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第一〇〇九三回目の試行

 その男は、未だふらつく頭を抱えつつ、吐き捨てるように言った。

「――これより、第一〇〇九三回目の試行を開始する」


***


 本州第二区・青葛(あおつづら)市。

 大聖教(だいせいきょう)管轄のとある教会から、一台の車が卒然と飛び出していった。

 極めて厳つい印象を受ける黒塗りの車体は、この教会が建立されているごくごく一般的な住宅街には似つかわしくない。ついでに言えば、法定速度を軽くオーバーしているその速度も。真夏の日差しがぎらりと車体を照らしつければ、その見た目の暑苦しさから思わず顔をしかめることだろう。

 ――かったりぃ。

 車内でハンドルを握る青年は、そんな文句を頭に浮かべながらじっと前を見据えていた。どこにもやり場のない苛立ちが、車をさらに加速させてゆく。

 瞳はアメジストを連想させる澄んだ紫。精悍さが際立つその眼差しは彼の端正な顔立ちをより一層引き立たせる。短い金髪は邪魔にならない程度に整えられており、清潔感がある。左耳にさりげなくつけられた銀十字のイヤー・カフが、車が揺れるたびにきらりと瞬いた。

 これだけでも彼は充分に目を引くが、それ以外にも目立つ要因があった。

 襟元から足先までを覆うのは聖職衣である。彼の場合、通常の単色のものではなく黒と白のツートーン・カラーのものを着用し、肩から紫の肩帯(ストラ)を下げている。その肩帯から、彼は若くして司祭であることが分かる。

 そんな彼は軽やかにハンドルを切りつつも、頭の中では全く別のことを考えていた。実はそれが苛立ちの原因であり、車を猛スピードで走らせる原因でもある。

 彼の頭を過ぎるのは、つい五分ほど前に宣告されたひどい内容の業務命令だった。あまりにひどすぎて、思い出すたびに腸が煮えくり返りそうになる。

 ――まあ、あいつが唐突に物事を決めてくるのはいつものことだけれど。

 怒りと同時に諦めにも似た心境がこみ上げてきて、彼は堪え切れずに恐ろしく長い溜息をついてしまった。

「ったく、ホセの野郎……何でいきなり本部に呼び寄せるかなぁ。俺が今、第二区勤務だって知っているくせに」

 彼が滞在する青葛市から西に二時間ほど車を走らせたところに、本州第一区に位置する大聖教本部がある。

 青年は大聖教の宣教師として、先程飛び出してきた教会に派遣されていた。いつものように朝の礼拝を終え、三時課――午前の仕事を指す――を始めようとした時、突然勤務先の司祭に呼び止められた。

 曰く、緊急の用事だとかで本部から電話がかかってきている、と。

 この時点で、既に嫌な予感はしていたのだが。

『おはようございます、ブラザー・ケファ。ご機嫌いかがでしょうか』

 受話器から聞こえてきた呑気な声に、がっくりと肩を落とすしかなかった。ああ、どうしてこういう嫌な予感は当たるのだろう。

「ご機嫌は最悪だ。あんたの電話は嫌いなんだよ、ホセ」

 額に手を当て、ため息混じりに青年――ケファ・ストルメントはぶっきらぼうな言葉を投げつけた。

 受話器の向こうで穏やかにくすくすと笑っているのは、ケファの上司にあたるホセ・カークランドである。彼は大聖教系列の宗教法人・エクレシアに所属する司教で、現在は人事を総括している人物である。そんな彼がわざわざ連絡してくるのは、厄介事を押しつけようとしているときと相場が決まっている。

「今度は何だ? 国内での異動なら構わないが、いきなり海外転勤は嫌だぞ」

 しかし、ケファの率直な物言いに対してホセは何一つ答えることはなかった。ただ、曖昧に笑うのみである。その煮え切らない態度にさすがのケファもいらつき、思わず素の口調で「気味が悪い」と口走っていた。

『いえ。それより、今の言葉は本当ですか?』

「は?」

『国内での異動なら構わない……って』

 それから彼はようやく本題を切り出した。この時点でケファが予想していたものよりも、はるかに性質の悪い本題を。


『至急本部に戻ってきてください。今は青葛市勤務ですよね? じゃあ、本部には二時間もあれば着くでしょう。詳細はこちらに着いてから話しますので――あなたという“プロフェット”が必要になりました』


 だからあんたが嫌いなんだよ!

