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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
3.憤怒の橙の太刀
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第二章 4

「そうだね……、まずは『聖戦』が起こったときのことから話そうか」

 “強欲”がしんとした口調で言った。

 それを耳にした帯刀がぴくりと眉を動かしたのを彼は見逃さない。何も言わずただ聞きの姿勢に入る帯刀からしてみれば、それは全く意識していない仕草だった。

「ああ、君はまたそんな表情をする」

 大丈夫だよ、と彼は肩を竦めおどけて見せる。「まあいいや、話を続ける。そもそもの『聖戦』の起こりは、君も知っての通り『白髪の聖女』――姫良真夜を巡って勃発した“七つの大罪”の内紛によるものだ。彼女の持つ“釈義”の能力が“七つの大罪”内で異端とみなされ、処刑されそうになった。そこでエクレシアが武力介入したことで凄まじい争いとなった。この部分は史実通りだ」

 帯刀はじっと押し黙り、彼の言葉に耳を傾けている。薄氷色の瞳がぼんやりと“強欲”の輪郭を捉えて離さない。“強欲”はソファの背にもたれながら、幼さの残る目じりを右手で擦った。

「その結果、『聖戦』の影響で世界人口が激減した。それを憂いた姫良真夜は、自身が持つ釈義『契約の箱』を展開し、一度この世のあらゆる物質を塩化させることにした。そうすることで、全てが上書きされると彼女は思ったんだ」

「……ええと、『万物更新の時』、か」

「そう、それだ。しかし、それはそうなるように仕組まれていたものだった」

 “強欲”曰く。

 エクレシアに在籍するとある司教が、「塩化による世界の終末が『神に捧げる最大の供物である』と狂信していた」。そのためには『契約の箱』とそれを操る姫良真夜を手中に収める必要があったが、その機会がなかなか訪れることがないままにその司教は時を過ごしていたのである。

 そんな中勃発した“七つの大罪”の内紛。これほどまでに素晴らしいタイミングがあっただろうか。これ幸いと言わんばかりにその司教は大司教を唆し、保護という名目で姫良真夜と『契約の箱』を奪い取った。

 そこまで話したところで、「待て」と帯刀が口をはさんだ。

「とある司教? それは今のエクレシアにも存在するのか」

「いるよ」

 “強欲”はさっぱりとした口調で言った。「でも、その人物の名をこの場で口にすると碌なことにならないから今は言わない。その時になったら話すよ」

 続きだ、と彼は淡々とした口調で続ける。

 その事実に教皇が気づいたのは、『終末の日』が訪れた時のことだ。彼は全てを知り、絶望した。こんなことになったのは、唆された自分の責任だと思ったそうだ。

 大司教はすぐに己の“釈義”を行使することにした。大司教の能力は「時間遡行」。一度に四十八時間までの間ならば、自身の記憶を残したまま時を戻すことができる。彼は何度も、何十回も、何百回も釈義を使い、ようやく『聖戦』が始まる前まで時間を戻すことに成功したのである。

「もう二度と『終末の日』は起こさせない。そう思った教皇は、まず姫良真夜に面会し、時間遡行する前のことを説明した。幸い大司教と姫良真夜には面識があり、互いの人柄が分かるくらいの仲であったから、彼女はすぐにその話を受け入れたそうだ」

 そこで彼らが『終末の日』を避けるためにいくつか取り決めをした。

 まず、『契約の箱』を姫良真夜から遠ざけること。少なくとも持ち主の手から引き離すことで「持ち主自身の意思で」開匣されることはなくなる。そう踏んで、大司教は十二使徒の中からひとり選別し、彼に『契約の箱』を持たせた。

「誰にも触れられぬ場所へ持っていけ、と。それを頼まれたのが、そこにいるトマスのおじさんだ。さらに教皇は、“七つの大罪”のうち特別力が強い七人を選び、彼らに一回目の説明を行った。そして、再び『終末の日』が訪れぬよう『全ての記憶を引き継がせる』ことを目的に『弾冠』の能力を俺たち八人に与えた。――それでも、やはり『終末の日』は起こってしまったんだけど」

 その後、教皇は何度も何度も時間遡行を繰り返した。しかし、何度やっても失敗する。何をしても『終末の日』は起こる。そのたびに時間を巻き戻した。

「――そんなことを繰り返していたら、現在一〇〇九三回目の遡行となっている。なかなか無謀なことをしているだろう、おたくの大司教は」

 それを聞き、帯刀はふと朝に三善が言っていた数字を思い出す。

 ――僕が言えるのは、いちまんきゅうじゅうさん回。

 あの数字は、このことを意味していたのか。しかし、三善の口ぶりから察するに、彼はまだこのことを知らないはずである。

 そこでようやく、三善が何をしようとしているのかが理解できた。それと同時に、一抹の不安を覚える。

「さて、ここからが本題だ」

 考え込む帯刀を横目に、“強欲”は話を続ける。「前回、一〇〇九二回目が始まったとき、教皇は姫良真夜と合意の上、とんでもない行動に出た。二人の間に子を成したんだ。それが、お前たちの知る次の『教皇』、姫良三善。さすがの俺たちも驚いたよ、色んな意味で」

