい……」
一面黄色の菜の花畑………
こんな風景はじめてみた。
「沖田さん!すごくきれい!!」
この感動を分かち合おうと振り返ると
…………いない
「沖田さん!?」
どうしよう
とにかくこの道を東って言ってたから
「沖田さーん!」
叫びながら東に駆け出した。
しばらく走ると建物やお店も増えて人通りも多くなってきた。
「どうしよう。見つからない」
一度八木邸に戻った方がいいよね……
来た道を戻りながら店をのぞいていく。
紺色の反物が積まれてる着物屋さん。
着物今着てるのしかないから欲しいなあ……
そういえば何もないんだよね。
足袋も袴も歯ブラシも下着だってないし。
ああ
お風呂に入りたい。
とうとう沖田総司を見つけられずに、また菜の花畑まで戻って来ちゃった。
どうしよう。
目が醒めるような黄色の花の中に腰を降ろす。
菜の花の香。
見上げると薄い水色の空しか見えない。
目を閉じて胸一杯深呼吸した。顔にはぽかぽか春の日差し。
夢の世界みたい。
ふいに話し声がした。
「もう大丈夫だから………」
沖田さんの声。
やっぱりお兄ちゃんの声に似てるな。
ズキリ後頭部が痛む。
そう言えばお医者さんに治療費払わないといけないんだった。
ああ………青空眺めすぎて目がチカチカする。
目を閉じて痛む後頭部をさすった。
目を開けると………………
白い天井と蛍光灯。点滴が見えた。
「………沖田総司さん?」
「!?………睦月!」
沖田総司の声だったけど、のぞきこんだのはお兄ちゃんだった。
「起きるの遅いよ………二日も寝たきりで!家に電話してくるから!!」
それから………
看護婦さんが走ってきて、白衣の先生が笑顔で 診察して………
お母さんはたくさん泣いていた。
私はぼんやり、他人事のようにその風景を眺めていた。
舞台から落ちた私は、後頭部を七針縫う怪我をして、二日も寝たきりだったらしい。
まだ目の赤いお母さんに白湯を飲ませてもらった。
「ちょっとお父さんに電話してくるね」
お母さんと入れ替わりに、お兄ちゃんが病室に入ってきた。
「今夜まで様子見て、明日は退院していいって」
缶コーヒーを開けて、ベッドの横のパイプ椅子に座った。
「お前寝言酷かったよ。沖田総司とか叫んでたし………」
「うん。新選組の夢見てたの。沖田総司さんと刀買いにいく所だった………」
「そう言えば、隣の充が久美ちゃんと毎日来てくれたよ。久美ちゃんとの殺陣で落ちたんだって?マヌケだな」
………そうだったかな?
確かに舞台から落ちたのは覚えてるけど、久美ちゃんと練習してたかな?
「あの二人付き合ってんの?」
「え!まさかー」
「………昔から充はお前の事が好きだったから、意外な組み合わせだなと思って………久美ちゃんは充が好きだって言ってたし………」
「えー!?そうなの!」
その話も初耳だよ!
充には幼稚園のときに、結婚してとか言われてたけど、あまりに昔で忘れてた………
久美ちゃんと充は、私抜きで一緒に居たことあったかな?
ていうか!なんで私に何も言ってくれなかったんだろう?
それにどうして、お兄ちゃんが知ってるの?
