Go!大阪
芹沢局長に投げられた肩は、次の日には紫色に腫れ上がっていた。
「……吉川先生に診てもらった方がいいな」
沖田さんは湿布を貼ってもらった。
「……でも、女だって分かりません?診察には肩を出さないといけないし、さらしは巻いているけれど、胸分かりますよね?」
「…………胸?」
むき出しの肩に気付いて、あわてて着物をかき合わせた。
沖田さんも男だった!
どうも他人のような気がしないから、つい目の前で着替えそうになったりしてしまうことが多々ある。
「……胸っていうのはそれとは違うだろ?お前からは、女の色気もなんも感じないぞ……」
なんと失礼な!
「うるさい!沖田さんだって、全然男って感じしませんよ!一緒にお風呂入っても全然平気なくらいだし!!」
「……えー……嫌だな。お前と風呂なんて……」
「こっちだって嫌ですよ!まあ、沖田さんのタイプはお光さんみたいな大人の美人ですからね……私も後五、六年したらあんなふうになるんだから…………」
「嘘だろ?元が違うだろ?」
「マジムカつく……」
馬越さんの声がして、沖田さんは立ち上がった。
「また稽古休みだな……」
障子を開けると、馬越さんが木刀を三本抱えていた。
沖田さんは一本受け取って
「やっぱりこれだよな。竹刀じゃ物足りなかった」
片手でぶんぶん振りながら稽古場へ行ってしまった。
「おはようございます。馬越さん木刀どうしたんですか?」
「沖田さん方の道場では、稽古に木刀を使われていたようで、国元から今朝届いたそうです……肩、まだ悪そうですね。吉川先生に診ていただいた方が……」
「大丈夫です!少し様子を見てみます」
馬越さんは木刀を肩に抱えて稽古に向かった。
そうか、私はお医者さんにも診てもらえないんだ。
そんなことに今更ながら気が付いた。
「福田君!」
その声に体が固くなった。
芹沢局長が一人で訪ねてきた。
昨日、背中を踏みつけられた事を思い出して顔が強ばったまま会釈した。
「…………その、体の具合はどうだ?」
今日はいつもの偉そうなオーラがない。
「わしが……福田君を蹴りつけたと聞いてな……そんなことをしたのか?」
え?覚えてないの!?
ぐいっと右手を手を引かれて、痛みに思わず悲鳴が出た。
「重傷だな……」
「……いえ。芹沢局長、お酒はあまり呑まない方が…………」
「ああ……身のためだな……」
救援室の縁側に腰を下ろした。
しばしの沈黙に耐えきれなくなって、空を見上げた。
今日は雲ひとつない快晴。
「暑くなりそうですね……みんな熱中症に気を付けないと……」
芹沢局長は黙って空を見上げた。
隊士が呼びに来るまで黙ってただ空を見上げていた。
大樹様……将軍様の下坂の警護で、浪士組は何だか慌ただしい。
「松平容保公の前で御前試合が執り行われるそうです」
朝稽古が終わって、馬越さんが朝餉を持ってきてくれた。
「松平容保って誰ですか?」
「会津藩主ですよ……京都守護職。世話になっている藩主も知らないのですか?」
そうなんだ……
会津お預かりだもんね。
馬越さんは呆れて、黙ってご飯を口へ運ぶ。
「秋山様や芝様の藩ですね。会津藩……」
て、何県だったかな……
時刻やお金といい、基本的な事が分からない。
カレンダーは同じなのかな?
馬越さんは懐から、折り畳んだ紙を出した。
「地図です。飯奢りですからね」
「……ありがとうございます」
左手で受け取った。
地図のこと覚えてくれてたんだ……って
「……島原には行きませんよ……」
「まだ言ってる……生娘か……」
「はい?!」
「……いえ。次の非番の時にでも……」
にっこり笑って、箸を置いた。
また生娘って言ったろ!!
「大坂で井上さん何してるかな」
馬越さんが話題を変えた。
隊士の募集をかけてるはずだけど。
あのお姉さん達が井上さんを連れ戻すのを、すんなり諦めたのかな?
