恋心と友情は紙一重 一
馬越さんも玉砕するんだ……
それってお珠ちゃん?
でも、お珠ちゃんは馬越さんにするって言ってたけど…………
まささんも原田さんと仲良しだし……
ああ、胸がふわふわする。
井上さんに変だって思われたよね……どうしたんだ?今日の私は……
湯船につかって深呼吸する。
「よし。もう大丈夫!私にはたくさんやることがある!命の危機だってある!」
何が大丈夫なのか、自分でも分からないのだけれど、ふわふわな気持ちを追い出そう。
明日からの私の仕事を整理しよう。
谷道場の前向きにという返事を手紙で伝えて、馬越さんと剣道を教わる。
また、あの浪士と出会ったらいけないので、明日からは羽織袴で銀ちゃんを持っていく。
湯船に顎まで浸かって目を閉じた。
蛙の鳴く声がする。
雨が降るのかな……?
「…………困ります……そないなこと頼まれても……」
外から女の人の声がする。
「頼むわ!金ならほら」
男の声?
「浪士組の奴らがなにしてんのか、教えて欲しいだけやないか……」
浪士組?!
「せやから困ります……お客様を探るなんて……」
「何でも会津のお抱えになって、大樹さんの警護するらしいやんか」
急いでお湯から出て着替えた。
お金を入った袋を押し合いへし合いしてる二人に声を掛けた。
「……あの…………」
二人は息をのんでこっちを見た。
「……浪士組の者ですが、何か御用ですか?」
男は後ずさりながら
「いえ、何でもないんですわ……」
「でも、浪士組の事聞きたいんじゃ……あ!ちょっと待っててください!」
急いで部屋へ戻って障子を開いた。
馬越さんが井上さんに馬乗りになって、プロレスの技みたいのをかけていた。
「何してんですか?男子ってたまに訳分かんない遊びしますよね。ちらし一枚もらいます」
急いで二人の元へ戻る。
「はい!今、隊士を募集してるんです。よかったらどうぞ」
男は頭を下げて、ちらしを受け取った。
「……剣術の腕があれば、誰でも試験受けられるんでっか?」
「はい。将軍様の下坂の警護で、腕に覚えのある方を募集しています。……まだまだ浪士組は貧乏で全然立派ではないですけど、これから一緒にお国のために働いて下さる方を探しています。試験は京都の壬生であるので少し遠いですけど……よろしくお願いします」
頭を下げると、男も慌てて頭を下げた。
「福田さん、そちらの方は?」
井上さんが隣に並んだ。
「浪士組のことを知りたいそうなので、宣伝しておきました」
男はもう一度頭を下げて立ち去った。
「もう……浪士組のことを教えろとしつこうて、自分で尋ねはったらええねんか……」
女中さんはぶつぶつ文句を言いながら、風呂の火を見に行った。
「福田さん、次からは私を呼んでくれますか?」
井上さんは沈んだ声。
「もしも、先程の男が志士とやらで、浪士組に探りを入れていたら、あなたの身に危害が及ぶやも知れません……ちらし配りも、私か馬越さんと二人で配ってください」
「でも……」
「いいですね?」
説き伏せるように言われて、何だかムカついた。
「私にはちらし配りも一人で任せられないって言うんですか?」
「一人では危ないと言っているだけです。出来れば、外へ出て欲しくはないのですが……」
……それって、何もするなってこと!?
「隊士募集は局長に任せられた任務です!私の任務です!」
それじゃあ何しに大坂へきたのよ?
「分かりました。でも、一人での行動はやめてください」
確かに……今日だって、脱走隊士に斬られかかったりしたけど、明日からは銀ちゃんもあるし、袴なら早く走れるし!
井上さんはため息をついた。
「福田さん……言うことを聞いて下さい」
「……そんなこと言わないよ。馬越さんはそんなこと言わない」
「……それはあなたが女だとは知らないからです」
…………また、それ?
女だから……女だから……女だから!!
「じゃあ、私のこと男だと思って下さい。だったら構わないでしょう!…………井福同盟なんか決裂です!!」
部屋へ戻ると、馬越さんはまだ夕餉の最中だった。
「もう寝ます!」
布団を敷いて潜り込む。
井上さんなんかっ!井上さんなんかっ!!
