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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
1.傲慢の紅き鎧
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第一章 3

 二人は四辻に連れられ、来賓室へと向かった。

 この学院は小・中・高一貫校で、現在二人が滞在するキャンパスには中学部・高等部の二つが存在する。警備員室がある正門から五〇〇メートルほど続く、きつい上り坂を昇った先は二股に道が分かれており、右に進むと中等部・左に進むと高等部となっている。四辻ら学校の上層機関は高等部のキャンパス前にある連絡棟におり、来賓室もその三階にあるのだという。

 歩きながら、三善はケファにこっそりと耳打ちした。

「ねえ、さっきの……」

 ああ、とケファは小さく頷いた。先程の警備員室での祈りのことだろう。

「本当に“七つの大罪(DeadlySins)”の仕業だったら困るから、釈義で結界張っちゃった。なんだ、気付いていたのか」

 気休めだろうけど、とケファは囁く。「まさか正々堂々と正面から入ってくるとは思えないけど。ないよりマシだろ」

 あの胡散臭さはただものではない。こういうところまで考えてこその聖職者。三善はそれを思い知らされ、改めて「このひとはすごいなぁ」と実感したのだった。自分が頭の中を一回転させている間に、彼はおそらく三回転くらいさせているのだろう。さすが、この年齢で司祭だけある。

 そう納得していると、突然四辻が振り返った。

「歩かせてしまって申し訳ない。基本的に、校舎の中は自動車走行禁止なのです」

 ほら、と彼が指差した先には、確かに大きく道路標識が設置されている。例外として、例えば救急車や消防車などの緊急車両は入ることを許可しており、そのためにわざと道路を広くしているのだそうだ。

「それにしてもきれいな学校ですね。特に、あちらに見える石造りの建物なんか。歴史の重みを感じさせる、素晴らしい建物だと思います」

 ケファがやや遠くに見える円形の建物を指して言うと、四辻は嬉しそうに目を細めながら、

「あれは本校自慢の礼拝堂ですよ」

「礼拝堂? ああ、なるほど……。ロマネスク建築でしょうか」

「ええ。サン・ジョヴァンニ洗礼堂をモチーフに考案されたと伝えられております」

 ケファと四辻の会話にすっかり取り残された三善は、とりあえず「『ろまねすく』ってなんだろう……」と考えながら、二人のあとをついて行く。

 時刻は午後四時すぎ。ちょうど授業が終わった頃らしく、校舎から続々と教科書を抱えた生徒たちが出てくる。当然の話ではあるが、どれも皆三善と同じ年頃の少年・少女だ。それを三善はじっと見つめ、小さく息を吐き出した。

「ブラザー・ミヨシ。……なんだ、学校に行きたいのか」

 いつからかは知らないが、三善が気付いたときには先を歩いていたケファ・四辻両名がこちらを見つめ、不思議そうに首を傾げていた。

「ち、ちがい……ます」

 途端に恥ずかしくなって、必死になって否定するも、彼の心のどこかで何か言葉にできない靄がかかるのを感じていた。

「姫良助祭は、学校には?」

 四辻が尋ねたので、ケファが代弁する。

「いえ、彼は幼少から本部で生活していたもので。今年高卒認定を受験しますので、今のところは特別学校に通う必要はありません」

 そうですか、と四辻がなにか言いたげに三善を見つめている。

 ああ、と三善は恥ずかしさのあまり穴に入りたいと切に願っていた。いまさら言えるはずがないじゃないか! 実は学校に憧れていました、この依頼が飛び込んできたとき不謹慎にも喜んでいました……なんて。そんなことを言ってしまえば、ケファにからかわれるのは目に見えて分かっている。ならば始めから黙っているべきだ、むしろその話題に触れてくれるなと三善は強く念じる。

 ところが、四辻はそんな三善に優しい声色で話しかけてきた。

「つかの間でしょうけど、姫良助祭も学校生活を楽しんでいただければ幸いです。なにも、学校は生徒だけのものじゃありませんからね。生徒と教師がいて初めて成り立つもの。共にこうありたいと願い、共に学んでいくことこそが学校の在り方だと私は考えています」

 ですから、と四辻は微笑む。彼は本当に、この学校を愛しているのだ。それがかたくなな三善の心にもしっかりと伝わり、なんだか気持ちが溶けていくような、不思議な温かさを感じていた。

 そしてこうも思う。

 こんなに素敵な方がつくる学校なのに――なぜ、事件は起こるのだろうか、と。


***


 来賓室に到着すると、そこには二人分の聖職衣と肩帯が用意されていた。どちらもこの学校に勤務する聖職者のためのもので、黒を基調とした非常にシンプルなものである。

「先程エクレシア本部から連絡を受けました。替えの聖職衣は明日の朝に届くそうです。それまでは、是非我が校の聖職衣をお召しになってください」

 確かに現在進行形で二人の聖職衣は見るも無惨な状態となっている。四辻の進言は本当にありがたいものであったので、二人はすんなりとそれを了承し、同時に何度も繰り返し礼を述べた。

