第一章 2
立ち話するにも場所が悪いので、四人は場所を変えることにした。
車に揺られること数十分、手頃そうなファミリーレストランに入る。
言わずもがな、三善・マリア両名はファミレス初体験だ。ホセが差し出したメニュー表を受け取った三善は、そのきらびやかな料理の数々に目を丸くしている。普段本部で食べる精進料理やサプリメントとは段違いの、視覚的に楽しい品々に、思わず感嘆の声を上げた。勿論何でも食べていいという訳ではないのだが、それにしても品数が多い。三善はおろおろしながらメニュー表を一周し、それをケファに横流しした。
対してマリアは、相変わらずの仏頂面でテーブルに置かれたグラスを眺めている。明らかに手持無沙汰といった様子だ。
その二人の様子を見て、ホセとケファは苦笑するしかなかった。
「慣れないところに連れてきて悪かったよ、ヒメ」
「マリア。大人しいのは別に構いませんが仏頂面はよくないですよ」
そんなこと言われても……。子供二人はじっとりとした目でそれぞれの保護者を見つめるのだった。
とりあえず大人はコーヒー、子供はパフェでいいかという結論に達し、そのように注文した。
店員が去った後、さて、とホセが話を切り出す。
「どのあたりから話しましょうか。彼女のことを説明しようとすると、どうしても『十字軍遠征』のあたりに触れる必要があるのですが……あまり長話になってもつまらないでしょうし、要点だけお話しします」
どの順序で話そうかとホセは逡巡し、ぽつりと一言だけ呟いた。
「“喪失者”」
ぴたりと、ケファの動きが止まる。今まさに水を飲もうと手を伸ばしたところだったので、明らかに動揺したのが目に見えて分かった。ホセは勿論それに気づいているようだったが、敢えて見なかったことにしたらしい。
「――やはり、私が『釈義』を失った頃の話からすべきでしょう。ケファ、あなたにもきちんと話したことはありませんものね」
まず、ホセが『釈義』を失ったのは、今から約五年前のこと。七年前に勃発した『聖戦』の粛清のために教会側が立案した、後の世で『十字軍遠征』と呼ばれるプロフェットの軍事介入に参加していた頃のことだ。ホセは『十二使徒』であるが故に最前線で戦っていた、ということを、三善とケファは知っていた。
「私が聖都に向かった頃には既に開戦から二年経過しており、多くのプロフェットが殉教しました。もともと『聖戦』の発端は“七つの大罪”側で起こった内紛によるものですが、我々大聖教側にも原因はありました。いずれにせよ、このまま“七つの大罪”との対立状態が続けば、近い将来エクレシアは陥落する。そこでエクレシアの科学研が、人工的にプロフェットを造る計画を立案したのです」
この時点では、既に実用化されていた後天性釈義を一般神父に定着させ、プロフェットを量産しようという計画だった。実際、十字軍遠征直後まではそのようにしてプロフェットの数を無理に増やしていたのだが、ここで想定外の出来事が発生した。
後天性釈義の人体実験に初めて成功した人物であり、派遣されたプロフェットの中でも『最大戦力』と謳われた、ホセ・カークランドのリバウンドである。
後天性釈義の適用試験中においてもそのような兆候が見受けられなかったことや、ホセ・カークランドという人物の“特殊性”から、科学研による対処に想定外の時間がかかってしまった。
その間にも、戦は否応なしに続く。治療方法が確立される間にもやむを得ず最前線で『釈義』を行使し続けたホセは、最終的に後天性釈義である『右手』による対価『毛髪』『土』の二種類だけでなく、かなり希少価値の高い先天性釈義『喉』による対価『歌』も失ったのである。
そうして彼は「喪失者」に認定された。
「この事件以降、後天性釈義を与えることは全面的に禁止されました。そして、現在後天性釈義を保持するプロフェットについては『釈義』の使用制限を与えられ、かつ月に一度検査を受けることになりました。ヒメ君が毎月めんどくさそうにしている通院も、元を辿るとそういう経緯があってのことです」