強引に連れ戻されてたりして……
でも、そうだったら井上さんは浪士組辞めてしまうよね。
ふとため息をつく。
「……蒼介さんて言うんです。本当は。新左衛門ではなくて……お姉さんに見付かりたくなくて偽名を使ったのかな……」
馬越さんは開け放した障子から見える空を見上げた。
「うらやましい……」
「は?」
「あんな美人に追いかけ回されて……」
…………その可愛い顔と、頭の思考とのギャップがありすぎなんですけど……
「名など皆さん変えておられるでしょう?沖田さんも変えられたそうですよ」
「へー。そうなんですか?馬越さんも変えてるんですか?」
「…………変えるなら、三郎なんてありきたりな名にはしませんよ……いっそ変えるかな……馬越ってのも妙な名だしな……」
「珍しい苗字ですよね」
馬越さんは食べ終わったお椀を重ねた。
右手が使えないから、左手でどうしても犬食いになってしまう。
上手く漬け物も挟めない……
「……気持ち悪いこと言いますが、食べさせましょうか?」
「大丈夫です!先に片付けて下さい」
さすがにそれは恥ずかしい……
「遠慮せずに……何奢ってもらおうかな……」
箸を取り上げて、笑顔で漬け物顔の前に差し出した。
「はい。口開けて」
「……島原には行きませんよ」
「……生娘かお前は…………」
やっぱり肩が痛くて…………
医者に診てもらうためにはどうしたらいいか、ふといい考えが浮かんだ!
「女の格好して、吉川先生以外の先生に診てもらおう」
一応近藤局長に断ろうと、八木邸へ向かう。
玄関で原田さんと永倉さんが木刀を持って出てきた。
「よ!福田。災難だったな……」
永倉さんがすれ違い様に頭を叩いて行った。
「くじで良くないですか?」
沖田さんが紙を広げて近藤局長に突き付けていた。
「くじって、沖田さん……試衛館の者同士だと……」
山南さんが文机に頬杖ついていた。
奥に新見局長や芹沢局長もいるみたいだ。
「あの……失礼します!近藤局長」
何だかもめてるみたいだけど……
近藤局長はわざわざ外まで出て来た。
医者へ行くと言うと
「娘の格好で?……ああ……そうだな……」
「途中で着替えて行きますから」
「付いて行ってやりたいが、今取り込んでおってな……御前試合に誰が出るか決まらなくて……」
「大丈夫です。近藤局長は出られるんですよね?道場やられてたんですよね」
局長は困ったように笑った。
着物を風呂敷に包んで、お梅さんの店へ向かった。
そこで着替えさせてもらって、お医者さんを教えてもらおう。
お店はお昼を過ぎて、ちょうど客足も途絶えていた。
「まあ、ひどい怪我して…………」
買い出しに行くついでにと、お梅さんが近くの町医者まで案内してくれた。
「頭もう少しきちんと上げたらよかったわ……」
てっぺんにお団子を結っただけの髪型をみて、お梅さんはしきりに頭を触ってくる。
「お医者に診てもらう間だけですから」
なんだかんだで、診察中も付き添ってくれた。
薬を塗られて、きれいに包帯を巻かれると気のせいか痛みが少し引いた気がした。
お梅さんと別れて、先に店に戻った。
しかし、着物は歩きにくい。
袴だと裾を気にしないで大又で歩けるのに……
店の前に立って、預かった鍵で戸を開けようとすると、中から物音がした。
ど……泥棒!?
いや、もしかしたら馬越さんが、また勝手に上がり込んでるとか?
ひとまずずらかろう!
