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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
2.嫉妬の蒼き弾丸
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第二章 1

 この日、三善はマリアを連れて中庭を散歩していた。

 いつもであればケファに教会史を教わっている時間帯なのだが、ケファの都合が合わなくなり、やむを得ず授業が取りやめになったのだ。彼曰く、司教が出席する会議にあくまで「学者として」見解を述べるためだけに参加を強制されたとのことである。「その道からは完全に足を洗ったはずなんだが」と心底面倒そうに言いながら、彼はやる気のない足取りで会議室へ向かっていった。

 急に暇になった三善が仕事を探して本部内を歩いていると、通りすがりのホセに声をかけられた。彼もまた司教という位階の都合上ケファと同じ会議に参加する必要があるのだが、その間マリアを見ていてくれないかとのことだった。いつも預けている科学研の知り合いも今日は都合が悪いそうで、どうしたものかと悩んでいたところだったらしい。

 ――会議が終わるのに二時間くらいかかると思うので、それまで相手してあげてください。

 暇を弄んでいた三善は喜んで引き受けた。

 マリア曰く、彼女は本部内の施設をあまりよく知らないという。基本的にホセと行動を共にする彼女は、単独で彼の行動範囲から外には出たことがなかったのである。それならば、と三善は彼女を引き連れて本部内を案内することにしたのだった。

 様々な施設を巡り、最終的にたどり着いたのがこの中庭である。

 この中庭は三善がとても気に入っている場所だ。

 この辺りは他の教区に比べれば比較的涼しく、夏場でも炎天下に晒されることが少ない。そのせいだろうか、この中庭の花はくたびれることなく瑞々しい状態で咲き乱れていた。少し歩いただけでも独特の甘い香りが全身を包み込むようだ。それは三善がこの場所を気に入る理由の一つでもあった。

「いい天気だね」

 二人は白いベンチに腰掛け、木陰でのんびりとしている。マリアも三善の呑気な発言に同意し、小さく頷いた。

 しばらく沈黙が続く。

 三善はかなり頑張って彼女に話を振っていたのだが、ここにきていよいよ話題が尽きてしまった。彼は元々話題が豊富になるような生活もしていなければ語れるほどの趣味もない。せいぜい彼女と話が合うのはおやつの話くらいだろう。何となく居心地が悪く、三善は微かに肩を竦めた。

 ちらりと彼女を横目で見やると、彼女は興味深そうに風に揺れる花を見つめていた。瞬きすら忘れているのではなかろうか。そもそもアンドロイドが瞬きするのかは不明だが――それほどに注意深く彼女の顔を見たことがない――、自分の好きなものに興味を持ってもらえたのならそれは嬉しいことだ。三善はそう思うことにした。

 その時、突然マリアが口を開いた。

「教皇」

「僕は教皇じゃないよ。僕は三善」

「でもあなたの釈義は、教皇のものでしょう?」

 それだけは否定できず、三善は苦笑しつつ適当にはぐらかすことにした。気を取り直し、どうしたのかを尋ねる。

 マリアはしばらく無言だったが、ぽつりと呟くように言った。

「教皇は、司教ファーザーをどう思う」

 思わずぎょっとした。

 彼女の言う「司教ファーザー」とは言わずもがなホセのことだが、改めてどう思うかと問われても困る。そんなことは深く考えたこともなかったし、そもそもマリアがどのような答えを求めているのかが分からない。そして、彼女がその質問をした意図も掴めない。

 三善はしばらくうんうんと悩み、ようやく一つの答えを導き出した。

「ホセは、お父さんだね」

「おとうさん? ええと、Papaのこと?」

「たぶんそれのこと」

 マリアは三善の言葉の真意が分からずに、きょとんとしたまま首をかしげている。無理もない。三善の言い方が抽象的過ぎるのだ。

 一体どう説明すれば彼女に分かってもらえるのだろう。三善はさらに頭を悩ませることとなった。

「ええと、ちょっと待って。少し話をまとめる」

 彼にとってホセは後見人にあたるので、そういう意味でも父親のように感じているのだが、それ以外にも理由があった。

 三善がホセと出会ったのは約二年前。ホセが『喪失者ルーウィン』となってから数年が経過した頃のことだ。

 当時三善はとある理由から地下施設に幽閉されていたのだが――詳細は三善自身も聞かされていない――、ある日突然彼らがやってきて、このように言い放ったのだ。

 ――ケファ。君に新しい仲間を紹介します。

 この部屋に入ることのできる人間は限られているため、三善は頻繁に見る人物であれば人相も声も覚えていた。しかしながら、その声は今までに聞いたことのないものだった。のろのろと重い瞼をこじ開けると、ダウンライトに照らされた二人分の影が伸びている。