とはいえ、物理系・化学系釈義保持者が大半の中、片手で数えられる程度にしか存在しない特殊系釈義を失ったのはエクレシアとしてもかなりの痛手であった。
ホセ自身がそれについて言及することはほとんどないが、『喪失者』になる前の彼を知っているケファは、彼の持つ先天性釈義を何度か見たことがあった。
威力だけで言えば、五大国が保有している核兵器を上回るかもしれない。彼の先天性釈義は、少しの発動で広範囲を一瞬で灰に変える能力だ。『あれ』を本気で使ったらどうなるか、尋ねたとしても本人も「分からない」と答えるだろう。彼は件の『十字軍遠征』の時ですら、ただの一度も本気を出したことがなかったという。強いて言えば、不意打ちの“大罪”の攻撃から大司教を守ろうとしたとき、加減を間違えて近隣の小国を二つ壊滅させたくらいだろうか。それですら、彼はこう言うにきまっている。あんなのはただのくしゃみと同じレベルです、と。
「――という訳で、私という体のいい実験台を失いそうになった科学研は考えました。ならば、プロフェット量産のポイントを『釈義』からではなく『釈義が使える身体』からスタートすればよいのではないかと。そこから命を人工的に造ってしまおうという計画へと発展したのです」
「ちょっと待った」
そこまで黙って話を聞いていたケファがついに割って入った。「それはできないだろ。俺たちの教義に反する可能性がある」
彼は珍しく真面目な顔で反論していた。まがりなりにも彼らは聖職者、ましてケファは元々神学を専攻していた学者だ。そんな不安要素の強い話を到底見過ごすはずがないのである。
その言い分ももっともなので、ホセは困ったように肩を竦めた。
「……そうですね。あなたを納得させるのは少々骨が折れる仕事になりそうですが、一応大学院の先輩として頑張ってみましょう」
ではどうぞ、と会話の主導権をケファに渡すと、彼は真顔で続ける。
「まず、教義に反するという根拠が何かというと、大聖教の教えの中にある『十戒』における第二戒『あなたはいかなる像も作ってはならない』という部分になる」
「偶像礼拝の禁止、ですね」
ケファは頷く。
「本文中で言及されているのは二点に大別される。ひとつは、『いかなる被造物の形も造ってはならないこと』、もうひとつは『それを拝みそれに仕えること』。すなわち、偶像礼拝を禁じ、さらにその前段階である像の作成という行為自体が禁止されている。さらに言えば、被造世界の物に似せて像を造ることが禁じられていたのだから、当然、そこには人間自身をも含まれていると考えられる。よって、偶像礼拝に利用されなくとも、人間の像を造ることそれ自体が禁じられていると考えていい」
「ええ、合っています。話を創世記二章七節まで掘り下げましょう。ここには人間が二つの側面によって生きる者とされた記述があります。土の塵で形作られ、その後に命の息が鼻に吹き入れられた、というやつですね。単に呼吸し始めたというのではなく、第一原因とでも言うべき神との特別な関係によることがここに示唆されています。つまりは、聖書の人間理解は、ヘレニズム文化における“精神”“魂”“肉体”の三分法ではなく、全人的総体としてのものだということを考慮しなくてはなりません」
「このアンドロイド製作という議題においての最大の問題点は、ロボット開発が神の創造行為を侵食する冒涜行為と見做されるか否か。違うか」
ケファの問いに、ホセは短く肯定した。「これは生命倫理・社会倫理の根本的課題でもある『人間はどの段階で人間と認められるのか』という問題とかなり似ている。話をより複雑にさせる要因はそれだけではなく、人権についてとも密接な関わり合いがある。近年、科学分野が進歩したおかげで今回のA-Pのようなアンドロイドが徐々に浸透しつつあるが、俺たちがそれを積極的に肯定していいものではない。それだけデリケートな領域にわざわざ首を突っ込もうとする時点で、争いの火種にしかならないだろう」