立ち去ろうと後ろを向いた瞬間!中から戸が開いて、帯を掴まれて店の中に引きずり込まれた。
後ろから羽交い締めにされて、顔は見えないけど……
「こそこそ叔母の家でなにしとんねん……また女装して……」
怒ると関西弁になることに最近気付いた……
「馬越さん……痛い……」
「……胸に詰めもんまでしてなにしとんねんて聞いてます……」
後ろから胸を鷲掴みにされて、肩が痛いのも忘れてむちゃくちゃに抵抗した。
偶然かかとで馬越さんの足を踏みつけて、後頭部が顎に入った。
そのまま机の上にあった箸置きや調味料と一緒に床に倒れこんだ。
背中をしこまた打って目を開けると、凄く近くに可愛い顔があった。
「重い!どいて下さい……」
横を向いて左手で胸を押す。
「答えてませんよ。何をしてるのですか?また、特別な任務ですか?」
「どいて!」
カン!と音がして、馬越さんが痛めた肩に頭を置いた。
「痛いってば!」
馬越さんを払い除けると、お梅さんが柄杓片手に仁王立ちで立っていた。
「われ、人の店で何しとんのや!!」
もう一度馬越さんの頭をカン!と打った。
問答無用で、お梅さんは馬越さんに店の前の掃き掃除を命じた。
「ホンマに堪忍や……怪我してんのに押し倒すやなんて…………」
「いえ……誤解してるんだと思います」
お梅さんは米をとく手を止めて
「何の誤解や?世の中にはやっていいことと悪いことがありますえ」
「……お梅さんが私に優しいって……私が何かお梅さんにしたのかって……」
お梅さんは小声で囁いた。
「もしかして……まだ男や思てるんか?あのアホは……」
「はい……お梅さんの事が大好きなんでしょうね……」
「それは小さい頃から知ってますけどな……そうか……アホやなぁ…………」
お梅さんはうれしそうに笑った。
「掃き掃除終わりました……」
不満たっぷりの馬越さんがほうきを持って店に入ってきた。
「三郎はん。うちが福田はんに優しゅうしなはれ言うたんは、三郎はんの大事な友人やからや。他に何もない。うちが一番心配なのは……」
お梅さんは微笑みながら、ひしゃくで馬越さんの頭をかんと叩いた。
「アホな甥どす。水汲んどき」
「……クソババァ…………」
「叔母ちゃん大好きの間違いやろ?」
なんだかんだ言って仲良しなんだよね。
「いいな……」
呟くと馬越さんは怪訝な顔して裏口をくぐっていった。
先に着替えて店を出ると、馬越さんが追いかけてきて、隣に並んだ。
手に酒瓶を抱いていた。
「……腕まだ痛みますか?」
「大丈夫ですよ……それ何ですか?」
「佐伯さんに頼まれました」
「まさか!酢入れてない……」
「ないです。……悪かった……」
「はい?」
馬越さんは前を見たまま
「腕を痛めているのに、掴みかかって悪かった」
「……別に気にしてませんから」
返事して、胸を鷲掴みされたことを思い出して顔が熱くなった。
さらし巻いてなかった……
馬越さんは気付かなかったよね?
「何か?」
「いえ。その……佐伯さんに頼まれたって、芹沢局長達のお酒はですか?」
「はい。多めに踏んだくろうかと思いましたが、押し借りの金だと思うと……」
「……そうですか…………」
気付いてないみたい……
アホでよかった……
「いや。良くない……押し借りのお金で、お酒買うなんて!」
「……何だか嫌な雰囲気だなぁ……芹沢局長、日に日に酔っている時が多くなる気がします。嫌なことでもあるのでしょうか?」
「……ご苦労はあると思いますけど…………お酒を飲むと忘れるものですか?」
「さあ……俺、飲んでもあまり酔わないですから……それに……あれは忘れるもなにも周りに迷惑なだけです」
うんと頷いて肩の痛みを思い出した。
右手が使えないと何も仕事が出来ない。
夕餉の支度も出来ない。
でも、ボーッとしてるのは悪い気がして、かよさんを訪ねると
「芹沢局長にやられたんやろ?まったく!酒や言うて、うちにあったのみんな持って行きよってん」
大人しく寝ときと追い出された。
行くところもなく、救護室に戻ると、佐伯さんが待っていた。