「その話嘘でしょう?私は久美ちゃんに、充が好きだって聞いたことないし」
お兄ちゃんは缶コーヒーを一口飲んで
「お前が充のこと好きなら諦めるって言ってたよ。だから、言っといた。幼稚園のときは結婚するって言ってたけど、睦月は絶対忘れてるって。可愛そうだな~充」
「………確かに忘れてた。でも、充が今でも私のこと好きな訳ないよ?充に久美ちゃんはもったいなさすぎるけど………親友の恋は応援してあげたいし………うーん」
病室のドアの向こうで、お母さんの声がした。
「あら!充ちゃん来てくれたの?こんなに汗かいて自転車で来たの!?遠かったでしょう?」
開いたドアの隙間から、肩で息をする充が見えた。
そのまま病室につかつか入って来て、ふうと息を整えた。
「俺は睦月が好きだから、松永久美さんにはそう言って断ったから!」
怒ったように眉間にシワを寄せて、病室を出ていった。
「へ?」
病室の入口にいたお母さんも、驚いた顔をしていたけれど、
「あら?そうだったの?お母さん全然知らなかった。びっくりしちゃった………」
私が一番びっくりしたよ。
「充ちゃんいい子じゃない?小さい頃から知ってるし」
「お母さん………無理だから」
お兄ちゃんは、缶をゴミ箱に捨てて
「充、可哀想だな」
ぽつりつぶやいた。
「可哀想じゃない!何みんな近場で恋愛してんの?!」
にやにや笑うお兄ちゃんの顔を見て
「あ!思い出した。春休みに帰って来てた時、お兄ちゃん稲荷神社で女の人といたでしょう?」
一瞬お兄ちゃんの笑顔が固まる。
「あら?お兄ちゃんも彼女いたの?どんな子?」
お母さんは興味津々。
「お母さんにお好みソース買いに行ってって頼まれた日!二人で鳥居の階段下りてきたから、私、菜の花畑に隠れたんだよ!髪が長くて、結構美人さんだった」
「睦月も隠れなくてもいいのに!どこのお嬢さん?今度連れてきなさい。お母さんも会いたいから」
お兄ちゃんは席を立って、
「トイレ行ってくる」
と病室の外に出て行った。
「あ!逃げた!!」
お母さんは楽しそうに笑っていた。
「はいはい。睦月は少し休みなさい。充ちゃんのことも、お兄ちゃんの彼女のことも、退院したらゆっくり聞きますから。お父さんが来たら、起こすからね」
二日も寝ていて、眠れないと思っていたけど、まぶたを閉じるとすぐに眠気に襲われた…………
菜の花の青臭い臭いがする。
お兄ちゃんと彼女を偶然目撃したあの日、どうして隠れたんだろう?
今日まで誰にも言わずに黙ってたんだろう?
菜の花は畑の片隅に、こじんまりと植えられていて、隠れられるほどもなかった。
絶対見つかると思っていたけど、二人は神社のお守りを眺めながら、談笑して目の前を通り越して行った。
何だか胸の辺りがすかすかした。
お兄ちゃんが知らない人に見えた。
菜の花が風でそよいで、閉じたまぶたをくすぐる。
そう。
あの時もこうやって隠れてた………
隠れてた…………………
目を開けると、あのときの100倍以上の、菜の花畑と青い空が広がっていた。
「何かあったらきて下さい。必ず!」
「はぁ……薬代は後日届けますので…………」
お兄ちゃんの声の方に、しゃがんだまま目を向けると、沖田総司と青い着物の町娘が、立ち話をしていた。
「………また、夢みてるし…………」
やっぱり頭打っておかしくなってるのかな?
足音が遠ざかっていく。
でも、誰だろう?目がキリッとしていて、きれいな人だった。
まさか、沖田さんの彼女!?
「何隠れてんだ?福田君」
「きゃーっ!!」
沖田総司は、よいしょっと隣に座って
「いつの間にか、いなくなってるから、散々探したぞ」
ため息をつく。
「ごめんなさい。迷子になっちゃって……」
「店はすぐそこにあったからいくか?」
何だか面倒くさそうな言い方
「沖田さん……」
顔も赤いし
「熱があるんじゃ……」
額に触れようとすると、嫌がるように立ち上がって
「大丈夫だよ。さっきの人に薬貰ったから」
そう言って袴の土を叩いた。
「医者の娘さんだって」
「彼女じゃないんだ」
「彼女?」
「恋人です」
「………馬鹿なこと行ってないで、行くぞ」
早足で歩いていく沖田さんの頬が、さっきよりも一段と赤くなったように見えたのは、熱のせいだろうか?
そしてまた、新選組の夢が始まった。