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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
1.傲慢の紅き鎧
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第五章 5

 数日後、ホセは聖フランチェスコ学院を訪れた。今回の事件について四辻へ報告するためである。それについては元々三善やケファへの依頼内容だったため、ケファが同席すると言ってきたが、ホセはそれを引き止めた。彼は随分不服そうにしていたが、「その時間、あなた方は授業でしょう」の一言で折れた。

 ここでの話は、できれば彼らには聞かれたくない、というのがホセの本音である。もちろん、ケファを説得した理由もあながち間違いではないのだが。

 案の定、改めて対峙した四辻の表情はひどく険しかった。無理もない、とホセは思う。むしろ、「四辻がこの学校の学長でいること」そのものが彼にとってはとても信じられなかった。

 来賓室でホセが話している間、四辻はじっと口を閉ざしていた。いくつか分からない用語については質問していたが、それ以外についてはじっと押し黙ったまま淡々とホセの言葉に耳を傾けている。

「――以上が事の顛末です」

 四辻は何かを考えあぐねているような様子で、机上のグラスを眺めていた。からん、と溶けかけた氷が崩れる音で、ようやく重い口を開く。

「内容は理解できました。ブラザー・ホセ」

「土岐野さんの今後についてはお話しした通りになりますが、本人の意向を重視してのことです。あなたには、どうかご理解いただきたい」

「彼女の意志に違いはないのですね」

「はい。すべて、彼女が決めたことです」

 ならば、と四辻は続ける。

「ならば『ご理解いただきたい』などという言葉は必要ないでしょう。少なくとも、私には生徒の意志を止める権利などありません」

「それではだめなのです」

 ぴしゃりとホセが言い放った。「それだけはいけません」

 その並々ならぬ気迫に、四辻はぐっと言葉を飲み込んだ。膝の上に乗せられていた己の拳は力強く握られ、今にも手のひらに爪の跡が食い込みそうだ。そして何かを言いかけ――握りしめた拳の力がふっと弱まる。

「……あなたには、何もかもお見通しなのですね」

 ホセは一つ頷いた。

「あなたの名前を伺った時から気付いていました。ブラザー・四辻……ええと、あなたのお兄様とは、『十字軍遠征』の際に共に聖都へ向かいました。彼は非常に優秀な聖職者だったと記憶しています」

 そう、彼が気にかけていたのは、このことだったのである。

 四辻の兄はプロフェットであり、先の『聖戦』にホセと共に聖地へ赴いた聖職者だった。数えきれないほどの人数が聖都に赴いた中、ホセが四辻の兄のことを覚えていたのには理由がある。

 彼は、『死体が今も見つかっていない』のである。

 途中まで、彼が生きていたことだけはたまたまそれを目撃した聖職者から言質がとれているのだが、ある時を境にその消息が途絶えた。その地区は大司教が赴いた場所でもあり、戦いは非常に熾烈なものだったと聞く。その地区の死者数は他地区と比べ物にならないほどだったが、辛うじて身元の特定はできたのだ。

 しかし、その中に四辻の兄の存在はなかった。

 そのことは、当然目の前でうなだれている四辻にも聞かされている。報告によると、四辻はひどく取り乱し、報告を行った聖職者を力の限り殴り飛ばしたと聞いている。

 ――わたしの信じた神は、人の命を手駒のように扱うのか。そのような解釈を行うお前たちこそ傲慢ではないのか。

 慟哭交じりに、彼はそのように言った。

『報告を行った聖職者』――ホセはとてもよく覚えている。あの時突きつけられた鋭いナイフのような言葉は、確実にホセの胸を抉っていた。

「あの時は、本当に……!」

 すまなかった、とホセが口にしようとしたのを、四辻は制止する。

「……不思議なものです。あの時は、己の信じた神を、信仰など捨て去ろうと思っていたのに。結局は兄の残したこの学院を守るため、すべてを捨てることなどできやしなかった」

 四辻は小さく微笑む。「あなたも、あの頃より随分と雰囲気が変わりましたね。おかげで、しばらくあなたがあの時の『彼』だと気づきませんでした」

 ふと四辻は窓の外へ目をやった。この場所からは、あの庭園がよく見える。四辻の兄が大切にしていたというその庭園は、今も昔も変わらない。変わらないように、四辻は出来る限りの手を尽くしてきたのだ。

 ブラザー・ホセ、と彼は名を呼ぶ。

「今は停戦状態にありますが、いつ戦争を再開してもおかしくない状態だと私は思います。そんな戦の渦中に、我が生徒を放り込むことは賛同しかねます。土岐野雨さんは、私がお預かりしている大事な大事な宝です。いくら彼女がそのように望んだとしても、私には、とても」

 彼は随分と落ち着いた口調で言う。「――兄のことをご存知なのでしたら、お判りでしょう。兄は未だ戦地から戻りません。土岐野さんにも、年の離れた兄弟がいると聞きます。まるで私怨のようになりますが、私はご兄弟の……、待つ者の気持ちも考えてほしいと、そう願わざるを得ません」

 だからこそ、と四辻は言う。

「プロフェットになるということが彼女の望みであるならば、私はいくらでも協力しましょう。ただ、これだけは約束してください。少なくともあの子が成人するまでは、その命が決して失われることのないよう尽力いただきたい。それが我々大人の責務であると考えます。それができなければ、我が校が大聖教へ行っている援助の一切を停止します」

 ホセはすぐにその言葉を肯定した。

「分かりました。できる限りの援助を行いましょう。具体案はまた改めて提示いたしますが、まずは彼女が成人するまでの三年間は、いかなる理由があろうとも戦地には出さない。これを主軸に盛り込もうと思います。いかがでしょうか」

「ええ。それで構いません」

 そこまで言うと、四辻はようやくいつも通りの穏やかな表情を浮かべた。それを見て、ホセも小さく肩をなで下す。

 壁掛け時計を見やると、説明を始めてから一時間も経っていなかった。ホセにとっては、もう何時間も過ごしたような気分だった。手のひらは汗でべたついている。

「すみません、大人のエゴというものです。些か傲慢なお願いだとは思いますが、よろしくお願いします」

「いいえ、今更です」

 四辻はホセに水をすすめ、自身ももうひとつ用意したグラスを煽る。

「……本当に、あなたは変わりましたね」

 きょとんとして、ホセは四辻を見返した。

「ああ、いえ。年寄りの戯言だと思ってください。昔お会いしたあなたは、人らしい感情が抜け落ちた生き人形のようだったと、そう思いまして。大変失礼なことだとは思いますが」

「そうですね、それは否定しません」

 ホセはあっさりと肯定した。「変わったのは、あの子のおかげでしょうか」

 そう言うと、彼らは今まさに最後の授業を行っているひとりの少年へ思いを馳せた。

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