まさか!酒に酢が入ってたとか…………
「ほい。芹沢局長からや」
渡された風呂敷包みからは、薬ときれいな千代紙が出てきた。
「……私に?」
「他に誰がおるんや?散々使い走りで疲れたわ……あんたが最後や」
「……他の人にも?」
「何を心入れ替えたか知らんが、殴り付けた奴に薬配れって……訳分からん。脳まで酒でおかしくなったんちゃうか」
少しその発言にムカついた。
「そんな言い方しなくても……飲みすぎを反省されたんでしょう?よかった」
「……よかった?こんなん今日だけや。また明日になったら、飲みよるさかい……瘡毒でも回ってんちゃう……」
「瘡毒?」
佐伯さんはため息ついて
「……言うなや。わしはまだ死にとうない」
「……言いつけたりしませんよ。佐伯さんも芹沢局長と同じ水戸の方ですか?」
「何でやねん……」
「だっていつも一緒にいるから」
「……好きでおるわけちゃうわ…………これも言うな……」
「……言いませんよ」
「あかん。あんたと話してると、ついぺらぺらといらん事まで話してまう。わしも頭に瘡毒でも回ったか……」
佐伯さんは背中を伸ばして
「……あんた、妙な輩に目え付けられてるで。まあ、わしの知ったこっちゃないけどな……」
「え?なんですか?」
沖田さんが戻って来て、佐伯さんは口を閉じた。
「佐伯さんも御前試合出られるそうで」
「いやいや。沖田さんと比べられたら、わしの腕などまだまだでお恥ずかしいですわ」
急に愛想よくなった。
「また、ご指導願います」
にこり頭を下げて行ってしまった。
「佐伯さんて裏表ありすぎて面白いよな。どうしたんだこれ?」
おもしろいか?
「芹沢局長に頂きました。お薬と千代紙」
「ふーん。今日は芹沢さん大人しいと思ったら、お前の事気にしてたのか?お前、近藤さんといい……おやじに好かれるな」
沖田さんは千代紙を一枚とって折りだした。
「おやじって……近藤局長何歳なんですか?」
「ん?…………確か二十九か三十……三十路にはなってなかったかな?」
「えー!!そんなの若いんですか!!」
お父さん位かと思ってた…………
沖田さんは器用に兜を折った。
「そう言えば御前試合決まりました?」
「ああ……下手な試合して、使えないなんて思われたら一大事だからってぴりぴりしてな……分かるけどさ」
「下手な試合?沖田さんあんなに怖いのに……ぼこぼこにしてるのに……」
「……まあ、俺は試合で負けることは滅多にないけどな」
「そうなんですか?それで、誰が出るんですか?近藤局長は道場の先生だから出るんでしょう?」
「……出ないよ」
「何で?」
沖田さんは出来上がった兜を拳にかぶせた。
「局長自ら出ることはないと言われた。下っ端の俺らが出ればいいってことだろ。近藤さんは局長で俺達とは違うからな……」
そう言って、兜をくしゃっと手で丸めてしまった。
「もう多摩とは違うから、皆で剣を交えたりはしない……」
ぽつり、つぶやいてため息をついた。
「そんなことはどうでもいい……なんでもいいから……手柄を立てて、浪士組を認めさせてやる…………」
いつもは、何事にもめんどくさそうで、軽口叩ける沖田さんが、たまにひどく怖いときがある。
殿内さんに向かって、刀を抜いたとき。
刀で黒船に勝てないって話した時。
そして、今も…………
怖くて顔を引きつらせながら、気が付いたら口をついていた。
「また人を斬るの?」
「……何言ってんだお前は。そんなこと…………」
「ごめん!沖田さんごめんなさい!!」
あの時どんなに傷ついていたのか知っているのに、どうして私はこんなこと言ってしまうんだろう。
「………福田、泣くなよ。訳が分からん。また近藤さんに誤解されるだろう?」
「ごめんなさい……」
言われて気付いたけど、涙で沖田さんが滲んで見えた。
「本当にお前は訳わからん奴だよな……まず、女なのにここにいるのからして訳分からん。俺が世話係なのも訳分からん。男の振りしてんのも訳分からん……さっさと出て行くかと思ったら、なんかここに馴染んで来てるし、お前が救護室にいないと、隊士が落ち着かないのも訳分からんし……わざわざ俺に居場所聞きに来るし……」
