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――放課後の教室は、やけに静かだった。
ほとんどの生徒はもう帰っていて、
窓の外から入る夕方の光だけが、長く床に伸びている。
私は席に座ったまま、ぼんやりと前を見ていた。
(……やっぱり、ダメか)
朝のやり取りを思い出す。
「誰?」
たった一言。
それだけで、全部なかったことになる。
昨日の帰り道も、あの会話も、
ほんの少しだけ近づいた距離も。
きれいに、何も残らない。
「……はあ」
小さく息を吐く。
もう何度も繰り返してきたことなのに、
今日は少しだけ重く感じた。
期待した分だけ、落ちるのも深くなる。
(……もう、やめようかな)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
関わらなければいい。
最初から話しかけなければ、
こんな風に傷つくこともない。
どうせ何も残らないなら、
無駄なことを繰り返す必要なんてない。
そう思うのに。
「……」
立ち上がれない。
足が、動かない。
(それでも)
視線が、自然と窓際の席に向く。
もう誰もいないその場所。
さっきまで、彼がいた場所。
(……知ってる)
あの人が、どんな風に笑うか。
どんなことで少しだけ機嫌がよくなるか。
どういう話題なら、ほんの少しだけ会話が続くか。
全部、知ってる。
私だけが。
(……なかったことに、したくない)
たとえ向こうが覚えていなくても。
この時間が、全部消えてしまうとしても。
私の中には、ちゃんと残っている。
消えないものが、ここにある。
それだけで――
「……やめられないよ」
小さく呟く。
たとえ一方通行でもいい。
たとえ何も返ってこなくてもいい。
それでも、関わっていたいと思ってしまう。
(もしかしたら)
ほんのわずかでも。
本当に、ほんの少しだけでも。
何かが残るかもしれない。
言葉じゃなくても。
記憶じゃなくても。
もっと曖昧な、何かでもいい。
それに賭けてしまう。
「……明日も」
椅子から立ち上がる。
鞄を持って、教室を出る。
また同じことを繰り返すために。
分かっている結末に、もう一度向かうために。
それでも私は――
やめない。
やめられない。
たとえ明日、また“はじめまして”になったとしても。




