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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
2.嫉妬の蒼き弾丸
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第二章 5

 あれ以来、三善はじっと何かを考えていることが増えた。

 熱は下がったが、だからといってすぐに動き回れるほど三善の身体は強くない。そういう事情もあり、ケファはしばらく釈義の訓練以外のことをさせるようにした。しかし、三善はあいにく勉強が好きではない。そのせいもあってか、彼は少し目を離すとぼんやりと窓の外を眺めている。

「こら、三善」

 見かねたケファが声をかけると、三善ははっとして肩を震わせた。

「あ、ごめん。聞いてなかった」

「こうもあっさり言われると、呆れを通り越して逆に尊敬する……」

 そして、話は聞いていないと言いながらも机上の数学問題集は満点だということも腹が立つ。ケファは息をつき、はっきりと言った。

「考えごとしたいのは分かるが、それはそれ、これはこれだ。ちゃんと弁えないと」

 ただ、三善がぼんやりする気持ちも分からなくはないので、ケファはそれ以上なにも言おうとはしなかった。

 あの後ケファは三善を自室に送り、ホセに借用したカードキーを返却した。彼は短く、「お疲れ様でした」とだけ言い、以降何も言いはしなかった。おそらく、ケファの表情を見て何かを悟ったのだろう。

 いつまでも今の生活を続ける訳には行かず、かと言って変化を受け入れるにはまだ彼らは幼すぎた。いよいよケファも三善と今後どう向き合っていくのかを問われているように思えた。

 神は乗り越えられない試練を与えないと言うが、これはなかなかに考える。

 ケファはその後時間いっぱいまで数学を教えると、次の予定がある三善と別れた。

 自室まで戻ってきたケファは、書きかけのまま放置していた原稿を進めるべくパソコンを起動した。デスクトップが表示され、サービスが順次立ち上がってゆく。付箋機能が起動しディスプレイに表示されたところで、以前メモした文字列が目に留まる。

「……あ」

 色々あってすっかり忘れていたが、あの時は『これ』を考えていたのだった。なるべく早く調べておきたくて、わざわざメモまで書いておいたのに。

 ケファは少し考えて、パソコンを閉じた。それを手持ちの鞄に放り込むと、彼は資料室へと向かったのだった。


***


 彼にとって、資料室は第二の自室のようなものである。

 ケファは三善の面倒を見ている以外の時間で広報関係の仕事を手伝ったり、研究雑誌から依頼され小さい記事を執筆したりすることがある。そういう時は自室より資料室の方が都合がいいので、隅の席を陣取って数日ひきこもることもしばしばだ。そのため、ここの司書とは顔見知りだし、頻繁に出入りする人物の顔くらいは覚えている。

 今日はそれほど出入りが多くなく、ケファが座る席付近には誰もいなかった。

 一旦資料を取りに席を離れると、五分後には大量の本を抱えて戻ってきた。それらを机の上にジャンル別に並べると、ケファは再度パソコンを立ち上げる。

 あの時考えていたのは、「三善を何か別の方法で生かす方法があるか」、そして、「“嫉妬”が聖所を襲う理由」だ。一見関係のない話に思えるが、考えるうちに唐突に思いついたことがあったのである。

 鍵となるのは『Dt.29-31』。彼はそれを検証したかったのである。

「……まずはアレか」

 ぽつりと呟くと、山積みにした文献の中から『釈義』に関するものを取り出した。

 まずケファが考えたのは、『十二使徒』の釈義だ。もしも三善が十二使徒に拝命されることがあれば、その釈義を用いて“大罪”の力を抑えることができるかもしれない。そう思ったのである。

 結論から言えば、さすがに少し無理があった。今の『十二使徒』を解体すれば新しく選任されることになるだろうが、釈義を失ったホセですら外されずに残り続けていることから、しばらく解体の線はなさそうに思える。

 だが、興味深い記述はあった。『十二使徒』の釈義は自身の『釈義』に上乗せされる形で大司教より賜るものなので、仕組み的には後天性釈義と非常によく似ているのである。そして、それ故に特定の条件が揃えば能力者本人の承認のみで第三者に『十二使徒』の釈義を譲渡することができるらしい。そういう使い方もできるのだと、ケファは本来の目的を忘れてひたすらに感心した。

