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バベル 第一部 契約の箱編  作者: 依田一馬
1.傲慢の紅き鎧
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第四章 3

 図書館の書庫というものは、どうしてこうも低身長の人間に不親切なのだろうか。

「ぐっ……」

 届かない、と必死になって背伸びしている三善は、現在学院内の図書館にいる。

 この図書館、学院系列の図書館の中では最多の蔵書数を誇る。特に専門分野である神学関連の書籍に関しては、「これ以上のものは国内にないのではないか」とまことしやかに噂されるほどの代物である。

 三善がケファのもとを離れひとりでここを訪れたのは、多少の理由がある。授業で使いたい資料を探しに来た、というのが一点。それと、

「ちょっとくらい、自立しよう」

 と思ったのが一点。

 しかしながら、三善はすでに失敗したと思っている。身長一六一センチである三善は、残念ながら一番上の棚まで手が届かない。よりによって、欲しい資料が一番上にあるだなんて!

 もしケファを連れて来ていたら、多少「お前ちびっこだもんなぁ」とからかわれつつも取ってくれただろうに。せめて脚立があれば。司書がいてくれれば。

 運悪く脚立もなければ司書すらいない、衝撃的な状況に三善はすっかり参ってしまった。背伸びして、やっと棚の二段目に手が届く。あと一段分が届かない。背伸びする足にぷるぷると妙な震えが生じてきた――その時。

 唐突に真横から見知らぬ手が伸びてきた。そして、三善が探していた本をひょいと抜きとると、呆ける三善にそっと差し出されたのである。

「ほらよ。これだろ、探し物は」

 なんと親切な人がいたものだろう。

 あまりの嬉しさに、差し出されるその手の先をよく見ずに、三善は「ありがとうございます」と頭を下げた。

 そしてぱっと見上げる。

「……あ」

 赤毛の短髪に、黒の聖職衣のような上着。じゃらりと鎖が擦れる音が、静かな図書室に響いた。

 この男は!

 三善の脳裏に、昨日の出来事がよぎる。昨日、自分の目の前に突然現れたかと思えば、何故か理不尽に蹴飛ばし踏みつぶしてきた、あの男。正直、怖いもの以外の何者でもなかった。しかも無意識に自分が“解析トレース”なんてしてしまったものだから、気まずくてしょうがない。今のところ、できれば会いたくない人物のかなり上位にランクインしている。

 三善は自分の身を守ることを最優先にし、そろそろと後ずさりをした。

「おっと」

 もちろん、それを許す“傲慢(Superbia)”ではない。すぐに三善の両肩をひっ掴み、身動きが取れぬようがっちりとホールドをかけた。

「大人しくしていたら、何も悪いことはしないからさ。赤いお目目のわんちゃん」

 犬呼ばわりされるのは今に始まったことではないが、さすがに“七つの大罪(Deadly sins)”にまで言われるとなると話は別だ。三善は思わずむっとして、眉間に皺が寄った。

「僕、犬じゃないし」

「まぁまぁ、言葉のあやってやつだ。気にするな」

 それにしても、この男の目的が見えない。三善は両肩を掴まれたまま、その独特の赤い瞳を睨めつけた。自分の瞳は炎の色と表現されることが多いが、この男の場合はまた別の色のように見える。強いて言えば、血の色、だろうか。少しだけべたついた、黒みがかった濁りのある赤。

 もしも三善を始末する、という意図でやってきたのなら、もっと楽な方法があるはずである。それこそ、昨日のように一人になったところを一発仕留めればいい。今は確かに一人ではあるけれど、騒ぎ立てればすぐそこに職員がいる訳だし、逃げることも踏まえると立地的にかなり不利である。結論としては、「始末」以外の要件ではあるだろうが。

 分からない。

 それ以外の価値が己にあるかと問われれば、答えは「否」だ。

 その時、とん、と三善の背中に何か固いものが当たった。……本棚だ。身動きが取れないよう、“傲慢”はさりげなく彼を壁に追いやっていた。

 “傲慢”の張り付いた笑みが、すぐ近くにある。

「ちょっと教えてほしいことがあってさ。お兄さんとお話しよう?」

「僕からあなたに話すことは一切ありません」

「俺はあるんだってば」

 ため息混じりに“傲慢”は言う。「ああそうか、君たちプロフェットのルールがあったよな。なんだっけ、『物事は等価であること』?」

 そのフレーズに、三善がぴくんと反応した。そして、何かを思案するような表情を浮かべる。

 これは取引なのだと、三善はようやく理解したのである。

「僕があなたの質問に答えたならば、あなたはなにをしてくれるのですか」

 その言い草に、“傲慢”は口角を吊り上げた。そうだな、と勿体ぶるような口調で呟くと、彼はふとなにかを思いついたらしい。これならば三善が釣られるだろうと、絶対の自信があった。三善本人がそれを感じ取れるくらい、“傲慢”の様子は自信に満ち溢れている。

