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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
1.傲慢の紅き鎧
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第二章 2

 せいか? と首を傾げる三善を引き連れ、ケファは一旦寮に戻ることにした。寮の個室には生徒が自由に使用できるパソコンがあり、ホセが持ってきたという映像資料を観るにはあそこがいいだろうと判断したためだ。勿論それらパソコンは生徒用というだけあり、使用状況を定期的に収集し担当教官に報告するシステムとなっている。ホセがこの日持参した映像資料に関しても例外でなく、ディスクを起動した際にプロセスの状態等からどのような操作をしたのかが外部に漏れてしまう可能性が非常に高かった。

 それだけ何とかできれば、とケファが言うと、ホセが一緒にくっついてきた。おそらく、何とかしてやるつもりなのだろう。

 講義棟をのんびりと歩きながら、ケファは横をちまちま歩く三善に目線を落とした。

「ところで、ヒメ。俺たちプロフェットが使う『釈義』についてだが――、その原義は?」

「え? ええと、」

 突然の質問に、三善は目をぱちくりさせ、一瞬口ごもる。だが、答えはすぐに見つかった。その証拠に、三秒後にはケファを仰いでいた。

「……『聖書の解釈』。『読み込み』だけではなくて、本文の意図を読み出す、と言った方が正しいのかな。文章それ自体の字面を追うのではなく、『文章の深層に眠る意味』を考証する。うん、これだ、こういうこと」

「はい正解。とはいえ、これは先週の授業で話したもんな。覚えて当然」

 ニヤリとケファが笑った。こういう笑い方をするときは、決まって彼がなにかを企んでいるときだ。それを知っている三善は、内心「もしかして、小テスト?」と冷や汗をかいている。こういう類の予想は八割方当たる。一般に勉学に対する評価が辛いと言われるケファ・ストルメントを相手に、一体どう戦えと。

「転じて、俺たちの能力としての『釈義』は、『信仰の力』を原動力に、神が造りし物質の本質を『読み込み(eisegesis)』、『深層に眠る本質を得て(significance)』発動している。力を体内で循環させているんだ。ここまでは復習。じゃあヒメ、プロフェット一人あたりにつき与えられる『釈義』の数とその理由は?」

 三善が露骨に顔をしかめた。そして腕組みをしながら、うんうんと唸り始めた。あまりに考え事に集中し過ぎて、目の前の階段に気がつかなかったほどだ。案の定踏み外しそうになったので、ケファとホセが同時に三善の身体を引き揚げたのだが、その時にようやく「うわっ」と目を剥く始末。

「ばーか。前向いて歩け!」

 怒られるも、三善は上の空だ。

「み、三つ!」

 口から突いて出てきたのは、謝罪でも弁解でもなく、質問の解答だというからまた驚きだ。こればかりは「そうじゃねぇよ」とさすがのケファも脱力してしまう。

 今度は階段を降りた後で、質問の解答を求めてみる。

「数は、三つから最大五つまで。でも、理由はよく分かりません」

「正直で結構。次は階段から落ちる前に結論を出せよ」

 ホセはこの二人のやりとりを、後ろから愉しげに眺めていた。三善のマイペースさもさることながら、やはりこの男・ケファが教育に関してはかなりの実力があると再認識したからである。

 というのも、本来彼は神学のドクター・コースを十八歳で修了した、そこそこ名の知れた学者なのである。そのまま学者としての道を歩いてもなんら差支えなかったはずの彼が、何故エクレシアに入団したか。ホセは一度本人に尋ねてみたことがあるが、そのときは「論文を書き続ける人生に心底嫌気が差したから」と実に真剣な表情で言われてしまった。

 エクレシア入団後も、本部に栄転が決まるまではヴァチカン支部に併設された孤児院で教師を勤めていたということもあり、その知識量は同年代の聖職者の中でも群を抜いている。この若き天才が、さらに若いプロフェットを育てようというのだから面白い。

 そう、自分があれこれ手をかけるより、彼の方が適任だった。あの子はどうやら忘れているようだが、自分はあの子に――仕方なかったとはいえ――ひどいことをしてしまった。彼がそれを思い出したら、きっと今のように飛びついてきたり、笑って話しかけてきたりしなくなる。

 これが、己自身が背負った罪なのだ。少なくともホセ自身はそう思っていた。

 ようやく昇降口に辿り着き、彼らはのんびりと歩調を緩めながら寮に向かう。天気がいい日は、なるべく外で授業を行うこと。これがケファの信条らしく、本部に滞在している間も彼らはよく中庭で逍遥しながら論じていることの方が多い。今日も例外でなく、その流れを酌んでいるようだ。