 ケファが賜った『十二使徒』聖ペテロの釈義は、前任者の殉教を理由として与えられたものだが、まだまだ未知の部分が多い。他の使徒と比べても、聖ペテロのものは特別な釈義だ。その能力全てを把握できていないことは事実である。もう少し勉強しなければならないか、とケファは次の資料を開いた。

 次に開いたのは、『聖戦』の記録集である。ケファは『聖戦』の頃はまだ大学院の研究室所属だったので、正確に言うとプロフェットではなかった。そのため、表立って戦地へ赴くことはなかった。ごく身近に体験者がいるけれど、さすがに生の声を聞くのは憚られるところでもあるので、まずは記録から見ておくことにしたのだった。

 何故今更『聖戦』の頃の資料を開いているかというと、少し大司教に関して気になることがあったためである。確かに大司教は戦地へ赴き、聖都にて殉教したと聞く――正確には死んでいないのだが――が、なぜわざわざ死んだことにする必要があったのか、というところが全く理解できなかった。

 ホセの言い分から察するに、どうも三善に楔を打ったことと関係しているようだが、別に楔を打ったというそれだけの理由で行方をくらます理由などないはずだ。これだけではない。そのほかにも、彼が姿をくらました状況には不可解な点が多すぎる。ケファが以前から漠然と感じていた不安にも似た感情を、ここで一旦整理して俯瞰してみようと思ったのだ。

 ケファは資料を読みながら、ざっくりとした年表を表ツールで書いてみる。

 そして、とある行を書き足したとき、ぴたりとキーボードを打つ手が止まった。

 どうやら、『聖戦』の直前に“七つの大罪”が内紛を起こしているようなのだ。そういえば、先日ホセがA-Pプロジェクトの起こりについて説明した時に「聖戦の発端は“大罪”内で起こった内紛によるもの」と言っていたのを思い出す。

 内紛とは? とケファがさらに別の資料を開く。

 ――何冊か巡り歩き、いくつかケファが分かったことがある。

 まずひとつは、その『内紛』の原因が“七つの大罪”内で一人の女性の能力を巡り議論されたことにあるらしい。記録を見る限りでは、その女性は本来“大罪”内で相当重要な地位に就いていたが、彼女は“大罪”としての能力以外に大聖教の『釈義』を保持していたのだという。エクレシアが“大罪”の能力を異端であると判断するように、“大罪”は釈義を異端だと考えているということが非常によく分かる出来事だ。少し厄介なのが、エクレシアが彼女を保護するという姿勢を見せたこと。これにより“大罪”内で反抗勢力が強まり、あれほどまでのひどい争いに発展したという訳だ。

 そしてもうひとつ。“大罪”がエクレシアに反発した原因はそれだけではなく、その女性が持つ『とある能力』をエクレシアが奪ったのではないかということらしい。その能力についてはそれほど詳細には語られていなかったが、“大罪”内ではそれを『契約の箱』と呼んでおり、信仰の対象として大切に扱われていたもののようだ。

 この単語がこんなところで出てくるとは思っていなかった。

 ケファは慌てて右手で聖典をめくる。本来『契約の箱』というものは十戒が刻まれた石板を収めた聖櫃せいひつのことを指す。イスラエルがバビロニアに滅ぼされる前にどこかに隠されたらしい、というところまではケファも知っていた。

 この『契約の箱』についての記述があるのが『Dt.29-31』すなわち、申命記二十九節から三十一節だ。聖所におさめられたものといえば、これを連想する神父は多いはずだ。

 だからあの日――ホセのもとを訪ねた時、必死になって申命記の内容を思い出そうとした。聖所の中にあるものが“嫉妬”の探すものにあたるなら、きっとそれは“大罪”の能力に関するものではないかと。それであれば、三善の“大罪”の能力をどうにかできるかもしれない。その結論があの日のうちに出ていれば、三善に「大司教になれ」なんてひどいことは言わなくて済んだ可能性もある。

 しかし、結論から言うと彼の予想は外れた。ここで言う『契約の箱』は、どうやらかなり特殊な『釈義』が込められたものであるというところまで読み取れたからだ。

 ケファは聖典を閉じ、眉間に手をやる。

 まるで分からない。

 大体にして、“大罪”が『釈義』を信仰の対象にするというところが既に納得いかない。“大罪”のルーツを辿ると大聖教にたどり着くという前提条件があっても、だ。

 大きく伸びをして、一度思考をリセットする。考えることは嫌いではないが、根を詰めると碌なことにならない。胸を開き肩の凝りをほぐそうとすると、腕が山積みにした資料にぶつかり、盛大に床にぶちまけてしまう。

