表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
2.嫉妬の蒼き弾丸
42/80

第三章 3

 崩れてきた瓦礫を避けた際に、手にしていた携帯電話をロストしてしまった。

 コンクリート片の下敷きになり再起不能になった携帯電話を恨めしげに見つめ、帯刀は小さく舌打ちする。せっかく三善と話していたところで、まだ重要なことを伝える前だったというのに。

「若、無事ですか?」

 少し離れたところから、慶馬の声がした。

「ああ。こっちだ」

 帯刀が返事すると、少し離れたところから慶馬がひょっこりと顔を覗かせた。

 彼らが潜伏していたのは小さな安アパートの空き部屋である。それも無断使用していた訳だが、そもそも 住居者が少ないこと、加えて大家の管理がゆるいという条件が見事に重なり、二人が無断占拠していることも気づかれてはいなかった。

 しかし、彼らはとにかく運が悪かった。こうして“嫉妬”の放った“弾丸”を食らったアパートはものの見事に全壊し、頭上を仰ぐと滲んだ橙色の空が見える状態になっていた。

 先ほど、窓越しに何体もの“第三階層”と思われる件の蛾が飛来してくるのを確認した。それを三善に伝えようとした刹那、この場所はその風圧と“嫉妬”の弾丸により一気に粉砕されてしまった。安アパートは一瞬でただの廃墟と化してしまったのである。

 それにしても、まさかこんなにうまい具合に現れてくれるとは思っていなかった。

 しかし、上手く出てきてくれたはいいがこれはまずい。“嫉妬”は本来表立った行動を取ることが少ないため、例え読みが当たったとしてもそれほどひどいことにはならないと踏んでいたのだ。たったひとつのもの――もしくは、ひとり――を探すのに、これほどまでの労力を割くとは、“嫉妬”はなかなか大胆な人物かもしれない。

「慶馬、“嫉妬”第一階層は今どのあたりにいる?」

 帯刀が声をかけると、瓦礫の破片を振り払いながら、黒のシャツとパンツスタイルの慶馬がやってくる。背面にはバックサイドタイプのホルスターが取り付けられ、小型の短銃が収められていた。

 彼は埃っぽさに辟易しつつ、帯刀の問いに答える。

「ここからは結構離れているはずですよ」

「ブラザーは?」

「『釈義』の気配がします。おそらく交戦中かと」

 ということは、これはただの流れ弾か。たった二人を相手に、よくもまあこんなにも武力の無駄遣いをしてくれたものだ。

 この場所に長居することは危険だ。それに、例えホセとマリアが相手だとしても、これだけの戦力を持ち出されては苦戦を強いられることになるだろう。帯刀は早くも“嫉妬”を生け捕りにすることを諦め、三善に浄化してもらう方向で考えることにした。

「なんにせよ、俺たちも加勢したほうがいいだろう」

「待って、雪」

 先に行こうとした帯刀を、慶馬が引き止めた。

「どうした?」

 帯刀の問いは曖昧にしてひどく核心をついていた。じっと黒い双眸を帯刀の青い瞳へ向けていた慶馬だったが、ゆっくりと瞼を閉じてしまった。それから、絞り出すような声色で帯刀に言う。

「俺が行く。雪はどこかに隠れていて」

 その口から出たのは、期待を裏切ることのない一言だった。彼ならそう言うだろうと予想していた帯刀は、

「お前が言いたいことは分かる」

 と実にそっけない口調で返す。「でも、そうは言っていられないだろ。お前は生身だ。“七つの大罪”相手に太刀打ちできるほど頑丈でもない」

「だから、あなたの『釈義』は最終手段にしてくれと言っているんです」

 沈黙が訪れた。外ではうるさい耳障りな音が延々と鳴り響いている。ガラスの割れる高い音、地面がひび割れるときの重低音。足元が揺れる。悲鳴はとうに聞き飽きていた。

 この男、常識人に見えて根本的な部分が欠落しているのである。だからこそあの美袋という我の強い集団を束ねられるのだろうが、その結果しわ寄せが生じているのはまさにこの部分だった。

 よく言えば、過保護。悪く言えば盲目か。

 この緊急時においても我が主を優先しようとは、と帯刀は内心苛立っているが、それは敢えて黙っておくことにした。

「――それ以上、あなたの聖痕を悪化させる訳にはいかない」

「俺は構わないと言っている」

「代償が大きすぎる。もう、その目はほとんど見えていないでしょう。俺が行く方がずっといいに決まっている」

 帯刀の青い瞳の奥に宿る、ぼんやりとした白い十字が物語っている。

 それはただの瞳孔の模様ではない。帯刀が後天性釈義を与えられた際、身体に合わずリバウンドを引き起こした。その際、彼の瞳に『聖痕』が残ってしまったのである。

 帯刀家にとって、その青い瞳はとても重要な意味がある。彼らの目はどんなものも「正しく」見通す力がある。一種の読心術と言っていいだろう。その目があったからこそ何百年もの間帯刀家は情報戦をリードすることができた。故に、彼が失明するということはすなわち一族の滅亡を意味する。