「まず個数は正解。ヒメの釈義は『金属』『プラスチック』『ガラス』の化学系三種類だし、俺だって『塩』『血液』『炭』『熱』の物理系四種類。理由は簡単、『釈義発動のたびに身体が相当なダメージを受けるから』」

 身に覚えがあるだろう、とケファが言う。例えば、能力を使いすぎて翌日寝込んだり、突然コントロールが効かなくなったりする。もっとひどい状態になると、能力そのものが体に跳ねかえる――所謂『リバウンド』が起こる。プロフェットの中ではよくあることだ。

「そのダメージは属性にもよるが、一般的に、使える『釈義』の数が多いほど大きいとされている。まあ当然だろ、身体の中で訳の分からないエネルギーが常にフル稼働するんだ、体力だって使うし、熱量出さないと動けなくなる」

 ふんふん、と大人しく聞いていた三善が、「質問、いい?」と尋ねた。ケファは無言で首を動かすだけだ。目線のみで続きを促している。

「じゃあ、釈義が一つだったり二つだったり……三つに満たない人はどうなるの?」

 確かに、前述のような説明を受ければ、誰もが考えることである。この『釈義』という能力、使用するプロフェットの大半は先天性――つまり、生まれつき備わった能力なのだ。必ずしも三つ全てが備わった状態で生まれてくるはずなど、ない。一つ乃至二つのみの状態で生まれてくる子供も必ずいるはずなのである。

 それを聞いたケファは、いい質問だ、と笑った。

「エクレシア側の見解としては、プロフェットの釈義制限にこだわりはない。しかし、いざ“七つの大罪(DeadlySins)”との戦闘が始まったとして、使える手段が一つだけ。特に対価が雨とか風とか、自然現象に基づいたものだったりすると、まず釈義を得る段階で大博打になってしまう。対価がなければ、俺たちなんかただの胡散臭い教えを述べているだけのおっさんなんだよ」

 つまり、と息をつく。「使える釈義は多ければ多いほどいい。しかし釈義それ自体は有限だ。だからより長く上手に付き合っていくためには、エネルギーそれ自体を削減しないといけない。つまるところ、そんな話」

 本当はもうひとつ理由があるんだが――

 そこまで言いかけて、ケファはぴたりと口を閉ざした。そして、後ろを歩いていたホセに呼びかける。

「映像資料って、例のサーモグラフィーも入ってる?」

「さすがに入っていませんよ。あれは持ち出し不可です」

「あっそ。ヒメ、残念だったな。もしかしたら見られるかと思ったんだけど」

 何が? と三善が問いかける前に、学生寮まで辿り着いてしまった。ここからは、例の映像を見た方が手っ取り早い。講義は一旦中断し、三人揃って借りている個室へと入って行った。


***


「それで、例のパソコンがこれですか」

 ふむ、とホセは思わず腕組みをし、とりあえず外観を観察し始めた。

 学生寮の個室は、一年生が二人部屋・二年と三年が一人部屋となっている。今回三善とケファが借りたのは一年生の空き部屋で、やや簡素なベッドが部屋の両隅に一つずつ、中央に仕切りとなるようにして机が設置されている。ホセから貰ったプロフェット用の聖職衣に着替え直している二人をよそに、ホセはそのパソコンを静かに立ちあげている。

 銀色のボディのノートパソコンは、最近国内でも人気の軽量型だ。象が踏んでも壊れない、を謳い文句にしているが、日常生活において象に出会うことなんかほとんどないのではないか……と実にくだらないことをホセは密かに考えている。

 そっとキーボードに触れ、何やら打ちこみ始めたホセ。滑らかなタイピングの音が響いている。

「ところで、ケファ。さっきの続きは?」

 着替え終え、黄色の肩帯も銀十字も元通りになった三善がケファに尋ねた。「もうひとつの理由って?」

「あぁ、そうだった」

ケファも着替え終えたらしい。金髪を手櫛で後ろに流しながら、のんびりと答える。

「今のエクレシア科学研の力では、釈義を三つ以上持つ人間でないと発見できないんだ。俺も一度見せてもらったことがあるけど、釈義を持つ人間は消費する熱量が通常の人間の倍以上になる。だから、サーモグラフィーを応用した機材を用いれば候補くらいは発見できるって訳。ただし、一つ乃至二つの釈義では、普通の人間のそれと大して変わらない。だから発見そのものが遅れる」

 その映像が見られるのではないかと思ったのだが、そこまで甘くはなかったのだった。

 正直な話、三善は「その、さーもなんとかって何?」とは思っていたが、その辺については敢えて何も聞かないでおくことにした。話の流れからすると、温度を感知する機械のようだ。それくらいの知識で構わないだろう。

