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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
2.嫉妬の蒼き弾丸
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第三章 4

「“HIC EST ENIM CALIX SANGUINIS MEI,NOVI ET AETERNI TESTAMENTI”」

 ホセの典文がマリアの耳に届くと、彼女のルビーの瞳がゆらりと変色する。本来聖餐の儀に用いるこの祝詞が彼女の本質を変えた。首から下げた銀十字が赤銅へ変色し、無機質な表情がより一層際立つ。

 凛とした彼女の声が、この凄惨とした世界を塗り替えようとしていた。

「『主人マスター・承認。これよりホセ・カークランドに全権を委ねる』」

 少女の亜麻色の髪が揺れる。彼女の『釈義』は今展開された。あとは狙い通り、“嫉妬”が現れるのを待つだけだ。

 ホセは一拍置いて、自分の迷いを捨てるべく一度己の頬を叩いた。じんと痛み頬が熱くなるのが分かる。それからゆっくりと深呼吸すると、彼女の釈義に反応してか、その胸に残る聖痕が微かに痛んだ。

「……『契約の箱』か」

 先日のトマスの言葉がフラッシュ・バックする。これが頭から離れずにいるせいで、どうも集中力に欠ける。自覚しているからこそ性質が悪い。小さいことをいちいち気にするなんて自分らしくないとも思う。

 しかし、それを“大罪”側が追っているとなると話は別だ。やはり、帯刀壬生に渡さずに己の手で処分するのが良かったのだろうか。何度も何度も答えのない問答を繰り返し、ようやくホセは一つの答えにたどり着いた。

 今更悩んでいても仕方がない。開き直りとも取れるが、今自身ができることは“大罪”が『契約の箱』、『白髪の聖女』の両方を手に入れることを阻止することだけだ。ならば、今この任を確実にこなすのが先決である。

「マリア」

 ホセが彼女の名を呼んだ。ぴくんと身体を震わせ、マリアがゆっくりと振り向く。その瞳には、困惑の色が浮かんでいた。

「私の肋骨、きちんと作動していますか」

 見れば分かることなのに、なぜか突然不安になった。だからホセは本人に直接訊いてみたのだった。

 人工預言者(Artificial-Prophet)とその持ち主を繋ぎとめるのは、主人自身の肋骨である。『釈義』それ自体を展開・操作するのは典文を媒介とした『肉声』だが、実際の釈義生成には『肋骨』が用いられる。それ故、彼女を造ったとき、ホセは肋骨を一本彼女へ提供していた。

 マリアはきょとんとして、自身の胸に手を当てた。そしてホセを見上げると、小さく首をかしげる。

「問題ないわ。どうして?」

「あ、いえ。問題ないならそれでいいんです」

「おかしな人ね」

 さて、とホセは目の前に広がる光景に目を移した。既に中心部はもはや壊滅的と言ってもいいくらいに荒れ果てていた。元々このあたりは農業と酪農が盛んで、自然豊かな町だった。このような退廃とは無縁の場所と思っていたのに、壊れるのは本当に一瞬の出来事なのだと強く思い知らされる。

 本当に彼らの狙いは正しいのだろうか。この光景だけを見れば、ただ単に殲滅戦を繰り広げようとしているだけのように思えるが。

 帯刀によると、自身の背後にあるこの聖所に『白髪の聖女』を匿っていることにしているらしい。“嫉妬”が接触を図るとすれば、『契約の箱』にも『白髪の聖女』にも遭遇したことのあるホセの確率が一番高いと見込んで、彼は囮に志願した。しかし、今冷静になって考えてみれば、それとは別にもう一人危険な人物がいる。姫良三善その人である。

 ホセは『白髪の聖女』と“嫉妬”、それから三善の三人を脳裏に思い浮かべ、小さく息を吐き出した。

「――来る」

 その時、マリアが突然ぽつりと呟いた。

 刹那。

 頭上から何かが降り注ぎ、地面が大きく隆起し始めた。独特の青いプラズマが飛び散り、異常なまでの熱が身体を蝕んだ。それは水が蒸発する感覚にとてもよく似ている。ホセは喘ぎながらもマリアへ指示を出す。

「マリア!『第二釈義(exegesis)展開・発動』!」

 彼女の瞳がきらりと瞬いた。

 灼熱の業火が竜のごとく空に立ち上り、その根源である“弾丸”を焼き払った。彼女の聖火に触れた“弾丸”はすぐに灰へと変換され、まるで雪のように地面へと降り注ぐ。それを見て、やはりこれはただの弾丸ではないのだとホセは実感した。