「……それで、依頼の件なのですが」

 席に着いた後、ケファがようやく切り出した。「私どもが神学の授業を担当する、ということですね。そして、例の発火事件の調査と」

 ええ、と四辻は首を縦に動かした。彼にとって、あの事件はひどく悩ましいものであった。昨夜の火災では幸い怪我人は出なかったものの、最初の火災から換算するとその被害者は相当数にのぼる。表情の険しさから、自分ではどうすることもできないもどかしさが直に伝わってくる。

「この学校は、生徒も教師も、皆さんが安心して生活できる場所でなければなりません。寄宿校であるから、なおさらです。生徒たちは今多感な時期にあり、不用意に傷つける訳にもいかない。だから露骨に警察沙汰にもできません。……それに、状況があまりに不可解すぎます。もしも“七つの大罪”が関与していることならば、私どもは子供達を守らなくてはなりません。神父様、どうかご尽力を」

 彼の声は僅かに震え、いかに不安であるかが理解できた。

 それもそうだ。『聖戦』以降、“七つの大罪”と“大聖教”の対立は激化する一方だ。その大聖教に密接な関係のある学校だからこそ、“大罪”が関係している可能性も拭いきれない。これはもはや、学内だけで処理できる事件ではないのだ。

 ケファはひとつ頷き、

「――心中、お察し申し上げます」

 とだけ口にした。それからは数秒何かを思案し、彼なりの結論を導き出す。

「まず、状況をお聞かせ願えますか。できれば、校内図を見せて頂ければ非常にありがたいのですが」

 四辻は「かしこまりました」と備え付けの棚から見取り図を取り出し、二人の前に広げて見せた。こうしてみると、この学校の敷地の広さには驚かされるばかりだ。エクレシア本部には劣るけれど、これだけの広さがあれば軽いレジャー施設がいくつか建てられるような気もする。

「まず、私たちがいる連絡棟は……、ここです。それを取り囲むように、コの字型になっている建物が高等部本館。通常、高等部の生徒はこの中で一日を過ごします」

 ふむ、と考えるケファの横で、三善は「これはなんですか」と無邪気な口調で四辻に質問している。高等部本館の右横に位置する、比較的大きな建物である。

「これは体育棟……まあ、普通の体育館ですね。二階建ての建物で、一階はピロティとなっております」

「この左の丸い建物が、先程の礼拝堂ですね」

「ええ」

 四辻は続ける。「そして、体育棟よりさらに右……東側に位置するのが、学生寮です。学生寮は男子寮と女子寮に分けられ、それぞれが『大鷲寮』『獅子寮』と呼ばれております」

「この、寮の中央にある部分は?」

「講堂です。まぁ要するに、食堂ですね。決まった時間に揃って食事を摂るのが習わしなのです」

 なるほど、とケファが頷いた。そして三善の肩を小突く。どうだ? とさりげなく意見を求めているようだ。三善はしばらくじっと見取り図を眺め、首を横に振る。

「これだけでは何とも……。あらかじめ頂戴していた資料に記載されていた事件の場所も、てんでバラバラですし。法則性があれば、また別なのかもしれませんが」

 そうですか、と四辻は肩を落とした。まあ、そんなにすぐに分かる事件ならわざわざエクレシアに依頼などしない。それはこれからの調査にかかっている。二人は全力を尽くす旨を四辻に伝え、校内図のコピーを貰っておくことにした。

「それと、神学の授業ですが」

 ケファが、三善の肩をぽん、と叩いた。「こちらの、ブラザー・ミヨシに主導してもらうつもりです」

 いきなり何を言い出すんだ、と三善が目を剥いていた。思わず素が出て、「えっ」と声を洩らしたが、そんな驚きすらも無視し、彼は言葉を続けた。

「彼は十五歳と非常に若く、高等部の生徒よりも年下ではあります。しかし、彼の神学の知識は私も目を瞠るものがあります。それに、」

 にこりとケファが微笑んだ。「私のようなオッサンより、年齢が近い者の方がより親しみを持っていただけるのではないかと。いかがでしょう?」

 その微笑みは贋物だ! 騙されないで四辻学長!

 三善の心の叫びは虚しく、四辻に届くことはなかった。彼の中で、三善のポジションは「学校に行きたくても行けなかった子」という位置にあるらしく、その提案に大きく賛同していた。教壇に立たせることで、つかの間だが学校生活を味わっていただけたら、と。そういう一心で、彼はケファの意見を快諾したのである。

 少なくとも、それは四辻の善意だ。否定できずに、三善はただおろおろするばかりだった。

 あれよあれよと授業で使用するテキストや教典サンプルを渡され、カリキュラムの詳細を説明される。頭では理解できたが、いまいち納得がいかない姫良三善。

 どうして、こうなったんだろう……。

 彼の嘆きは、結局のところ、大人に黙殺されて終わったのだった。

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