「…………えらくご立腹ですが、井上さんと喧嘩でもしました?」
「……一人では危ないから、ちらし配りはするなと……外へ出るなって……私に何もするなって……」
「……何だそれは?」
布団から顔だけ出した。
「でしょ?!私だって頑張って、勧誘してるのに!少しでもお役に立ちたいのに……井上さんは
……」
何も分かってないよ……
「……頑張ってはいますが、未だに成果がないのはきついですね」
「谷道場は前向きにって言ってます!明日から、剣道頑張りましょうね!見てろよ!井上さんめ!」
あームカつく!
「変なやつ……」
布団の中でムカついてたら、いつの間にか朝がやって来ていた。
浪士組への手紙を書こうと、京屋で借りた筆を紙に落とす……
「あ!また、墨が垂れた……」
馬越さんはまだですか?と覗きに来た。
井上さんは刀の手入れをしている。
「……下手な字やな……まさかとは思ってましたが、字が書けないのですよね?」
「書けますよ!ただ、ふにゃふにゃ字が書けないだけで……楷書は書けます!あと、口語体の文章は書けます」
馬越さんは息をついて、私の手ごと筆を握った。
「それは書けるとは言いません。いろはにほへとから、やらなあきまへんな~」
いろはにほへと……馬越さんはさらさら私の手を動かす。
ふと、顔を寄せて耳元で囁いた。
「何ならお教えしましょうか?手習代は……」
「お夏さんとこへは行きませんから!顔が近い!」
馬越さんを押し退けると、後で刀を鞘から抜いた井上さんと目が合った。
何だか難しい顔をしてこっちを見ている。
「貸して下さい。福田さんに任せといたら夜になります」
馬越さんはさっさと手紙を書いて出しに行った。
…………昨日井上さんに怒鳴り付けてから話をしていない。
手についた墨を洗いに行こうと立ち上がる。
井上さんは脇差しを抜いて、いきなり顎へ刃を当てた。
「!!何するんですか!!」
慌てて井上さんの手を押さえると、刃が当たって顎に二センチ程の細い血が滲んだ。
懐の手拭いを強く当てて止血する。
「……危ないではないですか……」
井上さんが困惑気味に呟いた。
「危ないのは井上さんでしょう!?頸動脈とか切れたらどうするんですか!」
「……髭をあたろうと思っただけですが……」
「髭?」
「はい。見苦しいでしょう?」
押さえていた手拭いを外すと、また少し血が滲んだ。
「……ごめんなさい……井上さん、私、怪我させてしまって……」
「大丈夫です。自分でもよく失敗しますから。なめとけば治ります」
「え?私、なめられませんよ。そんなとこ……」
滲んだ血に手拭いを当てて、はたと今の言動を頭の中で繰り返す。
井上さんもよく分からなかったみたいで、視線が斜め上を向いたまま、眉間に皺を寄せた。
「気持ち悪っ……可愛い娘さんならいくらでもなめてもらってかまいませんけど。財布忘れた」
馬越さんが財布を懐に入れて、こっちも見ずにまた出ていった。
「……では、なめてもらおうかな……」
井上さんとは思えない発言に、思わず飛び退く。
「何キャラ変えてるんですか!」
「伽羅?私はそんな高価なものは持っていませんが?」
……訳が分からん
ひとまずここを抜け出して手を洗いに行こう。
「女に剣術を習わせるなど言語道断!」
谷三十郎に一括された。
馬越さんの帰りを待って、三人で谷道場へと向かった。
何だってこんなに遠いのかな……
今日は曇り空で、日差しもそんなに強くなかったけれど、鼻緒で擦れた足の指はきっと豆ができている。
だから言ったのに!実は男でしたって言おうって。
馬越さん面白そうにこっちを見て質問した。
「今日は万太郎さんはご不在ですか?」
道場の中から、その人が顔を出した。
「お雪さん?今日はどうしてそのような男の格好で?帯刀までして……」
汗を拭きながら、草履に足を通した。
その後から、弟子が二人続いて出てきた。
あ!阿部さんだ!