しかしながら、とホセは切り返す。そう返されることはすでにケファは分かっていたらしく、じっと彼のアイボリーの瞳を睨めつけた。
「完全に『教義に反する』と言い切ることはできない。だからあなたは先ほど、『可能性がある』というあやふやな言葉を使ったのですね。……ああ、なんだかあなたに誘導されている気がしますね。まぁ、ヒメ君の前だから乗ってあげますけど」
分かってんじゃん、とでも言わんばかりのケファの眼光にホセは苦笑する。ひとり置いてきぼりになった三善は何とか理解しようと首を傾げ、――ええと、と言葉を返す。
「今までの流れからすると、そんなことは本文中に明示的に書かれていない、ということで合ってる?」
「正解」
ちょっとは分かるようになってきたじゃねぇか、とケファは微かに笑う。「科学に代表される『人間の合理性』をどこまで俺たちの教義と一致させていいのか、本当に俺たちはロボットを造ってはいけないのか、教えにはどこにも書いていない。すべては類推解釈でしかない」
「だからこそ、あれこれ都合よく解釈されたりするんですけどね」
三善はしばらく考え、目の前に座る美少女へ目を移した。間違いなく今までの会話を聞いていたのだろうから、彼女にとって酷な話を聞かせたのではないかと思ったからだ。しかし彼女は真顔のまま数回瞬きをしただけで、それ以外にはなにもしなかった。
「まぁ、その子がそこにいるってことは、なかなか都合のいい解釈がされたんだろ」
「そういうことです。エクレシアの見解としては、今のところA-Pを量産するのは『否』です。ただし、今後はどう変わるか分かりません。自分で言うのもどうかと思いますが、奇跡の御業と言われてもおかしくないほどの貴重な釈義を喪失させたのも、禁忌に抵触する可能性がある技術に頼らざるを得ない状況を作り出したのも、紛れもない司教連中ですからね。一応それなりの責任をとって、まずは一体だけ製造すること、そしてそれを動かすのは私という条件つきで許可が降りたのです」
つまりは、まだ彼女は彼らに完全に受け入れられた訳ではないということだ。
そこまで話したところで、注文していたコーヒーとパフェが届いた。
赤、黄色、紫のカラフルなフルーツソースがかかったソフトクリームに、細長く巻かれたクッキーが添えられている。いかにもそれらしいオーソドックスなパフェだったが、三善はそれを珍しそうに眺めている。これは本当に食べ物なのだろうか、とでも言いたげに、そわそわと肩を揺らす。
マリアの前にも同じものが置かれたが、彼女はルビーにも似たその瞳をじっとパフェに向け、小さく首を傾ける。そして小さな声でホセを呼んだ。
「司教、これは、食べもの?」
確かに、今までに見せたことがない類の食べ物である。明らかに戸惑っているマリアに苦笑しつつ、ホセは肯定の意味で頷いた。
「さすがにクッキーの部分はヒメ君にあげてくださいね」
「食べられるの?」
「彼女は特別製です。水に還元できるものは大丈夫です……メンテナンスは必要ですけれど」
こんな気の抜けたやり取りを目の前にしても、ケファは落ち着いてなどいられる訳がなく。コーヒーにポーションを流し入れ、スプーンでかき混ぜながら思案する。
実に可愛らしい外見の少女。その身に秘めるのは、おそらくホセの代わりを務められるだけの莫大な釈義だ。どれだけの力が眠っているのか分からないが、どう考えても脅威としかみなされないだろう。現役だった頃のホセ程度か、あるいはそれ以上か。少なくとも今までのような生活はできないことは明白だった。この男の風当たりはますます強くなる一方だ。
そういえば、とケファは思う。
このA-Pプロジェクトの発足時期についてである。ケファがプロジェクトの存在を知った時から数えて、およそ四年。ホセが言うには、自身の釈義喪失がプロジェクトのきっかけであるように聞こえるので、どんなに長くても五年未満の歳月で彼女を造り出したらしい。
