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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
2.嫉妬の蒼き弾丸
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第三章 2

「意外と早かったね」

 三善が別行動していたケファを見つけた頃には、既に彼は車を出す準備を終えていた。息を弾ませながら助手席に転がりこむようにして乗り込むと、三善は慌てながらもシートベルトをしっかりと締めた。

「さすが帯刀。完璧に読んでやがる」

 世界を牛耳る情報屋という二つ名は伊達じゃないということが証明された瞬間でもあった。本職の彼らに対して言うことではないかもしれないが、それでもやはり彼らを相手に情報戦を挑もうなど烏滸がましいとしか言いようがない。

 しかし、彼の予測が正しかったと言うことは。ケファの脳裏にひとつの可能性が過る。

 もしかしたら、“嫉妬”と対峙することで『契約の箱』について何か情報が得られるかもしれない。しかし、そんな下心を持って臨むような状況ではないことは理解していた。まず何よりも優先すべきは、“嫉妬”を捉えること。それだけだ。

 雑念を振り払うようにチェンジレバーを動かし、ケファは車を発進した。相変わらず乱暴な運転で、まるで遊園地の絶叫マシンにも似た荒々しさと恐怖をたった一台の車で再現しているようにも思える。しかし三善にはこれに対しての耐性が十分に備わっていたので、臆することなく淡々と話しかけている。慣れとはある意味恐ろしいものだ。

「ケファ。状況はどんな感じか聞いている?」

「いいや、よく分からん。帯刀が監視しているはずだ、連絡取ってくれ」

 ケファは右手でポケットから携帯電話を取り出すと、三善に渡した。

 三善はアドレス帳の中から帯刀の番号を探し、通話ボタンを押す。数回のコールの後、帯刀は妙にのんびりとした声でそれに出た。

『ブラザー?』

「あ、もしもし。ゆき君?」

『ああ、みよちゃんだったか。そんなに大きい声出さなくても聞こえるよ。今どのあたり?』

 本部を出たばかり、と三善が告げると、うん、と帯刀が短く返事した。声の調子は全く変わらない。まるでこの事態を予測していたような、しんとした落ち着きを感じる。

「今、そっちはどんな感じ?」

『うーん、ちょっとまずいかな』

 本当にまずいと感じているのかさっぱり分からない悠長すぎる口調だった。今にもくだらない雑談を始めそうなほどにゆったりまったりした調子はそのままに、彼の口からはとんでもない事態が告げられる。

『今の浅木市は、ほとんど壊滅状態と言っていいと思う。“嫉妬”の弾丸が雨みたいに降ってくるし。場所は合っていたけど、これは本当に聖所を狙っていたのか疑問だな。殲滅戦に持ち込もうとしていると考えたほうがまだ理解できる』

 何とかそこまで聞き取れたが、ところどころ音声が途切れつつある。

 それは、ゆったりまったりと話す内容ではないのでは。

 色々と言いたいことはあったが、まだ何とか電話がつながっているうちに、と三善は今後どうすればよいのか単刀直入に尋ねた。

『先にブラザーがマリアと応戦しているはず。ある程度囮にはなってくれているみたいだ。みよちゃん、可能ならなるべく急いでくれないか。俺もそろそろ加勢するつもりで――あっ』

 何かが崩れる音がして、それと同時に電話が切れた。

「ゆっ、ゆき君?」

 三善はしばらく携帯電話に呼びかけてみたが、応答はなかった。ただ無機質な電子音が通話終了の旨を告げているだけだ。諦めて三善は携帯電話を二つ折りにし、ケファに返却する。

「帯刀はなんだって?」

「なんか、不穏なところで電話が切れた」

 とにかく、大変なことになっているということは分かった。こちらも急がなくては、“嫉妬”第一階層を生け捕りにするどころか全滅して終わりだ。その旨を告げると、

「りょー、かい」

 返事もそこそこに、ケファがより強くアクセルを踏み込んだ。

 激しいモーター音と風の抵抗による甲高い悲鳴が耳を劈く。これだけスピードを出していればすぐに浅木市まで着いてしまうだろう。その前に、ある程度対価を支払ってしまうべきだ。三善は先日の“嫉妬”戦のときの反省を活かし、あらかじめ持っていたプラスチックなどの対価を黙々と灰に転換し始める。