「二人とも。準備できましたよ」

 そのとき、ホセのお呼び出しがかかった。彼が立ちあげてから解除するまでの時間、約五分。

「意外と早かったな」

「システムが単純で助かりました。それほど長い時間は維持できませんが、一時的にログ収集を止めています。さて、映像でも見ておきましょうか……ヒメ君、おいで」

 三善もひょこひょことパソコンまで近付き、画面を覗きこんだ。画面では、読み込み中の青いアイコンがくるくると輪を描いている。

「ヒメ、今回の放火事件の話に繋げるぞ。俺たちは、今回の放火事件の犯人が、その『一つ乃至二つの釈義を持つ者』だと考えている。そしてこれが一連のボヤ騒ぎの正体――“聖火”ってやつ」

 動画が再生され始めた。

 講義棟の一角、水道が映し出されている。時刻は夜らしく、校舎の中はしんとした闇に包まれていた。微かに聞こえる、水の音。蛇口が緩んでいるのだ。ぴちゃん、と等間隔に聞こえる軽やかな音が、夜闇に混ざり一層不気味さが増す。

 その時、三つ並んでいる蛇口の中央から、黄色の炎が噴き出した。

 炎の勢いは増すばかりで、とうとう天井に備え付けられているスプリンクラーが作動した。だが、炎は一向に消えない。むしろその勢いが増しているではないか。けたたましく鳴り響く火災警報器の音。赤く燃える炎が、白い天井を黒く焦がしてゆく。

「“聖火”というのは、その名の通り浄化作用を持つ特殊な炎のことだ。特徴は二つ。色がこんな風に黄みがかっていること、それから、普通の水道水や雨水なんかでは絶対に消えないこと。この火を唯一消せるのは、“聖水”という同じ属性を持つ水だけだ」

 しばらく燃え続けると、炎は徐々に収束してゆく。あんなに激しい燃え方をしていたというのに、今は弱い火の粉が舞うだけだ。

 三善はその映像をしばらく、じっと見つめていた。

「……もう一度、いい?」

 そして、ホセの袖口を引っ張った。「気になることができた」

「ええ。どのあたりから?」

「火が上がる三〇秒前くらい」

 分かりました、とホセがカーソルを動かし、映像を巻き戻した。画像は、再び夜の静けさに包囲された水道へと戻る。三善は食い入るように見つめ、時折首を傾げたりしている。

 火が上がった。

「ホセ、もう一回」

 画像を止め、再び同じ個所へと戻す。水の音が数度聴こえ、そして火が上がる。

「もう一回」

 どうした、とさすがのケファも顔を覗かせる。しかし三善は首を横に振るばかりで、口を割ろうとしない。

 四度目の映像。しかし今度は火が上がる直前に、

「止めて」

 三善が言うので、ホセは言われた通りに画像を一時停止する。

「ケファ、これ、なんだろう」

 そして静止画像の一部に指を指したのだった。

 三善が指差したのは、水道の右端に僅かに映る窓だった。黒く塗りつぶされているように見えるが、これが一体どうしたのだろう。

「ここで何かが動いた」

 と三善が言うので、再び彼らは画像を巻き戻し、再生してみることにした。今度は三善の指摘した部分に着目して。

 ――数秒後、ゆらり、と何かがうごめいた。

 しかしそれは本当に一瞬の出来事で、それ以降同じものを見ることはなかった。

「なんだこれ? 科学研でも発見してないだろ」

「ええ、聞いていませんが……」

 おかしいですねぇ、とホセも首を傾げている。一応、科学研の中であらゆる調査を行い、異常はないと判断されたため持ち出すことを許された資料なのだ。ということは、これに誰も気がつかなかったということか。現に、三善が言い出すまではホセもケファもこの影を完全に見落としていた。

「もう少し、解析してみる必要があるのかもしれませんね。もしかしたら私たちの予想が外れていて、“七つの大罪(DeadlySins)”との関わりがあるのかもしれない」

「じゃあ、両方から探ろう。ヒメ、」

 ケファが三善の肩を叩いた。「お前、聞きこみしてこい」

「……はっ?」

 僕が? とあからさまに動揺した素振りを見せる。赤い目が、完全に泳いでいた。お前以外に誰がいるんだ、とケファが小突くと、三善は「それもそうか」とあっさり納得してしまった。

「俺は今から四辻学長のところに行って、教師・生徒双方の情報を引き出してくる。ヒメはこれから学生寮を回って、被害に遭ったっていう奴から詳細を聞いてこい」

 分かった、と三善が素直に頷いた。おそらく、ケファが行くよりは警戒されないだろう、と考えたのだろう。なにせ、三善は高等部の生徒と同年代だ。上手い具合に仲良くなってもらえればこっちのもの。

 それに、普段大人にばかり囲まれている三善には、こういった機会がない限り同年代と話すことなんてない。何事も経験は大事なのである。

 そういう意図があるとはつゆ知らず、三善はひとり個室を飛び出していった。

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