「……あの、剣道を習いたくて…………」
「お兄さんに断わられたところです」
馬越さんが間髪入れずに付け足した。
井上さんは頭を下げて
「申し訳ありません。無理を言いまして。局長の近藤から言付かったことがあります」
そういって、三十郎さんと連れだって行った。
「剣を習いたいのか?」
谷万太郎は笑顔で目の前で足を止めた。
「はい。馬越さんと習いに来てはだめでしょうか?お兄さんには断られましたけど……」
今馬越さんに気付いたという表情で、少し考えるように黙った。
「神明流剣術の指南役だったのは兄で、拙者は少し腕は落ちるが構わぬか?槍ならば教えられるのだが……」
「ありがとうございます!……でも、大丈夫ですか?お兄さんは……」
「兄には内密に」
え?いいのかな……そんなことして…………
「良かったではありませんか!お雪さん!!」
馬越さんが嘘っぽく大げさに喜んだ。
阿部さんに試験場所が壬生だと告げると、谷三十郎が浪士組に参加するなら自分もその時一緒に参加するつもりだと言った。
今日は道場の隅に正座して、稽古を見ることにした。
馬越さんだけ防具をつけて、弟くんと打ち合っている。
弟くんなんて名前だろう?三十郎、万太郎だから……千太郎?億太郎?
「神明流剣術の指南役だったそうですね」
「ひっ!」
気配なく隣に座る井上さんは驚いたのは久しぶりだ。
「遅かったですね。話長かったでしょう?お兄さん」
井上さんは視線を馬越さん達に向けたまま、少し笑った。
「剣術なら私が手ほどきいたします。万太郎殿は槍にはもっぱらですが、剣術はそうでもないと三十郎殿はおっしゃっていました……それに」
弟くんが馬越さんにつばぜり合いで押されて、派手にすっころんだ。
「あの人は心配です」
「うわっ!馬越さん手加減したらいいのに。子供相手に大人げなーい……え?誰が心配って?」
井上さんは立ち上がって、左に置いていた刀を取った。
「……誠に福田さんはあの人にそっくりです。それから、周平殿は子供ではありませんよ。十四です」
そのまま谷万太郎の所へ歩いて行って、稽古を申し込んだ。
「誰にそっくりだって?……弟くん十四歳なの?中二じゃん……小学生かと思った」
名前も周平。
「普通…………」
今日の所は二人の稽古を半刻程見学して、谷道場を後にした。
しかし……また、この距離を歩いて帰るのは辛い。
足の指も痛い。
頑張って歩いても二人と間が開いてしまう。
「どうしました?」
井上さんが気付いて振り返った。
「何でもないです。先に行ってて下さい」
足が痛いなんて言ったら、谷道場にも行かせてくれなくなるかもしれない。
馬越さんみたいにさっさと先を行ってくれ。
通りかかったお店の床几に腰を掛けた。
中から甘い香りが漂ってくる。
お腹すいた……
「おこし、お一つどうでっか?」
女の人が、お茶とお菓子を持ってきた。
甘い香りの正体はこのおこしだ。
「ありがとうございます……」
一口かじると……硬い……でも美味しい!!
「端からいかないと、歯が折れます。お姉さんこっちにも二つ」
馬越さんが隣に腰掛けた。
その隣に井上さん。
「お土産にどうでっか?色んな味がありますえ」
お土産か……
沖田さん好きそうだな……
って、私を斬るとか言ってた人にお土産なんて
「言語道断!」
馬越さんがぷと笑った。
「谷三十郎の真似ですか?言語道断!」
「いえ…」
「硬い…」
井上さんがこりりとおこしを噛んだ。
ふとお店のお姉さんを見ると、驚いて固まっている。
「違うんです!硬いけど、凄く美味しいです!一つ下さいっ」
馬越さんが例のきらきら笑顔で、お店のお姉さんに話しかけた。
「ここは場所もいいし、お姉さんもきれいだし目立ちますよね」
「いやや、何言うてますの~」
マジで何言うてますの!?
