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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
2.嫉妬の蒼き弾丸
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終章 1

 本部指定保護区域・第十三ゲート内会議室。

 暗くどんよりした居室の下座で、ホセはじっと上座に鎮座する男――ジェームズを見つめていた。否、睨めつけていたと言った方が正しい。白い聖職衣はこんな時に限ってやたら眩しく見え、自分を闇に溶け込ませることを全力で拒否しているようでもあった。

 ああ、どうせならこのまま闇に溶けてしまいたかった。そう嘆息する余裕など、今の彼には全くなかったのだが。

 件の“A-P”暴走。それが今回の議題である。

 エクレシア史上最年少の助祭であるプロフェット・姫良三善がそれを抑え込み、加えて“嫉妬”第一階層の浄化を行ったという。後者の浄化についてはジェームズとホセ両名しか知らない事実であるが、前者の“A-P”鎮静化だけでも他の司教にしてみればインパクトのある出来事だったようだ。

 少なくとも、これで三善の株は司教連中の間では格段に上がったことになる。彼が将来先に進むための追い風になるだろう。

 問題は、マリアだ。

 今回の責任は間違いなく自分にある。彼女に嫉妬という感情を植え付けられてしまうなんて失態、どう言い訳をすればよいのか全く見当がつかない。肝心な時に彼女を制御できず、浅木市に甚大な被害を及ぼしてしまった。

 とはいえ、一度自我を持ってしまったアンドロイドをそう簡単に処分できるはずがない。彼女はもはやただのロボットではなく、人間とほぼ同等になってしまっている。

 ホセは思う。

 これは処分という名の、公認の殺人ではないのか。それは我々の教えに反するだろう。――だが、このような論理展開は、この大聖教の中では決して受け入れられることはない。下座で地を這う自分と、上座で見下ろすあの男の間には、測り知れない距離があるのだ。そしてその距離は永遠に縮まることはない。

 自分の失態でひとつの存在をなくしてしまうことがたまらなく悔しかった。

 その点、科学研は非常にうまいやり方で処分の先延ばしをしたように思う。今ホセが考えている感情論よりももっと証明しやすい、科学的見地に則って論理を展開している。

 挽回するための機会は十分に与えられている。あとはそれを利用するだけなのだ。

「……ブラザー・ホセ。今回の件について、あなたはどのように考えますか」

 侮蔑を含んだ声色で、ジェームズはホセにそう問いかける。

 ホセは感情らしい感情を言霊に託さず、淡々と事実だけを述べた。

「本件についての責任は、私ただひとりにあります。処分するなら、どうか私を」

 さあ、私を殺してくれ。瞳でそう強く訴えた。

 ジェームズはそれを感じ取ったのだろう、あからさまな嘲笑をホセへ向けた。

「殺せ、と。そう言いたいのか?」

「あなたにとって決して悪い話ではないはずですが。この場で排除でも何でも、好きにすればいい。あなたにはその権限がある」

「私は教えに背く気はない」

「マリアを廃棄処分することと一体何が違うのですか。彼女を処分すると言うのなら、私もその場で殺しなさい。喜んで彼女を連れて天国の門を潜りましょう。まあもっとも、私が行く先は確実に地獄でしょうが」

 ホセはじっと真正面に座る彼を睨めつけた。それに臆することなく、ジェームズもじっとアイボリーの瞳に鋭い眼光を投げかける。

「人間はどの段階で人間と認められるのか。今、我々の倫理が問われていると何故気が付かないのですか」

 その時だった。

 突然会議室の扉が開き、廊下の電灯が暗い室内を明るく照らし出す。小さな人影がひとつ、長く伸びていた。

 その気配の正体に気が付き、ホセははっとして振り返る。ジェームズは『彼』を真正面から見つめ、その他の司教は罵声を浴びせ始めた。

「何者だ! ここは司教以外立ち入り禁止だ!」

「助祭ごときがなぜここに……!」

 そこに立つ人物の肩には、助祭を表す黄色の肩帯が下げられていた。背はそれほど高くなく、赤みがかった灰色の癖毛はとても珍しい。プロフェットが身にまとう白と黒二色の聖職衣を翻し、その少年は一歩前へ進んだ。