 次の攻撃が二人を襲う。マリアはその背中に鋼鉄の翼を出現させ、ホセは腕に仕込んだワイヤーを用いて飛び上がり、激しい“弾丸”の雨をかわした。

 ――”嫉妬”のアトリビュートは“弾丸”。全てを貫くその弾を封じることができるかが勝敗の鍵を握る。

 ホセが近くにあった塀に降り立つと、すぐにもう片方のワイヤーを飛ばした。彼が狙うは一匹の蛾だ。それを捕えるとマリアが聖火を放ち燃やしにかかる。彼女の炎が夕暮れに近い空を真っ赤に染め上げた。

「『第三釈義(exegesis)展開・発動』」

 マリアの銀十字がきらりと瞬く。それは赤銅の火花を激しく散らしながら長く長く伸びてゆき、ゆっくりと硬化する。彼女の手の中にあるのは、もはや銀十字ではなかった。全てを突き破る“槍”だ。彼女の身長をゆうに超えるその巨大な槍が、大空を舞う蛾を一掃する。

 彼女がそれを振るうたび、茶色の羽があたりに飛び散る。そして雪よりも白い美しき灰が大地に降りつもった。その中で輝く銀の槍の美麗なこと。この聖女の凛とした姿に、ひたすらに目を奪われるばかりだ。

 これで大方片付いただろうか。軽く息切れしつつ、ホセはあたりを見回した。

 あたりはしんと静まり返っていた。時折吹き付ける風の音が聞こえるくらいで、それ以外に特別気になるような物音は一切感じられない。むしろ静かすぎて不気味なくらいだ。

「――まさか自分から現れてくれるとは思わなかった。久しぶり、カークランド」

 突如聞こえた少年の声に、ホセははっとして身を翻した。

 そこにいたのは金髪の少年だった。年齢はおそらくマリアの外見年齢と同じ程度。かつて“傲慢”が着ていたものによく似た、黒く裾の長い衣服を身にまとっている。その手に握られているのは、独特の形状をした銀色の銃器だ。小柄な少年には似つかわしくない武骨な代物が、ホセの目にはなんだか滑稽に映る。

 それよりも、帯刀の読みが完璧に当たったことに対し、ホセは思わず感嘆の声を上げてしまった。

「本当に、現れた……」

「何?」

「いや、何でも」

 さすが天下の情報屋、とありがちな感想を胸にしまい込むと、ホセは彼――“嫉妬”に対しどのようにアプローチするべきか慎重に言葉を選ぶ。その間に、“嫉妬”はマリアの姿を見て、へぇ、と興味深そうにしている。

「そのお人形、よく出来ているね。中に人骨が入っているのは悪趣味かな」

 “嫉妬”はホセと同じ塀の上まで降り立つと、肩を竦めながら言う。「真夜に似ているのはエクレシアなりの嫌味?」

「それは、あなたには関係ないことです」

「あるよ」

 “嫉妬”がきっぱりと言い放つ。「真夜は僕らの主だ。このあたりにいると聞いたからわざわざ出向いたのに、ハズレを引かされたのかな……。聖所の中にもいなかったし」

 それとも彼女のことを指して言っているのか、と“嫉妬”はマリアを睨めつけた。彼は明らかに怒っている。帯刀によると、“嫉妬”は“大罪”の中でも『白髪の聖女』に特に懐いていたそうだ。それだけ気にかけていた人物がエクレシアに奪われた挙句、彼女の面影を持つ人形が現れたら誰でも気分を害するに決まっている。

 しかしながら、この反応でホセはひとつだけ確信したことがある。“嫉妬”は未だ姫良三善についてほとんど情報を持ち合わせていない、ということだ。先日の“傲慢”の件で情報がリークされたかと思いきや、そういう訳でもなさそうだ。