 怒鳴りたい衝動を必死になって堪えながら、ケファはハンドルを強く握りしめた。そんな訳で、彼は急遽大聖教本部を目指して車を走らせなくてはならなくなったのである。

 こればかりは、事情を察してくれた勤務先の司祭に感謝しなくてはなるまい。元々人手不足の教会、やるべき仕事はただでさえ多いというのに。彼は少し残念そうな表情を浮かべながらも、「ブラザー・ホセの言うことなら仕方ない」と快く送り出してくれた。これこそが、かの教祖が説いた『隣人愛』なのかもしれない。

 そんなことをぼんやりと考えていると、

「……ん、」

 前を見据えていたケファはふとなにかに気がついたらしく、その紫の瞳を大きく見開いた。そして舌打ちしながらも渋々車を減速させ、肩を竦める。

「今日は厄日か? どうしてこう、『あいつら』はタイミングが悪いんだ」

 悪い、ホセ。遅れることがたった今確定した。

 助手席に置いていた黒い色の鞄から小さなビニール・パック――中には岩塩が入っている――を取り出し、それをいくらか口に含むと、ケファはゆっくりと車を降りた。案の定外は喧騒に包まれている。おそらく、周辺住民には既に避難勧告が言い渡されたことだろう。

 岩塩の粒を噛み砕くと、ケファは穏やかな声色で祝詞を上げる。

「――『釈義(exegesis)展開・装填(eisegesis)開始』」

 ふわりと微熱を帯びた風が頬を掠めていった。

 紫の双眸が見据える方向。コンクリートがありえない形に隆起し、砂礫が視界をどんよりと悪くさせる。ぱらぱらと細かい砂が頬に当たり、細やかな傷を作った。

 祝詞を唱えたその瞬間から、彼の身体には異常な熱が巡り始めていた。頭の先からつま先まで、血液が循環するように。

「『深層(significance)発動』」

 刹那、頭上からなにかが飛びかかってきた。すさまじい速度。『それ』はただ黒い残像を残すばかりだ。轟音と共に、灰色のコンクリートが砕けた。

 隆起するコンクリートがその『なにか』の威力を物語る。あれをもろに食らったら、間違いなく己は天の眷属となるところだ。しかし、『それ』が落下した場所にケファの姿はない。急降下した『なにか』は標的を見失い、あからさまに戸惑った動きを見せていた。

 ばさり、と羽ばたく音。

 その風の流れに反応し、『なにか』は宙を仰ぐ。塩のかけらがまるで花弁のように流れてゆき、地上の砂塵と混ざり合う。

 空中にケファの姿はあった。彼の背には純白の翼が現れ、その身体をしっかりと支えている。大きく翼をはためかせると、細やかな塩のかけらが羽根からこぼれ落ちていった。

 割れたコンクリートの中に佇むは、我らエクレシアにとって最大の敵。大罪に身を投じた愚かな生物だ。ケファは一度目を細め、右手で胸元に十字を描いた。

「どうか、神の御加護を」

 俺と、真下にいるあの敵に。

 黙祷の後、ケファの身体は急降下した。


***


 ケファが本部に到着すると、入口に白い聖職衣を身に纏った男が待ちかまえていた。髪は黒く、肌の色もやや褐色がかっている。彼のアイボリーの瞳がケファの姿を捉えると、にこにこと笑いながら片手を挙げた。

「ああ、お待ちしておりました。ブラザー・ケファ」

「申し訳ありません、ブラザー・ホセ。思わず妨害が入ったもので」

 ケファも丁寧語混じりに挨拶を返すと、一瞬の沈黙の後二人は互いに鼻で笑い合った。そもそも彼らの付き合いはエクレシア所属前から続くもので、いい加減気心の知れる相手ではあるのだ。よって、妙な敬語はやめようということであっさりと合意してしまった。