滲んだ沖田さんはくしゃくしゃの兜のしわを伸ばして、形を整えてた。
「女なんて置いてるって知れたら、それこそ一大事なのにな……何でみんな……」
ぽんと兜を頭にのせられた。
「お前をここに置きたがるんだろう」
それは、私も不思議に思うよ。
でもね、それは私がいないといけないんだ。
リアル過ぎて忘れてしまうけれど
だってこれは
私の夢だから
朝起きたら覚めてしまう夢だから。
だけど…………どうしてこんなに胸が痛いんだろう
肩だって鈍くうずくし
「…………俺は近藤さんに偉くなって貰いたい。そのためなら何でもしてやると心に決めた。だから福田…………」
沖田さんが真っ直ぐ見据えて、目線を下にそらした。
「お前の事で、近藤さんの体面に傷がつくなら迷わずお前を斬る。たとえ近藤さんに罰を受けても斬る」
心に穴が開くって多分こういう事だろう。
一人になっても何も考えられずに、動く事も出来ずに、救護室の壁にもたれて暮れていく空を眺めていた。
悲しいのか怖いのか
傷ついたのか
「知ってたけどさ……最初から迷惑だって」
しばらくして、そう呟いて立ち上がった。
出て行こう。
そう決心した。
荷物だってそんなに多くないし、風呂敷一個で足りた。
救急箱はここに置いて行こう。
馬越さんごめんね……救護班一人で頑張ってね。
近藤局長に会ったら泣きそうになるから、会わずに出て行こう。
お礼の手紙は書いておこう。
「お世話になりました。家に帰ります」
汚い字だな……
そうそう、馬越さんに書いてもらった地図があった。
これ見ながらどっか行ってみよう。
あ、ご飯奢ってない。
お金置いて行こう。
「馬越さんへ。これでご飯食べて下さい」
それから……救護室をぐるりと見渡した。
沖田さんの試作だんだら羽織が壁に掛かっていた。
「お世話になりました」
頭を下げて救護室を出た。
門を出て運悪く土方副長と井上源さんと鉢合わせた。
「どこか行くのかい?」
源さんの問に言葉に詰まっていると、土方局長が眉間にしわを寄せた。
「……源さん先に行ってくれるか?少しこいつと話がある」
「はいよ」
私は話なんかないのに……
「急いでるんで、それじゃ失礼しま……」
「来い」
井上源さんが見えなくなって、副長は寺の方に歩き出した。
暗くて全然前が見えない。
「お前沖田に何か言われたか?」
足音が止まって、私も止まった。
「お前が出て行くかもしれないと、言いに来たからな。また兄弟喧嘩か?」
黙って首を横に振った。
「出て行くのは構わねえが、近藤さんには面見せていけ。後々面倒が起こる」
「……それは無理です」
一歩足音が近づいた。
「無理とはどういう事だ」
不機嫌な声。
「だって、近藤局長に会っても、心配しないように笑ってお別れなんて出来そうにないです……泣いて逆に心配させてしまうから……」
最後はのどが痛くなって、ぎゅっと口を閉じた。
もう泣きたくないのに涙は出てくるし。
「一つ。お前でなければ出来ない任務があるんだが……ここを出て行けるし一石二鳥だ。考えとけ」
副長の足音が屯所の方に遠ざかって行った。
「……任務って……だから私は出て行くんだって…………」
ここを出て、出来る任務…………
目の前に続く真っ暗な道に、急に決意が揺らいだ。
出て行くにも、こんな夜に出て行かなくても良かったな……
寺の前でたたずんでいたら、屯所の方から人が走ってきた。
そのまま目の前に来て、いきなり頭を叩かれた。
「お前!こんな置手紙残して!!近藤さんが大変なことになったらどうするんだ!!馬鹿かお前は!!!」
「……沖田さん?」
首根っこ掴まれて、救護室へ逆戻りした。
「離して!沖田さん!!」
意外と沖田さんは馬鹿力なのか、ズルズル引きずられて救護室まで来てしまった。
あまり騒ぐと他の隊士達が振り返るので、最後は素直に従ったけれど……
救護室には誰もいなかった。
てっきり近藤局長がいるのかと思ってたのに……?
