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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
3.憤怒の橙の太刀
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第四章 2

 ここ三日のうちに行った行動。掃除。以上。

 この事実について、考えれば考えるほど頭を抱えたくなる帯刀だった。一体自分が何のためにこの場に存在しているのか分からなくなるくらいに、帯刀はその事実にただ呆然としている。

 ――あの後、トマスは「じゃあ君の言うとおり岩の子の様子を伺ってみようかな。ちょっと席を外すよ」と実にのんびりとした調子で部屋を出て行った。

 その間空き部屋を好きに使っていいと言われたので、帯刀は美袋と共に廊下を歩き、空いていそうな部屋を探すことにした。

 それにしても、と帯刀は思う。

「なあ、慶馬」

 隣をのこのこと歩いている慶馬を仰ぎ、帯刀はぽつりと呟いた。

「なんです?」

「さっき聞いた話、お前は本当だと思うか」

 その問いに、慶馬は微かに眉間に皺を寄せた。それからじっくりと思案したのち、「俄かには信じられません」と慎重に答える。その口ぶりから、慶馬自身もどう答えるべきか迷ったのだということは感じ取れた。

「そうだよな。俺もはっきり言って信じられないよ」

 はは、と力の抜けた笑みを浮かべつつ、帯刀はさらに歩を進める。

「でも、もしもそうだとすると納得はできるかな。今の『白髪の聖女』の居場所とか。どうして『契約の箱』が行方不明になっているのか、とか」

「そうですか?」

「ああ。これは予想だけれど、」

 帯刀はいくつかある部屋のうち適当にひとつを選び、ドアノブに手をかけた。そして、静かに扉を押し開く。

「『姫良三善がいる』という条件下での『契約の箱』開匣のパターンは一種類だけ。『第十三使徒』が彼の前に現れるときだけだ。もちろん『姫良三善がいる』パターンの試行回数が少ないから、それが一〇〇パーセントの確率で発生するとは言えないけれど。でも、以前に発生したパターンを確実に回避するなら、『契約の箱』と『姫良三善』を近づけないようにするか、『契約の箱』そのものを処分するのが手っ取り早い」

 だから、と帯刀ははっきりとした口調で言った。「『契約の箱』は俺たちが想像もできないようなあっと驚く場所にあるだろうな。多分、処分はしていないと思うから」

 そして、ようやく帯刀は開け放った扉の向こう側へ目をやる。

 ――あっと驚くような場所がそこにはあった。

 換気も行き届いていない室内は、これでもかと言うほどに埃が床に降り積もっている。家具などもない状況から、ただの物置として利用しようとしていたのではないかと推測できる。ただ、だからといって他になにかを保管しているという訳でもないため、ここの主たちはこの部屋を完全に持て余していたということだけは理解できた。

「ほかの場所にしよう」

 この衝撃映像を目の当たりにした帯刀はすぐに踵を返した。しかし、他の部屋を覗いてもこの部屋と同程度に埃まみれになっており、むしろ初めの部屋が一番まともにも見えてきた。

 彼らは一番初めの部屋に戻り、一言。

「掃除しよう」

「ええ」

 そんな訳で、帯刀と慶馬は何故か人の家を掃除することになったのだった。

 一日で済むかと思いきやそんなことはなく、無駄に広い部屋を寝転んでも問題ないくらいに磨き上げた頃には既に三日経っていた。

「俺たち、何しに来たんだっけ」

「若、それは気にしたら負けです」

 情けない言葉をかけ合うほどには、彼らは精神的に疲れていた。

 とはいえ、それだけをしていた訳ではないのだ。

 時々それぞれの“第一階層”が顔を出しては、雑談から過去の試行、あらゆることを話していった。大半は帯刀が一方的に聞き役に徹していたので、本来“第一階層”は長く生きている分話をすることが好きなのではないかと思ったほどだ。そして同時にこうも思う。これほどまでに友好的に接してくるということは、彼らが今までの遡行で出会った『帯刀雪』という男がそれほどまでに信頼のおける人物だったということだろう。

 ――一体、今までの俺はこの難題にどう答えてきたんだろうか。

 帯刀は片付け終わった空き部屋で足を伸ばして座り込みながら、ぼんやりと天井を仰いだ。今はただ、誰にも頼れないこの状況がとても辛いもののように思えてならなかった。

「“憤怒”のことですか?」

 慶馬に尋ねられ、帯刀はのろのろと頷いた。

「一同から、『今回の試行のときに記憶を引き継げなかった』ということを聞いているが、なぜだろうと思って」

「どういうことですか」

「ええと、あくまで想像の範疇ではあるんだけど。大司教が今回の時間遡行を行ったとき、なんらかの原因で失敗したんじゃないかと思う。そうでなければ説明がつかないことがある」

 たとえば、と帯刀は続ける。「みよちゃ……姫良三善が先天性釈義を持てなかったこと。前回はちゃんと先天性釈義を持っていたと聞いた。それに、なぜ今回大司教は身を隠しているのだろう。わざわざ逝去したことにしてまで身を隠すなんて、普通に考えてあり得ない。あのお方がいて初めて、この遡行は成立するはずだから」

