5
――放課後。
チャイムが鳴って、教室の空気が一気にほどける。
帰り支度をしながら、私はほんの少しだけ迷っていた。
(……今日は、やめとこうかな)
期待した分だけ、落ちたときがつらい。
さっきの“違い”だって、きっと気のせいだ。
そう思ったほうが、楽なのに。
「……あ」
顔を上げたとき、偶然――本当に偶然みたいに、彼と目が合った。
神代は鞄を肩にかけたまま、少しだけ不思議そうな顔をする。
「帰るの?」
「……うん」
短い返事。
それだけで終わるはずだったのに。
「じゃ、途中まで一緒に行く?」
――え。
思考が、一瞬止まる。
そんなこと、今まで一度もなかった。
(……どうして)
理由なんて、分かるはずもない。
それでも、断る理由もなかった。
「……いいの?」
「別に。方向一緒だろ」
軽い言い方。
特別な意味なんてないみたいに。
「……うん」
小さく頷いて、立ち上がる。
並んで教室を出る。
それだけのことなのに、胸の奥が少しだけ騒がしい。
――昇降口を出ると、夕方の空気がひんやりしていた。
「今日、暑かったな」
神代が空を見上げながら言う。
「うん。午後、眠くなりそうだった」
「分かる。数学とか完全に記憶ない」
「それはいつもじゃない?」
思わず返すと、神代が少しだけ笑った。
「ひどくない?」
「事実だし」
会話が続く。
特別なことは何も話していない。
天気とか、授業とか、どうでもいいことばかり。
でも。
(……楽しい)
歩く速度も、距離も、自然と合っていく。
無理している感じがしない。
沈黙があっても、気まずくならない。
ただ、隣にいるだけでいいと思える時間。
「朝霧ってさ」
ふいに名前を呼ばれて、心臓が跳ねる。
「ん?」
「なんか……変だよな」
「え」
一瞬、言葉に詰まる。
(やっぱり)
何か、気づかれたのかもしれない。
全部じゃなくても、少しでも。
でも。
「いや、悪い意味じゃなくてさ」
神代は少し考えるように視線を泳がせてから、続けた。
「初めて会った気がしないっていうか」
――。
足が止まりそうになるのを、なんとか堪える。
「……そう?」
「うん。なんか普通に話せるし」
そう言って、少しだけ照れたみたいに笑う。
(……それ)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
それはたぶん、私がずっと欲しかった言葉。
何度も積み重ねてきた時間が、
ほんの少しだけ報われた気がして。
「……私も」
気づけば、そう答えていた。
「話しやすいよ」
嘘じゃない。
本当の気持ち。
でも――
(明日には、消える)
分かっている。
この時間も、この距離も、この感情も。
全部、なかったことになる。
それでも。
「じゃあ、また明日な」
分かれ道で、神代が軽く手を振る。
「……うん」
小さく頷く。
(また明日)
その言葉が、少しだけ痛くて。
でも同時に、少しだけ嬉しかった。
明日も、きっと“はじめまして”になるのに。
それでも――
また会える理由になるから。