 姫良三善。紛れもなくその人であった。

「ヒメ君」

 どうしてここに、とホセが尋ねる前に、三善はその赤い瞳を上座で微笑むジェームズに向けた。

「枢機卿。到着が遅れましたこと、真に申し訳ありませんでした」

 その一言に、一同がざわつく。まるで彼が「この場にいることを許された」ような発言だったためだ。

 その他の司教連中は口々に異を唱えるが、ジェームズがそれを制した。

「その助祭は私が呼んだのだ。待ちくたびれたぞ、ブラザー・ヒメラ。こちらへ来るといい」

 ヒメラという単語に、司教たちが思わず息を飲んだ。一瞬緊張が走る。

 その風変わりな名を持つ聖職者は一人しかいない。会議の冒頭で話題に上った、姫良三善助祭。一見幼く見えるこの少年が、単身カークランドの力を抑え込んだとは俄かに信じられない、というのが正直な感想だろう。

 失礼します、と三善は一礼し、たまたま空いていたホセの隣に着席する。どうして、と小声でホセが呟いたのを聞き、三善はそっと囁く。

 絶対に大丈夫だから、と。

「君をここに呼んだのは、件の人工預言者についてだ。君の考えを聞かせてほしい」

 ジェームズの言葉に、三善はしばし口を閉ざす。何やら逡巡しているようにも見えた。この場にいる誰もが、三善の次の言葉を待つ。

「――それについては、もう答えが出ているのではありませんか」

 そして、三善ははっきりと言ったのだった。

 その言葉の真意が分からずに、誰もがぽかんと口を開け広げている。

「我々は神による被造物に過ぎません。自分を含め、何者かを殺す権利は我々人間にはない。ただそれだけのことのように思います」

 少年の声色の鋭さに、思わず皆が目を瞠る。

 彼がジェームズに対し真正面から喧嘩を売っているということはこの場にいる誰しもが理解していた。通常時ならば無礼だと叱ることができるのに、なぜだろう。この少年の前ではそれができない。背中に背負う只者ではない雰囲気がそうさせるのだろうか。それは定かではないが、この会話に口出しすることは誰ひとりできなかったのである。

 ただひとり、当事者であるジェームズを除いて。

「あなたが言いたいのは、つまり、“A-P”の処分を見送った上にブラザー・ホセを許せ、ということか」

 穏やかな口調で彼はそのように言う。三善はひるまなかった。

「“許せ”、ではありません。“赦せ”と言っているのです」

「笑わせてくれる! それは誰の入れ知恵か。君の偉大なるご尊父様か?」

「これは私の言葉だ! 父は一切関係ない。その目は節穴か!」

 三善の揺るぎない赤き瞳がジェームズの首にかかる銀十字に向けられる。それは鈍い光を放ち、妙に心に残る美しさを持ち合わせていた。そのまま一度瞳を閉じ、指で自分の十字に触れる。歪な深い傷がなにか語りかけてくるようだった。

 大丈夫だと、三善は自身に言い聞かせた。

 そして瞳を開く。

 ホセがこちらをじっと見つめていた。無表情ゆえ、三善には一体何を考えているかよく分からない。しかし、三善はそれでいいと思った。今彼になにか言われたら、考えが変わってしまうかもしれない。

 三善は絞り出すような声色で言う。

「我々は今まさに過渡期を迎えています」

「過渡期、だと?」

 ジェームズが小馬鹿にするように鼻で笑った。一体なにを言い出すのかと思ったら、と態度で訴えているようにも見える。しかし三善は気にせずに続けた。

「我々は共存できるのではないか。種族も超えて、同じ『被造物』として共に生きる道があるのではないか。それを判断する時期が到来していると、私は考えます」

 あの日――マリアが初期化された時から、三善は「生きる」ということ、「生命」とは何か、ずっと考えていた。

 今まで積み重ねてきた長い長い歴史の中、人間が人工的に生命を生み出そうとしたのはここ数十年の間の出来事だ。誰も経験したことのない未知の領域。科学が進化して、その利益を享受して、ようやくこの境地に達したのだと言える。

 故に、どのようにして新しいものを受け入れるべきか、それを改めて考証する必要があるのだと三善は説いた。

「……その考えは、この教団の教えに背く危険思想だ」

 ジェームズが静かにそう言った。「今なら聞かなかったことにしてやってもいい。そもそも、こうやって提案している今も、あの“A-P”は廃棄の準備を進めている。無駄だ」

「無駄じゃありません」

 三善がはっきりと、そう言いきった。「今、親愛なる私の師が彼女を救出しています」

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