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昼休み。
教室のざわめきが、やけに遠く聞こえる。
私は、ずっと陽菜の方を見ていた。
――大丈夫。
まだ、全部が消えたわけじゃない。
そう思いたくて。
最後に残るのは、きっと陽菜だって。
勝手に、そう信じていた。
(……行かなきゃ)
立ち上がる。
一歩踏み出すだけで、足が重い。
それでも、止まれなかった。
「陽菜」
声をかける。
すぐ近くで。
ちゃんと届く距離で。
陽菜が、くるりと振り向く。
目が合う。
――ああ、よかった。
その一瞬で、少しだけ安心しかけた。
けれど。
「……え?」
陽菜の表情が、わずかに曇る。
首をかしげる。
知らないものを見るみたいに。
その違和感が、じわじわと広がっていく。
「……誰?」
軽い声だった。
何気ない、ただの疑問みたいに。
でも。
その一言が、胸の奥を鋭く切り裂く。
「え……?」
言葉が、うまく出てこない。
頭の中が、真っ白になる。
「ごめん、なんか用?」
陽菜は少し困ったように笑う。
気まずそうに。
本当に、“初対面の人”に向けるみたいな顔で。
(嘘だろ)
息が詰まる。
視界が、ぐらりと揺れる。
「陽菜……私だよ」
必死に言葉を繋ぐ。
「昨日、一緒にお昼食べて――」
「え、昨日?」
陽菜が目を瞬かせる。
心底分からない、という顔で。
「ごめん、全然覚えてないかも……」
あっさりと、そう言った。
悪気なんて、まるでない声音で。
(嘘だろ)
もう一度、同じ言葉が浮かぶ。
でも今度は、さっきよりもずっと重い。
「ほら、あの時……恋バナしてさ」
震える声で、続ける。
「神代のこと、からかって――」
「え、誰?」
陽菜が首を傾げる。
きょとんとしたまま。
「神代って……うちのクラスの?」
「……うん」
「その人と、あなたが?」
“あなた”。
その呼び方が、突き刺さる。
距離が、一気に遠くなる。
手を伸ばしても、届かない場所へ。
「……ちょっと待って」
鞄を探る。
震える指で、スマホを取り出す。
「これ見て」
写真を開く。
昨日、一緒に撮ったやつ。
笑ってる、私と陽菜。
確かにそこにあったはずの、証拠。
画面を、陽菜に向ける。
「これ――」
言いかけて、止まる。
息が、止まる。
画面の中には。
陽菜しか、写っていなかった。
隣にいたはずの私は。
綺麗に、切り取られたみたいに――消えている。
「……え?」
自分の声が、やけに遠い。
「なにこれ……」
指先が震える。
何度も画面をスワイプする。
別の写真。
別の日。
どれも。
どれも。
陽菜だけが写っていて。
私の姿は、どこにもない。
「この子……誰?」
陽菜が、画面を覗き込む。
別の写真を指差して言う。
そこには、ぼんやりとした影みたいなものがあった。
でも、それが“誰か”だとは認識されていない。
「知らない人、写ってるけど……」
不思議そうに眉をひそめる。
「ちょっと怖くない?」
軽く笑う。
冗談みたいに。
その笑い声が、耳に刺さる。
(嘘だろ)
頭の中で、何度も繰り返す。
でも、もう。
それを否定する材料が、どこにもない。
「……昨日まで」
かすれた声が、こぼれる。
「一緒に、笑ってたじゃん……」
陽菜は、困ったように笑うだけだった。
「ごめん、本当に分かんない」
その一言で。
全部が、終わる。
(……一番)
胸の奥が、ぐしゃりと潰れる。
(……一番、覚えててほしかったのに)
足元が崩れるみたいな感覚。
立っていられなくなる。
でも。
誰も支えてくれない。
手を伸ばしても。
もう、誰にも届かない。
目の前にいるのに。
こんなに近くにいるのに。
陽菜はもう――
私を、まったく知らない。