 元を辿れば、慶馬がジェームズによりその胸に楔を打たれたために、帯刀はジェームズの言う通りに『釈義』を受けることしか選択肢がなかった。つまり、美袋慶馬はエクレシアにとって体のいい人質なのだ。

 エクレシアは彼らの力を得ることで更なる発展を遂げることができた。ジェームズが真に考えていることはまだ完全には把握できていないが、少なくとも碌なことは考えていないものと帯刀は推測している。

 だからこそ、慶馬が責任を感じていることも、帯刀は十分に理解しているつもりだった。少なくとも、帯刀の目に映る慶馬は嘘をついていない。いつでも真面目に帯刀を優先する。ただそれだけだ。

「確かに慶馬の言うことも一理ある。今、俺はものがよく見えていない。それなら、ひとりにされた俺はどうやって身を守れと言うんだ」

 少し考えて、帯刀は敢えてこういう言い方をしておいた。我ながらずるい言い方をしていると思っているが、慶馬を納得させるにはこうしたほうがいいのである。

「……あなたって人は」

 慶馬がため息をつき、彼の持ち合わせる最も恐ろしい表情を作り、帯刀に言い放つ。

「こちらで危険と判断した時、あなたを担いでさっさと逃げます。何か異論は?」

「ない」

 帯刀も妥協し、それで手を打つことに決めた。

 その時だった。

 大きな地響きにより、彼らの足元が大きく歪んだ。ぐらりと身体がよろめき、散らばった瓦礫の中に突っ込むようにして倒れ込む。その拍子に、帯刀は思い切り頭を打ち付けてしまった。唐突な吐き気が帯刀を襲う。しかし胃の中はほぼ空に近かったので、胃液だけをその場に吐き出した。

 激しい震動はしばらく続く。ぱらぱらと半分抜け落ちている天井の資材が降り注ぐ。しばらくして、ようやく振動は収まった。

「な……何、今の」

 背中をさすってくれている慶馬を横目に、咳き込みながら帯刀が問う。

「雪。あれ」

 慶馬が何かに気づいたらしく、微かに動揺した声色で呟いた。

 慶馬の目線を追うと、帯刀もその光景に思わず息をのんだ。

 驚く、なんてものではなかった。それは遠目でも、そして視力の落ちている帯刀でも分かる異変だ。

 町が、徐々に灰と化している。

 非常に緩やかな速度ではあったが、街路樹、建物、車、あらゆるものが少しずつ灰と化し、脆く崩れていく。そしてその中心部には、何か青い光を放つ物体があった。

 あらゆる物質を灰化する能力について、帯刀には覚えがあった。しかし、それはあり得ない。何度考えても、今起こっているこの現象は説明ができない。

 だからこそ、帯刀は思わずこう表現してしまった。

「なんだあれ」

 慶馬もじっとそれを見つめるが、それが具体的に何かまでは判別できなかったらしい。ただ、その炎から発せられる聖気はどことなく知っているような気がした。

 『釈義』ということは、教会関係者に違いはないが。

 まさか、と帯刀は思う。

「――その前に、」

 慶馬が背面に手を回し短銃を抜いたのと、帯刀が立ち上がり腰に下げた模造刀に触れたのはほぼ同時だった。

「『深層(significance)・発動』」

 そして、帯刀は躊躇いなくそれを抜く。刃が存在しない、柄までの模造刀だ。しかし、帯刀が祝詞を唱えた刹那氷の刃が出現する。凍れる切っ先はそのまま帯刀の背後へと向けられる。肉を抉る確かな手ごたえがあった。

 続いて発砲音が耳に入る。慶馬が一発撃ったのだ。

 しかし、彼らの間に僅かな衝撃が走る。

 突如現れた見知らぬ男が帯刀の刃を握っていた。その掌には深く刃が食い込んでいた。だが、傷口から血が流れているはずなのに、なぜか帯刀の『釈義』の作用「凍結化」が起こらない。

 また、慶馬が撃った弾は男の心臓に命中していた。その証拠に、彼が身に纏う黒く裾の長いコートに穴が開いている。そこから血が大量にあふれているのも確かに目撃した。しかし、微かに白い閃光が走った刹那、傷口がみるみるうちにふさがってゆく。

「おーおー。おっかないねぇ、お二人さん」

 そして、男はからっとした声色で言った。

 彼が持つ深海のごとき深いブルーの瞳に、帯刀はおや、と思う。帯刀のぼんやりと焦点の合わない世界でも分かるくらいに、その色は珍しい。どうして青の中に銀が混ざっているのだろう。それがきらきらと瞬いて、見事な光彩を放っている。まるで波間に浮かぶ白銀の泡のようである。視力が落ちてからというもの、こんなに美しい色は見たことがなかった。

