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雨宮先生は、古びた机の前で足を止めた。
積み上げられた資料の山に、軽く指先を触れながら、こちらを見る。
逃げ場のない視線だった。
「単刀直入に言うわ」
静かな声。
余計な前置きは、一切なかった。
「君は今、“認識から消えている存在”よ」
一瞬、意味が理解できなかった。
言葉は聞こえたのに、頭の中に入ってこない。
「……認識?」
かろうじて、問い返す。
雨宮先生は小さく頷いた。
「人の記憶、意識。その両方から、あなたは徐々に削除されている」
削除。
その言い方が妙に現実味を帯びていて、胸の奥がひやりと冷える。
「忘れられている、というよりは――“最初からいなかったことにされていく”に近いわね」
淡々と、事実だけを並べる声音。
優しさも、慰めもない。
だからこそ、誤魔化しが効かない。
私は、何も言えなかった。
ただ、次の言葉を待つしかない。
「順番があるの」
雨宮先生は、ゆっくりと続ける。
「関わりが薄い人間から、先に消える」
その言葉に、教室の光景が頭をよぎる。
名前を呼ばれなかった朝。
プリントを渡されなかった昼。
空席として扱われた、あの席。
「クラスメイトの大半があなたを認識できなくなったのは、そのため」
やっぱり、そうだったのか。
納得と同時に、胸が締め付けられる。
「……じゃあ」
喉が、うまく動かない。
それでも、どうしても聞かなきゃいけないことがあった。
「最後は……?」
雨宮先生は、ほんの一瞬だけ間を置いた。
わずかな沈黙。
けれど、それだけで十分だった。
嫌な予感は、もう形になっている。
「最後に消えるのは――」
視線が、まっすぐこちらを射抜く。
「最も強く関わった人物よ」
心臓が、強く跳ねた。
言葉にしなくても、誰のことか分かってしまう。
――神代。
あの何度もやり直して、何度も近づいて、
それでも最後には、いつも忘れていく相手。
「だから彼は、最後まで“引っかかり”が残っていた」
雨宮先生の声が、静かに重なる。
「でも、それも時間の問題」
頭の中に、あの瞬間が浮かぶ。
「……誰だ?」
あの、完全に空白だった目。
引っかかりすら、なかった声。
「……じゃあ、もう」
言葉が、途中で途切れる。
続きを言うのが、怖かった。
けれど。
雨宮先生は、はっきりと告げた。
「ええ」
迷いなく。
「彼の中からも、あなたはほぼ消えている」
その一言が、静かに落ちてきて――
胸の奥で、何かが決定的に崩れた。




