第5章:真実と選択 1
チャイムが鳴っても、誰も振り返らなかった。
教室を出て、廊下に出ても同じだ。すれ違う人影は、まるで最初からそこに“いないもの”を避けるように、自然に流れていく。肩が触れそうになっても、ほんのわずかに軌道を変えて、何事もなかったように通り過ぎる。
声をかける気にもならなかった。
どうせ、届かない。
どうせ、誰も――
「……待ちなさい」
足が止まった。
聞こえるはずのない声だった。呼び止められる理由なんて、もうこの世界には残っていないはずなのに。
ゆっくり振り返る。
廊下の端。窓から差し込む光の中に、その人は立っていた。
雨宮先生。
まっすぐに、こちらを見ている。
――見えている。
胸の奥が、わずかにざわついた。
でもそれは、驚きというよりも。
「……また、あなたですか」
自分でも意外なくらい、平坦な声が出た。
ほっとしたわけでもない。嬉しいわけでもない。ただ、“予想の範囲内”みたいな、妙な納得が先に来る。
この人だけは、ずっとそうだった。
誰も気づかなくなっていく中で、最初から最後まで、変わらずに――見えている。
「話があるの」
雨宮先生は短く言った。
その声音には、いつもと同じ落ち着きがある。けれど、どこか逃がさないような硬さも混じっていた。
廊下を行き交う生徒たちは、相変わらず二人の存在を気に留めない。先生が誰かと話していることにすら、誰も違和感を抱いていない。
――この人だけ、違う。
じっと見つめ返しながら、わずかに眉をひそめる。
「……なんで、先生だけ」
問いかけは途中で止めた。
聞いたところで、簡単に納得できる答えが返ってくる気がしない。
それに。
ほんの少しだけ、警戒している自分がいる。
この人は“知っている”。
私が何なのかを。
私に何が起きているのかを。
そして――
その先も。
「来なさい」
短くそう言って、雨宮先生は背を向けた。
迷いのない足取り。
まるで、私がついてくると最初から決めているみたいに。
……逃げようと思えば、逃げられる。
無視することだって、できる。
でも。
結局、私はその背中を追っていた。
他に、行く場所なんて――もうどこにもないから。