 慶馬がもう一発撃とうとしていることに気が付き、帯刀は慌ててそれを制止する。

「……誰だ? というか、何者?」

 只者でないということはすぐに分かった。おそらく、プロフェットではないかと思う。しかしその出で立ちは教団側のものではない。どちらかというと、“七つの大罪”のそれに似ていた。

「ブラザー・ホセの戦友、とだけ言っておくよ」

 そして男は微笑む。「それだけの情報があれば、お前たちはすぐに特定するだろうからな」

 正体の掴めない、実に気味の悪い男だった。

 帯刀は慎重に言葉を選び、ひとまず一番初めに確認すべきことを尋ねることにした。

「敵か?」

「どちらでもない、かな。今のところは」

 とりあえずこの刀、降ろしてくれないかと肩をすくめながら男が言う。

 帯刀はまだ警戒はしていたものの、言われた通りゆっくりとそれを降ろした。降ろしただけで鞘に収めることはしなかったが。

「いい判断だ」

「お前のことは知っている。ええと、」

 帯刀はじっと考え込み、ぽつりと呟いた。「……トマス。不信のトマス。合っているか」

「お、知ってるんだ?」

 男――トマスは愉しげに笑う。「そう、そのトマスだ。そう呼ばれるのも久しぶりだな」

「しかし、なんでお前がここにいる。お前は『聖戦』の頃に死んだだろう」

「あー、ちょっと訳アリだ。なあ、頼むからあいつらの争いは泳がせておいてくれないか」

 彼は地上の青い炎を指して言った。

 帯刀はその発言を聞き、ようやく己の仮説が正しいのだと気が付いた。やはり、あれはホセと“嫉妬”が争っているために発生したものなのだ。そしてこうも思う。何らかの形で、ホセの第一釈義が発動したのではないか。ホセ本人は既に釈義を喪失しているので、おそらくはマリアによる能力ではないかと推測するが。

 しかし、だからといって放っておくわけにはいかない。この男が彼らの争いを見て見ぬふりをしろと言うのなら、つまりそれはこの男が「“嫉妬”が狙う何か」の存在に気づいているということを意味する。

 帯刀は敢えてそのことに対し一歩踏み込んでみた。

「あなたは、どこまで知っている」

「どこまで?」

 おかしなことを聞く、とトマスは首を傾げた。「それはこちらが聞きたいね。君の先代が色々とやらかしているのは知っているが、それをどこまで君たちは知っているの」

「……」

 言葉に窮していると、トマスはそれを「何も知らない」と受け取ったらしい。彼はため息交じりに一つだけ質問を投げかける。

「ああ、聞き方が悪いか。お前たち、『契約の箱』をどこにやった。カークランドが君の先代に渡しているはずだが」

 間違いない。この男は、『知っている』。

 帯刀は確信した。

 彼はじっと無言のまま、男の様子を観察する。視線で男の輪郭をスケッチし、その容貌、雰囲気を克明に記憶していく。彼の頭に記憶されている情報そのものが、恐ろしく価値のあるものだ。それは本人も自負している。慎重にトマスという男のデータを採取したのち、帯刀ははっきりと言った。

「あいにくだが、それは先代しか知り得ないことだ。多分お前が『あれ』を泳がせろと言ったのは、“嫉妬”とブラザーのやりとりを見ていれば自然に分かると踏んだからだろう。違うか」

「さすが。その通りだ」

 そこでふと、トマスが慶馬に目を向けた。「ああ、君の忠臣がそろそろ俺を殺しそうな顔をしているな。彼には一度殺されてしまったし、今日はここまでにしておこうかな。話してくれる気になったら、ここに連絡を。その際は俺からも報酬は出そう」

 帯刀の左手に小さな紙切れを握らせると、トマスは踵を返しさっさと歩いていってしまった。

 ぽかんとする帯刀はしばらくその背中を見つめていたが、ふと我にかえり男の背中に呼びかける。その声に反応し、トマスはぴたりと足を止めた。

「あ、そうだ」

 彼はゆっくりと振り返り、帯刀に手を振る。

「『帯刀雪は契約の箱について何も知らない』、という貴重な情報をもらったから、ひとついいことを教えてあげよう。今、カークランドのhunが、天使も踏むを恐れるところに片足突っ込んでいる。あれは恐ろしく聡いから、十分気を付けて見ておくといい。多分それが真実に近づく最速の方法」

 帯刀はその発言に全く心当たりはなかった。ならばせめて、と彼は個人的に気になっていることを尋ねてみた。

「お前、その身体に防腐剤でも入っているのか?」

 その問いに、トマスは人差し指を口元に当て、優しく微笑んだ。

「ひみつ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