「災難でしたね。相手は?」

 そう尋ねられ、ケファはああ、とさも当たり前のような口調で返答した。

「“傲慢(Superbia)”の第三階層が二体。大した能力も使わなかったから、一人で充分だった」

「そうですか、よかった」

 二人はこのほかにもいくつか事務的な会話を繰り広げながら、やたら長大な建物へと入って行く。

 この縦にも横にも長いエクレシア本部は非常に入り組んだ構造をしており、あちこちに案内掲示板が設けられている。初めて施設を訪れた者の大半が道に迷うというこの建物、密かに迷宮扱いされているのもまた事実である。

 必要最低限の会話を済ませると、途端に二人は無言になった。しばらくはそれでよかったのでじっと押し黙ったまま歩いていたが、なかなか本題を切り出さないホセにとうとうケファが痺れを切らせた。あまり話したくない相手だとは思いつつも、この場合、どちらかが切り出さなければ話が進展しないのではないか。

 熟考した結果、今回はケファが譲歩して口を開く。

「ところで、俺に一体何の用?  本気で異動させる気か。それとも、噂の『A-P』でも完成したのか?」

「『マリア』のことですか?  残念ながら違います。まあ、あの子ももうすぐ完成するけれど――」

 こちらです、とホセはケファを奥へ奥へと案内していく。位階の高い者でなければ入ることのできない特殊領域のドアをカードキーで次々と開けていき、二人はさらに奥へと足を踏み入れた。

 司祭とはいえ、ケファはここまで奥地に入ったことがない。半ば動揺しながら先を行くホセの背中を追う。

 しばらく歩いて、今まで速足で歩いていたホセの足が突然ぴたりと止まった。あまりに突然止まったものだから、思い切りぶつかりそうになった。それは持ち前の反射神経で避けたけれど、止まるときは止まると事前に言ってほしいものだ。文句の一つでも、とケファが口を開こうとしたとき、彼がゆっくりと振り返った。

 彼は、寒気のするほど優しい表情をしていた。慈悲深き、とでもいうべきか。真意の掴めない表情である。

「ここまで来たらもう大丈夫でしょう。ケファ、突然で申し訳ありませんが、来週から異動を命じます。――あなたに、ある方の教育指導を任せようと思うのです」

 やはり異動だったか。来週から、という猶予期間のなさが気になったが、ケファはそれ以上に気になることがあった。おそらく優先事項はこちらだろう。わざわざこんな奥地に連れてきてまで話す理由が、「それ」にはあるのだ。

ある方(・・・)?」

「ええ。我々にとって、重要且つ最大機密というべき、…… “とくべつ”な方の」

 そしてホセは最後の扉を開ける。


 刹那、ケファは言葉を失った。


 その部屋は、たとえば机や椅子など、そういったものは一切排除された無駄のない簡素すぎる部屋だった。窓はひとつもなく、壁についているダウンライトが唯一の明かりらしい。本部の中とは思えない打ちっぱなしのコンクリートの壁は、とにかく寒々しかった。ひんやりとした冷気が足元を這う。

 その中で、突然、じゃらりと妙な音が聞こえた。重い金属が擦れるような、いやに冷たい音である。

「――ケファ。あなたに新しい仲間を紹介します」

 その音の正体は、鎖だった。太い鎖が壁に二本繋がれており、その末端は白く細い腕にきつく絡みついていた。

 あまりに腕が白いので、初めはよくできた人形だと思った。しかし、こちらの物音に気付いてか、人形の閉じられた瞼がぴくりと動く。

 そう、それは『生きていた』。

「おい、……おい、ホセ。これは」

 長い睫毛が震えるように揺れ動き、ふ、と鎖につながれた人間は瞼をけだるそうに開く。

 薄いグレーのくせ毛は顔の大部分を隠していたが、そこから覗く瞳の色だけはやたら印象的だった。 

 火の粉を纏いながら勢いをあげる紅蓮の炎のような、真紅の瞳。

「彼の名前は “姫良(ひめら)三善(みよし)”。我がエクレシアにおける、救世主にして最高のプロフェットです」

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