となると、妙な話なのだ。どうにもマリアの外見は真横でパフェに夢中の姫良三善に酷似している。三善がプロフェットになったのは今から二年前で、それより前は本部の地下に幽閉されていたはずだ。その頃に三善の存在を知っていた人物は片手で数えられるほど。あのホセですら知らなかったはずである。
「あれ、ケファ。ポーション入れちゃったんですか? あなたブラック派でしょうに」
「――あ」
突然ホセに声をかけられ、ケファはようやく我に返った。慌てて机上のカップをのぞき込むと、ポーションが足されたことによりマイルドな色合いになったコーヒーがたっぷりと注がれている。
「無意識ですか。もしかして嫉妬しているのですか? 私とマリアが仲良しだから。うふふ」
「いっぺん穴にでも入ったらどうだ。上から土でもかけてやる」
「生き埋めは困りますね。ほら、コーヒー交換しましょう」
「ん」
カップをソーサごと交換しつつ、ケファはさりげなく聞いてみた。ホセは何かと察しがいいので、できるだけ悟られぬようになるべく遠まわしに。しかしながら、不自然ではないくらいの聞き方を考えると結構難しいものだ。
「なぁ、この子ってどのあたりから製作され始めたんだ? 短期間でこれくらいのクオリティだなんて、エクレシア科学研とはいえ結構異例のことなんじゃないか」
「そうですね。詳しくは知らないのですが、どうやら構想自体はかなり前からあったようです。本格的にコンセプトが確定したのが五年くらい前ですね。プロジェクト発足時には既にある程度の資料は揃っていました」
「ふぅん」
「どうしてそんなことを聞くんです?」
不思議そうにホセが尋ねるので、ケファは無言で首を横に振る。誤魔化しがてらようやくコーヒーに手をつけようとして――、かたん、とカップが揺れたのを目にした。
「んっ?」
それは三善がスプーンを手にパフェの山脈を開拓しようとしたのとほぼ同時のことでもあった。
突如激しい地響きに襲われ、テーブルが上下に揺れ動いた。窓ガラスが派手に割れ、机上のカップもグラスも全て派手な音を立てて床に転がった。ミシミシと嫌な音が店内に響き渡る。
ケファは三善を、ホセはマリアの頭を咄嗟に覆いかぶさるようにしてかばうと、瞳だけを動かし状況を確認する。
「地震、でしょうか」
「いや。――なんだ、この粉みたいなものは」
視界の少し先に、粉のようなものがちらついていた。三善が微かにパフェに対する未練を口にしているようだが、今は無視しておくことにする。目を凝らし、じっと外を見つめる。
巨大な蛾が飛んでいた。
茶色の羽根は羽ばたくたびに突風を引き起こし、あらゆるものを吹き飛ばしてゆく。この地響きの正体は、飛ばされたものが地面に墜落した時の衝撃だとようやく気が付いた。蛾が羽ばたくたびに相当量の鱗粉を撒き散らし、街に降り注いでゆく。そして驚くべきことに、鱗粉に触れたもの、例えば車、街灯、さらには植木までもが蒼いプラズマを放ちながら瞬時に石化していくではないか。
彼らには、この反応に覚えがあった。
「“嫉妬(Invidia)”第三階層だ」
ケファが左耳のイヤー・カフを取ると、素早く立ち上がった。続いて起き上がる三善の左手拘束具を外してやり、彼の手のひらを確認する。どうやら怪我はしていないらしい。結構派手にガラス片が飛び散ったので、怪我をしていないか心配だったのである。
そんな心配をよそに、三善の紅い瞳はすでに外の“大罪”に向けられていた。その目を見て、ケファはああ、と思う。
彼の炎のように揺れ動く瞳は、いつ見ても不思議だ。特に今のような状況下における彼は、他のことが何も耳に入らないくらいに集中している。こんな時の彼の目は、いつでも激しいきらめきを纏っていた。それがとてもまぶしく、美しい。
「ケファ。行こう!」
「ああ」
その声と同時に、割れた窓から二人は飛び出した。三善は左手で拾い上げたガラス片を拾い上げ、ケファはその舌に噛み切った己の指を押し当てる。
そして、彼らの信じる神へ祝詞を捧げた。
「『釈義(exegesis)展開・装填(eisegesis)開始』!」