 ――おい、……おい、ホセ。これは。

 先ほどとは違う声が、動揺を訴えて震えている。

 一体この人たちは何をしに来たのだろう。

 目の前で何やらもめているようだが、あまりに早口すぎて三善は聞き取ることができなかった。しかも口論の途中からどこか別の国の言語に変わったので、三善はただ呆けるしかできないでいる。しかし、どうやら彼らは三善自身を巡り喧嘩しているらしい、ということだけは理解できた。

 彼らはしばらく激しい言い合いを繰り広げるも、最終的に納得したのか、互いに大きく頷き合う。

 ――ま、外に連れ出すのが先だろ。

 ――ええ。あと十分もすればここの扉が開錠されていることを悟られるでしょう。あなた、鍵開けは得意ですか?

 ――おう。一分くれ。

 ――了解です。これを使いなさい。

 何かを手渡された背の高い男が、三善に繋がれていた錠前をいとも簡単に外し、固定されていた頑丈な鎖をとっぱらった。三善は何が起こったか分からずに、ただ目を丸くするばかりである。まさか、彼らはとても怖い人ではないのかと警戒してしまうほどだ。

 ――行きましょう。『猊下』。

 彼らはそのまま三善を抱え走り出す。そのうちに三善は一度気を失い、目が覚めた時には「北極星」の一室に身体を横たえていた。先ほどの彼らが、心配そうに、しかしながら少しばかり嬉しそうに肩をなで下ろしている。その時の表情を、三善は今でもよく覚えている。

 あとから聞いた話だが、地下に幽閉されている三善の存在に気づいたホセが、自ら後見人になることで「とある人物」から三善を奪還したのだという。ただ、ホセは業務上出張が多く、一か所に留まることの方が少ない。このままでは三善をひとりにしてしまう。それはあまりにも無責任であるため、当時本州第二区で宣教師をしていたケファを無理やり異動させ三善に付けた。

 後々三善がそれを気にして「自分と居て嫌ではないのか。後悔したことはないか」とケファに尋ねたことがある。彼は目を瞠りつつも、「俺は一応教員免許を持っているし、業務上の不満はない。何より、お前といるのは楽しい。これでいいと思っている。後悔? そんなものない」と即答している。

 そう、三善の世界が一変したのは、彼らのおかげなのだ。

 ホセが言う「とある人物」に全く覚えはなかったが、あの時外に連れ出してもらわなければ今のような生活を送ることは到底あり得なかった。二人にはとても感謝しているし、可能な限り彼らの助けになりたい。今も昔も、そう思ってやまない。

 ――三善はそこまで思い出し、はっとしてマリアを見た。彼女はずっとこちらを見つめ、様子を伺っていたようだ。

「ごめん。ええと、ホセは僕の後見人なんだ。だけど、それ以上に家族として大切に思っているよ。だから、お父さん」

 マリアはその言葉に、何か思うところがあったのだろう。逡巡したのち、ゆっくりと口を開く。

「あなたの言うことは、ええと、司教との間には過去事象に起因する絆がある、ということ?」

「君は難しいことを言うね。ええと、まぁ、そういうことかな。おおよそ合っているよ」

 今度は三善が考える番だった。

 なるべく考えないようにして今まで過ごしてきたが、自分の生い立ちに触れるとき、どうしても思い知らされることがある。

 ふと息をつき、三善は彼女にぽつりと呟いた。

「ねぇ、何で記憶というやつは選べないんだろう。僕が覚えておく必要があること、過去にはいっぱい散りばめられているはずなのに、僕はひとつも覚えていられない。時間の流れの中、ひとり取り残されているような気分になる」

 三善の記憶の始まりは、件の地下室から抜け出したときのものだ。それより前のことは覚えていない。自分が何故生まれ、教皇の釈義の恩恵を受けるに至ったのか。何故地下施設に入れられていたのか。なぜ“大罪”の力を持ってしまったのか。