「土岐野雨と、手を切ってあげてもいい。勿論、お前さんの答え次第だけどね」

 突然出た土岐野の名前に、三善ははっと目を見開いた。

 それを見て、「やっぱり」と彼は満足そうに笑う。

「俺だって、そこまでケチじゃあないさ。あの娘なしでも、俺たち“七つの大罪(Deadly sins)”は充分に成立する。第一階層ウーヌスを嘗めるなよ、犬っころ?」

 これは、思わぬ展開になった。上手く事が運べば、土岐野をこの男から解放してやることができるかもしれない。

 三善は瞬時に脳内で「どうすれば自分に有利な状況になるか」を計算し、ものの数秒で結論を出した。

「――分かりました。その取引、乗りましょう」

 その答えに、“傲慢”はにこりと微笑んだ。

「そうこなくちゃ」

「ただし」

 そんな彼の言葉を遮るように、三善は続ける。「僕とあなたの質問の数は同数であること。この条件でなければ、僕は取引には応じません」

「君もなかなかに強欲だな」

「あなた方には劣ります」

 三善の言葉に、“傲慢”は肩を竦めながら短く首を縦に動かした。やれやれ、とでも言いたげに、彼は三善から手を離す。

「いいよ。場所を変えよう」



 三善と“傲慢”第一階層という、なんとも奇妙な組み合わせの彼らは、まるで散歩を楽しむかのような足取りで敷地内を歩く。ただし、その雰囲気は非常にピリピリしている。できることなら、この二人に近づきたくない。そう思わせるくらいに、実に張り詰めた様子でいた。

「ところで、君の名前、なんて言うの?」

 “傲慢”に問われ、三善はちらりと横目で彼を仰ぐ。

「三善……。姫良三善」

「姫良? もしかして、君のお母さんは『姫良真夜まや』っていう名前じゃない?」

「誰、それ?」

 ついつい地が出て、慌てて三善は咳払いをして誤魔化した。「僕、両親のことは知らないから。それを聞かれても困る」

「へぇ。そりゃあ、難儀なこった」

 さも興味がなさそうな口調ではあったが、“傲慢”の表情はなにかを確信していた。残念ながら、三善はその表情の変化に気づいてはいなかったが。

「ええと、傲慢……じゃない、スペルビア」

「うん、正解」

「あなたが土岐野さんを狙ったのは何故?」

 いきなり核心をつく質問を投げかけてきたので、“傲慢”はついついぎょっと目を剥いている。普通、それを直球で聞くか? あまりに大胆だったので、むしろコイツはなにも考えていないんじゃないかと心配になってしまったほどだ。

 駄目? と尋ねられたので、仕方なく“傲慢”は口を開く。

「いいよ、別に。隠しちゃいないからさ」

 いくつか理由があるんだけど、と“傲慢”はズボンのポケットに手を突っ込み、肩を竦めながら言った。

「一番単純な理由は、『あの子の“釈義”が欲しかった』から」

「……“聖火”のこと?」

「それはどうでしょう。次の質問は俺」

 三善の問いに、“傲慢”は敢えて答えなかった。代わりに、自分の質問を投げかける。

「君さ、昨日“解析トレース”を使って見せたけど、あれって誰でも出来るの?」

「……誰でも、って訳じゃないのは、あなた方が一番分かっていると思う」

「ほぉ」

「“解析トレース”ないし“逆解析リバース”を行うとき、自分の身体……肉体、かな。肉体の動きを頭の中で一旦数式に置き換えて、それを行動に起こしているでしょう」

 つまり、三善に言わせれば「身体を動かすこともある意味頭脳労働」。そういう旨をぼそぼそと伝えると、“傲慢”は納得したらしく、首を数回縦に動かした。

「俺たちの場合はそれとはちょっと違うけど、原理は大体合ってる。つまり、君が言いたいのは、『身体のあらゆる動きを数式化できる者』が“解析トレース”または“逆解析リバース”を用いることができる、っていうことでしょう」