 色々言っておきたいことはあったが、帯刀はその言葉を飲み込んだ。小さく咳払いしたのち、気を取り直してひとつだけ問いかけをする。

「……ええと。それまでの間に、姫良三善は」

「存在しなかった。これだけ試行回数を重ねておいて、アレが出現したのはたったの二回きりだ。滅茶苦茶だと思ったけど、彼が現れたことで事態は大きく変わった。いいところまで行ったんだよ。今だから言えるけど、多分これが一番正解に近かった」

 しかし、それでも『終末の日』は起こってしまったと彼は言う。原因は、姫良三善が現れたことで、本来起こりうることのなかった事態が発生したため。

「それは?」

 帯刀の問いに、“強欲”は小さく唸った。慎重に言葉を選んでいる様子で、じっと足元に目線を落としている。そして、ようやく決心がついたのだろう。のろのろと顔を上げ、彼はぽつりと呟いた。

「第十三使徒が現れ『契約の箱』を開いた、と言ったら分かるだろうか」

「第十三使徒? うちの『十二使徒』には、そんなものは存在しないはずだ」

「だから俺は起こりうることのない事態だと言った。その第十三使徒を覚醒させたのが、姫良三善その人だ」

 帯刀はその言葉の意味をゆっくりと、噛みしめるようにして考えている。そして最終的に、

「もしかして、『あの釈義』か」

と言った。

「多分その釈義のことで間違いない」

 つまり、彼らの言いたいことはこうだ。

 “七つの大罪”の存在意義は、近い将来エクレシアが引き起こす『終末の日』を阻止すること。そのためには『契約の箱』を誰にも関わらせてはいけない。しかし、『契約の箱』は正しい持ち主に持たせなければ必ず開いてしまう。

 そして、おそらく正しい持ち主というのは『白髪の聖女』である姫良真夜、もしくはその実子にあたる姫良三善と推測する。ただし、姫良三善に継承させた場合、十三番目の使徒が現れ、『契約の箱』を解放してしまう。

 こいつらは大真面目になにを言っているのだ。帯刀はつい頭を抱えてしまった。しかしながら、この光景、やはりどこかで見たことがある気がしてならないのだ。

 彼らが言うように、己はこのやりとりを既に何千回も繰り返しているのだろうか。

 帯刀はしばらく考えて、それからひとつだけ尋ねた。

「――なあ。今回の遡行から変わったところはあるか」

「あるよ、たくさん」

 “強欲”が言う。「今のところ分かっているのはこれくらいだ」

 まず、姫良三善が教皇逝去ののちに幽閉されたこと。

 その結果、ホセ、ケファが姫良三善の後見人になったこと。

 『契約の箱』が何故か遡行開始時から姫良真夜の手を離れ、所在不明になったこと。

 帯刀は尋ねる。

「カークランド司教は前回姫良三善の後見人ではなかったのか?」

「うん。むしろ、あの子供はカークランドとは一度も接触できていない。前回のカークランドは聖戦の時に殉教したから」

「ストルメント司祭は?」

「……拠無い事情で、戦線を離脱している」

「なるほど」

 帯刀はしばし逡巡し、すぐに答えが出なかったため、彼らに「一晩考えさせてほしい」旨を伝えた。

「というか、ありえない話が多すぎて理解に時間がかかる」

「ありえないことはありえないよ」

 でもまあ、と“強欲”は言う。「普通いきなりそんなSFじみたことを言われても困るよね」

「とにかく、俺はその話から今後起こりうる事態を『預言』すればいいんだろう。少なくとも、今言えることだけ伝えておく」

 帯刀はちらりとトマスへ目を向けた。「トマス。俺は、しばらくの間ケファ・ストルメントの動向を追うべきだと考える。以前お前が俺に助言したのとは別の理由だが、お前たちの言う『今回』がなにか違うという原因が彼にある気がする。それと、」

 今度は“強欲”へ帯刀は目を向けた。

「お前たち、ひとつ隠し事をしているだろう。“憤怒”はどうした」

 その一言に、彼らは小さく息をのんだ。そののち、“強欲”が大きく拍手する。

「ああ、やっぱりこの役目を担わせたのがお前たちでよかったよ。そう、その通りだ。今回の遡行で一番厄介なのが“憤怒”だ。彼は今、俺たちの総意とは全く異なる考えで動いている」

 帯刀が微かに眉をひそめたのを見て、“強欲”は続けた。

「今回の遡行の際、“傲慢”と“憤怒”の二人は何故か今までの記憶を失った状態で現れている。それが原因かは定かでないが、“憤怒”は完全に単独行動を取っている。正直、あれが何を考えているかはよく分からないね。とりあえず今は様子を見ているところだけど」