 他にも気になることはいくつもある。“七つの大罪”が何かおかしいと自覚するのも無理はなかった。

「だから、『何らかの原因で不完全に遡行したため、不必要なバタフライ効果が発生した』と考えるのが無難だと俺は思う」

「バタフライ効果ですか」

「ああ。そのあたりはあまり詳しくないけどね」

 そのとき、帯刀の携帯が着信を訴えて震えた。失礼、と帯刀が懐を探り携帯を取り出すと、

「……親父殿?」

 画面に表示されたその文字を見て思わず目を疑った。

 あの親父は娘夫婦のところにはよく行くのだが、自分のところにはなかなか現れないのである。電話なんてめったにかかってこない。だからついつい、帯刀は慶馬に目線だけで意見を求めてしまった。

「出てあげればいいじゃないですか」

「なんか、とっても嫌な予感がする」

「あの人がまっとうな電話なんかしてきたことありますか?」

「ない」

 即答だった。

「取っても取らなくても結果は同じです。俺のところにかかってくるだけですからね」

 確かにそうだ。いつまでも待たせるのも問題なので、渋々帯刀は通話ボタンを押し、携帯を耳に当てた。

「……親父殿、一体何の用ですか」

 一言毒々しい言葉を付け加えてやると、電話の向こうから威勢のいい笑い声が聞こえてきた。いつもの、自分の父親の笑い声である。

『用がなけりゃ電話しちゃいけないか? ゆっきー』

「んだ。俺は今忙しい」

『仕事中? じゃあ慶馬君も横にいるんだね』

「いるよ」

 帯刀がちらりと慶馬へ目を向けると、彼は心配そうにこちらを見ていた。また不毛な喧嘩を始めるのではないかと内心ハラハラしているのはなんとなくだが理解できた。帯刀は微かに嘆息を洩らしつつ受話器の向こうの男へ意識を集中する。

 彼はいつも以上に軽い口ぶりで息子の名を呼んだ。

『そっかそっか。でさぁゆっきー。ちょっと仕事引き受けてよ』

「自分でやればいいだろ」

『拒否権はないぞ。俺は、お前が、お前自身の失態に対して尻拭いをしろと言っている。いいか、“姫良真夜”の居場所の書き換えを行ってくれ。すぐにだ、大至急!』

 あまりに軽いノリで言われたので、初め帯刀は自分が怒られているということに気が付かなかった。改めて何を言われたのかじっくりと考えて、ようやくこれは説教されているのだと理解した。しかし、説教される理由が分からない。はて、と帯刀は首を傾げ、それから壬生に対しひとつ質問を投げかけた。

「どういうこと?」

『君の友達に姫良三善っているだろう。あの子は今“大罪”に連れ去られている。姫良真夜がいるあの場所で、だ』

 その言葉を耳にした刹那、帯刀の表情からさっと血の気が引いた。

 なんだか大変なことを言われた気がする。夢かとも思い自分の頬を叩いてみたが、じんわりとした痛みが襲ってきた。間違いなく、現実。

 帯刀はすぐに口を開いた。

「詳細を教えてほしい。書き換えが終了次第、すぐにそれを売りに出す(・・・・・)。構わないだろうか」

 ああ、いいよと壬生の素っ気ない答えが返ってきた。

 話している帯刀の様子が変わったのに気付き、慶馬は思わず手を止め、彼の横顔を見詰めた。凛とした端正な表情。彼が当主としての仕事をするときは、こんな表情をしているものだ。

『いいか。“姫良真夜”は箱館にいる。そう書き変えるんだ』

「箱館? なんでまた、そんな遠くに」

『数年後、あの場所に教皇が現れるからだ。それに、本州と比べてまだあの地域は“大罪”との争いも少ない。安全な方がいいだろ』

 教皇が……。

 帯刀が小さく呟くと、頭の中の引き出しからいくつか、妥当と思われる事項を引きずりだした。

「なあ、親父殿。彼女が今も『契約の箱』を持っているのだろうか」

『……そこまで知っていたのか、お前さんは』

 呆れたように、電話の向こうからため息をつく音が聞こえる。彼からしてみれば、まさかろくに説明してもいない『契約の箱』の所在を息子から問われる日が来るなんて思ってもみなかったのだろう。しかし、それは今の帯刀にとっては最重要事項である。これを聞かないからには、この仕事は受けられないとも考えていた。

 この狸親父のことだから、きっと適当にはぐらかすに決まっている。そんなことはさせない。

 内心帯刀が意気込んでいると、意外なことに、壬生はあっさりと口を開いた。

『――うん、話してやろう。雪ももう子供じゃないし、この件とどうしても切っても切れない関係にあるからな。一度しか言わないからよく聞きなさい。“それ”は今、別の所にある』

「それはどこに?」

 小さな声で、ぽつりと壬生が告げた。その一言に帯刀は驚き、思わず電話を取り落としそうになる。動揺を隠しきれなかった。

 その様子をじっと慶馬が見つめていて、とうとう彼は帯刀の背中をゆっくりとさすり始める。大丈夫か、と聞かれたので、帯刀はやっとのことで首を縦に頷く。何とか壬生と一言、二言の会話を交わし、そしてゆっくりと、本当にゆっくりと電話を切ったのだった。

「……慶馬」

 どうしよう、と震える声で呟いた。「どうしよう、慶馬」

 “契約の箱”――あれは今、かなり身近(・・・・・)にある。それが分かってしまった。知ってしまった。

 今もまだ耳に残る、壬生の淡々とした言葉。


 ――契約の箱には別名がある。あれは神の僕の僕が持つべき釈義。適合者が今は二人存在し、そのうち一人に持たせている。

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