 ――自分が誰から生まれたのか。その点に全ての答えがあるような気がしてならない。しかし、その答えは決して誰も教えてはくれないのだ。

 三善はきゅっと目を細めた。

 いつでも自分は、肝心な時に蚊帳の外にいる。改めてそう実感してしまったからだ。

 そのとき、一際強い風が吹きつけた。花弁が舞い、視界が一層カラフルになる。まるで、色の付いた雪が降ってくるようだった。

 はっとして空を仰ぐと、

「『深層(significance)・発動』」

 その声と共に、宙を舞う花弁が金箔と化した。きらきらと瞬く金の花弁は星屑のようで、そっと触れると緩やかに掌の中で溶けてしまった。

 三善はこの釈義を知っていた。こんな能力を使うプロフェットは、三善が知る限り彼しかいない。ベンチから立ち上がり周囲を見渡すと、遠くの方から二人の男がこちらに向かって歩いてくるのが見える。

 一人は茶色の長い髪を後ろで一つに束ね、黒い聖職衣を身に纏っている。日本人らしい顔立ちではあるが、その瞳は蒼穹を連想させるきれいな青色だ。この位置からはよく見えないが、近くまで寄って見つめると、その瞳の中にぼんやりと十字のような光彩があることを三善は知っている。そしてもう一人はスーツを身に纏った短髪の男で、茶髪の男に付き添うようにして歩いている。

 茶髪の男が三善の姿を捉えると、一度背後の男に向かって何かを言い、さりげなく追い払った。彼がひとりになったところで、ようやく三善に片手を上げて挨拶する。

「みよちゃん」

 彼は微笑みながら三善の前までやってくる。「ああ、しばらく見ないうちにまた背が伸びたんじゃないか。元気?」

「うん! 久しぶりだね、ゆき君」

 和やかな雰囲気の中、マリアはじっと茶髪の男を見つめている。マリアは初対面だからだろうか。頭の先からつま先までしっかり見つめたのち、不思議そうに首をかしげている。

 舐めるような視線に彼は気づき、三善に尋ねた。

「ええと……、お友達?」

「ああ、マリアだよ」

 三善はマリアを傍らまで呼ぶ。「マリア、このひとは帯刀雪たいとう・ゆき君。僕たちと同じプロフェットなんだ」

 静かにマリアは帯刀に手を伸ばしたので、彼は握手を求めているのだと理解した。彼女の小さな手を握ってやると、満足そうにマリアは微笑んだ。

「守護聖人なのね。どなた?」

「聖クリストフォルスの銘を賜っている。あなたはそんなことが分かるのか」

 変わった子だ、と帯刀はあっけに取られた様子で言う。彼にはまだA-Pのことを説明できていないが、それよりも三善は聞いておきたいことがあった。帯刀が本部に顔を出すときは、決まって何らかの厄介事に巻き込まれているのだ。

「ところで、ゆき君はどうしてここに?」

「ん」

 一度頷き、帯刀は険しい面持ちでその質問に答えた。「ちょっと事実確認をしに、枢機卿に会いに来た」


***


 会議室の扉からぞろぞろと白い聖職衣を身にまとう男たちが出てきた。その姿は、まるで群れなす羊のようである。

 その羊の群れの末尾のほう、しかもかなり後れをとるかたちで出てきたのは紫の肩帯を下げたケファであった。薄い眼鏡は微妙に下がり、歩き方もなんだかぎこちない。どうやら会議独特の雰囲気に酔ってしまったようだ。

「顔色が悪いですよ」

 そんな彼の背後からホセが声をかけた。こちらは対照的にやたらぴんぴんしている。ケファはだるそうに瞳だけを上げ、上目づかいでホセを仰ぐ。

「……なんでお前はそう、元気なんだ?」

「適当に聞き流しているからです。あなたは真面目に聞きすぎです。あんな連中の話をまともに聞いていたら魂擦り切れますって……。あー、ケファ。その体勢はだらしないのでやめてくださいね。一応あなたは司祭で、司教見習いでもあるのですから」