井上さんは呆れた顔でお茶をすすった。
「もしよかったらこれ、張らせてもらえませんか?」
馬越さんは懐から隊士募集のちらしを取り出した。
お店のお姉さんはちらに目を通すと、訝しげにこっちを見た。
「……浪士組て……なんや?」
「近々攘夷決行のため、大樹様が下坂されます。その警護にあたる人を募集してます。攘夷の先駆けになりこの国を守るのですよね?」
馬越さんは井上さんに同意を求めたけれど、井上さんは返事をしない。
口を少し開いて、何か言いたげにしてたけど、また口を閉じてしまった。
「……井上さん?」
声をかけると、こっちを見て頷いた。
「こんな所で戦なんておっ始めへんで!迷惑な話や。前に来た侍は、横浜でやる言うとりましたえ?」
「え?横浜?」
「そうや。うちはお上の政なんてよう知りまへんけど、店焼かれたらかなわんさかいな。おこし一箱でええな?」
ちらしもおこしの箱と一緒に、突っ返された。
馬越さんは笑顔で受け取って
「戦勝おこしとして、売り出したらどうですか?下坂となれば、たくさんの兵が来ますし、ちらし張ってくれたら……」
馬越さんはちらしのイラストの部分を指差した。
「ここにお店の名を載せますけれど、いい宣伝になると思うけどな~」
もう一度ぴかぴかの笑顔を振り撒いた。
痛む足を引き摺って京屋へ戻った。
部屋へ入るなり井上さんが口を開いた。
「ちらしに店の名を載せるのには反対です」
十日だけと言う約束で、お店にちらしを張ってもらえることになった。
「何を今更……」
馬越さんは、お土産に買ったおこしの箱を開けた。
「……幕府は攘夷には消極的だと聞きます。攘夷の先駆けに浪士組はなるのでしょうか……」
「なるのでしょうかって、では、何のために天子様に会いに、江戸からはるばるやって来てるのですか?浪士組でも、攘夷決行の日が近々決まると、皆さん張り切っていたでしょ?」
井上さんは私と馬越さんを交互に見て間に座った。
「……もし、大樹様が攘夷決行を断られ、天子様と仲違いされたら、浪士組はどうなると思いますか?」
……大樹様……将軍と、天子様……天皇が、仲が悪くなるってこと?
公武合体じゃなくなるってこと?
馬越さんもこの井上さんの問いが分からないのか、黙って井上さんの顔を見ている。
「……分かりません」
素直に答えると、馬越さんが口を開いた。
「会津に着いていくのでは?大樹様より天子様よりも、攘夷だ、佐幕だそんな事より、会津に見捨てられたら終わりでしょう?今は」
「……そうです。浪士組はどうなるのかも知れないのに、そちらしに店など載せさせて、のちのち迷惑が掛かることになっては…………」
そこで井上さんは口をつぐんだ。
どうしてのちのち迷惑が掛かるのか、私にはさっぱりわからない。
馬越さんはおこしを口に運んだ。
「迷惑?売り上げに貢献出来るのにな……」
「……そんな目先の事だけにとらわれて、どれだけの人が不幸になったと思うのですか……幕府に付けば反幕派に叩かれ、尊王派に付けば幕府に……浪士組の動向一つで店に何が起こるか分からないのです」
えーっと、それって
「お店が浪士組とかかわると、どっちみち迷惑が掛かるってこと?尊王派にも幕府にも、お咎めを受けるってこと?」
「……そういうこともあるという事です」
じゃあ!お夏さんの所にちらしおいてもらうのもダメじゃない?
「あほか。どこぞの大名家が時勢読み間違って、御取潰しになるんやなし、何をそんなに怖がってるのですか?」
馬越さんはあきれ顔で、井上さんに向き直った。
「……馬越さんには分かりませんよ。それがどんなに酷いことか……」
二人の周りの空気が居心地悪い。
どうしよう……ケンカになったら…………
「商売なんて時の運や。いい時があれば悪い時もある。失敗してなんぼじゃ、ボケ」
ボケ?!
何ケンカ売ってるんだ!こいつは!!