 対価が『釈義』として三善へ取り込まれていくと、みるみるうちに灰が零れ落ち、三善の膝に降り積もった。その粉っぽさに思わずくしゃみをすると、その勢いで車内が灰まみれになる。

「ちょ、お前。それはやめてくれ。掃除大変だから」

「仕方ないでしょ、多分今浅木市に行ったら僕の対価は何もないんだから」

「公用車でそれをやられると、あとで俺が怒られるんだけど……」

「ごめんね。僕のために怒られてちょうだい」

 ケファは泣きたいのをぐっとこらえ、浅木市へ向かってひたすらに車を走らせる。

 二十分ほど走っただろうか。あと少しで浅木市内に到着するというところで、突如大きな地響きが耳に飛び込んできた。少しの間をおいて、激しい揺れが車を襲う。

 ケファは慌ててブレーキを踏みこんだが、少し遅かった。車体は軽やかにスピンし、半回転した状態でようやく停止する。さすがに酔ったらしい三善は、口元を手で押さえ何とも言えない表情を浮かべている。

 その頃には既に外の揺れは収まっていた。あまりに短時間だったので、ただの地震というよりは、何か巨大なものが落下したと考える方が自然だろう。

 ケファが窓から顔を覗かせると、見るも無残な光景が一面に広がっていた。

 コンクリートが隆起し、浅木市に向かうための道が完全に封鎖されてしまっている。現在地から浅木市に向かう道は、あいにくこの一本しかない。迂回しようとすると今来た道を一旦戻る必要があり、そんなことをしていたら到着までに相当な時間がかかるだろう。カーナビを起動して交通情報を確認したが、ここだけではなく別の道もいくつか閉鎖されているようだ。浅木市だけが孤立した状態。これは実に厄介だ。

 二人は車を降りると、空を仰ぐ。とてもいい天気で、地上の惨事が想像もできないくらいに穏やかな夕暮れだ。それを見た二人の考えは大方一致していた。

 三善が口を開く。

「ねえ、空飛んだ方が早いと思わない?」

「同意する」

 今は一刻を争う事態なのだ。あまり『釈義』の使い込みはしたくないが、明らかに空から行った方が早そうだ。三善は先程対価を支払っていたし、ケファはケファで酷使しすぎなければ後から対価を支払えば十分に足りる。念のため、とケファは聖職衣のポケットから岩塩を取り出し、いくつか口に放り込んだ。

 その時だ。

 三善の目が何かを捉えた。晴れ渡る空の中にぽつぽつと黒い影が点在している。カラスか何かだろうか。目を細め、それが何か判別しようとよくよく目を凝らしていると、隣で微かに息をのむ様子が感じ取れた。

「三善、駄目だ。離れろ!」

 刹那、ケファの怒号と共に弾丸の雨が降り注ぐ。驚いた三善が一瞬身を強張らせ、判断が明らかに遅れた。

「『深層(significance)・発動』!」

 ――だが、弾丸に貫かれることを覚悟した三善の体には一向に痛みは訪れなかった。おそるおそる目を開けると、自身の前に何かが立ちふさがっていることに気が付く。

 甲高い金属音と共に、少し離れたところで何かが落下する音が聞こえる。

「……っ、ばか三善」

 ケファがイヤーカフを剣に変換し、弾丸を弾き返したところだった。彼にしては珍しく軽く息切れしているのは、対価が不足しているせいだろうか。三善の目には、彼がなんだかとても調子が悪そうに見えた。

 そうしていると、弾丸を放った黒い影――“嫉妬”第三階層と思われる巨大な蛾が、旋回しながらこちらめがけて飛んでくるのが見えた。先日対峙したものよりも僅かに小さく見えるが、数が多いのが厄介だ。

 ケファがどう対処するか思案しているその真後ろから、釈義独特の気配が感じられる。三善が『釈義』を展開したのだ。

 彼はゆっくりと身体を起こすと、ケファの聖職衣の裾を引く。

「ケファ、ちょっと僕にやらせてくれる」

 その口ぶりに、彼が一体何を言わんとしているのかすぐに理解できた。ケファが小さく頷くと、三善はその右手をかざし、小さく祝詞を上げた。

「『深層(significance)・発動』」

 蛾が弾丸を放った刹那、三善の手から強烈な聖火が放たれる。龍のようにうねりを上げながらより一層勢いを増す聖火は“嫉妬”めがけて吹き上がり、その身体を弾丸ごと燃やし尽くす。その火力の凄まじさといったらない。それらが灰になり風に流されていくのは数秒もかからなかった。