「あーい」

 かったりーなあ、と呟いていると、ケファは長い廊下の向こうに誰かがいるのを見つけた。

 黒いスーツを身に纏い、短い髪もそれと同色。背はすらりと高く、どことなく黒豹のような印象を与える。その独特の風貌には覚えがあった。

 彼はこちらに気がつくときれいな所作で一礼する。

「美袋」

 ケファとホセが近づくと、彼はやや神妙な顔で扉を指した。それで話の大筋は掴めた。

「どうりでブラザー・ジェームズがいないと思ったら。ブラザー・ユキとご対面でしたか」

 そう、先ほどの会議、大司教補佐であるジェームズが会議にいないという異例の事態が発生していたのである。これが会議をぐだぐだにさせる要因のひとつであった。

 しかし、それで何となく状況は掴むことができた。今この扉の向こうにいるのはジェームズと、

「帯刀雪、か」

 彼が出てきたということは、よほどのことがあったに違いない。二人は確信を持って頷いた。

「あなたの主人も大変ですね。まあ、あの帯刀家の現当主ですから仕方ないのでしょうが。例の“嫉妬”の件ですか?」

「ああ。少々不可解なことがあってな」

 ここで美袋――美袋慶馬みなぎ・けいまがようやく口を開いた。癖のない流暢な発音はとてもきれいで、聞いているこっちが惚れ惚れしてしまう。

 帯刀雪はプロフェットの中でもかなり特殊である。否、むしろ「プロフェットである」ことは後から付け足されたおまけのようなもので、真に期待されている役割は全く別物なのだ。

 帯刀家とは世界屈指の情報屋である。その歴史は古く、何百年もの間情報戦で先手を取ってきた。ある意味異常ともとれるその情報収集能力により、現代テクノロジーが隆盛する今も帯刀家は引けをとらない。否、むしろリードしている。雪は齢十九にして現当主、その身体ひとつであらゆる情報を動かしているのである。

 彼、慶馬は古くより帯刀家に仕える美袋家の者で、現在は雪の秘書兼ボディーガードの役割を果たしている。彼は実のところ、雪がエクレシアに介入するのを最後まで抵抗した人物でもあった。しかし、雪はそれを無理に押し切って位階を得た。その理由というのが、また厄介なものだった。

 それを知っている二人だからこそ、それ以上慶馬に言葉を求めなかった。

「ん? ああ、外で待てって言っただろ、慶馬」

 突然扉が開き、噂の帯刀が出てきた。先ほどまで下げていなかった黄色の肩帯を身に着けている。普段は「こんなもの邪魔だ」と言って頑なに肩帯を下げない彼だが、今回ばかりはそうもいかなかったらしい。

「あ、ブラザーと一緒だったのか。久しぶり、元気?」

 そこでようやくホセ・ケファの姿に気づいたようで、呑気に片手を挙げて挨拶をする。「うちの慶馬が何か迷惑、かけなかったか」

「いいえまったく。相変わらず綺麗な所作で惚れ惚れしますね、男相手ですけど」

 そうか、と帯刀はようやく頬を緩くし、安心した様子で頷いた。

 この主従は見ていて心地よいものがある。互いが互いに寄せる信頼、それがはっきりと見て取れるからだろうか。――否、それは「永遠に」離れることのできない、哀しい性なのかもしれないが。

 そこでふと、帯刀は思い出したようにホセに声をかける。

「そうだブラザー。さっきみよちゃんに会ったんだけど、もう一度会えるかな」

「ヒメ君なら多分その辺を散歩しているとは思いますが……どうしました?」

 三善の行動パターンを大方把握しているホセは、きょとんとしながら尋ねる。雪と三善が非常に仲良しなのは知っているが、先ほど会ったばかりの人物を再び呼び出す理由が思いつかなかったのだ。

「二か月前の“傲慢”浄化の話を聞きたい。ああ、それともブラザーの口から聞いた方がいいのか? 俺としてはどちらでもいいから、そちらの都合に合わせてもらえれば」

 彼の口調は実にはっきりとしている。その言葉の鋭さ、そしてその鋭さを圧倒的な存在感で包みこみ、緩衝材のようにしている。これが彼のやり方である。毎度ながら、この謎の説得力には舌を巻く。今回もどのみち断れないのだとホセはすぐに理解した。

 ホセはケファへ目を向け、目線のみで了承を得るとゆっくりと頷く。

「一体何をするつもりです?」

「“嫉妬”が最近活発に動いている理由」

 雪があっけらかんとした口調で答えた。「予想はついているから、その答え合わせがしたい」

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