沖田さんは目の前で胡座をかいて
「……勘弁してくれ……黙って出て行くのだけは止めてくれ……近藤さんに挨拶してからにしてくれ……」
土方副長と同じようにそれば無理だと答えた。
「……じゃあ、ここにいて俺に大人しく斬られろ馬鹿……鼻水出てるぞ……」
沖田さんに渡された紙で思いきり鼻をかんだ。
「迷惑なんでしょう?近藤局長の体面に傷がつくんでしょう?だから出て行くんです!それに、沖田さんが私を斬ったら、また前みたいに傷付くでしょう?あんな思いさせたくないもん……」
泣きすぎて目がしばしばする。
「……もう、疲れた……こんな生活……うわーん!!」
畳に突っ伏して泣いた。
泣きすぎて、頭痛がしてきた。
「……だからお前にはここは無理だと言ったんだ」
げんなりした沖田さんのため息が聞こえた。
「だって!頑張ろうと思っても、沖田さんには斬るとか言われるし、いるだけで迷惑とか言われて……私はどうしたらいいんですか!?」
泣きすぎてだんだん腹が立ってきた!
顔をあげてまた鼻をかんだ。
「……それは、近藤さんが悪い……多分……」
うろたえて沖田さんは言葉を濁した。
「何が悪いんですか?!女だから?どうしようもないじゃないですか!これだけは女なんだから!だったら、何したって駄目じゃん!頑張っても意味ないし!!」
「お前……声が大きい……」
「私だって、浪士組のために何か出来ないか、少しでも役に立てないか、応急処置のやりかたを覚えたり、漢方薬の勉強したりしてたのに……剣道出来ないから、他の事で少しでもお役に立てたらな~って……」
「分かったから黙れ……」
立ち上がって、銀ちゃんを差した。
「さよなら沖田さん……最後までご迷惑をお掛けしました…………?」
急に抱き寄せられて、背中に腕が回った。
「黙れ……女はべらべらうるせぇって原田さんが言ってたけど、お前も本当にうるせぇな……いいかよく聞け」
沖田さんは少し腕を緩めた。
「俺は近藤さんの邪魔になる奴は、女だろうが男だろうが全て斬る。お前に限った事じゃねぇ……」
「でも私はいるだけで邪魔でしょう……」
「最後まで黙って聞け!」
頭にごりっと顎を乗せられた。
「確かにお前は斬られる候補確実だが、努力は認めて保留にしててやる」
「……何それ」
「……だから、出ていくときは近藤さんの許しを経てからにしてくれ。いいな?」
「……でも……」
出ていくと決めたのに……
「今ここで斬られたいか?」
「なんでそんなに偉そうなんですか!」
「偉いんだよ!お前の上役だぞ俺は!!今夜は出ていかないな?大人しく寝ろ」
沖田さんは長いため息をついて、腕をほどいた。
「本当に勘弁してくれ……野良猫が居なくなっただけであの騒ぎようだったんだ……お前が黙って居なくなったら……」
もう一度ため息をついた。
「絶対探し出して連れ戻すの俺の役目だ……とりあえず今夜は近藤さんいないから、出て行くのだけはやめてくれ……」
「……私を連れ戻すのが面倒だから出て行くなってこと?」
「そうだよ」
さも当り前のように言う沖田さんの腹に、右手は使えないので左こぶしを叩き込んだ。
「出て行ってやる!!!」
「お前ふざけんな!近藤さんを説得させてから出て行けって!」
沖田さんに胸ぐら掴まれて、私は右足で沖田さんのお腹に蹴りを入れた。
障子がすっと開いた。
馬越さんが無言で入って来て、救急箱を取った。
取っ組み合ったまま馬越さんを黙って見ていると
「失礼しました。どうぞ続きやって下さい」
ぱたり障子が閉まった。
夜中に出ていこうと布団に大人しく入った振りをしたけれど…………
次に目を覚ましたら朝だった。
肩が痛いのを理由に朝稽古を休んで、救護室の縁側に腰掛けた。
いつもと変わらない、竹刀や木刀の音が聞こえる。
少し隊士も増えて、雑魚寝部屋は狭くなっているのじゃないかな……
昨日は泣きすぎて目が腫れていた。
朝餉がすんだら、近藤局長に会いに行こう。
ふうと深呼吸した。