「……ふむ」

 帯刀はそれ以降何かをじっと考え込んでいる様子で口を閉ざしてしまった。

 ひとまず明日に改めて話をするということで、一旦この場はお開きになった。

 そうしていると、トマスが小さなカップを持ってやってきた。白いカップの中には琥珀色をした紅茶が入っており、湯気がふわふわと立ち上っている。優しい、いい香りがした。

「ほらよ。毒は入ってねぇぞ」

 帯刀はそれを受け取ると、慶馬がなぜか睨みを利かせてくるので、しぶしぶ一度それを引き渡した。彼が一口だけ頂くと、無言でそれを帯刀に返す。耳元でそっと「いつものように」と囁いてきたので、とりあえず毒味の結果は良好だったようだ。

 渋い顔をしながら帯刀がカップに口をつける。

「ん、ファースト・フラッシュか」

「お、さすが王子様。舌が肥えていらっしゃる」

「紅茶は好きだ」

 他の第一階層は、早々に「やることがある」と言って引き上げてしまった。トマス曰く、この場所はただの本拠地というだけで、彼らは普段別行動ばかりとっているのだという。床に転がっていた“怠惰”すらも用事があると言って出て行ってしまったのだ。おそらくトマスの説明はその通りなのだろう。

「さて。どうだった、あいつらの話は」

 トマスが尋ねると、帯刀がだるそうな口調で言った。

「驚き……、じゃないな。心底恐ろしい」

 帯刀は額に手をやり、微かに眉間に皺を寄せる。しばらくして急に何かに気がついたらしく、ぱっと顔を上げた。

「そうだ。前回、俺たちはどうなった?」

 トマスが自分のカップに紅茶を注ぎつつ返答する。

「ん? うん、死んだよ。お前たちだけでなく、全員」

 随分あっさりとした口調で言われたので、「あ、そう……」としか返せない帯刀であった。

「――だから俺は“十二使徒”も“エクレシア”も全部蹴っ飛ばして、“七つの大罪”に寝返ったんだ」

 トマスが言う。「“教皇”の命を受けたからではなく、これは俺の本心だ。姫良三善もかわいそうな子だよ。結局のところ、あれは『終末の日』を阻止するためだけに生まれた子だからな。あまりにかわいそうだから、俺は今回、彼が聖職者の道に踏み込む前に止めに行ったんだ。要するに彼がそちらの道に進まなければいいと思って。でも、失敗した」

 ことん、と小さな音を立て、テーブルの上にポットが置かれた。トマスの瞳は揺らぐ琥珀色の水面へ向けられている。

「――止めようとするたびに、俺はホセ・カークランドに殺される」

 彼は背を向け、ほんの少しさみしそうな口調で言った。「何度も何度も。あいつは執拗に刺してくるんだよ。あいつはそれしか自分の“正義”を貫く方法を知らない。その刃を受けるたびに考えるんだ。ああ、こいつもかわいそうなやつだな、って」

 そして顔を上げる。彼の深海のような瞳は、瞬間きらりと銀色の光彩を放った。その色は、まるで刃物の切っ先のように鋭く、そして美しい。魅入られたら最後、その中に取り込まれてしまいそうだった。

「結局“正義”なんてものは、ただの人間のエゴでしかねぇんだよ」

 帯刀はそれきり、黙り込んでしまった。彼に今、見えないナイフで切りかかられた、と思った。それで心臓を抉られた。だから今、こんなにも痛いのだと思う。

「……なあ、お前はどう思う」

「ん?」

「正義の定義とは」

 帯刀は囁くような声色で尋ねた。言っていることが無茶苦茶だと、自分でも分かっている。しかし、どうしても彼の口から直接聞いておきたかったのだ。

 トマスは一度きょとんとしていたが、しばらくの後ゆっくりと答えた。

「定義なんかなくても、世の中どうにでもなるだろ」

「それもそうだ」

 ふふ、と笑い帯刀は席を立つ。カップを返そうと思ったのだ。トマスへ近づこうとしたその時、鼻に何か異様な匂いを感じた。

 腐臭、だろうか。少しだけ油っぽくべたついた、甘い臭いだ。帯刀は小さく首をかしげた。こんな臭いがする要素など、どこにもないのだが。

 トマスはああ、と気さくに笑う。

「悪い。やっぱり臭うか」

「いや、……何の臭い?」

 尋ねると、「見るかい?」とトマスは突然上に着ていた服を脱ぎ始めた。聖職衣を連想する黒いジャケット、そして下に着ている白いカッター・シャツ。それらを順に脱いでいく。

「お前の質問の答えだ。『防腐剤でも入っているのか?』」

 驚愕した。

 彼の首筋から背中の中央部にかけて、皮膚が爛れたように変色し、そこから生臭い奇妙な臭いが立ち込めていたのだ。

 そう、彼は文字通り『腐食していた』。

 帯刀と慶馬の度肝を抜いたところでトマスはにやりと笑い、すぐに無効化の釈義を展開し元の綺麗な皮膚に戻した。先程のグロテスクな状態が、今は嘘のように跡形もなく消えてしまった。

「この“無効化”の能力もさ、もう長く持たないんだ。身体が限界らしい。俺も新しい身体、探さなきゃな」

 どこかに綺麗な身体、落ちてないかな?

 冗談めかして言う彼だったが、どこまで冗談で言っているのか分からないので単純に怖いと思ってしまった帯刀だった。

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