 “嫉妬”は厳しい口調でホセを問い質す。

「行方を知るなら教えてほしい。『彼女』はどこだ」

 ホセは答えなかった。ただ自分の側にマリアを引き寄せ、じっと押し黙るばかりだ。

 “嫉妬”はそれからしばらくホセとマリアとを見つめていたが、唐突にため息をついた。

「まったく、何で『今回は』真夜がいないんだ。僕は別にカークランドと話したい訳じゃないのにさ」

 ホセはふと、その言葉尻に妙な違和感を覚えた。

「今回?」

 前回があったろうか。十字軍遠征の頃に先代の“嫉妬”と対峙したことはあるが、それは彼が言う『彼女』とは知り合う前の話だ。

 それとも、他になにか意味があるのだろうか。

「まあいいや。じきに見つかるだろ」

 そう言うと、“嫉妬”は唐突に銃器を構える。そしてためらいなく引き金を引いた。

 銃口の向きからは想像も出来ないような軌道を走る“弾丸”は、まるで雨のように降り注ぐ。マリアはその手に握る槍を用いて強力な風を起こし、それらを全て弾き飛ばした。彼女の小さな体が跳躍し、ぐんと“嫉妬”へと近づいた。

司教ファーザーをいじめないで」

 槍で彼の体を貫く刹那、彼の耳元でマリアが呪いにも似た一言を囁く。

 “嫉妬”はその槍に片手をつき、軽々と宙返りを決めた。そのままマリアの背をとんと叩く。

「その気持ち、分かるよ」

 マリアの体がバランスを崩し、前傾姿勢のままぐらりと倒れそうになる。しかし、彼女は槍を地面に突き立て、勢いよく身体をひねった。振り向きざまに空いた右手をかざすと、そのタイミングに呼応するかのようにホセが祝詞を上げる。

「『第二釈義(exegesis)・発動』!」

 噴き上がる聖火が轟音を立てながら“嫉妬”の身体を飲み込んだ。しかし“嫉妬”はすぐに“封印シール”を張り、火の粉を上げながら加速するその炎を回避する。“封印”が完成した刹那、“嫉妬”の姿が一時的に見えなくなったことで、マリアは動揺し動きを止めた。

「マリア! 後ろです!」

 ホセの怒号にマリアははっとして身を翻す。しかし“嫉妬”はすでに銃器をマリアの背へと向けていた。

 乾いた銃声が、一発。

 マリアの身体はその場にかくんと崩れ落ち、槍が小さな手のひらから滑り落ちる。

「まっ――」

 ホセが慌てて駆け寄ろうとしたが、すぐに気が付いた。まだ彼女の展開した『釈義』が途切れていない。つまり、彼女はまだ壊れてはいないのだ。

 その証拠に、マリアはのろのろとそのルビーの瞳をこじ開け、右手で落とした槍を拾おうとしている。

 “嫉妬”はそんな彼女を見下ろしていた。とどめを刺すわけでもなく、ただじっと、その様子を見つめているだけだ。

「そんなにあの男が大事か」

 “嫉妬”が静かに尋ねた。

 マリアの手がようやく槍を掴んだ。そのまま紅玉の瞳を“嫉妬”へと向け、吐き捨てるように言った。

「私には、あのひとしかいないもの」

 ならば、と”嫉妬“がマリアの頭部を鷲掴みにする。驚きのあまり、マリアは声も出なかった。

「独占してみるといい。つまらない嫉妬を抱えているだけじゃあ、あの男はお前のものにはならない」

 その言葉を言い終わるよりも早く、“嫉妬”の腕が突如現れた何かによってはじかれ、マリアの頭から手を離した。ホセのワイヤーである。

「その手で彼女に触れるのはおやめなさい」

 ホセの声色が怒りに震えていた。その様子に、“嫉妬”は目を瞠りつつも微かに笑みを浮かべている。

「もう遅いよ」

「なに?」

「見てみるといい」

 “嫉妬”の言葉が耳に飛び込んだその時、マリアの長い髪がさらりと揺れ、ちょうどこめかみのあたりが露わになる。

 ホセは異変にすぐ気が付いた。彼女のこめかみのあたりに、紅い傷のようなものが見えている。一瞬怪我をしたのだろうかと考えたが、どうやら違うらしい。

 その傷は、星の形をしていた。

「こめかみに、星……?」

 違う。あれは怪我の跡なんかではない。こめかみに星と言ったら、“烙印”以外に何もない。

 背筋が凍りついた。

 マリアがのろのろと顔を上げ、槍を用いてゆっくりと立ち上がる。彼女の瞳はホセを探していた。ようやく見つけたかと思えば、まるで抜け殻のような虚ろな表情を向ける。

「まさか」

 そして、マリアは槍を構えると――“嫉妬”ではなく、ホセへと切っ先を突きつけた。

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