 だから根を詰めるとろくなことにならないのだ。

 ケファは立ち上がり、散らかした資料を拾い上げていく。

「ん?」

 その中で、唐突に目に飛び込んできた資料があった。それを拾い上げると、ケファはじっと文書に目を落とす。

 資料室の過去の利用記録だった。資料を選定する際にどうやら混ざってしまったらしい。そのこと自体はいいのだが、問題はその記録の内容だ。

 ケファが見つけたのは、ちょうど五年前の記録である。その中に、ジェームズの名前があった。

 別にジェームズがこの資料室を利用すること自体は別に不思議ではない。実際、この資料室は基本的に誰でも利用可能だし、今もケファ以外に利用者はそれなりにいる。問題は、ジェームズと共にこの施設を利用したゲストの名前だ。

 帯刀壬生たいとうみぶ

 彼は帯刀雪の父親。当時帯刀家の当主だった男である。彼は大聖教の信者ではないはずだが、なぜこんなところにいたのだろう。

 数々の疑念が脳裏をよぎるが、ケファはかぶりを振りそれらを一度忘れておくことにした。気になることは山のようにあるが、ここで確認しておきたいことはただ一つ。帯刀壬生がいたということは、この場所にある何かが変わっているかもしれない。それが何かを確認しておきたかったのだ。

 その記録によれば、彼らはその日十二番書庫を利用したらしい。ケファは司書に声をかけ、この時期に十二番書庫に収められた資料に増減はなかったか確認する。すると、司書はすぐに「それはない」と返した。

「その代わり、少し不思議なことはありました」

 そして、彼は一冊のバインダーを奥から持ってくる。「その一年後くらい後に書棚の棚卸をしていたところ、十二番書庫からこのファイルが出てきたんです。システムにも登録はされているみたいなんですが、ここの職員の誰もが『このファイルをシステムへ登録した覚えはない』と言っているんです。不審だと思ったので、司書室の方で管理することにしていたのですけれど……」

「ええと、可能なのですか? 何年も前にシステムに登録した本を違わずに覚えるなんて」

「はい。あなたなら私たちのことをとてもよくご存じのはずです」

 そういえば、ここの司書は揃いも揃って本の虫で、システムなんか使わずともどの棚にいつどんな本が入ったかを正確に記憶しているというまさしく変態の集団だった。彼らの記憶力は半端ではないということをケファはとてもよく知っていたので、この司書が言うことも信じざるを得なかった。

 内容を見てもいいと司書が言うので、ケファはそれを借りて席に戻ってきた。

 それはどうやら誰かの『釈義』にまつわる研究記録らしかった。ラテン語で書かれているということは、間違いなく教会関係者のものだ。ふぅん、と思いながら、ケファはぱらぱらとめくってみた。特別不思議なことは書いていない、一般的な『釈義』教則本に近い内容で、早々に飽きてきたケファは小さく欠伸をかみ殺す。

 しかし、とある箇所に差し掛かった時、ページをめくるケファの手がぴたりと止まった。

 大司教の『釈義』の中に、ふたつ使途不明のものがある、という内容だった。ひとつは『十二使徒』にまつわるもの、もうひとつは大司教の権能にまつわるもの。そして後者は、箱に収められた特別なものだが現在行方不明、との記載がある。

 箱、という記述にケファはひとつだけ仮説を立てた。

 もしも、先ほどの『契約の箱』とこの大司教の『釈義』に何らかの関係性があるとするならば、どうだろう。むしろ偶然にしては出来すぎた形状の一致に、まさか、という期待がよぎる。

 この釈義が本当に実在するのなら、『契約の箱』との関係はともかく、大司教のものには違いない。それならば、三善の楔の代わりになる。“大罪”の能力を抑えることに利用できるのではなかろうか。

 このとき、ケファの今後の方針が明確になった。まずは、この箱に収められた釈義と『契約の箱』について調べるべきだ。少し時間はかかるかもしれないが、何もしないよりはましだ。

 ケファは念のため、その資料を返却する前に奥のコピー室で複製しておくことにした。

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