馬越さんはおこしを井上さんの口に押し込んだ。
「そんなこと、井上さんに言われなくても、商売人は覚悟してます。もし、なんや因縁付けられても、逃げるすべ位ちゃんと持ち合わせてますよ。どこぞの頭悪い、石頭の、不器用な、凝り固まって動けなくなってる、お侍とは違うのです。美味いでしょう?このおこし。あの店はホンマにめっけもんや」
井上さんは目を白黒させて、口のおこしをこりりと噛んで咳き込んだ。
「大丈夫ですか?!お茶貰ってきます!」
立ち上がると、馬越さんが「俺も」と袖を引いた。
「……何があったかは知りませんけど、あまり慎重過ぎると、大事なモノ、横からかっさらわれても知りませんよ」
後ろ手で障子を閉めながら、聞こえてくる馬越さんの声に、前にもこんなことを言っていたなと思い出した。
「浪士組がどっちに転ぼうが、目の前の仕事を一つ一つこなしていくしかないのですから、どうこう頭で考えてても埒があきません……そんなにおこし屋が気になるなら、明日ちらしはがしてきますよ」
廊下を歩いて、厨を覗き込む。
皆忙しそうに働いている。
板前さんも女中さんも番頭さんも。
今、京屋に付いたお客さんだって、桶で足を洗いながら、木材の値段の話をしている。
「あ!浪士組の方。今これをお持ちしようと」
「私持っていきます。お忙しそうですね?」
厨から出てきた女中さんから、茶碗の乗ったお盆を受け取った。
「なんや飛び込みのお客が多くて、おおきに」
「あのっ!」
女中さんを呼びとめた。
「……浪士組を泊めたって、何か言われたりしてないですか?その、志士とか……」
「志士?何か言われたって……」
「……浪士組なんか泊めてって、尊王の人?とかに、文句言われたりとかないですか?」
女中さんは首を傾げて
「全然。それどころか浪士組ってなんやて、聞かれるくらいですわ。皆知らんみたいですわ。浪士組の事なんて。ちらし配らせてもらいましたえ。兄さんに、おこしごちそうさんって伝えといてな」
厨に入って行く女中さんを見送っていると、持っていたお茶に手が伸びた。
「ほら。心配する前にもっとやることあるんですよ。浪士組なんて誰も知らないのですから、もっと宣伝して隊士集めないと」
馬越さんが湯呑のお茶を飲みほした。
「俺、宣伝してきます。夕餉までには戻りますから」
「……はい。ここの女中さんにも頼んだんですか?」
「お子さんが、おこしが好きだと聞いたもので差し上げただけです」
「ふーん……」
「何か文句でも?」
商売人は覚悟してます。お侍とは違うんです……か。
「馬越さんて、たまにすごいこと言いますよね」
「?さっきの話ですか?あれは別に井上さんを頭悪いって言ったわけではないですよ。井上さんは武士だから、武士には武士の考え方があるでしょう?でも、先の事考えすぎて何も出来なくなってるでしょうあの人。あんまりごちゃごちゃぬかすからつい……」
馬越さんは困ったように頭をかいた。
「心配してるんですね」
「男の心配などしません」
泊り客が歩いてきて、二人で端に避けた。
「大事なもの横からかっさらわれるってどういうことですか?前にも死ぬ前に後悔するって言ってましたよね?」
「……福田さんは井上さんと違って頭悪いですね」
え?!本人の前で言う?頭悪いって言うか?普通?
「剣術もですが、読み書きもやらなければなりませんね。他にも……」
「……何ですか?他にもって」
馬越さんはいつもの無表情で見下ろして
「危機感がない。世の中の事を知らない。すぐ泣く。怖いもの知らず。鈍感……」
「もういい!」
怒鳴りつけると、にやり笑って京屋を出て行った。
……確かに馬越さんの言うことは間違ってはいないけれど…………
「井上さん。私って鈍感ですか?」
飲みかけたお茶で、井上さんがむせた。
「大丈夫ですか?」
咳き込みながら井上さんは頷く。
「……鈍感……と言うか……もう少し、後先考えて行動を慎んだ方が良いかと……ケホ……」
「そうですか?次から気を付けます……」
と、言ったものの、何が悪いのかさっぱり分からない。
「私は後先考えすぎ見たいですが」
「あ!さっきここの女中さんに聞いたら、誰も浪士組のこと知らないらしいですよ。だから、幕府とか尊攘派とかあんまり考えなくても良さそうです」
井上さんは頷いて
「……そうなのですよね。分かってはいるのですが、先の大獄での仕打ちがどうしても頭をよぎってしまって……」
大獄?安政の大獄?