 三善はふっと息を吐くと、額の汗を袖口で拭う。

「これでおっけー」

 そして、ケファに向けて左手をかざす。

 三善がこの規模の聖火を発動できるようになったのは、つい三日前のことである。先日の発熱以降久しぶりに釈義の訓練をしようとしたところ、なぜか三善の聖火が上達していた。特に練習も何もしていないのに、だ。ただ、三善はそれを複雑そうな面持ちで受け入れていたのがケファにとって妙に印象に残っていた。

 彼の上げた左手にハイタッチすると、ケファは三善を労うように肩を叩く。

「満点ごーかく。練習の成果、あったじゃねーか」

「これはまあ……僕の成果じゃないけど」

 三善は気まずそうに言う。「『あの人』の真似をしただけだ」

『あの人』が一体誰を意味するのか、ケファにはお見通しだった。その身体に宿る『大司教』だ。三善にとっては、あのジェームズと対峙した日に大司教が発した聖火――そのようにケファは聞いている――の感触を再現しただけだと感じているようだ。だから自分の力で成功したのだと思えていないのだ。

 それでも、とケファは思う。三善が納得するまで何度も繰り返し練習していたのは事実だ。その努力がなければ今の結果は生まれていない。

 だから彼は、さっぱりとした口調で三善に言う。

「いいんだよ、それで」

 ケファは剣をイヤーカフに戻すと、それを左耳につけながら空を仰いだ。今度は怪しい影も見あたらない。これなら空を飛んで行っても邪魔は入らないだろう。

 ここで思いのほか時間をとられてしまったので、あまり議論している余地はなかった。

 三善が先に祝詞をあげる。「『逆解析リバース』!」

 白い閃光が一瞬背筋を爆ぜ、黒の聖職衣を突き破る。水晶のような、異常に硬質化された物質――岩塩に酷似した物質らしい――が大きな翼を形作る。その白き翼を大きく動かすと、小さな身体が軽やかに浮かぶ。

「『釈義(exegesis)展開・装填(eisegesis)開始』」

 続いてケファが祝詞をあげた。身体にめぐる異様な熱を一挙に高め、ふ、と息をつく。この瞬間が一番体力を消耗するのだ。しかし、なぜだろう。今日はどうにも調子が悪い。

「『深層(significance)発動』」

 尖った塩の塊が翼を形作るように背を突き破った。それが完全な大翼に変化するのを見計らい、彼も三善を追って空にはばたこうとした。

 だが、

「……っ、」

 背中の違和感にケファは思わず動きを止めてしまった。痛いという訳ではないが、ジンと熱をこもらせているような感覚が背中全体を巡っている。長年この釈義と付き合ってきたが、このような感覚は初めてだった。

 先ほど聖十字の剣を出したときもそうだったが、何かがおかしい。釈義独特の熱が体力をいつも以上に削っている気がする。少しの発動で何故こんなにも疲弊するのだろう。

 恐る恐る己の肩越しに背中を見るが、隆起した塩の翼には特に異変は見られない。

 頭上から三善が呼ぶ声がする。

「どうしたの?」

「ああ、悪い。今行く」

 その頃には先程の違和感は薄れていた。ようやくいつも通りの状態だ。安心したケファはその翼で三善の元へと昇っていった。

 上空から地上を俯瞰すると、確かに浅木市は壊滅状態だった。先程車を置いてきたところより先の道は瓦礫とコンクリート、倒れた街路樹などが入り乱れ、車はおろか人間ひとりすら通ることが困難な状態である。

 少し遠くの方で、地上が縹色に輝いているのが見えた。あれほどまでに大規模な明かりは通常考えられない。三善は不思議そうに首を傾げながら、ケファに意見を求めた。

「あれ、何だろう。青く光ってる」

「光ってるというよりは、燃えているというか……。それに、なんであんなにはっきり青く見えるんだろ」

 ケファは唸りながらその光を注意深く観察する。

 どことなく、見知った聖気を放っているような気はする。一体どこで、と考えるケファの袖を、三善は強く引いた。

「なんだか嫌な予感がする。行こう」

 三善がそういう言い方をするのは非常に珍しい。促されるままに、二人はその光めがけて翼を動かした。

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