「うん」

「それ、大聖教内では普通なの?」

「普通じゃない」

 三善は言った。「これは我が大聖教内では『異端』として扱われる」

「だよな。それ、ウチの専売特許だもん」

 さて、次の質問は? と茶化しながら“傲慢”が尋ねる。三善はしばらく思案顔を浮かべていたが、ようやく何を聞くか決めたらしい。

「土岐野雨の“釈義”をどう思う」

「どうって……また難しい質問を」

 そうだなぁ、と“傲慢”は頭を悩ませ、その結果、ぽつりと口にした。

「“あれ”があれば、“終末の日”を少しは遅らせることができると思ったんだが。目には目を、歯には歯を、って言うだろう。それとおんなじことだ」

「なるほど。“終末の日”に対する抑止か。それはなかなか、理に適っている」

 さて、と突然“傲慢”は立ち止まった。それに気が付き、三善の足もぴたりと止まる。しかしながら、彼は“傲慢”へと目を向けようとはしなかった。ただ、背を向けたまま立ち止まっているだけだ。

「――君は、誰だ?」

 唐突に“傲慢”が問いかけた。

 三善は答えなかった。代わりにそっと振り返り、小首を傾げて見せた。

「私は、私だ」

「途中で『変わった』だろう。“解析”の質問の途中で」

 一体何のことだ、と三善がはぐらかすものだから、“傲慢”は苛立ちを隠せない様子で三善の腕を引いた。

「“終末の日”という言葉は誰でも知っている言葉じゃないだろ。お前らの聖典に載っている広義の意味じゃねぇ。あんたが答えたのは、狭義の意味だった」

 それに、まだまだ彼には納得できないことがあった。

 途中で口調が変わったことも然り。この少年が身に纏う、プロフェット独特の“聖気”の質が変わったこともまた然り。初めはただ、淀みない子供らしい“聖気”を携えているだけだった。しかしながら、途中で彼の“聖気”は大きく変わってしまった。たかが助祭が持つようなものではない。もっともっと濃くて鋭くて、思わずその場にひれ伏したくなるようなものだ。この種の“聖気”は、司教・またはそれ以上の者が持つものだ。

 “傲慢”は、この気配に覚えがあった。

 かつて、聖都にて行われた『聖戦』――『十字軍遠征』と後の世で呼ばれる戦いの中、一度だけ出くわした男のものによく似ている。

 その男は白い聖職衣に朱色の肩帯を下げ、右手の人差指に紋章が入った金の指輪をはめていた。

 彼の名は、ヨハネス。その位階は大司教。大聖教信者でなくとも知っている、天下の『教皇』様だった。

「お前、まさか」

 “傲慢”がさらに問い詰めようとした、その時だった。

「――まったく」

 三善の口が微かに動いた。

 “傲慢”がそれを聞きとる前に、腕を掴んだ彼の手に三善の左手が触れる。

「その手で『我が子』に触れてくれるな」

 鋭い語調と共に突きつけられる、燃えるような炎の瞳。凄味を利かせるその瞳には、いつしか三善のものとは思えないどろどろとした念が渦巻いていた。

 これはまずい。

 “傲慢”は、咄嗟にその身を守ろうと己の“鎧”を展開したが、遅かった。

「“An nescis,mi fili,quantilla sapientia mundusregatur?”」

 祝詞と同時に、ごう、と爆ぜる音がした。

 三善の左手が瞬間的に熱くなり、彼の右手に火の粉を纏う紅蓮の炎が燃え移る。それは次第に黄色がかったものへと変化し、彼の右腕を徐々に、そして確実に焼いていった。

「恥を知れ」

 死刑宣告にも似た暗い響きの声。

 三善が放った炎――あれは紛うことなき“聖火”である。この聖火が“傲慢”に燃え移ったとき、展開していた“鎧”もろともその熱で溶かしてしまった。最強の強度と謳われた、あの“傲慢”の紅き“鎧”が。

 動揺のあまり、“傲慢”はわなわなと身体を震わせている。

 自分よりもはるかに華奢な体つきをしているこの少年に、怖れ戦いているという事実に心底驚いていた。どうしてこんなにも恐怖を感じるのか。プロフェットとはいえ、たかだか助祭。しかし、あの祝詞は。先程耳にした祝詞は、助祭なんかが使っていいものではなかった。

 “七つの大罪”が唯一怖れる人物が目の前にいるのだと錯覚してしまう程に。この少年の瞳の威力は絶大だった。

 生きたい。

 無意識にそう願ったのだろうか。“傲慢”は咄嗟に聖火がまとわりついたままの右手を伸ばし、三善の細い首に掴みかかった。空気の洩れる濁音交じりの息が三善の唇から洩れる。そのまま片手で首を絞め、三善の力が微かに緩んだところで、もう片手を首に添えた。

 今度は両手で絞め上げる。こんなにも細い首なら、すぐに折れてしまうのではないかと思った。

「容赦、しねぇぞ」

 “傲慢”が喘鳴混じりに吐き出した呪いの言葉。「お前が『教皇』だからって、神に祈る時間なんか、一秒たりともあげないんだからな!」

 三善が、嗤った。

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