確か、公武合体や開国に反対した人たちを罰したことではなかったかな?
井伊直弼だった?
「巻き込んで、あんな思いをさせたくはないのです……でも、私の考えすぎでした」
井上さんは笑ってお茶飲んだ。
「……何か辛いことがあったんですね」
「いえ、あ!」
井上さんが急に立ち上がって、荷物をほどいた。
「これを姉からお雪さんへ預かりました。何が入っているのかは分からないのですが……」
手のひら位の紙袋を渡された。
「お雪さんのことが許嫁だと伝わってしまったので、あなたのこと色々聞かれました。しかし、よく考えたら、あなたのこと近藤局長の縁者と言う他は何も知らないのですよね……」
……ごめんなさい井上さん。それも嘘です。
「聞いてもいいですか?」
井上さんが少し緊張した顔で質問した。
「……はい」
何だろう……浪士組の面接で越後のちりめん問屋とか、山南さんに言ったこと?
もしくは、医者の見習いって嘘ついたこと!?
全部嘘なのがバレてるとか?!
ドキドキして井上さんの顔が見られない……
「福田さん」
「はっはい!」
「本当は近藤局長の……」
「はい!すみません!!嘘です!!」
「娘さんですか?」
……………………今、娘さんと言った?
近藤局長の娘さんと言ったか?
「違います!私の父は福田誠ですから!」
「……そうですか……」
井上さんは首をかしげた。
「私の姉が……その、お雪さんのことで局長へ文を送ってしまいまして……申し訳ない。私の預かり知らぬ間に。その事で、局長に頼まれまして」
「頼まれた?」
「はい。福田さんも、その……憎からず思っているので……大切な娘ゆえ頼むと」
……頼む?
意味が分からなくて、井上さんの顔を見ていたら、ふと井上さんが視線を外した。
「私達が慕い合っているので、一緒になれと言うことです」
「それって結婚!?」
顔の温度が急上昇した。
「それは困ります!私はまだ嫁に行く気はないですから!井上さんだって嫁をもらう気はないって言ってましたよね!?」
井上さんは笑って頷いた。
「分かってます……姉の早とちりが、本当に迷惑を掛けました。近藤局長もそれであんなことを言われたのでしょう。娘さんではなかったのですね。全く似ていないからおかしいなと思いました」
……そう言えば、私を誰かの嫁にしようとしてたな。土方副長とか!
「あり得ないから……」
「良かったです。まさかとは思いましたが、福田さんが私のことを慕っていたら、どうしようかと思いました」
「……もし慕っていたらどうしたんですか?」
井上さんは笑うのを止めた。
「浪士組を辞めようかと……」
「え?!そんなに私のこと嫌いですか……ちょっとショック……」
恋愛の好きではないけど、友達だと思ってたから、その発言はかなりへこむんですけど……
「福田さんのことが嫌いだというわけではないのですよ!……申し訳ない。初めが男だと思っていましたから、どうしても女に見えないのです……それに、姉にそっくりで」
「似てませんよ……あの美人のお姉さん達には……」
「一番上の姉です。本当によく似てます……だから他人とは思えなくて……妹がいたら、こんな感じかなと」
妹!?
「いや、弟かな?」
「弟……」
あははと笑って、お姉さんから貰った紙袋を開けてみた。
中からお守りが出てきた。
「……安産祈願」
「何のお守りですか?」
覗き込んだ井上さんの顔が痙攣して
「焼き捨てましょう……」
「え!?せっかく貰ったからそれはちょっと……」
そういえば私も以前沖田さんに安産祈願のお守りをあげたことがあったな。
袋にしまって、お財布にしている巾着にしまおう。
持ってきた風呂敷包みを開けるけど、お財布がない……
近藤局長に預かったお金は、馬越さんに持って貰っているのだけれど、自分のお財布がない。
井上さんも部屋中探してくれたけれどない。
今日おこしやさんのお金は馬越さんが払ったし、そういえば京屋に来てからお財布使ってない。
でも、船代を払うときにはあったから……
「落としたのかな……」
「昨日福田さんが眠っているときに、忍び込んでいた男に盗られたのでは……」
すっかり忘れていた。
「……あの、私寝てて良く覚えてないんですけど、何かありました?」
井上さんは、まっすぐこっちを見て
「……何もなかったですよ。部屋は荒らされてましたけれど。しかし、いくら疲れていたとはいえ、もう少し用心した方がいいですね」
「……はい。気を付けます」
お財布どうしよう……
ここにいる間は、ご飯だって出るし、別にお金を使うことはないんだけど……
「ま、いっか。失くしたものはしょうがない」
井上さんが笑った。
「すみません。無頓着な所は似ていないかな」
「またお姉さんにってこと?だってしょうがないじゃないですか。ないんだもん」
「そうですね。近藤局長にお知らせしておきます。私たちは一緒にはなりませんと」
うん。それ大事!
「……私もいつまでここにお世話になれるか知れないので」
井上さんは巻物になっている紙を取り出した。
「……え?井上さん浪士組辞めるの?」
「…………井上家の家督を継いだ義兄が少し問題を起こしたみたいです。恥ずかしい話ですが、家を飛び出した私の事を、姉らは剣術の修業に出したとかなんとか適当な事を言ってごまかしていたみたいです。脱藩は重罪ですから。もし何かあれば、芹沢局長のお許しが出れば、戻ることになると思います」
「……そう……」
胸に穴が開いたって、きっとこんな気分。
でも、久美ちゃんの持っていた新選組ガイドブックの井上新左衛門が、井上さんだったら、
『討死』
嫌だ…………それは嫌だ…………
夢でも嫌だ!
絶対嫌!!!
「福田さん?」
井上さんは驚いた顔をした。
井上さんが死ぬなんて嫌だ……
「うん。井上さんはここにいない方がいい。早くお姉さんの所に帰ってください。浪士組にいない方がいい……」
笑うと頬に涙がつたった。
何で私は泣いてるんだ?!
「あれ?なんだこれ?」
恥ずかし!!
井上さんにハグされて、のどがひっくとしゃっくりした。
「……あ……あの……」
びっくりしたけど、どうしよう……すごく居心地いい……
「はぐって不思議ですよね。初めて福田さんにされたとき、すごく心が落ち着くというか安心しました」
だまって腕の中で頷く。
「伊勢で姉達と別れ際に泣かれて、はぐしたら殴られましたけど」
殴られた?!
ああ、あのお姉さんなら殴りそう。
笑うと、井上さんの笑い声が頭の上でした。
「福田さんは笑って、娘の姿でいた方がいいのにな。刀など持たずに、浪士組なんて危ない所にいない方がいい……保身のために平気で人を裏切る。おとしいれる……そんな所に浪士組もならないとは限らないのに……」
「井上さん?井上さんはそんな所にいたの?」
質問の答えはなかったけれど。
井上さんが重たくなった。
「それだったら大丈夫です。心配してくれるのはうれしいですけど、私は浪士組嫌じゃないし。まあ、斬るとか言われてへこむこと多いですけど……実は井上さんがいない間かなりへこんで……でも!ちょっと復活しましたから」
重くて後ろに手をついた。
「井上さんが辞めたら寂しいですけど……」
言葉に出すとまた、涙が浮かんできた。
「でも、井上さんにも危ない目には遭って欲しくないです。だから……」
お、重い……!
「お姉さんの所に帰ってください!重いんですけど!!」
顔を上げると、顔横五センチの距離で井上さんは目を閉じていた。
呼吸も規則正しい……
「寝てんのか?!もう…………」
お姉さんの許嫁を斬ったと言っていた。
井上さんはいつもやさしい雰囲気で、辛いことなんて何にもないみたいにいるのに。
自分の代わりなどいくらでもいると言っていた。
よしよしと開いてる片手で背中を撫でた。
「寂しいですけど……」
二人分の体重を支えている腕が限界になるまでそうしていた。




